不死王リッチ-2
大教会北側の勝手口、立ち込める血臭と硝煙のただ中に、上位不死者であるリッチは悠然と空中へ佇んでいた。
生前は人々の尊敬を一身に集めた大教会の最高司祭「ナイジェル」であったその男は、今や見る影もなく肉を食い破られた髑髏の化け物と化している。
しかし、血黒くドロドロに染まり上がった純白の法衣を夜風に不気味に揺らすその姿には、生者を絶対的に見下ろす冷徹な威厳が満ち満ちていた。
リッチは地上で己の配下を蹂躙した三体の異形を見下ろし、まるで神の審判を今から下すかの如く、その手に握られた漆黒の魔導杖を天高く掲げた。
その頭上から降り注ぐ、世界を圧殺せんばかりの圧倒的な殺意と濃密な魔素の奔流。
当然、地上に佇む三体の【変異個体】がそれに気づかぬはずもなかった。だが、彼らは怯むどころか、それぞれの戦意を飢餓感とともに研ぎ澄ませていく。
ケビンは先ほど串刺しにし、無残に引き裂いた一般アンデッドのはらわたの奥底から、鈍い輝きを放つ一つの結晶──**「魔晶石」**を見つけ出していた。
体内に宿る魔晶石の大きさは、その個体が有する魔素量に完全に比例する。目の前のゾンビのものは吹けば飛ぶような小さな代物でしかなかったが、ケビンにとっては貴重なエネルギー源に違いなかった。
ケビンが魔晶石を掴み取り、顎をがばっと大きく開く動作をすると、顔面に呪いによって完全に同化しているヴィネルバの「角の騎士風の仮面」がその動きに連動し、口元の機構が左右に禍々しく裂けるように開いた。そのまま小石のような魔晶石を口内へと放り込み、奥歯で硬い結晶をガチリと噛み潰す。
味など存在しない。
ただ、噛み砕かれた結晶から純粋な魔素の奔流が溢れ出し、喉を伝って胸元の巨大な魔晶石へと吸い込まれていく感覚だけが、ケビンの壊れた肉体を微かに熱くさせた。
(……これは必要なことなんだ。悪く思うな)
ケビンは尾骨から生えた強靭な尻尾を横一閃に鋭く一閃させ、先端のトゲに串刺しにしていたアンデッドの頭部を乱暴に引き抜いて放り捨てた。
地面にべっとりと悍ましい血しぶきが飛び散る。
仮面の奥の瞳を冷たく光らせ、ケビンは上空の敵を真っ向から睨みつけた。
上空のリッチは何を語るでもなく、ただその眼窩の奥の魔力の炎を激しく燃え上がらせた。
極限まで練り上げられた圧倒的な魔素が、杖の先端に埋め込まれた特大の宝石へと収束していく。
次の瞬間、空間そのものを焼き焦がすかのような凶悪な紫の電流が、まさしく「電磁砲」のごとき直線的な軌道を描いて解き放たれた。
ジジジジ、と大気を引き裂きながら、一直線にケビンたちの頭上へと突き刺さる必殺の雷撃。
直撃すれば、変異個体といえども肉体を一瞬で蒸発させられかねない質量だったが、ケビン、ライ、ビッグボーイの三体は、呼吸を合わせたかのように瞬時に三方へと散会し、驚異的な反応速度でその直撃を紙一重で回避した。
電流が激突した白砂の石畳が、爆音とともに一瞬で黒焦げに爆散する。
「──きゃあおぉおぉおおおおおおっ!!!」
間髪入れず、ライが歓喜とも悲鳴ともつかぬ鋭い金切り声を上げながら、夜の闇を疾走した。
長い赤髪を激しく揺らし、四足獣のような前傾姿勢──凄まじい猫背のまま地面を駆けるやいなや、彼女は大教会を支える巨大な大理石の支柱「十二柱」の一本へと跳びかかった。鋼をも容易く切り裂く5本の長い爪を大理石の硬い表面へと深く突き立て、それを極上の足場にしながら、重力を無視した凄まじい速度で垂直に支柱を駆け登っていく。
その様子を地上で見上げていたミノタウロスのアンデッド、ビッグボーイが、主人の戦意に共鳴するように荒い鼻息とともに唸り声を上げた。
「ぐもおおおおおおっ!!!!!」
ビッグボーイはその全身の血まみれの肉体を大きく震わせ、両腕に握りしめた巨大な戦斧を、まるで野球のバッターがフルスイングを行うかのような低い構えへと移行させた。
そして、その強靭な背筋と腕力を爆発させ、戦斧を凄まじい横回転を加えながら、上空のリッチに向けて力任せに放り投げたのだ。
ブン、ブン、ブンと空気を切り裂きながら上昇していく巨大な鉄の回転盤。その凄まじい回転の遠心力と勢いに飛び乗るようにして、ケビンもまた地を蹴り、空中へと高く舞い上がった。
リッチの眼窩は真っ黒な空洞であったが、接近する二体の変異種を捉えた瞬間、その奥の炎が赤黒く爆発的に燃え上がった。
即座に、発動に時間の強大すぎる雷撃の術式を破棄。より即効性に優れる「火属性」へと一瞬で魔法を転換する。リッチの周囲に、円を描くようにして十二個の不気味な小さな火球が次々と出現した。
リッチが杖を振るうと、十二個の火球が連射される矢の如き速度で、空中へと飛び上がったケビンと、支柱を登るライに向けて容赦なく解き放たれた。
その火球はただ高速なだけでなく、周囲の空間を歪ませるほどの異常な熱量を孕んでいる。
ケビンは空中を回転する戦斧の風圧を蹴り、さらに神殿の壁面を力任せに蹴りつけることで、変幻自在に軌道を変えながら火球を寸前で躱し、上方へと肉薄していく。
しかし、地上に残されたビッグボーイには、降り注ぐ火球を回避する術はなかった。リッチが放った火球の数発が、その巨体へと容赦なく全弾命中する。
ズドォン、と激しい爆炎が上がり、ビッグボーイの皮膚がさらに焼け焦げていく。
だが、巨獣はただ全身を大きく身震いさせ、煤を払うように首を振っただけであった。アンデッドとなった彼の肉体は、ある程度の火傷を負った程度ではビクともしないほどに、頑強に作り変えられていたのだ。
一方、大教会の最上部へと一瞬で昇りきったライは、神殿のてっぺんに掲げられた巨大な十字架の先端に着地。それを己の強靭な跳躍力のバネにするようにして、限界まで肉体をしならせた。
次の瞬間、彼女はつがえられた一本の矢のごとき速度で、両手の爪を前方に突き出しながら、空中を浮遊するリッチへと向かって一直線に飛来した。
「──な、に……っ!?」
再度、ケビンを撃ち落とすための火球を準備していたリッチの視界に、とんでもない速度で迫る赤い影が飛び込んでくる。ライの放った一撃は、まるで巨大な槍そのものであった。
極限の速度で放たれたライの爪は、リッチが防御魔術を展開するよりも早くその肉体を激しくかすめ取り、肉を引き裂く不快な音とともに、リッチの右足の骨を根元から強引に奪い去った。
「ぐ、おぉあぁぁっ……!?」
絶対的な空中優勢を誇っていたはずのリッチは、右足を失ったことで飛行のバランスを完全に崩し、悲鳴を上げながら重力に従って地上へと激しく落下し始めた。
だが、その落下の軌道上には、すでに「第二の矢」が待ち構えていた。
リッチがライの強襲によって体勢を崩すことを完全に予期していたかのように、途中まで支柱を登っていたケビンが、大理石の壁面を粉砕するほどの力で蹴り飛ばし、空中へと飛び出していたのだ。
ケビンは鱗とトゲに覆われた漆黒の右腕を限界まで引き絞り、その悪魔の拳を悠然と振り抜いた。
しかし、落下しながらもリッチは流石の戦闘経験を誇っていた。死の恐怖に直面しながらも、周囲に展開しかけていた火球の魔力を暴発させるようにして、全方向へと無差別に射出したのだ。
ヒュン、ヒュンと至近距離から放たれた無数の火球が、ケビンの顔面や仮面をかすめていく。
容赦ない熱線から頭部を守るため、ケビンは咄嗟に空中での身をよじって回避を優先せざるを得なかった。その結果、悪魔の右手による渾身のストレートは空を切り、空回りに終わる。
(──だが、まだだッ!!)
ケビンはそのパンチの空振りの勢いと回転運動をそのまま利用し、己の最たる武器である「強靭な尻尾」を、鞭のようにしならせてリッチの胴体へと叩きつけた。
垂直に鋭く回転しながら放たれた尾の一撃が、リッチの肋骨をバキバキと粉砕しながら正確に炸裂する。
直撃を受けたリッチは、隕石のような勢いで大教会の北側広場の石畳へと真っ逆さまに急降下し、激しく叩きつけられた。
ドガァァァン!!!と白砂の石畳がクレーター状に陥没し、激しい土煙が舞い上がる。
普通の人間の魔導士であれば即死している一撃。
しかし、アンデッドの肉体を持つリッチは、骨のきしむ音を響かせながらも、うめき声を上げて即座に立ち上がった。眼窩の奥の炎を怒りで血のように真っ赤に染め上げ、上空を鋭く睨みつける。
しかし、彼には上空を警戒する猶予すら与えられなかった。
土煙の真横、視界の死角から迫る「圧倒的な質量」の突進を、満身創痍のリッチが避ける術などあろうはずもなかった。
地鳴りのような足音と共に突っ込んできたのは、ビッグボーイだった。
その巨大な二本の角による、文字通りのトマソン級の頭突き突進が、リッチの無防備な脇腹へと完璧にクリーンヒットする。
「が、はっ……!?」
リッチの身体は一瞬で紙切れのように真横へと吹き飛び、頑強な教会の本堂の壁へと凄まじい衝撃とともに激突した。
十二柱に支えられた大教会は、これほどの衝撃を受けてもなお、魔法的な結界に守られているのか無傷のまま壊れはしなかったが、壁と巨躯に挟まれたリッチ自身には、骨盤が砕け散るほどの致命的な大ダメージが深く刻み込まれていた。
壁に背を預け、崩れ落ちるように膝をついたリッチは、自らの崩壊していく肉体をかき抱きながら、信じられないものを見る目でケビンたちを凝視した。
そして、その髑髏の顎をガチガチと激しく震わせ、絞り出すような悲壮の叫びを上げた。
「……キ、キサマらは……一体何なんだよぉおぉおぉおぉおぉッ!!?」
その叫び声には、明らかな「人間の感情」が、そして耐え難いほどの困惑と絶望が混じり合っていた。
そう、橘小雪の闇魔法によって、この魔術大教会の最高司祭もまた、最悪の上位不死者リッチへと変えられてしまった男──ナイジェルもケビンやライと同じように、生前の記憶と知性を完全に保ったまま蘇った【意識あるアンデッド】だったのだ。
戦場を支配する絶対者として振る舞いながらも、その心の奥底に溜まり続けていた「化け物に変えられた恐怖と孤独」の、それが限界の吐露であった。
だが、その言葉は、ケビンたちの動きを止めるには十分すぎるほど効果的だった。
「……あなたも、俺たちと同じように、意識があるのか?」
ケビンは着地し、尻尾を静かに揺らしながら問いかけた。ライもまた、天井から音もなく舞い降り、驚いたように目を細める。
「なっ……!!! そんな、馬鹿なことが……っ! 私以外に、理性を保った高貴な死者がいるわけが……!」
髑髏の顔面は表情を作らないはずだが、その眼窩の中で激しく明滅する魔力の光は、隠しきれない仰天と激動を表しているように見えた。
リッチは自らの頭を抱え、まるで現実を拒絶するように、聞かれてもいない狂信的な言葉をわめき散らし始めた。
「私は選ばれたのだ! 死をも乗り越える聖なる器として! この世界の愚かな人間どもを一人残らず根絶やしにするのだと、我が絶対の神、大神サピエンティア様がこの耳の奥でそうおっしゃったのだァァァッ!!」
狂ったように叫ぶリッチ。
もし、ケビンたちが世界そのものを滅ぼそうとする、人類共通の敵であったならば、あるいはこの哀れなリッチの言葉に少しは耳を傾け、共感する余地もあったかもしれない。
しかし、ケビンたちの復讐の刃は、自分たちの平穏を奪った「橘小雪」と「オズ卿」という限定された仇にしか向けられていなかった。己の狂信のままに、無関係な無辜の人間たちを無差別に襲い、その命を貪るような理性のない化け物は、例え同類であっても到底許せる存在ではなかった。
「……そんな下らねえ考えで人を殺して回ってんなら、尚更だ」
ケビンは低く、地獄の底から響くような声でリッチの言葉を遮った。
「ここで俺たちの肉体を再生させるための、ただの養分にしてやる」
「養分……だと……?」
その侮蔑に満ちた宣告は、最高司祭としての、そして上位不死者としてのリッチの逆鱗を完全に踏み抜いた。
「神の使いであるこの私を……サピエンティアの頂点に立つこの私に向かってぇ! ふざ、けるなよ虫ケラどもがぁ! ふざ──」
だが、リッチがその呪詛の言葉を最期まで繋ぐ前に、戦場の空気など一切読むことのできないミノタウロスの巨獣が、再び容赦のない突進を繰り出した。
「ぐもおおっ!」
「ぎゃ、ふっ……!?」
リッチは再び教会の壁へと激しく叩きつけられ、今度はビッグボーイの丸太のような拳による、容赦のない超重量の連打をその身に浴びることとなった。
ドゴッ、バキッ、ボゴォッ!と、殴りつけるたびにリッチの肋骨や魔力を帯びた骨格が激しく砕け散っていく。
怪物は砕け散っていく己の身体の痛みに悲鳴を上げながらも、死に物狂いでその圧倒的な連打の嵐から肉体をすり抜けさせ、後方へと跳躍。
即座に地面の土の魔素を掌握し、自身の目の前へと巨大な「土壁」を急急に立ち上げ、ケビンたちとの視線を物理的に遮断した。
「BBは相変わらず荒いんだな。……おいリッチ、そのまま大人しく倒されろよ」
ケビンは仮面の下で冷たく声をかけると、土壁の向こう側でリッチが次なる大魔術の詠唱を始めようとする、その僅かな「隙」を完全に捉えていた。
ケビンは息をつく間も与えず、己の強靭な尻尾による超高速の刺突を、土壁の隙間から正確に激しく繰り出した。
「ま、待て! 待たぬか!」
リッチは必死に身をよじってそれを避けようとするが、彼の衰退した回避速度よりも、ケビンの怒りに満ちた尻尾の刺突の法が遥かに速かった。
ズボッ、ドスッ、と肉と骨を貫く鈍い音が連続して響き、リッチの胸や残された左腕に、無数の風穴が次々と穿たれていく。
「くそっ! 待て、話し合おうではないか……っ! 私たちは同じ、意識を持つ同胞──」
リッチが完全に恐怖に支配され、命乞いの言葉を口にしかけたその瞬間。
大教会の遥か上空より、音もなく一直線にライが飛来し、彼のがらんどうの両肩へと正確にその足を着地させた。
「ふふっ。あなたから先に、殺す気満々で雷を落として攻撃してきたのよ? ……さようなら、可哀想な司祭様」
にんまりと口元を三日月のように歪め、不気味で美しい弧を描いた笑みを浮かべたライは、リッチの頭蓋を後ろから抱きしめるようにして、その十本の鋭利な爪を彼の顎の骨の隙間へと深く引っ掛けた。
そして、一気にその細い両腕に凄まじい脚力と腕力を込めて立ち上がる。
「ぬぎぃぃぃぃっ!! やめ、やめろぉぉぉっ!!私は最高司祭ナイジェルであ――」
「逝きゃあああああああおぉぉぉッ!!!!!」
ライの強烈な金切り声の咆哮とともに、バリバリ、と凄まじい骨の断裂音が響き渡る。
ライはその圧倒的な怪力をもって、リッチの頭蓋骨を、その首の根元から完全に引きちぎって断ち切った。
主頭部を失い、完全に動きを止めて崩れ落ちていくリッチの胴体。
それとほぼ同時に、ケビンは黒い鱗に覆われた悪魔の右手を、リッチの胸の抉れた臓物の奥底へと容赦なく突っ込んでいた。
ぐちゃり、と肉をかき分ける感触の先。
やはり、王国グランの最高位の魔法使いであり、強力なリッチへと変異していた男の核は違った。ケビンの指先が触れたその「魔晶石」は、彼自身の内臓のすべてを傷つけ、侵食しているのではないかと思えるほどに、今までのものとは比較にならないほど巨大で、圧倒的な魔素の光を内側から放っていたのだ。
「──これだけの量があれば……」
ケビンは歓喜とともに、その巨大な真っ赤な魔晶石をリッチの肉体から力任せに引き抜いた。
残されたリッチの骸は、核を失ったことで急速に灰へと変わり、夜風に吹かれて大教会の床へと崩れ去っていく。
最高司祭ナイジェル、またの名を不死王リッチ。
王都の南側で聖騎士団を全滅寸前まで追い詰めていた絶対的な強者は、北側の暗がりの戦闘において、ケビンたちの圧倒的な連携と暴力の前に、何一つその本領を発揮し切ることすら許されず、完全に敗北し、その命を刈り取られたのだった。
手の中にある、脈打つ巨大な魔晶石。
それをビッグボーイの懐にいれ、ケビンたちは周りのアンデッドの掃討に当たるのだった。
ライさんは戦闘で叫ぶタイプなんですが、ケビンはそれを内心ビビってます(笑)
申し遅れました。古木花園です。
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