魔女クラガリ
案内人シファの後に続いて湿地帯をさらに深く進んでいくと、泥に覆われた、お椀を逆さにしたような独特なドーム型の住居がいくつも乱立する集落へと辿り着いた。
それは単に泥を固めただけのものではない。
この湿地に自生する繊維の非常に強い水草と、特殊な粘土質を強固に混ぜ合わせ、組み上げた木材の骨組みに幾重にも塗りたくった、彼ら独自の知恵が詰まった堅牢な住居だった。
そんな泥の家々の隙間や窓から、リザードマンの子供やメスたちが、息を潜めてアンデッドの一行を凝視している。
本来、頑強な鱗と高い身体能力を持つリザードマンの戦士たちであれば、知性のない通常のアンデッドに遅れを取ることはまずない。しかし、あちらの群れには――あのミノタウロス(BB)がいる。
あれは本来、底知れぬ迷宮の深部にしか生息していないはずの、高位の魔物だ。最高位の魔物のドラゴンの血がまざっているリザードマンであっても討伐しようとすれば、それこそ集落が半壊するほどの甚大な犠牲を払わねばならない。そんな生きた災厄が、アンデッドの異形となって悠然と歩いているのだ。
(こんな悍ましい化け物どもが、一体なぜここに……)
集落全体が、言葉にできない圧倒的な恐怖と驚天動地に包まれていた。
やがて一行はシファの案内で、集落の中央にある一際大きな住居へと導かれた。そこで待っていたのは、顎の皮膚がダルリと垂れ下がった、年老いたリザードマンの族長だった。
どうやら、魔女クラガリの領域に立ち入ることを許されているのは、部族の中でも限られた高位の者だけであるらしい。ここからは族長直々の案内となった。
「わしがこの部族を束ねる族長、ガルガ・ディ・アングルですじゃ。……ふむ、見たところ、魔女クラガリと何らかの関係があるお方とお見受けしますじゃな。我らリザードマンは魔女クラガリの恩恵に預かる身。なれど、あの御方と直接言葉を交わすことはございませんですじゃ。よって、わしらができるのは彼女の『敷地』の境界までご案内することだけ。それでよろしいかな? アンデッドの御方々」
族長ガルガは、特徴的な顎の垂れ皮を三本の爪で静かに撫でながら言った。その爬虫類特有の黄色い眼球は、まっすぐにケビンを見据えていた。
「あぁ、問題ない。そこまでで十分だ。ありがとう」
ケビンが鉄の仮面の奥から、流暢な人間の言葉で感謝を示したことに、族長は驚いたというよりは、アンデッドが「礼節」を持っていたことに微かに目を見張った。だがそれ以上は何も言わず、ガルガはシファを伴って寝床を出ると、さらに霧の深い湿地の最奥へと一同を先導し始めた。
進むにつれて、周囲を囲む霧は急速にその濃度を増し、数歩先すら容易に見通せなくなっていく。
「離れずについてきてください」
前を行くシファが、長い棒の先端に吊るした簡易なランタンに火を灯し、頭上を高く照らした。その濃霧に霞むぼんやりとした光の尾を頼りに、一行は泥濘を踏み締めて進む。
どれほど歩いただろうか。
突如として視界を遮っていた濃霧が嘘のように晴れ、奇妙な空間が目の前に現れた。
そこは、周囲を白い霧の壁に囲まれた、ぽっかりと丸く切り取られたような一画だった。その中央では、歪な形をした一体のスケルトンが、黙々と鍬を持ち上げて畑を耕していた。身体の骨組みは人間に酷似しているが、その頭骨だけは、立派な角を持った「鹿の頭骨」という奇妙な姿をしている。
畑のすぐ奥には、今にも崩れそうなほど古びて傾いた、平屋の木造小屋が静かに佇んでいた。
その光景を見た瞬間、案内していたリザードマンの二人がピタリと足を止めた。
「では、我々の案内は此処までですじゃ」
「……お気をつけて」
二人はケビンたちに軽くお辞儀をすると、回れ右をして霧の中へと戻っていった。
彼らが掲げていたランタンの淡い灯火が、濃霧の向こうへと静かに霧散していく。
「行きましょう」
ライが静かに促した。
「あぁ。……ところでライ、あの畑を耕しているのが『魔女』なのか?」
ケビンが鹿の頭骨のスケルトンを指差すと、ライは首を横に振った。
「いいえ。あれは魔女の眷属……ただの物言わぬ人形よ」
「どう見ても違うじゃない。馬鹿なの?」
「うっ、煩い。そうかも知れないだろ?」
ルルの呆れた顔に反抗しつつライを先頭に、ケビン、双子、そしてBBが畑の横を通り抜けていく。同じ死霊系の魔物であるからか、あるいは最初から他者に興味すら抱かぬよう呪いを受け進められているのか、スケルトンが鍬を振るう手を止めることは一度としてなかった。
傾いた小屋の、古びた木製のドアの前に立つ。
ケビンは一度背後にいるルルとリリィ、そして仲間たちの顔を見回してから、意を決してそのドアノブを引き絞った。
ギィィィィィ……。
油の切れた不気味な音が響き、開け放たれた先には――湿地帯の寂れた小屋からはおよそ想像もつかない、あまりに奇妙で、かつ見覚えのある景色が広がっていた。
壁という壁に隙間なく掛け並べられた、おびただしい数の「仮面」の数々。
ゴブリンの顔皮を無残にくり抜き、鼻の部分だけを可憐な花に挿し替えた悪趣味な仮面。
様々な生物の、まだ瑞々しい目玉だけを幾重にも縫い付けた人間の顔の仮面。
般若のように激しく怒り狂う女性の仮面。
生々しい肋骨の骨組みだけで顔を覆うように作られた骨の仮面。
――どれもが、正気を疑うほどに奇抜で悍ましい造形をしていた。
そして、部屋の中央には古いカウンターがあり、その奥に木製のロッキングチェアがぽつんと置かれている。
この光景を、ケビンは嫌というほど知っていた。飾られている仮面の種類こそ違えど、かつて王都の路地裏で迷い込んだ、あの忌まわしい空間を忘れるわけがなかった。
「おやぁ……。こんな所まで来るお客様とは……珍しいこともあるもんだねぇ……」
鈴を転がしたような、どこか艶っぽくも冷ややかな声が、ギギギと軋む椅子の向こうから聞こえてくる。
声の主の輪郭が、室内の薄暗い闇の中で徐々に結像していく。現れたのは、豪奢な赤いドレスを纏った、気品溢れる貴婦人の姿。だが、その身体は背景の壁がうっすらと透けて見える――紛れもない、上位霊の特徴を有していた。
そこにいたのは、あの「仮面商ヴィネルバ」だった。
「――っ! あんたが、なぜこんなところにいる……!?」
ケビンが驚愕の声を上げると、ゴーストの貴婦人は、レースの扇子を口元に当てて片眉をひねり上げた。
「そりゃあお前さん、ここは私の店だからさ。ようこそ『ヴィネルバの館』へ、お客様。……おや、それにしてもお前さん。仮面が馴染んでるねぇ……。私の見立てに狂いはなかったようだ」
「ヴィネルバの館だって!? 待て、王都にあったあの店と同じなのか!?」
「当たり前さね。今風に言うなら『出張店』ってやつさ。……それで、今日のお客様は、お前さん以外が仮面をお求めかね? 妹さんたちかい? 家族割で安くしとくよ……ひっひっひ」
怪しく、歪に微笑むヴィネルバの圧に気圧され、ルルとリリィは恐怖で小さな悲鳴を上げながら、ライの細い背中の後ろへと完全に隠れてしまった。
そんな異様な空気の中、ライが一歩前へと出た。彼女はその赤い肌の猫背のまま、かつて宮廷に仕えていた頃の、完璧で優雅な一礼をみせた。
「お久しぶりです、魔女クラガリ。……私は生前、アーノルド第三王子殿下に仕えておりました側仕え、ライ・スキンティラと申します」
ライの口から放たれたその名に、ケビンは驚きのあまり声を失う。
「――ライ、今なんて言った? ヴィネルバが、魔女クラガリ……!?」
「あぁ、私はその呼び方は陰気臭くて好きじゃないんだがねぇ。まぁ、外の有象無象からはそう呼ばれることもあるよ」
不服そうに、パタパタと扇子で顔を仰ぐヴィネルバ。それを見たケビンは、脳内に浮かび上がった純粋な疑問をライへとぶつけた。
「おい、もしヴィネルバが魔女クラガリ本人なら、わざわざこんな湿地まで来なくたって、王都の店にいる時に尋ねればよかったんじゃないのか……!?」
すると、ライは静かに首を横に振った。
「いいえ。私も生前は噂に聞いていただけだから確証はなかったし、あちらの王都にあるのはただの『分体』よ。あちらの彼女は仮面の売買以外、一切の融通も対応もしてくれないわ。……かつて、アーノルド殿下がそうおっしゃっていたもの」
「そうさね、その猫背のメイドの言う通りさ。あっちに置いてあるのはただの分身、仮面の商売以外の話は聞けないのさ。……それで? 三番弟子のメイドがここへ来た理由はなんだい? 気が向いたら聞いてあげなくもないよ。言ってみな?」
ヴィネルバは、文字通り透き通ったルビーのような瞳を細め、一同を値踏みするように見つめた。
ライはその視線を真っ向から受け止め、鋭い5本の爪を握りしめて言った。
「魔女クラガリ。……貴方の知っている『橘小雪』のすべてを、私たちに教えてください」
ちょこちょこ数話再編集しております。
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