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第11話 つながる信頼

 現場の朝は早い。

 まだ空気が冷たい時間帯。

 誠は坂口の現場に立っていた。

 試験導入の初日。

 工具箱の中身を確認する音。

 資材を運ぶ足音。

 短い指示が飛び交う声。

 すべてが、いつも通りに見える。


 だが——

「……少し違いますね」

 誠が呟くと、坂口が横で笑った。

「分かるか?」

「はい」

 目線の動き。

 手の止まり方。

 人の配置。

 ほんのわずかな差。

 だが、それが流れを変える。

「じゃあ、やってみるか」

 坂口が声を上げた。

「例のやつ、試すぞ」

 現場が一瞬、ざわつく。

「ほんとにやるんすか?」

「やる。ダメなら戻すだけだ」

 シンプルな言い方だった。

 誠は一歩引いた位置で見守る。

 今日は“売る日”ではない。

 “試す日”だ。


 最初の作業。

 資材の準備。

 いつもなら現場で探すものが、すでにまとめられている。

「……あれ、早くない?」

 誰かが呟く。

 手が止まらない。

 流れが途切れない。

 誠は腕時計に目を落とした。

 時間を測る。

 一つひとつの工程を、頭の中でなぞる。

「……いけるな」

 小さく呟く。


 二つ目の工程。

 機材の設置。

「工具、どこだ?」

 という声が——

 出ない。

 必要なものが、手元にある。

「楽だな、これ」

 作業員がぼそっと言う。

 その一言が、すべてだった。

 “楽になる”

 それは、現場にとって最も強い価値だ。


 だが——

 すべてが順調というわけではなかった。

 三つ目の工程で、止まる。

「ちょっと待って」

 現場監督が手を上げる。

「この手順だと、ここが詰まる」

 空気が少し張り詰める。

 誠はすぐに口を出さなかった。

 坂口も何も言わない。

 現場の判断を待つ。

 数分の議論。

 短い言葉が飛び交う。

 やがて——

「こう変えよう」

 結論が出る。

 作業が再開される。

 誠はその流れを見ながら、小さく頷いた。

「……いいですね」

 坂口が横で言う。

「何が?」

「止まっても、自分たちで直してる」

 誠は答える。

 坂口は少しだけ笑った。

「前はな、止まったらそのままだった」

「誰かが決めるまで動かない」

 誠は静かに言う。

「今は違う」

 坂口は頷いた。

「材料があるからな」


 昼過ぎ。

 一連の作業が終わる。

 坂口は時計を見た。

「……早いな」

 誠も同じ数字を見ていた。

 通常より、明らかに短い。

「どれくらいですか?」

「……30分は縮んでる」

 誠は心の中で計算する。

 分岐点。

 そのラインに、届いている。

「どうですか?」

 誠は静かに聞いた。

 坂口はしばらく何も言わなかった。

 現場を見る。

 作業員の顔を見る。

 そして——

「……もう一回やる」

 その一言だった。

 決定ではない。

 だが、明確な前進だ。


 夕方。

 片付けをしていると、坂口が声をかけてきた。

「高城さん」

「はい」

「ちょっといいか」

 少し離れた場所に移動する。

「今日のやつな」

 坂口は腕を組む。

「正直、思ったより良かった」

「ありがとうございます」

「ただな」

 少し間を置く。

「うちだけで終わらせるの、もったいないな」

 誠は一瞬、意味を測る。

「……といいますと?」

 坂口は少し笑った。

「知り合いの会社に、同じようなとこがある」

 その言葉に、誠の意識が一段上がる。

「紹介してもいいか?」

 静かに、しかしはっきりとした一言。

 誠はすぐには答えなかった。

 胸の奥で、何かが動く。

「……ぜひ、お願いします」

 自然と頭が下がる。

 坂口は頷いた。

「今度つなぐ」

 それだけだった。

 だが、その意味は大きい。

 売り込んだわけではない。

 結果を見せたわけでもない。

 それでも——

 “紹介される”

 信頼が、次に繋がる瞬間だった。


 帰り道。

 車の中で、誠はハンドルを握りながら考えていた。

 紹介。

 それは営業にとって、一つの“結果”だ。

 数字ではない。

 だが、確実に価値がある。

「……変わってきたな」

 小さく呟く。

 売らなくても、繋がる。

 いや——

 売らなかったから、繋がったのかもしれない。


 夜。

 家に帰ると、由紀がキッチンに立っていた。

「おかえり」

「ただいま」

「今日どうだった?」

 いつもより自然な問い。

 誠は少しだけ笑った。

「ちょっと進んだ」

「ほんと?」

「ああ」

 靴を脱ぎながら言う。

「現場で試して、少し良くなった」

 由紀は振り向いた。

「それって、すごいんじゃない?」

「まだ途中だけどな」

「でも前よりいい顔してる」

 その一言に、誠は少しだけ驚いた。

「そうか?」

「うん」

 由紀は微笑む。

「前はずっと悩んでる顔だった」

 誠は何も言わなかった。

 ただ、小さく息を吐く。


 リビングに行くと、陽菜がソファに寝転がっていた。

「おかえり」

「ただいま」

「今日どうだった?」

 同じ質問。

 だが、少し軽い。

「まあまあだな」

「なにそれ」

 陽菜が笑う。

「ちゃんと言ってよ」

 誠は少し考えてから言った。

「……次に繋がりそうだ」

 陽菜は少しだけ体を起こす。

「次?」

「ああ」

「紹介もらえそうなんだ」

「へえ」

 興味ありげな顔。

「それってすごいの?」

 誠は少しだけ考えた。

 そして言った。

「……信頼されてるってことだな」

 陽菜は少しだけ頷いた。

「ふーん」

 そして、ぽつりと言う。

「じゃあ、役に立ってるじゃん」

 その一言に、誠は一瞬だけ言葉を失った。

 以前、答えられなかった問い。

 “役に立ってるの?”

 あの時は、曖昧にしか答えられなかった。

 だが今は——

「……そうかもな」

 静かに答える。


 その夜。

 机に向かう。

 今日の記録をまとめる。

 時間短縮。

 現場の反応。

 改善点。

 そして——

 “紹介”

 その一行を書き込む。

 誠はペンを止めた。

「……ここからだな」

 小さく呟く。

 小さな変化。

 だが、それは確実に流れを変えている。

 信頼が、次へ繋がる。

 その手応えが、ようやく形になり始めていた。

 この先にあるものは、まだ見えない。

 だが——

 少なくとも、もうゼロではない。

 その事実だけで、十分だった。

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