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第13話 回らない現実

「今月、締めるぞ」


 黒田の一言で、空気が変わった。

 月末。

 営業フロアの温度は、明らかに上がっている。

 電話の声が荒くなる。

 キーボードの音が速くなる。

 人の動きが、せわしなくなる。

 “数字を作る日”。

 それが、今日だ。

 誠は自席に座り、画面を見つめていた。

 売上欄。

 数字は——

 ゼロ。

 変わらない。

「……動いてるのに、積み上がらない」

 小さく呟く。

 坂口の案件は進んでいる。

 紹介も繋がった。

 現場の評価も悪くない。

 だが——

 数字は立っていない。

 会社にとって、それは“何もしていない”のと同じだ。


「高城」

 声をかけられる。

 振り向くと、黒田が立っていた。

「今、何やってる」

「坂口様案件のフォローと、紹介先のヒアリングです」

「売上は?」

 一拍も置かない。

「……まだです」

 黒田は無言で誠を見た。

 数秒。

 それだけで、圧が伝わる。

「月末だぞ」

「分かっています」

「分かってないから、その数字なんだ」

 静かに言う。

 声は荒げない。

 だが、その分だけ重い。

「お前のやってることはな」

 黒田は一歩近づいた。

「未来の話だ」

 誠は何も言わない。

「だが会社は“今”で回ってる」

 その言葉が、胸に落ちる。

「今、金が入らなければ、人件費はどうする?」

「固定費はどうする?」

「現場はどう回す?」

 問いが重なる。

 どれも正しい。

 どれも現実だ。

 誠は視線を落とした。

「……分かっています」

「分かってるなら、動け」

 黒田は言い切った。

「今日中に一本、取れ」

 誠の中で、何かが揺れる。

「……条件が合わない案件は」

「関係ない」

 即答だった。

「まず数字を作れ」

 その言葉に、一切の余白はない。

「理想は、その後だ」

 黒田はそう言って、背を向けた。


 デスクに戻る。

 画面を見つめる。

 メールの一覧。

 案件のリスト。

 “今すぐ取れる案件”。

 頭の中で、いくつか浮かぶ。

 条件は悪い。

 リスクもある。

 後で問題になる可能性も高い。

 だが——

「……数字にはなる」

 指が、マウスの上で止まる。

 クリックすれば、動ける。

 電話をかければ、決めにいける。

「……」

 誠は目を閉じた。

 坂口の現場が浮かぶ。

 “無理を通した後”の混乱。

 “売った後”の苦情。

 “信用を失う瞬間”。

 それが、はっきりと見える。

「……ダメだな」

 小さく呟く。

 手を離す。

 だが、その瞬間——

「逃げてるだけじゃないのか?」

 頭の中で、黒田の声が響く。

「理想を言い訳にして」

「結果から逃げてるだけだ」

 誠は目を開いた。

 呼吸が少し浅くなる。

「……違う」

 小さく言う。

 だが、その声には確信がない。


 午後。

 フロアの空気はさらに荒れていた。

「あと一本だ!」

「このまま押し込め!」

 あちこちで声が飛ぶ。

 営業は、数字を作っている。

 現実的なやり方で。

 誠は、その中にいなかった。

「高城」

 田辺が声をかける。

「一本、振るか?」

「……どういうことだ」

「こっちの案件、あと一押しで決まる」

 田辺は画面を見せる。

「条件、少しだけ強引にすればいける」

 誠は内容を見る。

 リスクはある。

 だが、成立はする。

「どうする?」

 田辺が聞く。

 誠は少しだけ考えた。

 これを取れば、ゼロは消える。

 評価も変わる。

 空気も変わる。

「……やめとく」

 誠は答えた。

 田辺は一瞬、言葉を失う。

「マジか」

「ああ」

「今じゃなくてもいいだろ、それ」

 誠は何も言わなかった。

 田辺は小さく息を吐く。

「……頑固だな」

「そうかもな」


 夕方。

 締めの時間が近づく。

 フロアの熱がピークに達する。

 そして——

「締めるぞ」

 黒田の声。

 すべてが止まる。

 最終の数字が集計される。

 沈黙。

 数秒。

 だが、長く感じる。

「……高城」

 名前が呼ばれる。

 誠は顔を上げた。

「今月、ゼロだな」

 はっきりと告げられる。

 誰も何も言わない。

 その沈黙が、重い。

「以上だ」

 会議は、それで終わった。


 席に戻る。

 誰も何も言ってこない。

 それが、逆にきつい。

「……ゼロ、か」

 改めて口に出す。

 現実は変わらない。

 どれだけ動いても。

 どれだけ考えても。

 数字にならなければ、評価はゼロ。

「……これが現実か」

 小さく呟く。


 夜。

 家に帰る。

 ドアを開けると、温かい空気が流れてくる。

「おかえり」

 由紀の声。

「ただいま」

 靴を脱ぐ手が、少し重い。

「ご飯できてるよ」

「ありがとう」

 テーブルに座る。

 しばらく無言で食べる。

 やがて、由紀が口を開いた。

「……どうだった?」

 誠は箸を止めた。

 少しだけ考える。

 そして、言った。

「ダメだった」

 短い言葉。

 だが、すべてが詰まっている。

 由紀は何も言わなかった。

 ただ、静かに頷く。

「そっか」

 それだけ。

 責めない。

 慰めすぎない。

 その距離が、逆に沁みる。


 食後。

 リビング。

 陽菜がソファに座っていた。

「おかえり」

「ただいま」

 少し間を置いて、陽菜が言う。

「元気ないね」

 誠は苦笑する。

「分かるか」

「分かるよ」

 陽菜は少しだけ体を起こす。

「仕事?」

「ああ」

「ダメだった?」

 誠は頷く。

「今月、ゼロだった」

 陽菜は一瞬、黙った。

 そして、ぽつりと言う。

「それって、やばいの?」

 その問いは、純粋だ。

 誠は少し考える。

「……やばいな」

 正直に答える。

 陽菜は少しだけ眉をひそめた。

「じゃあ、なんで変えないの?」

 その一言が、刺さる。

 誠は言葉を探す。

「変えた方が、うまくいくなら」

 陽菜は続ける。

「変えた方がよくない?」

 正論だ。

 逃げ場のない正論。

 誠は視線を落とした。

「……そうだな」

 小さく答える。

 だが、それで終わらない。

 陽菜は少し考えてから言った。

「でもさ」

 誠は顔を上げる。

「今やってるのって、意味ないの?」

 誠は一瞬、言葉を失った。

 意味はある。

 確かにある。

 だが——

「……ある」

 絞り出すように言う。

「でも、まだ結果になってない」

 陽菜は頷く。

「じゃあさ」

 少しだけ笑う。

「途中なんじゃない?」

 その一言に、誠は息を止めた。

 途中。

 その言葉は、あまりにも単純で。

 だが——

 本質を突いていた。

「……途中、か」

 小さく呟く。


 その夜。

 机に向かう。

 数字はゼロ。

 現実は厳しい。

 逃げ場はない。

 だが——

 完全な失敗ではない。

 動いている。

 繋がっている。

「……回ってないだけだ」

 ぽつりと呟く。

 理想と現実。

 その間にある歪み。

 それが、今の自分だ。


 誠は画面を見つめる。

 このまま進むのか。

 それとも——

 変えるのか。

 答えは、まだ出ていない。

 だが一つだけ、確かなことがある。

 このままでは、終われない。

 その思いだけが、静かに燃えていた。

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