湿地帯のトカゲ
朝日が昇り、白々とした光が差し始めた廃村。
出立の準備を整えた一団は、まだ原型を留めている頑丈な荷車へと乗り込んだ。
「BB、すまないが皆の代わりに頼む」
ケビンが声をかけると、ミノタウロスのビッグボーイはフシューッと力強く鼻息を鳴らし、荷車の梶棒を握りしめて猛然と走り出した。
その走行は、驚くほど安定しており、かつ凄まじい快速だった。もし生身の人間であったなら、あまりの速度と激しい遠心力で胃袋の中身をすべてぶちまけていたかもしれない。
全員が(アンデッドの頑強な肉体で良かった)と内心で平穏を噛み締めるほど、BBの牽引力は破格だった。
道中、一同はライが廃村の比較的綺麗な家屋から見繕ってくれた衣服に身を包んでいた。
ケビンは地味な麻のチュニックとブリーチ(ズボン)を着用している。
ただ、胸元から突き出た禍々しい魔晶石を逃がすためにチュニックの胸辺りを大きく丸くくり抜いており、そこからのぞく死に装束の白い布は、すでに至る所が自身の黒い血で薄汚れていた。
ルルも同様だった。
胸の風穴から突き出したリッチの特大魔晶石を隠し、かつ暴れないよう、ライの手によって何重ものさらし布が大きな胸にきつく巻き付けられている。
その上から、ひらひらとした麻のスカートを穿き、傷だらけの足にも包帯のように布を巻いた完全防備の出立ちだった。
一方、リリィはといえば――ライがどこからか見つけてきた、生前ならお祭りや儀式で着るような、フリルやレースが無駄に付いた、丈の合わない窮屈な「村娘の晴れ着」を無理やり着せられていた。
ネズミ色の死んだ肌に、場違いなほど可愛らしいフリフリの衣装。それが余計に気に入らないのか、彼女は荷車の端っこで小さく体育座りを決め込み、頑なにケビンと目を合わせようとしなかった。
ルルがそんなリリィの隣にそっと寄り添い、その細い肩を抱く。
二人の額からは、互いに対になるようにして、黒く鋭い角が一本ずつ生え揃っていた。ルルは右の額から、リリィは左の額から。それはまるで、ケビンの仮面から生える二本の角を、半分ずつ分け合ったかのようだった。
なぜこのような変異が起きたのか、ケビンには分からなかった。ただ、車内に漂うこの刺すような嫌な沈黙をどうにか破りたくて、ケビンはできるだけ気さくな兄を装い、掠れた声を絞り出した。
「リリィ、ルル、その……あ、あの北にある山、トロールが住んでるらしいんだ。どんな奴らなんだろうな? 怖いのかな……ははっ」
不器用に、おどけるように呟いた言葉は、誰に届くこともなく寒空へと霧散した。
再び、重苦しい沈黙。
すると、リリィが膝の間に埋めていた顔を上げ、ギロリと凶暴な光を宿した瞳でケビンを睨みつけた。
こうなることは、最初から予想していた。
どんなに苦しく凄惨な思いをして死んだとしても、妹たちがこんな化け物のようになって蘇ることを望んでいたはずがない。望む者などいるわけがないのだ。それでも、身勝手な愛で二人をこちらの世界へ引きずり戻した責任は、すべて自分にある。
責め苦を覚悟し、重い口を再度開こうとしたケビンの前に、リリィの冷徹な声が先んじた。
「お兄ちゃんは……なんなの?」
「な、なんなのって……何がだ?」
「はぁ……。その、悪魔みたいな見た目のことよ」
リリィが細い指先で、ケビンの頭部を指さす。
「これか? これは、アンデッドのひどい顔のまま生きてる人にあえないからって仮面を買って隠そうとしたんだが……顔に管がさしこまれて外れなくなって……」
「ふぅん……きも……」
リリィの容赦のない一言が、ケビンの心を的確に抉る。
「絶対仮面じゃないよ、それ」
ルルがすっと近づいてきて、興味深そうにその黒い鉄の仮面に触れた。
なんとなく虚を突かれたケビンはビクッと過剰に反応してしまい、「うわぁっ!」と情けない声を上げてしまった。その拍子に、ヴィネルバの仮面に備わっていた隠された機構が作動する。
バカッ!!
金属音とともに、仮面の顎部が左右に大きく裂けるように開き、その奥に潜んでいた、おぞましい「真実の口」が完全に露出した。蛇のように幾重にも並んだ鋭い牙、生者を引き裂くためだけに特化した、エイリアンさながらの捕食口。
それを見た双子は、同時に目を見開いた。
「こわっ……きも……」
「キモいよ、お兄ちゃん……」
「おい……それ以上言うな。……兄ちゃんだって、これでも結構傷ついてるんだ……」
顎の機構をモゴモゴと閉めながら、ケビンは深くうなだれた。ルルはそんな兄の情けない姿に少しだけクスリと笑みをこぼしたが、リリィは相変わらず暗い表情のまま、不機嫌そうに外の景色へと視線を戻してしまった。
「――見えてきたわよ。もうすぐ湿地帯ね」
御者席側から、ライが長い爪で前方を指し示した。
その先には、陽光を遮るほど鬱蒼と伸びきった怪しげな草木と、底の見えない不気味な泥濘が広がっていた。一歩足を踏み入れれば、膝まで容易に呑み込まれそうな最悪の地形だ。
ズゥゥン……!
BBが静かに足を止め、荷車を停止させた。これ以上、車輪のついた乗り物で進むのは不可能だった。
「仕方ない、ここからは歩きだ」
ケビンたちはゆっくりと荷車から泥の中へと降り立つ。ドッポン! と汚い泥水が派手に跳ね上がり、せっかくライが見つけてくれた新しい衣服が、一瞬で茶黒く汚れてしまった。
その時だった。
――ヒュンッ!!!
猛烈な風切り音が、静寂の湿地に響き渡る。
その音を感知した瞬間、ライの身体が獣のようにしなった。赤い腕が閃光の如く空を薙ぐ。
バキィィンッ!
硬質な音が響き、ライの鋭い爪によって正確に叩き落とされた「矢」が、泥の中に突き刺さった。だが、放たれた矢は一本だけではない。四方八方の草むらから、無数の矢の雨が降り注ぐ。
「ひっ……!」
驚愕するリリィとルルの前にケビンが瞬時に立ちはだかり、黒い鱗の右腕と槍のような尻尾を風車のように振り回して矢の嵐を次々と叩き落としていく。
BBはその強靭な筋肉の肉体にあえて数本の矢を受け止めながら、ふんぬ、と鼻息を荒くして身構えた。
「な、なんなのこれ!?」
「いやぁ!」
「分からない。だが安心してくれ――何があっても、俺が二人を守る」
ケビンは仮面の奥の瞳を光らせ、ライと視線を交わした。ライは不敵に口角を上げ、深く頷く。
ライはその恐るべき5本の爪を振るい、視界を遮る頑強な樹木をチェンソーのように切り刻みながら進撃を開始した。倒れ伏していく巨木と、隙間を縫って飛んでくる無数の矢。それらを交互に切り裂き、粉砕していく。
湿地には薄い霧が立ち込めていたが、矢の軌道から射手の位置は完全に割れていた。
BBもまた、突き刺さる矢など意に介さず、丸太のような腕で木々を薙ぎ倒していく。と、へし折られた巨木の梢から、「うげぇっ!?」と情けない悲鳴を上げて、一匹の『トカゲ』が転がり落ちてきた。
直立歩行するトカゲの化け物――リザードマンだ。
落ちてきた個体は瞬時に腰の短剣を抜こうとしたが、それよりも遥かに早く、BBの巨大な戦斧がその首筋へと叩きつけられ――皮一枚のところでピタリと静止した。暴風のような風圧に、リザードマンの身体が硬直する。
「あら、やっぱりリザードマンね。この陰気な湿地帯を根城にして、まともに弓矢を扱える種族なんて、彼らくらいのものよ」
ライが爪を弄びながら、冷ややかに言い放った。
「キ、キサマラ……アンデッド、デハ、ナイノカ……!?」
リザードマンは、周囲の茂みに潜む仲間に向けていつでも弓を引ける姿勢を崩さなかったが、自身の首元に突きつけられたBBの巨大な刃と圧倒的な威圧感に、その黄色い瞳を恐怖に泳がせていた。
「あぁ、アンデッドだよ。だが、見ての通り俺たちには意識がある。今は魔晶石を喰らって、正気を保っているだけだ」
ケビンが静かに歩み寄る。その波打つ槍のような尻尾、二本の角、そして悪魔の右腕という異形中の異形を間近で見たリザードマンは、恐怖のあまりブワリと長い尻尾を直立させ、種族特有の警戒信号を発した。
「ナ、ナゼ……コロサナイ? ワタしたちは、キサマラを、コロそうと、シタ……」
「理由は簡単よ。私たちが用があるのは、あなたたちトカゲじゃないもの」
ライが歩み寄り、その長い爪をシャキン! と鋭く鳴らした。それだけで、リザードマンが番えていた弓の弦と木幹が、恐るべき精密さで綺麗に切り裂かれる。
息を呑むような爪の切れ味に、リザードマンは完全に戦意を喪失し、その場に両手を上げた。
「魔女『クラガリ』の居場所を知りたい。そこまで案内してもらえるかしら?一度来たことがあるの。アーノルド殿下のお付きのメイドだったのよ。伝えてくれるかしら?」
人にもわかるくらいリザードマンの瞳がくわっと見開いた。
「ワ、ワカッタ……! オ、オマエたち、手を出すな! コイツらは……『客、人』だ!!」
リザードマンの悲痛な叫びが湿地に響き渡ると、泥濘の中から、あるいは木々の上から、次々と息を潜めていたリザードマンたちが姿を現した。どいつもこいつも一様に恐怖の色を浮かべていたが、ケビンたちからすれば、トカゲの顔はどれも同じようにしか見えなかった。
「ア、案内、シヨウ。ワタシは、シファ。シファ・ドゥ・アビィという。シファで、構わない……」
そう名乗ったリザードマンは、全身をくすんだ茶色の鱗で覆われており、胸元に大きく刻まれた「バッテンの傷跡」が特徴的なオスであった。
シファは、背後から無言で睨みを利かせるBBの巨体に怯えながらも、他の仲間たちが見守る中、おずおずと湿地の奥へと歩を進め始めた。
それに連なるようにして、ケビン一行はさらに深く、魔女の領域である泥濘の湿地帯へと足を踏み入れていくのだった。
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