赤いカーペット
ケビンは彼女の気持ちが、それこそ胸が痛くなるほどに理解できた。
意識を取り戻したあの日の記憶。王都を血濡れたまま歩いたあの日、帰った我が家。家族の死体。アンデッドになったリリィとルル。すぐ傍らに転がっていた、無惨に食い千切られた父。そして、飢餓感に狂った自分が、アルフレッド爺さんを貪り食ってしまったのではないかという恐ろしい疑念は、今もケビンの魂に昏いシミのようにこびりついている。
それだけではない。異世界から現れた少女・小雪が放ったアンデッドを操る魔力に、自分自身も意思を奪われた操り人形として、あの凄惨な王都侵攻の群れに加わっていたのだ。
その行軍の最中、自分は一体何人の生者を襲い、その肉を喰らったのだろうか。
ライの虚ろな、光の消え失せた瞳が、じっとケビンの方を向いた。
「ごめんなさいね、急にこんな事を話してしまって……。話す気なんか、最初から無かったのだけれど。……聞いてくれて、ありがとう」
彼女は自嘲気味に呟くと、再び手の甲で涙を拭った。しかし、溢れ出る涙は止まることを知らず、彼女の真っ赤な皮膚を濡らし続けていく。
「いや、いいさ」
ケビンは静かに首を振った。
「俺も家族を失った。だから、気持ちは分かるつもりだ。……それで、その話に出てきた、アンデッドを率いていた魔術師だけど。そいつはきっと、俺が追うつもりの『小雪』だ。小雪はアンデッドを使役し、この地獄を作り出した。だからスキンティラさん、俺たちの目的はかなり近いんだ。……だから、もし良ければ――」
ケビンはどうやって彼女を説得し、一緒についてもらうか、左手一本の自分が足手まといにならないとどう証明するか、必死に頭を回転させようとした。しかし、ライはケビンの先の言葉をすべて見透かしたように、小さく息を吐いた。
「ええ、一緒にいくわ。……こうやって出会えたのも、一つの運命よ」
「……あ、ああ。助かる」
先を見て、あっさりと同行を承諾してくれたライに対し、ケビンは驚きつつも安堵した。
ライの唇が、ほんの少しだけ微笑みの形を結ぶ。虚ろな瞳のまま浮かべられたその笑顔は、どこか壊れてしまいそうな、危うい美しさを垣間見せていた。だが、それもすぐに、前に垂れ下がった血濡れの金髪の隙間へと隠れて消えてしまった。
「うごぉぉぉぉ!!!!」
突如として、王宮の方角から、鼓膜が破れんばかりの重低音の咆哮が轟いた。
それと同時に、ズズン……ズズン……と、凄まじい地響きが足元から伝わってくる。まるで、巨大な岩石が坂道を転がり落ちてくるかのような、尋常ではない振動だった。
「な、なんだ……!?」
ケビンは思わず、服飾店の窓枠から外の大通りを覗き込んだ。
地響きを立てて迫ってきたのは、ケビンの想像を遥かに絶する「異形」だった。
それは、無数の肉と皮膚が不格好に固まった、巨大な丸い肉塊だった。そのグズグズに融解したような肉の表面からは、かろうじて生えている小さな手足がまるで虫の触毛のように不気味に生えており、それらをワシャワシャと動かしながら、ものすごい勢いで石畳の上を回転し、転がっている。
さらに最悪なことに、その肉塊の中央付近には、人間の頭部ほどもある巨大な瞳が二つ、ギョロギョロと回転しながら狂ったように周囲の景色を見渡していた。肉塊が回転するたびに肉の裂け目から巨大な大口が覗き、そこから先ほどのような叫び声を撒き散らしているのだ。
「な、なんだ!? あれは?」
ケビンが呆気に取られている中、ライはその肉塊をじっと見つめていた。
ライの長い5本の爪の一本が、静かにその肉塊の方へと向けられる。
「何かは分からないけれど、あれに近づいたらペちゃんこよ。ほら、見て」
ライの爪が指し示す先。狂ったように街道を転がる巨大な肉塊の表面に、ケビンは目を凝らした。
肉塊がゴロゴロと一回転するたびに、その表面に、踏み潰されたであろう他のアンデッドたちが、何体もへばり付いているのが見えた。周囲の死体を巻き込んで、あの肉塊はさらに巨大化していくに違いなかった。
「この身体になって少し、戦いにも慣れたと思ったけど、あんなアンデッドがいるなんて………」
ケビンが戦慄しながら声を上げると、ライはどこか冷淡に、しかし納得したように言葉を紡いだ。
「まぁ、この国のほとんどの人が死んだのよ。私たちしかり、普段見ないような死霊系魔物が生まれてもおかしくないわね……」
ライは爪を研ぐように、右手と左手の5本の爪同士を合わせて、チリ、チリ、と滑らせた。その恐るべき爪なら、金属でも石壁でも、本当に何でも切り裂いてしまいそうだった。
「……あの球体にも、俺たちみたいな意識があったりとかするのかな?」
「わからないわ。でも、あれは意識があって回っているようには見えないわね。……放っておいても、きっと私たちの邪魔になるわよ。――殺る?」
深い猫背のまま、彼女は鋭い爪をガリリと床の地面に突き立てた。あの悍ましい球体を、いつでも細切れにする準備ができている強者の佇まいだった。
「……そうだ、と言いたいが……。俺は生憎、あんな化け物と正面から戦うための武器がなくて……」
ケビンが肩をすくめると、ライの眼光が、彼が先ほど床に置いた一本の清掃用具へと向けられた。
「……そうね。でもあるじゃない。――ほうきが」
ケビンは思わず苦笑する。
「いや、確かにさっきは武器がわりに構えたけど……。本気であれ相手にこれで戦うのは、さすがに正気じゃないだろ……」
「じゃあ、さっきは正気じゃなく私に挑もうとしたのね。なら大丈夫よ。今度はその私が、あなたと一緒に戦うんだから」
クスクスと不気味に、しかしどこか悪戯っぽく微笑みながら、ライは長い爪の先で器用にほうきを引っ掛け、ケビンへと手渡した。
かと思えば、彼女の右手の爪が一閃した。
目にも留まらぬ速さで、ほうきの先端の毛の部分が器用にカットされ、残された強固な木製の柄の先端が、まるで鉛筆のように鋭利に、凶悪に尖らされた。即席の木杭の完成だった。
「うわっ……。あ、ありがとう」
自分が箒を握った状態のまま、その僅か数センチ先で超高速の爪が振るわれたものだから、ケビンは「仮面ごと自分の首まで切り裂かれるんじゃないか」とヒヤヒヤしながら、喉を鳴らして礼を言った。
「どういたしまして。――じゃあ、いくわよ」
言い残すが早いか、ライの身体がバネのように弾けた。
彼女は店舗の割れた窓枠から、躊躇なく大通りへと飛び出した。その赤い皮膚から強烈な推進力を生み出し、猛スピードで転がってくる巨大な肉塊の正面へと肉薄する。
「う、お……っ!」
ケビンが見守る中、ライの5本の爪が、目にも留まらぬ速度で肉塊のぶ厚い脂肪と皮膚の層へと突き刺さった。
ズシャァァァッ!!! と肉が爆散する音が響き、彼女の爪は肉塊の内部を容赦なく切り裂き、表面から無数に生え出ていた小さな手足を、一網打尽に串刺しにした。
「ぎゃあーーーーーーっ!!!!」
これまで一方的に他の死者を蹂躙してきた球体が、初めて明確なダメージを受け、裂け目の大口から耳を裂くような悲鳴を上げた。球体はその巨大な二つの瞳を、真っ赤な血の糸で血走らせながら、自らの身体を傷つけたライを憎悪を込めて睨みつける。
その瞬間。
ケビンの脳裏に、心臓を冷たい手で掴まれるような、強烈で最悪な予感が走った。
あの血走った巨大な目が、限界まで見開かれ、球体の中心にある大口が、信じられないほど大きく広がっていくのが見えた。
「スキンティラさん!!! 離れろ!!!」
ケビンの仮面の奥からの叫びよりも、ライの野生的な危機回避本能の方が、僅かに速かった。
ライは串刺しにしていた肉塊の表面を強く蹴りつけ、その反動で後方へと大きく跳びはねた。
直後だった。
球体はゴロゴロと不気味に一回転して大口を完全にライのいた方向へと向けると――これまでその巨体の中に「貪り食い、溜め込んできた」であろう、数え切れないほどの人間の肉、臓物、そして鋭利な骨の残骸を、凄まじい圧力と共に一斉に前方に吐き出したのだ。
それは、言葉を選ばずに言えば、ただの「ゲロ」だった。
しかし、その物量はあまりにも桁外れだった。まるで大洪水の後に押し寄せる、すべてを飲み込む凶悪な濁流そのものだった。
圧縮されて放たれた無数の尖った骨片や、腐敗した肉片の嵐が、凄まじい速度の散弾となって街道のすべてを押し流し、あらゆるものを破壊する凶器と化す。
「うわああああっ!?」
ケビンは即座に店の内側へと飛び退き、木製の頑丈な受付カウンターの裏へと滑り込んで身を潜めた。
直後、ドゴゴゴゴゴゴ!!! と、王都の地面そのものが震えるような、凄まじい濁流の衝突音と振動が店内に響き渡った。カウンター越しに、肉と骨の破片が凄まじい勢いで頭上を通り過ぎていく。
その凄まじい吐瀉の圧力による反動を利用して、巨大な球体はゴロゴロと、今度は驚くべき高速で「後ろ向き」に回転を始めた。
自ら吐き出した最悪の濁流を引き連れながら、真っ直ぐに後退していく球体。その圧倒的な質量と速度は、退路の線上にある高級店の壁や柱を、まるで紙細工のように粉々に粉砕しながら、凄まじい勢いで街道の彼方へと転がり去っていった。
「はぁ、はぁ……っ。おい、スキンティラさん! 無事かっ!?」
ケビンはカウンターから顔を出し、外の街道へと叫んだ。
ライは、球体が放った肉の津波が到達するよりも早く、驚異的な跳躍力で、左右の店の壁を三角跳びの要領で切り刻みながら垂直に上方へと駆け上っていた。彼女はゲロの濁流が届かない遥か高所の、割れ残った二階の看板の縁に器用に爪を引っ掛け、ぶら下がるようにして難を逃れていた。
金髪を揺らしながら、ライはひらりと石畳へと着地する。その衣服には、汚れ一つついていなかった。
「……すごいわね、あれ」
ライは、怪物たちが去っていった大通りの惨状を見つめながら、他人事のようにポツリと呟いた。
ケビンもまた、仮面の奥の目を丸くしてその光景を凝視した。
あの巨大な肉塊が凄まじい勢いで転がっていった道には――建物の瓦礫と、吐き出された無数の肉片や血が引きずられ、まるで、王都の大通りに真っ直ぐに伸びる、悍ましい『赤いカーペット』を敷き詰めたかのような、凄惨な一本の血の轍が、どこまでも長く、深く刻まれていた。




