第3話
「『当夜の首尾、聞きしに勝る体たらく』」
ガロは安楽椅子に沈んだまま、便箋を顔の高さに掲げた。古着屋の奥の帳場は、衣紋掛けのドレスに四方を囲まれて、昼でも薄暗い。
「『依頼の趣旨に反し、当家の名代は断罪されるどころか、王子殿下と染み抜き談義に興じたる由。かかる仕儀は契約の本旨に悖り』——おい、悖り、だとよ。公爵家は手紙にまで家庭教師を付けるらしい」
「続きは」
「『ついては夜会服の損料を請求する。あわせて次の機会には、流刑の沙汰が下る程度の断罪を希望する』。以上、御直筆だ」
「ドレスはあちらの持ち込みですわ」
「知ってる」
「染みも落ちました。殿下の御指南で」
「それが向こうの腹に据えかねてるんだろうが」
ニナは持参の包みを解き、仕事で着た夜会服を帳場に広げた。ガロが袖口、脇、裾と指で繰っていく。質屋の手つきである。
「裾、擦れてるな」
「厩まで追いかけましたので」
「損料から引いとく」
「経費に付けてくださいまし」
「どっちでも同じだろうが」
「帳面の上では大違いです」
ガロは聞こえなかった顔で畳んだ。ニナは代わりに小瓶を帳場へ置く。栓を抜くと、煮詰めた果実の匂いが立った。
「こちらからも一件、申し立てがございます。小道具屋の染みは葡萄酒ではなく李の蜜でした。殿下に見破られた発端はそこです。損の按分を求めます」
「言うと思ったよ」
帳簿も開かず、ガロは首の後ろを掻いた。
「小道具屋に聞いたら、葡萄酒は乾くと匂いが飛ぶ、蜜なら宵まで保つ、気を利かせた、だとさ」
「気を利かせて仕事を潰す者を、世間では何と呼びますの」
「同業者」
ニナは小瓶の栓を戻した。
「で、どうする。流刑級のご希望だとよ」
「受けます」
(流されるのはわたくしですもの。危険手当は前払い。逃がし賃は別納。特約の文言は帰りの馬車で練ればいい)
「ただし、流刑の手前で止めるのが筋ですわ。本当に流されては、次の仕事が受けられません」
「プロの言い草だ。だがな、流刑ってのは沙汰が出てからじゃ止まらねえぞ」
「沙汰の前に泣き崩れて、罪をひと回り余分に被りますの。盛りすぎた罪は嘘くさくなる。嘘くさい罪に、重い沙汰は出せません。匙加減の商売ですわ」
「よく言うぜ」
ガロは便箋を文箱に放り、声を半分落とした。
「受ける前に聞いとけ。あの第三王子、座を割るのは初めてじゃねえ」
「と言いますと」
「春の園遊会で、侯爵家の断罪がひとつ流れてる。観劇の幕間でも一件。どっちも筋書きまで組んだ上で、当の殿下が口を開かなかった。書き割りだけ立って、幕が下りた」
「主催は」
「そこまでは知らん。ただ、裁かない主義だとよ、あの殿下。臍曲がりか、何ぞ考えがあるのか」
「主義で飯が食えるのは、王族だけですわね」
ガロは引き出しから別の一通を出した。封蝋は赤い。差出しは金貸しの組合。
「店宛てに来てた。おまえの分だ」
督促状。期日の字だけ、判で押したように太い。ニナは中身を検めず畳み、胸元に納めた。代わりに巾着の銀貨を帳場へ積む。利子の分だけで、山は低い。
「組合に回してくださいまし」
「まいどあり、と言いたかねえ銭だな」
「クルーガー家の件、必ず通します」
「頼むぜ。通らねえと、こっちの口銭も飛ぶんでな」
帳場を立ち、土間に降りる。待合の長椅子に、レースの手袋が片方忘れられていた。指先だけ湿って、色が濃い。隣に親指ほどの小瓶。栓を抜かずとも分かる。玉葱の搾り汁、泣き顔を作る舞台の小道具である。
「カナリアだ」
帳場からガロの声がした。
「おまえの前に来てた。どこの依頼かは言わねえ。ただ、クルーガー家が他所にも声を掛けてるって話は、嘘じゃねえぞ」
「あの方の涙は買えますものね。安く」
手袋には触れず、戸を押す。軒の鈴が鳴った。通りに果物屋の売り声。李が、山と積んである。




