修行
昔、旅人のハリスが無精髭をむしりながら「俺はどんな時でも鍛錬だけは怠ったことがない」と語っていたことがあった。村のアルフレッド爺さんだってそうだ。
農民としての慎ましい生活に、直接的な「武術の鍛錬」など必要ないはずだった。しかし彼らは牙を研ぎ続けていた。まさか自分自身が、それも命を落としアンデッドとなった後に、未知の魔法に対する修行を積むことになるとは思いもしなかった。
もっとも、ケビン自身の魔法に対する才能や適性は「零」に等しいものだった。
体内の魔素の保有量だけなら誰よりも圧倒的だった。数値として例えるなら、一般人の平均的な魔素量を【1000】程度とするならば、ケビンは【20000】という莫大な数値を誇る。
ちなみにBBが【16000】、ライが【14000】、ルルとリリィは二人とも【7000】程度だという。アンデッドへと変異し、他の魔物を喰らい、魔素を吸収・結合した影響で、一行の魔素量は異常な領域に達していた。
しかし、純粋な魔素量で言えばケビンが頭一つ抜けて一番多いものの、それを操作・運用する技術となると話は別だった。
魔素を制御する能力が最も秀でているのはライで、次いでリリィ、ルル、そしてBBと続き、最下がケビンだった。
(俺の愛牛にすら劣っているとは、一体どういうことだ……)
情けなさに肩を落とすケビンに、ヴィネルバが言葉をかけた。
「お前さんは、その体内に溜め込んだ膨大な魔素を全身に循環させるイメージを持つ練習が必要だねぇ。武術家が用いる『気』は魔素の運用法さね」
かつて生前のヴィネルバは体術にも長けていたという。霊体となった今は直接的な体術は使えないが、身体構造における魔素の効率的な動かし方を熟知していた。
「そう、息を吐き、息を吸う。その呼吸に合わせて、魔素を血液のように全身へ巡らせるんだよ。……なんだい、ずいぶん凝り固まっているねぇ、あんたは」
「ぬぬぬ……む、難しい……」
ヴィネルバの指導を受けながら、ケビンは汗をかくことのない死体の身体で必死に感覚を探った。
ルルとリリィの双子は魔素を扱うセンスに恵まれていたため、ヴィネルバから基礎的な生活魔法の手ほどきを受けている。ライも魔力操作に長けていたが、術式を組む魔法よりも武術の肉体運用に長けていたため、ケビンと同じく魔素の循環修練を行っていた。
「あんたは感覚を掴むのが早いねぇ、ライ」
「……ありがとうございます、ヴィネルバ様」
ライは猫背の姿勢をそのままに座禅を組み、身体の隅々まで滑らかに魔素を巡らせていた。
一方、BBは外の畑で、スケルトンたちと共にマンドラゴラや土と戯れ、自然と触れ合っている。
「お、俺だけみんなから遅れているんじゃ……」
「大丈夫さねぇ。いくらでもここにいてくれて構わないんだよ? その分、あたしがたっぷりと魔素を吸収させてもらうけどねぇ」
にんまりと不気味に笑うヴィネルバの顔に若干の苛立ちを覚えつつも、ケビンは集中を乱さぬよう再び意識を内へと向けた。
指先まで、足のつま先まで、そして腰から生えた漆黒の尻尾の先端から、脈打つ心臓へと戻ってくるライン。魔素を血であり、空気であるかのように強く意識する。
王都の死線で全身を駆け巡った、あのドス黒い魔素の渦を思い出す。焦燥を捨て、じっくりと魔力を練り上げていくと、少しずつだが体内の魔素が意志に従って蠢き始めるのを感じた。
そのまま不眠不休で鍛錬を繰り返す日々が数日間続いた。
アンデッドとなったケビンたちには「睡眠」をとる必要がないため、一日という時間の尺が途方もなく長く感じられる。
その過酷な修練が始まってから、ケビンはルルやリリィとほとんど言葉を交わしていないことに気がついた。
特に妹のリリィからは、明確に避けられている気配があった。
以前、彼女の左額から生えた黒い角について話題を振った際、リリィは鋭い視線でジロリとケビンを睨みつけ、ツインテールの片側を指で弄りながら「は? 私に分かるわけないじゃん」と冷たく言い放ち、そのまま立ち去ってしまったのだ。
ケビンは胸を痛めながらも、彼女のその複雑な心境に寄り添おうとしていた。
(……勝手に蘇らせた、俺への報いであり代償なんだ)
そう自分に言い聞かせ、あえて拒否反応を示すリリィとは適度な距離を保つようにしていたのだった。
そんなある日、家の中で魔素の循環を試みていたケビンの元へ、ルルが歩み寄ってきた。
「……お兄ちゃんはさ、なんで私たちをこんな姿にしたの? 私たちのこと、恨んでたわけ?」
ルルは右額に生えた角の根元を撫でながら尋ねてきた。その瞳はリリィと同じく光を失った冷ややかなものだったが、どこかリリィよりは柔らかな響きを宿していた。
「恨んでいるわけないだろ! むしろ俺は……家族が、大好きなんだ……! どうしても諦めきれなくて……二人に生きてほしかったんだよ!」
ケビンの必死の叫びに、ルルは悲しげに目を伏せた。
「……死んでるし。今も。……でも、そういう大事な気持ちをさ、私に聞かれてから言うようなところが、お兄ちゃんの悪いところだよ。……リリィにも、ちゃんと言ってあげてね」
ケビンを睨んでいたルルの瞳が、いつの間にかふんわりと緩み、かつてのような優しい温もりを宿していた。
「ほんと、お兄ちゃんは不器用なんだから」
「……面目ない」
ルルの温かな言葉を聞いて、ケビンはハッと突き動かされた。
自分は「妹の気持ちに寄り添っている」気になっていただけで、一番大切な己の真相と愛を、二人に何も伝えられていなかったのだと気付かされた。リリィと適切な距離を置こうなどと逃避する前に、ちゃんと正面から想いを伝えるべきだったのだ。
ケビンは修練を一旦中断し、外で黙々とマンドラゴラの世話をしているリリィの元へ向かおうと扉へ手をかけた。
――その瞬間、外の買い出しから戻ったヴィネルバが、重い扉をすり抜けて屋内に姿を現した。
「あんたたち、大変なことになったよ。サピエンティアに置いていたあたしの『分体』が、2番弟子に殺されたわさ。……つまり、サピエンティアが甚大な被害を受けたってことさね」
ヴィネルバが静かに放ったその一言に、居合わせたケビンたちの身体が、凍りついたように激しく震え上がった。




