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わたくし、プロの悪役令嬢ですの ~完璧に断罪されませんと、お代がいただけません~  作者: 河合ゆうじ


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第4話

 鍋の中で、便箋が琥珀色に煮えている。

 ニナは菜箸で紙を引き上げ、紐に吊るした。紅茶で煮た紙は、乾けば書いてから年を経た紙になる。恋文は古いほど罪が重い。

 文面は指南書の写しである。題は『花園の囁き』。町の貸本屋で借りられて、誰もが知っていて、誰も読んだと認めない一冊。書き写すときは右手の癖を殺し、線の終いを撥ねず、止める。差出人は頭文字だけ。R。実在しない近衛士官。捜して出てこない男ほど、安全な恋人はいない。

 封蝋は紋を使わず、外套の釦を押し当てた。釦は市で買った。出所まで偽物である。

 吊るした紙が乾く間に、雇った女中の台詞を検める。ふた言だけ。夜更けに殿方の声を聞いた。お手紙を運ばされた。それ以上は喋るな、と紙に書いて渡し、その紙は燃やさせた。


(罪状は不貞。証拠は文。証人は女中。逃げ道は塞いだ。今度こそ、断罪のほかに出口はない)


 火熨斗が、最後の一枚の皺を伸ばした。


 王宮の薔薇園は、剪定鋏の音まで品がいい。

 園遊会の芝に日傘が並び、白い卓に砂糖菓子が積まれている。ニナは噴水の縁から歩幅を数え、東屋の薔薇の根元に文の束を差した。風で覗く角度まで決めてある。結び紐は解けかけに結び直した。見つける者の手間まで、仕込みのうちである。

 給仕が盆を掲げて通り、庭師が脚立を運び、客が囀る。クルーガー家の縁者が式部官と立ち話をしている。仕込みは方々で熟れていく。


 文の束は、庭師が見つけた。段取り通り、式部官の手に渡る。段取り通り、東屋の前に人垣ができる。

「アウレリア嬢。これは」

 式部官が束を掲げる。ニナは日傘を傾け、笑みの角度を作った。

「あら。それがどうして、そこに」

 声の調子は練習済みである。白々しさが品位を保ったまま漏れる調子。人垣の温度が上がる。


 女中が進み出て、膝を折った。

「申し上げます。夜更けに、お庭で殿方のお声を。わたくし、お手紙を運ばされました」

 ふた言。よし。

「それで、それで奥様は、白馬で国境を越えるのだと仰せで、縄梯子を、わたくし月夜に縄梯子を干しました」

 よくない。台本にない縄梯子が月夜に干された。人垣がどよめく。女中は頬を上気させ、続きを生み始めている。舞台に魅入られた素人の顔である。

「白馬とは」

 式部官が手帖を出す。

「葦毛だったかもしれません」

 馬の毛色が証言に加わった。ニナは扇の陰で計算を直す。盛られた分は、あとで自分の罪に編み込めばいい。


 式部官が束から一通を抜き、読み上げにかかった。

「『あなたの瞳は夜露の菫、わたしの胸は鞘を失くした剣』……」

 声が詰まった。職務と文言の格闘である。咳払いして、束ごと捧げ持ち、王子のもとへ運ぶ。

「殿下。御裁可を」


 来た。


 ジークフリートは束を受け取り、紐を解き、一通めを開いた。読む。二通めも読む。庭が静まり、噴水だけが鳴っている。

 やがて顔を上げた。

「この文は『花園の囁き』の写しだ。逢瀬の段の口説きと、韻の踏み方まで同じだ」

 人垣の半分が目を泳がせた。読んだと認めない一冊である。


「だが」

 束を式部官に返し、声はそのまま庭の隅まで通った。

「写しでなかったとしても、私は誰も断罪しない。今日もしない。この先もしない。破れた物は繕えばいい。零れた物は拭けばいい。流刑と縁切りだけは、あとから繕えない。繕えない沙汰を、薔薇の前で決めるな」


 日傘の波が揺れた。

 最初に音を立てたのは、最前列の老公爵夫人である。手袋の掌が打ち鳴らされた。

「いい台詞まわし。今年の野外劇は当たりだこと」

 拍手が伝染した。半分は釣られ、半分は救われた顔で打っている。楽団が合図と取り、舞曲を始めた。式部官が両手を振って止めに走る。


(拍手。これは想定にない。野外劇の扱いは、断罪の不成立より性質が悪い)


 扇の骨を、手袋の上から握り直す。

 女中が泣き出した。

「あたしの台詞、まだ残ってたのに」

 誰も慰めない。本人の涙だけが本物である。


 マリーベルが、人垣の後ろで音もなく倒れた。気付け薬を持って駆け寄る者はなく、本人が芝を払って起き上がった。扇だけが、起き上がる前に閉じられていた。


 ニナは前へ出た。

「恐れながら、殿下」

 庭の目が集まる。断罪の続きを期待する目である。

「韻は破れておりません。逢瀬の段のあの句は、古い読みなら踏めますわ」


 ジークフリートは、初めてまともにニナを見た。

「……そうか。それは失礼した。書いた者に、そう伝えておくといい」

「わたくしが書きましたのよ」

「そうか」

 それだけ言って、目を文の束に戻した。疑いも、咎めも、束の紐を結び直す指先には載っていない。


 お開きの触れも出ないまま、客は卓の菓子に戻っていく。糾弾も沙汰もなく、砂糖菓子だけが減っていく園遊会である。


 人垣の解けた端から、栗色の髪の令嬢が小走りに寄ってきた。男爵家の、あの娘である。

「あの、先日は、その、お味方くださって」

「人違いですわ」

「水色のドレスの染みを、ご自分が、と」

「人違いと申しましたの」

 令嬢は膝を折り、染みの落ちた袖を大事そうに押さえて下がった。礼を言われる筋の仕事ではない。筋の通った誤解ほど、解くのに手間が掛かる。


 入れ替わりに、マリーベルが脇を通った。足は止めず、扇だけがニナの腕を打った。

「鳥籠の戸を、開けることにしたわ」

 それだけ落として、縁者の輪へ戻っていく。胸元で、督促状の角が肌に立った。畳み直す手間は掛けない。


 噴水の向こうで、ジークフリートが従者に杯を渡した。供を断る手つきが見えた。客に会釈もなく、薔薇の門へ歩き、振り返らずに潜って消えた。


 主のいなくなった庭で、楽団はまだ同じ舞曲を吹いている。

 ニナは東屋に屈み、散った便箋を一枚ずつ拾い集めた。煮て、乾かして、皺まで整えた紙である。屑籠に向く出来ではない。

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