表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/12

第2話 売らない理由

 朝のホームセンターは、静かだ。

 開店からまだ三十分。客はまばらで、通路の奥まで見通せる。


 誠はカートも使わず、ゆっくりと棚を見て回っていた。

 ネジ、パッキン、配管部材。

 仕事で扱うものばかりだが、ここで見ると少し違って見える。

「同じ部品でも、使い方次第か……」

 小さく呟く。

 棚の前で足を止める。

 給水用の継手。

 規格、耐圧、材質。

 細かい表示を一つひとつ目で追う。

 営業としては、こんなことをしても売上には直結しない。

 だが誠にとっては、“知っているかどうか”が気になって仕方がなかった。

 知らないまま、勧めるのが嫌なのだ。


 ポケットの中のスマホが震えた。

 会社からの通知。

 朝イチの社内メールだ。

 開く。

『本日午後、重点案件レビューを実施。対象者は別途連絡』

 短い文章。

 その下に、名前のリスト。

 ——高城 誠

 思わず、息を吐いた。

「まあ、そうだよな」

 昨日の会議の流れなら当然だ。

 重点案件レビュー。

 要するに、“なぜ売れないのか説明しろ”という場だ。

 スマホをポケットに戻し、再び棚に目を向ける。

 同じ商品でも、パッケージの言葉が違う。

「高耐久」「長寿命」「安心設計」

 どれも間違ってはいない。

 だが、それだけでは判断できない。

「結局、使う側の条件だろ……」

 また呟く。

 誰に聞かせるわけでもない言葉。

 誠はこういう時間が好きだった。

 誰にも急かされず、自分のペースで考えられる時間。

 営業の仕事とは、少しだけズレているのかもしれない。


 会社に着くと、すでにフロアは慌ただしかった。

 電話の音。

 キーボードの音。

 誰かの笑い声。

 日常。

 自分の席に座り、パソコンを立ち上げる。

 メールを開くと、昨日の坂口からの返信が来ていた。

『来週、時間いただけますか。社内でも話をまとめておきます』

 短いが、前向きな内容だった。

 誠は一度読み返し、返信を打つ。

『承知しました。事前に現状の課題を整理いただけると助かります』

 送信。

 そのまま、少しだけ手が止まる。

 ——どうすればいいのか。

 昨日の問いが、頭の中に残っている。

 売らない、は簡単だ。

 だが、それだけでは何も解決しない。

「……考えないとな」


 独り言のように呟いたとき。

「おはようございます!」

 元気な声が横から飛んできた。

 佐伯翼だ。

「おはよう」

「今日も早いですね」

「まあな」

 誠は苦笑した。

「ホームセンター寄ってきた」

「え、またですか?」

 佐伯は少し驚いた顔をする。

「好きなんですね」

「仕事の延長みたいなもんだ」

「でも、それって直接売上に関係ないですよね?」

 率直だ。

 誠は一瞬考えてから答える。

「関係ないかもしれないな」

「じゃあ、なんでやるんですか?」

 その問いに、少しだけ間が空く。

 なぜ、か。

「……分からないまま勧めるのが、嫌なんだよ」

 佐伯は黙って聞いている。

「例えばさ、この部品一つで、後のトラブルが変わることがある」

「はい」

「でも、それを知らないまま“これで大丈夫です”って言うのは——」

 言葉を探す。

「無責任だと思うんだ」

 静かな口調だった。

 佐伯は少しだけ考えてから言った。

「でも、それって全部知るのは無理じゃないですか?」

「無理だな」

 即答だった。

「だから、せめて“分からない”って分かる状態にはしておきたい」

「……分からないって、分かる?」

「知らないことに気づけるかどうか、ってことだ」

 佐伯は「なるほど……」と小さく呟いた。

 まだ完全には腹落ちしていない顔だ。

 それでいい、と誠は思う。

 自分も、最初から分かっていたわけじゃない。


 午前中は、細かい案件の処理で過ぎていった。

 見積書の修正。

 電話対応。

 社内調整。

 どれも慣れた作業だが、気を抜くとすぐに時間が溶ける。

 ふと時計を見ると、もう昼だった。

 席を立とうとしたとき。

「高城さん」

 呼ばれた。

 振り向くと、黒田が立っていた。

「午後のレビュー、分かってるな?」

「はい」

「資料、まとめておけ」

 それだけ言って、去っていく。

 短いが、圧は十分だ。

 誠は深く息を吐いた。


 昼休み。

 社員食堂はそれなりに混んでいる。

 トレーを持って席を探していると、田辺が手を振った。

「こっち空いてるぞ」

「ありがとう」

 向かいに座る。

「午後、呼ばれてるんだろ?」

「ああ」

「大変だな」

 言いながら、カレーを口に運ぶ。

「まあ、ああいうのは“反省してます”って顔しとけばいいんだよ」

 軽い。

「で、次はちゃんと取りますって言っとく」

「それで通るか?」

「通る通る。だって上は結果しか見てないからな」

 スプーンを置き、少し身を乗り出す。

「ぶっちゃけさ、高城のやってることって、会社的には“損”なんだよ」

 ストレートだ。

「顧客のため、は分かる。でも、それで数字落ちたら意味ないだろ?」

 誠は黙って聞く。

「綺麗事で飯は食えない」

 田辺はそう言って、水を飲んだ。

 誠は、少しだけ視線を落とした。

 その通りだと思う部分もある。

 だが——

「……全部が綺麗事でもないと思うけどな」

 小さく返す。

 田辺は肩をすくめた。

「まあな。でも、会社はそう見ないってこと」

 それも、事実だ。


 午後。

 会議室のドアの前に立つ。

 重点案件レビュー。

 中からは、すでに数人の声が聞こえている。

 誠は一度、目を閉じた。

 逃げたい、と思う気持ちはある。

 だが、逃げても何も変わらない。

 ドアをノックする。

「失礼します」

 中に入ると、黒田と数名の管理職が座っていた。

「座れ」

 言われるままに席につく。

「じゃあ、始めようか」

 黒田が資料を手に取る。

「まず、この案件だ」

 プロジェクターに、坂口の案件が映し出される。

「受注直前で見送り。理由は?」

 誠は口を開く。

「導入後の運用コストが想定より高くなる可能性があり——」

「その判断は誰がした?」

「私です」

「根拠は?」

 一つひとつ、詰めてくる。

 誠は用意していた資料を説明していく。

 データ。

 試算。

 リスク。

 論理としては通っている。

 だが——

「で?」

 黒田が言う。

「それで売上はいくらだ?」

 言葉が止まる。

「ゼロ、だな」

 淡々と告げられる。

「高城」

 黒田は椅子に深く座り直した。

「お前の話は分かる。理屈も通ってる」

 一瞬、空気が緩む。

 だが次の言葉で、また締まる。

「でもな、それは“売らない理由”だ」

 誠は何も言えなかった。

「じゃあ聞くが」

 黒田は視線をまっすぐ向ける。

「どうすれば、この案件は成立した?」

 ——どうすればいいのか。

 昨日、坂口に言われた言葉と同じだった。

 誠の中で、何かが引っかかる。

 これまで考えてこなかった問い。

 売るか、売らないか。

 その先。

「……それは」

 言葉が出ない。

 黒田は少しだけ口角を上げた。

「答えられないか」

 誰も何も言わない。

 誠の手の中で、ペンがわずかに動く。

 悔しさとも違う、何か。

 分かっている。

 ここで必要なのは、“正しい説明”じゃない。

 “成立させる答え”だ。

 だが、それが見えない。

「……宿題だな」

 黒田が言った。

「次までに考えてこい」

 静かに、しかし確定的に。

「売らない理由じゃない。“売れる形”を」

 その言葉が、深く刺さる。

 会議はそこで終わった。


 夕方。

 デスクに戻っても、手が動かなかった。

「売れる形」

 頭の中で、何度も繰り返す。

 売るための条件。

 成立させる方法。

 これまで、自分はそこを考えてこなかった。

 売るか、やめるか。

 二択だった。

「……違うのか」

 小さく呟く。

 そのとき、スマホが震えた。

 坂口からだ。

『来週の件ですが、具体的にどう進めればいいか、一度ご提案いただけますか』

 短いが、重い。

 誠は画面を見つめた。

 会社からも、顧客からも、同じことを求められている。

 ——どうすればいいのか。

 逃げ場はない。

 だが。

「……やるしかないか」

 ゆっくりと、息を吐く。

 パソコンを開き、新しいファイルを立ち上げる。

 タイトル欄に、指が止まる。

 少し考えてから、打ち込んだ。

『坂口様案件 再設計案』

 売るでもない。

 やめるでもない。

 その間にある“何か”を、形にするために。


 誠は、キーボードに手を置いた。

 その一打目が、これまでの営業とは違うことに——

 まだ、はっきりとは気づいていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ