奇跡の光
メイデスが紡いだ禁忌の呪文『リライフ』の黄金光が天幕を爆発的に満たした瞬間、世界の理は力尽くで捻じ曲げられた。
光がヘリオスの全身に染み渡ると、それは傷を癒やすという生ぬるい現象を超え、肉体を根源から「再構築」し始めた。ミシミシと音を立てて繋ぎ合わさる折れた肋骨、完全に切断されていた脊椎の神経。そして――かつて苛烈な魔物との戦いで無残に奪われ、二度と開くはずのなかった「隻眼の瞳」までもが、瑞々しい光を取り戻して眼窩の奥で再生していく。
「………っ! な、なんだ……? 俺、生きてんのか?」
信じられないといった様子で、ヘリオスは力強くベッドから半身を起こした。全身を苛んでいた高熱も激痛も、嘘のように消え去っている。
その覚醒の瞬間、まるで弾丸のような勢いで、泣きじゃくるメイデスが彼の胸元へとタックルするように抱きついた。
「ヘリオスしゃーーーん!!!! よがっだでず〜〜〜!!! 死んじゃったかと思ったですぅぅ!」
「おいおい、大人しくしろ嬢ちゃん……。おい、嘘だろ……?」
泣きながらも安堵の笑みを浮かべるメイデスを戸惑いながらも、ヘリオスはその大きな手で彼女の頭をポンポンと撫でた。しかし、ふと自分の視界に映り込んだ「あるモノ」に気づいた瞬間、ヘリオスの顔から血の気が引いた。
ライの凶爪によって引き裂かれ、バラバラに舞い散った自慢の長い紫髪。それがボロボロに短くなっているショックに加え、再構築された根元の毛髪が、生前より伸びて薄い茶髪が露出した『プリン状態』になっていることに気づいてしまったのだ。
「お……俺の……じ、自慢の髪が……台無しじゃねぇか……っ!」
まさかの髪型への精神的ダメージで白目を剥いてショック死しそうな男と、そんな上裸の男に抱きついて泣きじゃくり、ヨダレや涙を服にべっとりと塗りたくっている少女。あまりにもシュールな光景だったが、傍らで見守っていたカシウスは、その厳つい目尻に溜まっていた涙を大きな手で静かに拭った。
「はぁ、何はともあれ、本当に良かった!」
はっはっは、とカシウスはいつもの豪快な笑い声を響かせ、喜びのあまり機械の義手でヘリオスの肩を何度も強く叩いた。
「いてっ、痛ててて! おいカシウス、義手で叩くな、死ぬ!」と声を上げるヘリオスだったが、その口元には確かな笑みが浮かんでいた。
しかし、この奇跡の空間において、絶対に笑顔を見せない者が一人だけいた。
「……メイデス。今のは、一体何の真似だ?」
白銀の鎧を纏ったサイマンが、その整った顔を怒りと不快感で大きく歪め、地を這うような声で問い詰めてきた。
「えっ、あ……その……それは……」
突如突きつけられた鋭い視線に、メイデスはヘリオスから離れ、気まずそうに言い淀む。そんな彼女の態度が、サイマンの導火線に火をつけた。
「今放った光は、教会の厳罰に値する『回復魔法』の術式だろう、メイデス!」
「………そうです」
「それは禁忌の魔法だぞ! サピエンティアに住まう者として、それを知らぬ訳があるまい!!」
サイマンの顔は、まるで火がついたような烈火のごとく赤黒く染まり、その美しい眉間に深い皺が刻まれる。
「大賢者ジフ様が定めた聖なる教義に反すること、即ち、我が大神サピエンティアの御心に背く大罪、明確な異端の行いだぞッ!!!!」
激昂したサイマンは、未だ血濡れた白銀の鎧を軋ませながら、驚異的な踏み込みでメイデスの襟元をガシリと掴み、力任せに引き寄せた。華奢なメイデスの筋力では、聖騎士である彼の剛腕に反抗することなどできるはずもない。軽々と身体を持ち上げられ、首元が締まったメイデスは「あう、うぅ……」と苦しげに身体を悶えさせた。
「おい! やめるんだサイマン!! 理由はどうあれ仲間が助かったんだぞ!」
カシウスが慌てて二人の間に割って入ろうとするが、サイマンはギロリとその鋭い眼光でカシウスを睨みつけた。
「カシウス、下がれ! 異端者は法に則って許されるべきではない! 目の前で禁忌に触れる不届きな行いを見過ごすわけにはいかないんだ!」
その語気はどす黒く、低い声音にはカシウスを本気で威圧するほどの狂気が宿っていた。現在、この駐屯地には最高権力者である聖騎士団長が不在であり、東の別働隊を指揮しているため、サイマンとカシウスの権限は同列。だが、サイマンが放つ底冷えするような宗教的狂圧は、大豪傑のカシウスを一瞬たじろがせるに十分なものがあった。
「そ、そうだとおもうよ……。私もぉ、ジフ様の教えに背いた汚らわしい行いは、し、死刑でいいとおもうよぉ……」
天幕の影から、おどおどとした足取りで姿を現したのは、救護班に所属していた法衣を纏った一人の女だった。シスターのような格好をしているが、その茶色の長い髪は右目を完全に覆い隠し、露出した左目の陰気な瞳には深いクマが刻まれている。そして、質素なシスターの服装では到底隠しきれない、豊満な二つの大きな膨らみが胸元を激しく押し上げていた。
彼女の名は、ラスティル・アバランチ。
「し、死刑だと……!? ラスティル、確かに教義に反したかもしれんが、そのおかげでヘリオスの一命は救われたんだぞ!」
カシウスが怒りを露わにするが、ラスティルは前髪の隙間から不気味な視線を向け、どもりながらも冷酷な言葉を吐き捨てた。
「いえ……し、死ぬべきだったんですぅ。それが、神の定めた死ぬべき定め、であったのなら、ねぇ……?」
その陰気な喋り方とは裏腹に、彼女の瞳の奥は寸分も揺らいでおらず、おどおどした様子など微塵もなかった。そこにあるのは、救済の精神とは真逆の、明確な「底知れない敵意」だった。カシウスはその冷たい眼差しに、本能的な悪寒を覚える。
「……あー、おい。ちょいと失礼するぜ」
次の瞬間。メイデスを片手で吊り上げていたサイマンの分厚い胸当てが、まるで内側に凹んだかと錯覚するほどの凄まじい衝撃音が響き、サイマンの巨体が真横に向けて弾丸のように吹っ飛んだ。
「がはっ……!?」
拘束の解けたメイデスの身体を、横からすっとスマートに受け止めたのは、ベッドから降り立ったヘリオスだった。
「大丈夫か? 嬢ちゃん」
「あ、ありがとうです、ヘリオスさん……!」
メイデスを優しく地面に降ろし、ヘリオスは短くなった自分の額の髪を少し掻きながら、呆れたように大きなため息をついた。
「俺はせっかく助けてもらった恩を返さないような、そんな薄情な男じゃないんでね。」
ヘリオスは、自分の身体の奥底から信じられないほどの活力が溢れ出てくるのを感じていた。まるで、十数年ほど身体が若返ったかのような、全能の感覚。
だが、それは気のせいなどではなかった。『リライフ』は、かけられた対象の生体組織を強制的に再構築する。その対価として周囲の高濃度な魔素、細胞組織、そして術者であるメイデスの寿命(魔力)が僅かに用いられるため、ヘリオスの肉体は細胞レベルで生まれ変わり、肌艶も、傷も、骨も、そしてかつて失ったはずの隻眼の視力さえもが、全盛期の二十代の若さとなって完全に蘇っていたのだ。
「あ、てか、両目で景色が見えんじゃねぇか。すげえな嬢ちゃん……いや、メイデス。本当に助かった、礼を言うぜ」
鼻水を袖で拭いながら、メイデスはボロボロの黒いローブの襟を正し、ふんぞり返って自慢げに言ってみせた。
「ふふん! 私だって、ただ助けられてそのまんまで終わるような、安い女じゃないですからね!」
ヘリオスはふっと不敵な笑みを浮かべ、起き上がったサイマンと、不気味に佇むラスティルの二人と真っ向から対峙した。
「ヘリオスさん……いや、ヘリオス!! あんたはあの時死ぬ運命だったんだ! メイデスも、禁忌を侵した時点で同罪だ! その運命を受け入れろ! さもなければ、今日まで神のために死んでいった俺たちの仲間たちの命は一体何なんだ! 俺は、あんたたちを絶対に認めないぞ!!」
「たく、サイマン。お前は相変わらず硬いな。その硬い所がいいとこでもあったんだけどな…」
「うるさい!異端者――」
サイマンが怒りに我を忘れ、腰の白銀の剣を抜こうとした――その瞬間。
ヘリオスは全盛期の神速の踏み込みで間合いを詰めると、サイマンが剣の柄を握る手を上から自らの足で冷酷に踏みつけ、抜刀を完全に封じた。そして、そのまま肉体のバネを活かした鮮やかな旋回運動とともに、もう片方の足をサイマンの脇腹へと一閃。分厚い鎧ごと、彼の巨体を再び前方へと豪快に吹き飛ばした。
ズドォォンッ! と、文字通り転がり回るサイマン。その軌道上にいたラスティルは、怯えた表情を作りながらも、計算し尽くされた滑らかな動きでその巨体をすっと回避していた。
「な、なんてことでしょう……。神の戦士に牙を剥くとは。安心してください、異端審問会の恐ろしい拷問官たちがぁ、すぐにあなたたちを奈落の底へと罰することでしょう……」
「ほう……来るなら来い。死ぬ気でな」
前髪の隙間から睨みつけるヘリオスの眼光は、二十代の若さと、全盛期の圧倒的な覇気を帯びて鋭くギラついていた。
ヘリオスは驚くメイデスの手を引き、そのまま騒然とする元冒険者ギルドの駐屯地を堂々と立ち去った。もともとサピエンティア王国の出身ではない二人にとって、この国に居場所を失うことなど、大した問題ではなかったのだ。
「まずは、この狂った王都……いや、王国グランの領土から完全に脱出して、追っ手から逃げるぞ、嬢ちゃん」
「はい! どこまでもついて行くです、ヘリオスさん!」
メイデスは嬉しそうに何度も力強く頷いた。
二人が駆け足でギルドの裏口から外の通りに出ると、そこには意外な影が待っていた。作戦室で馬の管理を任されていたはずの若き兵士、アベルとジュドーの二人が、立派な二頭の軍馬の手綱を握って待機していたのだ。
「お前ら……」
「……早くお立ちを。カインが今、正面でサイマンたちの足止めを引き受けてくれています」
燃えるような赤髪を揺らし、アベルが周囲を警戒しながら低く囁いた。
「僕らも、異端者の手助けをしたなんて見つかると、色々とまずいので……。行ってください」
たてがみのような髪型のジュドーも、小さな瞳を真面目に引き締め、ヘリオスたちを馬の背へと促した。彼ら若き兵士たちにとっても、教義よりも、命を懸けて自分たちを守ろうとしてくれたヘリオスたちの正義の方が、遥かに信じるに値するものだったのだ。
「ありがとうです! 二人とも!」
「恩に着る。お前らも上手くやれよ!」
二人に短い感謝を告げると、ヘリオスとメイデスは馬の腹を激しく蹴り、静まり返った市街地の闇へと滑り込むように駆け出した。
どこへ向かうべきか――その迷いを払拭するように、ヘリオスの耳に取り付けられたイヤーカフ型の魔石通信機から、単独の暗号通信がピン、と鳴り響いた。
『ヘリオスさん……本当に行っちゃうんですね。でも、死ななくて本当に良かった……。その先のルート、アンデッドの影はないです』
通信の主は、獣人の猫族のミーシャであった。、偵察隊としてではなく、昔の戦友として彼女もヘリオスを手伝うのだった。通信越しではあるが、その声音には彼女の心からの安堵感が滲み出ていた。
「すまないな、ミーシャ。裏工作までさせちまって。街を出たら、また今度たっぷり撫でてやるよ」
『……ふふ、そういう適当で、悪い男なところが好き。それと、メイデス。彼を救ってくれてありがと。』
いつも通りの甘ったるい、猫なで声を出しながら、ミーシャは王都の包囲網をかい潜るための正確な脱出ルートを的確に指示してくれる。彼女の完璧なナビゲーションに従って進むことで、二人はサピエンティア軍の警戒網に一度も引っかかることなく、難なく市街地の外壁を抜けることに成功した。
夜明けの風が、二人の顔を優しく撫でる。
自由の身となった二人は、大陸でも名のある一介の冒険者だ。サピエンティアという後ろ盾を失ったところで、この先も剣と魔法があれば、いくらでも上手くやっていけるだろう。
朝日が昇りゆく中、ヘリオスとメイデスを乗せた二頭の馬は、王都の喧騒を背に、遥か遠方にそびえ立つ深い山の方へとその姿を消していくのだった。
「クソ!! 逃がしたか……!カイン、そうおうの報いを受けてもらうぞ。」
カインは異端者幇助の罪にて捕らえられ地面に伏している。ヘリオスの蹴りによって鎧を凹まされ、屈辱に震えながら立ち上がったサイマンは、地面を激しく殴りつけた。その傍らで、シスターのラスティルは、相変わらず大きな胸を揺らしながら、暗い瞳でヘリオスたちが消え去った方角をじっと見つめていた。
「大神サピエンティアを裏切った代償はぁ、きっと、彼らの命で支払われることになるよぉ……。異端審問会はぁ、どこまでも追うからねぇ……」
彼女の呟きは、不気味な予言のように大気に溶けていく。
どうも古木花園です!
ミーシャはシャム猫です。
もし少しでも面白い、面白く成りそうやね!と思った方は是非、ブクマ、高評価等して頂ければ超嬉しいです!
よろしくお願いします!




