交わる刃
明朝。崩壊した王国グランの空に赤黒い朝日が昇り、荒廃した王国の無惨な街並みが冷酷に照らし出された。
すでに別働隊は、予定通り東の教会に向けて行軍を開始したとの報が本陣に届く。
ギルドを飛び出したヘリオスの一行は、駐屯地の周りに集まりかけていたアンデッドの群れを瞬く間に蹴散らし、残敵の処理を残った仲間たちに任せると、即座に馬の腹を蹴って市街地を駆け抜けた。行く手を阻む死者を剣と魔法で文字通り踏み潰しながら、一行は王宮を目指して一直線に進攻していく。
王都の都心部に近づくにつれ、かつて平民たちで賑わっていた露店の数は姿を消し、代わりに豪奢な高級店が立ち並ぶエリアへと差し掛かる。その時だった。
ズズン……ズズズズン……っ!!!
地響き。それも、昨日聞いたものとは比較にならないほど、大地そのものが悲鳴を上げるような強烈な震動が一行を襲った。
「ヒヒーーーんっ!」
馬たちが恐怖に目を血走らせ、前脚を高く上げて激しく嘶いた。
カシウスやサイマンがどうどうと手綱を引いて落ち着かせようとするが、馬たちは本能的な拒絶を示し、これ以上は一歩も前に進もうとしない。
「ここまでだ、全員馬を降りろ! 安全そうな建物の中へ誘導するんだ!」
カシウスの厳格な号令が飛ぶ。
「カイン、アベルは馬の見張りと、その避難先となる建物の制圧! ジュドーはそのまま二人の補佐に回り、建物内で待機せよ! 残りは徒歩で、あの球体型アンデッドの討伐に移行する!」
「「「はっ!」」」
カシウスの命令に、若き才能ある三人の兵士たちが力強く応じた。
おかっぱ頭に三白眼を鋭く光らせ、平時から気だるげな雰囲気を隠そうともしない青年カイン。
燃え盛る炎のような赤髪の刈り上げに、意思の強そうな極太の眉毛を震わせる熱血漢のアベル。
そして、王国出身の聖騎士見習いであり、金と茶の混じった荒々しいたてがみのような髪型と小さな瞳のせいで周囲から怖がられがちだが、誰よりも聖騎士としての高潔な心構えを重んじる男、ジュドー。
彼らは一寸の狂いもない連携で馬を連れ、指定された頑強な高級店の中へと速やかに運び入れた。
「大きいとは聞いていましたけど、この地響きはかなりの規格外です……。本当に、あんなの倒せますかね?」
メイデスは少し不安そうに眉根を下げ、その大きな瞳におびえの色を滲ませていた。そんな彼女の華奢な肩を、ヘリオスが背後からポンと叩いた。
「ふっ、そう心配すんな嬢ちゃん。嬢ちゃんはできるだけ後方の安全圏で、得意の魔法を撃つことに専念してりゃいい。周りの敵は、俺たちが全員きっちり守ってやっからよ」
ヘリオスは自慢の紫の長髪を朝風になびかせながら、彼女の不安を払拭するように不敵に笑い飛ばした。
「そう……ですよね! ヘリオスさんたちが前衛なら大丈夫です! もはや私の魔法の出る幕なんてなく、一瞬で終わると思うので、私はここらへんで高みの見物と決め込むです」
「いや、しっかり戦え」
ヘリオスから即座に冷たいツッコミを入れられ、メイデスは「えー……」と露骨に残念そうな顔をした。だが、彼女はすでにサピエンティアの魔術教会から前払いで多額の報奨金を受け取っているため、戦わないという選択肢は最初から存在しなかった。
「うごぉぉぉぉぉ!!!!」
突如として街中に鳴り響いた悍ましい絶叫が、全員の思考を強制的に停止させた。
高級店街の北側から、民家をなぎ倒しながら『超巨大な肉塊』がその姿を現したのだ。距離にしてまだ2キロメートルほど先にあるため、視覚的には小さく見えるはずだった。しかし、その「小さく見える」状態ですら、周囲に立ち並ぶ三階建ての高級店舗と同等の高さを誇っていた。それがどれほど狂気じみた巨体であるか、想像するに難くなかった。
「ヘリオス! お前とメイデスは球体の裏へと回ってくれ! 路地裏を使って奴を挟み込むぞ!」
カシウスの矢継ぎ早の指示に、ヘリオスは「了解」とだけ言葉を残し、メイデスの首根っこを掴んで疾風のごとき速度で裏路地へと駆け上がっていった。
サイマンとカシウスが正面からその巨体に向けて行軍を開始しようとした、まさにその瞬間。
彼らの耳に取り付けられた、イヤーカフ型の魔石通信機から、割れんばかりの緊急伝令が鳴り響いた。
『緊急!! 緊急!! 偵察隊より各員へ! 球体型アンデッドが急加速! 進行方向から今すぐ退避! 退避してください!!!』
「全員、退避ィ!!! 建物の脇の隙間に身を潜めろ!!!」
サイマンが瞬時に喉が裂けんばかりの声を張り上げた。
その号令と同時に、聖騎士たちは一斉に周囲の頑丈な建物の陰へと文字通り転がり込んだ。裏路地を進んでいたヘリオスもまた、一瞬の判断でメイデスの身体を小脇に丸ごと抱え上げると、建物の分厚い石壁の脇へと深く身を潜めた。
直後――。
先ほどの巨大な球体が、まるで砲弾のように、信じられない勢いで街道を「飛ぶように」転がり抜けていった。周囲に大量の赤黒い血飛沫をブチ撒けながら。
ドガガガガァァァァァンッッッ!!!!
凄まじい大轟音。進行方向の路上にあった街灯や露店の残骸、さらには建物の角を次々と木端微塵に粉砕しながら、その球体はようやく制動をかけて停止した。
間近で見るその姿は、悪夢そのものだった。
ブクブクと肥大化した醜悪な脂肪の塊のようで、その皮膚は薄く紫がかった気味の悪い血色をしている。そして何より、その巨体の至る所には、何かに激しく引っ掻かれたような『深い5本の傷跡』が無数に刻まれており、そこからドクドクと大量の鮮血を噴き出していた。さらに、その回転に巻き込まれたであろう数多のアンデッドの潰れた死体が、今なお粘着質な皮膚に何体もくっついたままだ。
皮膚から不気味に突出した二つの巨大な瞳が、自身を傷つけた「何か」がいた方角を逆恨みするように、ギョロギョロと睨みつけている。
球体は器用に横回転を始め、再び進行方向を反転させるべく回り始めた。
激しい振動が収まり、物陰から起き上がったサイマンたち聖騎士は、互いの安否を確認し合う。幸い、全員が間一髪で直撃を避けており、軽傷で済んでいるようだった。サイマンは内心でホッと胸をなで下ろす。
しかし、あの球体が転がりながら撒き散らした血飛沫や傷跡は、サピエンティア軍の攻撃によるものではなかった。自分たちが刃を交える前から、あの怪物はすでに何者かによって激しく損壊させられていたのだ。
(……なんだ、こりゃあ……)
カシウスは、球体が通り過ぎていった跡地を見て、思わず絶句した。
そこには、球体が先ほど猛烈な勢いで吐き出したであろう、数千人分の血肉、鋭利な骨、そしてドロドロに融解した臓物が、まるで街道の上に敷き詰められた『赤いカーペット』のように、辺り一面をべっとりと埋め尽くしていたのだ。
これまで数々の戦場をくぐり抜けてきた大豪傑のカシウスすら、見たこともない凄惨な地獄絵図に、激しい吐意を催して顔を歪める。
だが、敵が方向転換を終える前の今こそが最大の好機。
サイマンは鋭い目で聖騎士たちに合図を送った。
(――行くぞ!)
白銀の鎧を朝日に眩しく輝かせながら、サイマンが真っ先に物陰から飛び出した。彼の放った神速の重い一閃が、肉塊のぶ厚い皮膚を容赦なく切り裂く。
「うごおおぉおぉおっっ!!!」
絶叫する球体。しかし、その裂け目の大口が、再びあの「肉肉しいゲロの濁流」をブレスのように吐き出そうと膨らむよりも早く、カシウスの巨躯が上空へと跳躍していた。
カシウスは機械の義手で巨大なメイスを限界までフルスイングし、肉塊の剥き出しになった巨大な眼球へと叩きつけた。
グシャァァァッ!!! と、肉とガラスが爆発したような凄まじい破壊音が響き渡り、肉塊の片目が完全に叩き潰された。
一方その頃、裏路地を迂回していたヘリオスとメイデスの二人は、球体が最初に暴れていた、元の服飾店のすぐ近くの路地裏へと到達していた。
「恐ろしい化け物です……。あんな大質量に正面から押し潰されたら、私なんて一瞬でペちゃんこのお煎餅にされちゃいますよ……」
ペラペラと小声で心境を語るメイデスに対し、ヘリオスは人差し指を自身の唇に当てて「シー」と、静かにするよう鋭い合図を送った。
メイデスはハッと息を呑み、慌てて両手で自身の口を塞いでみせた。
ヘリオスは隻眼の目を細め、親指でクイッと、すぐ目の前にある崩壊した服飾店の路地の方を指し示した。
そこには――これまでの偵察記録にも一切載っていない、極めて異質な姿をしたアンデッドが『2体』、佇んでいた。
それらは、神聖魔法の衝撃から目覚めたばかりのように激しく呻いていたが、まるで意思を持って互いに「会話」を交わしているようにも見えた。
一体は、全身の皮膚が血のように赤く、両手の爪が異常なほどに長く鋭い個体。彼女が僅かに動くたびに、地面の肉のカーペットが容易く切り刻まれていく。深い猫背をしたその女性と思われる頭部からは、べっとりと赤黒い血に染まった金髪が垂れ下がっていた。あの巨大肉塊に無数の傷を刻んだのは、間違いなくこの爪だ。
そしてもう一体は、頭部から漆黒の2本の角を生やした、まるで悪魔のような異形の形相。片腕しか存在しないその不完全な身体だったが、その唯一の左手には、なぜか先端が鉛筆のように鋭利に尖らされた『一本の細い木杭(ほうきの柄)』が握られていた。ボロボロの服装の胸元には、生前に付けられたであろう風穴がぽっかりと空いている。
(新種が2体……。だが、何かがおかしい)
ヘリオスが慎重に間合いを詰めようとした、その瞬間。
どういうわけか、その2体のアンデッドが、突然頭を抱えて激しく苦しみ、もがき始めのだった。生者の匂いが急接近したことによる、人間の理性と、化け物としての捕食本能の凄まじい内面的な拒絶反応。
だが、敵が隙を晒したこの好機を、熟練の冒険者が逃すはずがなかった。
後方で、メイデスが即座に多重詠唱の呪文を高速で紡ぎ始める。ヘリオスは、彼女の詠唱へ敵の注意がいかないよう、あえて自ら大きな声を張り上げて暗闇から姿を現した。
「おいおい……ここは地獄か? 新種ばかりじゃねぇか、おい」
その声に反応し、2体の新種の視線が弾かれたようにヘリオスへと向けられた。
赤い肌の女性個体の顔がさらにどす黒く跳ね上がり、垂れ下がった金髪の隙間から、我を忘れた狂乱の瞳がヘリオスを捉える。
同時に、黒い角の仮面をつけた個体がこちらを向き、その奥にある瞳が、強烈な怨念を体現するかのように真っ赤に燃え上がった。
「――”ターンアンデッド(死者退散)”!!」
メイデスの杖の先から放たれた、重畳された神聖魔法の激しい光弾が、2体のアンデッドを正面から直撃した。
凄まじい白光。しかし、並の死者なら一瞬で灰になるはずのその光の中で、2体は激しく 苦悶の声を上げながらも、なおもその場に踏みとどまっていた。まだ仕留めきれていない。
(硬ぇ……! なら、力技で首を撥ねる!)
ヘリオスは即座に判断を下し、地面を爆発的な踏み込みで蹴った。
超高速の急接近。彼は手にした鋼の剣を、一瞬で黒い角のアンデッドの首元へと振り払った。
キンァァァァァンッッッ!!!!!
鼓膜を突き刺すような、激しい金属火花が暗闇を照らし出した。
ヘリオスの放った必殺の刃は、しかし、黒い角の首筋に届く直前で、真横から飛び込んできた「5本の長い爪」によって、凄まじい怪力と共に完璧に弾き返されていた。
赤い肌の女が、己の身を挺して、黒い角の男の命を守り抜いたのだ。
弾かれた剣の衝撃を逃がしながら、ヘリオスは片目を見開いた。
「チッ……仲間の盾になりやがったか……!知性があんのか?面倒だぜ………」
火花散る至近距離。二人の冒険者とアンデッド二人が交錯する――




