堕落した聖女-1
「ふむ……。まぁ、答えてやらなくもないがねぇ……」
魔女クラガリ――ヴィネルバは、レースの扇子をパタパタと動かしながら、再び一同を値踏みするように見つめた。
その瞬間だった。
ケビン、ライ、ルル、リリィの全員の背筋に、ゾワリとした悍ましい嫌悪感が走った。
内臓を素手で直接こね回されるような、魂を直に覗き見られているかのような、名状しがたい不快感。全員が思わず身震いをし、BBすらも不穏に肩を揺らした。
「ふっ、まぁいいさ。なら教えてやるから、代わりにお前さんたちの『魔素』をたっぷりよこしな。それと……そう、ケビンといったかねぇ。お前さん、私の『弟子』になる気はないかい?」
「ええっ!? で、弟子って……! 魔素を分けるのはいいけど、弟子って一体何をすれば――」
「そうかい、やってくれるんだねぇ。話が早くて助かるよ。なら、約束通り話してあげようさね」
ヴィネルバはケビンの困惑を意図的に無視し、満足げに目を細めた。
「おい、人の話を聞けよ……!」
ケビンの抗議の声は虚しく店内の虚空へと消え去り、ヴィネルバは記憶の底を紐解くように、かつて自身が買い取った2番目の弟子――『橘小雪』についての過去を語り始めた。
それは、今から遡ること4年と数ヶ月前のこと。
ヴィネルバの日課である「分体」を使った奴隷商会での仮面素材集め。
あの日も、馴染みの奴隷商が裏ルートで仕入れたという『目玉商品』の品定めをしていた時に、その娘と出会った。
檻の奥にいたのは、この世界のどこの国のものでもない、奇妙な異国の制服に身を包んだ黒髪の少女だった。
彼女は自身の細い足に、まだ赤々とした新しい引っかき傷をいくつも作っていた。周囲に誰もいなくなると、壊れた人形のように何度も、何度も自傷行為を繰り返す。その髪と同じように、少女の瞳は深い黒色をしていたが、そこには一片の光も、生への執着すらも宿っていないように見える。
口元には頑丈な鉄製の口輪が嵌められ、舌を噛み切って自殺することすら許されていない。
他の奴隷たちは、商品価値を落とさないよう身綺麗にされ、首輪と手枷だけで牢に入れられているというのに、その黒髪の少女だけは、天井から太い錠前と鎖で無残につるし上げられていた。
おそらく、隙あらば己の身体を傷つけようとする狂気への、奴隷商なりの苦肉の対策だったんだろう。
ヴィネルバは、その悍ましくも可憐な少女の『魂』を覗き見た。
ゴーストになる前からヴィネルバが手にしていた、固有の魔眼――『魔晶の魔眼』。
己の魔素を特殊な回路で循環させ、その魔眼を発動すると、視界に映る対象の「魔素量」が濃厚なオーラとして可視化される。
ヴィネルバが魔眼を向けた瞬間、黒髪の乙女はブルッとその華奢な身体を拒絶するように震わせ、可憐な見た目からは想像もつかないほど凶暴な眼力で、まっすぐに睨みつけてきた。
この魔眼を通すと、相手も見られていることに強烈な嫌悪感と違和感を覚える。便利だけど、一発で気づかれるのが玉にキズな力でもあるのだ。
「どうです? ヴィネルバ様。この『500番』はかなり稀有なルートから手に入れましてね。会長が言うには、何でも王族の人間から直々に融通してもらったとか……。ま、ヴィネルバ様ほどの上得意様にしか、まだお見せしていない極上品です、はい」
「王族……ねぇ」
品も面白みも美しさもない、目元だけを隠した安物の仮面をつけた奴隷商の一人が、揉み手をしながら愛想笑いを浮かべていた。
あたしは、その黒髪の乙女から立ち上る桁違いの魔素量に内心で舌を巻きながら、奴隷商に水を向けた。
「よくこんな『魔素の塊』のような子を、ただの奴隷として檻に閉じ込めておけたもんだねぇ。本気で暴れれば、こんな施設ごと簡単に吹き飛ばして逃げられるだろうに」
「あはは、大丈夫ですよ! 我が商会の会長が自ら、特製の魔道具の『封印口輪』を施してありますからね。あれが、この元聖女の忌々しい魔力を完全に抑え込んでいるのです、はい」
奴隷商は自慢げに笑っていたが、あたしは扇の陰で強かに、冷酷に嗤った。
(……これで抑え込んでいる、だって? 冗談じゃない。口輪の封印を突き破らんばかりの膨大な魔素が、彼女の内に暴風のように渦巻いているのが分からないのかい? 一体どれだけの魔素をその小さな身体に溜め込んでいるんだ……。そんな芸当、生身の人間に可能なわけがないだろうに)
使い方を知らないんだね。可哀想に。
――だが、ヴィネルバなら分かる。この子は、最高の『素材』になる。
それは確信だった。
「じゃあ、その元聖女の500番。それと、さっき見たリザードマンと多眼種の子供を何人か見繕っておくれ。配達はいつも通り、モグラに任せるからね」
「はい! 毎度ありがとうございます! すでに前金として代金は頂いておりますので、こちらでの精算はございません、はい。ですので、こちらの契約書にサインを」
奴隷商がどこからともなく取り出した羊皮紙の契約書を、ヴィネルバの前に提示した。書いてある文言はいつも通りの奴隷売買の規約だが、必ず隅々まで目を通す。
内容を確認した後、ヴィネルバは生活魔法を使い、自身の指先で羊皮紙をなぞった。指の動きに合わせて魔素が線となり、黒い印字となって文字を刻んでいく。ヴィネルバの名前が記入された瞬間、羊皮紙にあらかじめ仕込まれていた魔法陣が眩い緑色の光を放ち、不可逆の契約が成された。
「ありがとうございます、はい! 契約は無事に成されました。……ヴィネルバ様、この奴隷に商会特製の『契約印(呪縛)』を結び直しますか?」
「要らないよ。私のやり方は、知っているだろう?」
口元を隠したあたしの、ゴースト特有の冷徹な赤い視線が、奴隷商を無言で下がらせた。
すっと、肉体を持たない霊体ならではの滑らかな動きで、赤いドレスの裾を揺らしながら牢屋の鉄格子をすり抜ける。
「お前さん。名前はなんて言うんだい?」
そうヴィネルバが問いかけた、その瞬間だった。
少女は両手両足を鎖で繋がれ、宙に吊るされているという最悪の体勢でありながら、一切の躊躇なく、あたしの顔面に向けて鋭い蹴りを放ってきた。
けれど、ヴィネルバは霊体だ。彼女の足先はヴィネルバの顔を虚しくすり抜け、激しい勢いで鎖がジャラジャラと大きく揺れるだけに終わった。
「おや、活きがいいねぇ。お前さんは特別さ。私が直々に連れ帰って、その有り余る魔素の正しい『使い方』を教えてあげるよ」
そう言って、ヴィネルバがスッと指先を動かすと、彼女を拘束していた頑強な錠前と、魔力を抑えていたはずの鉄の口輪が、一瞬で音を立てて外れ落ちた。
「あ、あぁっ!? ヴィネルバ様! その口輪を外しては――!」
奴隷商が慌てて止めようと叫ぶよりも、遥かに早かった。
口輪が外れたまさにその刹那を狙い澄ましたかのように、黒髪の乙女の身体がフワリと宙に浮いた。彼女は自身の体内から爆発的な魔素を放出し、両手足に繋がれていた極太の鎖を紙切れのように引きちぎると、瞬時に間合いを詰めて接近した。
――狙われたのはヴィネルバではなく、背後で慌てふためいていた、あの奴隷商の男。
しかし、その殺意が届くことはなかった。
「……本当に、活きがいいねぇ……」
黒髪の少女は空中で前傾姿勢のまま、まるで生きたマネキンのようにピキリと完全に凝固してしまった。
彼女の鋭い指先は、恐怖に顔を歪ませる奴隷商の心臓を、文字通り突き刺す寸前で停止していた。
その腕には濃密な魔素が纏わされ、生身でありながら鋼鉄以上の硬度に変化していたというのに、ヴィネルバの生活魔法の応用による重力を操作し浮遊、固定を瞬時におこなったのだった。
「さて、このまま固めて連れて行くかねぇ。……おい、アンタ。またアンタのところの会長に、良い素材が入ったら真っ先に伝えるよう言っておくれ。じゃあね」
「……あ、あ、ありがとう、ございます……ヴィネルバ様、はい……っ」
今の一瞬で確実に死を覚悟したであろう奴隷商は、ガクガクと両膝を激しく震わせ、恐怖のあまりその場に生暖かい小便を漏らして崩れ落ちた。彼は、ヴィネルバの魔法によって物言わぬ人形のように浮遊したまま運ばれていく「500番」の後ろ姿を、ただ呆然と見つめることしかできなかったのだった――。
今から転移者の橘小雪の話が少しできますので嬉しいです。地獄を作った彼女の話を是非見てください。
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