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第10話 聞く営業

 朝の空気は、少し湿っていた。

 現場に着いた瞬間、誠はその“重さ”を感じた。

 土と金属と、わずかな油の匂い。

 エンジン音と、人の声が混じり合う雑多な音。

 坂口の現場は、いつも通り動いている。


 だが——

「……忙しそうですね」

 誠が言うと、坂口は苦笑した。

「“いつも通り”ってやつだな」

 その言葉に、妙なリアリティがあった。

 忙しいのが普通。

 余裕がないのが前提。

 だからこそ、改善が後回しになる。

「今日は、少し現場を見せてもらってもいいですか」

 誠は言った。

 坂口は少し意外そうな顔をした。

「見るだけでいいのか?」

「はい」

「売り込みは?」

 その言葉に、誠は少し笑った。

「今日はしません」

 坂口は一瞬、黙ったあとで笑った。

「変わったな」

「そうかもしれません」


 現場の奥へ進む。

 作業員が二人、資材を運んでいる。

 別の場所では、機材の設置が行われている。

 その合間に、誰かが立ち止まり、指示を出す。

 流れはある。

 だが、どこか詰まる。

「……ここ、よく止まりますね」


 誠が指さした。

 資材を運び終えた作業員が、次の指示を待っている。

 坂口が頷く。

「段取りがズレると、こうなる」

 誠はその様子をじっと見ていた。

 誰もサボっているわけではない。

 むしろ、全員が動こうとしている。

 だが——

 “繋がっていない”。

「ちょっといいですか」

 誠は近くの作業員に声をかけた。

「はい?」

 少し驚いた顔。

「今、何待ちですか?」

「次の指示です」

「誰から?」

「現場監督です」

 誠は頷く。

「指示が来るまで、どれくらいかかります?」

「……分かんないですね」

 曖昧な答え。

 だが、それが現実だ。

「ありがとうございます」

 誠は軽く頭を下げた。

 坂口が横で見ている。

「ずいぶん細かく聞くな」

「はい」

 誠はメモを取りながら答える。

「今日は、“売るため”じゃないので」

 坂口は少しだけ目を細めた。


 次の場所。

 機材の設置作業。

 一人が作業し、もう一人が工具を探している。

「あれ、どこだっけ……」

 小さく呟く声。

 誠はそれを聞き逃さなかった。

「工具、決まった場所に置いてないんですか?」

 坂口に聞く。

「一応はな。でも現場によってバラバラだ」

 誠は頷く。

「じゃあ、探す時間って結構あります?」

 坂口は少し考える。

「……あるな」

 誠は何も言わず、メモを取る。

 “探す時間”

 それは、表には出ないコストだ。


 さらに奥。

 作業が一段落した場所。

 数人が集まって、次の工程を確認している。

 だが、話がまとまらない。

 意見がぶつかる。

 誰も間違ってはいない。

 だが——

 決まらない。

「……ここも止まりますね」

 誠が言う。

 坂口は苦笑した。

「よくある」

 誠はしばらく、その様子を見ていた。

 時間が、流れていく。

 だが、作業は進まない。

「……なるほど」

 小さく呟く。

 坂口が聞き返す。

「何が分かった?」

 誠は少しだけ考えてから言った。

「問題は、“能力”じゃないですね」

「ほう」

「“判断材料”が揃ってない」

 坂口は腕を組む。

「どういうことだ?」

 誠はゆっくりと言葉を選ぶ。

「みんな、正しいことを言ってるんです」

「でも、どれを選ぶか決める材料が足りない」

 坂口は少し黙った。

 そして、ぽつりと呟く。

「……たしかに」


 一通り見終わったあと、二人は少し離れた場所で立ち止まった。

「どうだった?」

 坂口が聞く。

 誠はすぐには答えなかった。

 頭の中で、見たものを整理する。

 人の動き。

 止まる瞬間。

 迷い。

 それらが、一本の線で繋がっていく。

「……売る話、してないな」

 坂口が笑う。

 誠も少し笑った。

「今日はしませんって言いましたから」

「営業なのにか?」

「営業だからです」

 その言葉に、坂口は少し驚いた顔をした。

 誠は続ける。

「売るために話すと、見えなくなるんです」

「何が?」

「判断に必要な情報が」

 坂口は黙って聞いている。

「今までは、“売る理由”を探してました」

「でも今は違います」

 誠はゆっくりと言った。

「“決めるための材料”を揃えてます」

 風が少しだけ吹いた。

 現場の音が、遠くで響く。

 坂口はしばらく何も言わなかった。

 やがて、小さく笑う。

「……厄介な営業だな」

「よく言われます」

 誠も笑った。


 帰り道。

 誠は車の中で、録音したメモを聞き返していた。

 “待ち時間”

 “探す時間”

 “迷う時間”

 どれも、小さなものだ。

 だが積み重なると、大きなロスになる。

「……全部、“見えないコスト”だな」

 誠は呟く。

 これまでの営業では、そこを見ていなかった。

 機能。価格。納期。

 見えるものだけで話をしていた。

 だが——

 本当に重要なのは、その裏側だ。

「見えないものを、見える形にする」

 それができれば——

 判断は変わる。


 夜。

 自宅の机に向かう。

 ノートを開く。

 今日見たことを書き出す。

 止まる場所。

 迷う場面。

 無駄な動き。

 一つひとつに、仮説を当てる。

「……ここに線を引く」

 損益分岐点。

 その考えを、さらに深くする。

 時間の分岐。

 判断の分岐。

「ここを超えれば、動く」

 誠は静かにペンを走らせる。

 売るためではない。

 決めるために。

 そのための材料を、揃えていく。


 ふと、手を止める。

「……変わったな」

 自分で呟く。

 以前なら、こうはしなかった。

 機能を説明し、メリットを並べ、クロージングに持っていく。

 それが営業だった。

 だが今は違う。

「……聞いてるだけだな」

 だが、それでいい。

 むしろ——

 その方が、見える。

 誠は再びペンを動かした。

 この積み重ねが、やがて“決断”を生む。

 その確信が、少しずつ形になっていた。


 小さな変化。

 だが、それは確実に——

 これまでとは違う結果へと繋がっていく。

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