明日を創る言葉選び
澪は壊れてしまったひなたとの関係を、秘密だけ伏せたまま怜に打ち明ける。
すると怜は、自分もかつて「秘密」が原因でひなたとの関係を失った過去を語り始めた。
中学時代、交際していたひなたは詩乃への想いに気づき、怜へ別れを告げる。
受け入れられなかった怜は、その秘密を詩乃へ漏らし、二人を引き離そうとしてしまう。
やがて噂は学校中へ広まり、ひなたは深く傷つき、怜との関係は完全に壊れた。
守りたかったはずの大切な人を、自らの未熟さで失った。それが怜の後悔だった。
怜の話が終わる頃には、夕日はすっかり傾いていた。
二人の間に、しばらく言葉はなく聞こえるのは、足音だけ。
「……そうだったんだ」
ようやく口にできたのは、その一言だった。
ひなたが私を拒絶した理由。
あの日、私に向けられた怯えたような視線。
すべてが一本の線になって繋がっていく。
「だから、あんな顔を……」
小さく漏れた独り言に、怜は苦笑した。
「全部、俺のせいだ」
「俺が余計なことをしなければ、あいつはあんな思いをしなくて済んだ」
その声には、自分を責め続けた時間の重さが滲んでいた。
「守りたかっただけだったんだ」
「また俺のところに戻ってきてほしくて」
「でも結局……守ろうとしてたのは、ひなたじゃなくて、自分の居場所だった」
その言葉に、胸が大きく揺れた。
(……同じだ)
私は、ひなたを守りたかった。
傷付けたくなかった。
だから、秘密は話さない方がいいと思っていた。
ーーでも本当にそうだったの?
胸の奥で、もう一人の自分が問いかける。
話したら嫌われる。
話したら離れていく。
話したら、今までの日常が壊れてしまう。
私は、ずっとそう考えていた。
それは本当に、ひなたのためだったんだろうか。
(違う……。)
私が守っていたのはひなたじゃない。
嫌われるのが怖い、自分自身だ。
その瞬間、ひなたの悲しそうな顔が頭に浮かぶ。
私は最後まで、自分がどう思われるかしか考えていなかった。
ひなたが何を知りたかったのか。
何を聞きたかったのか。
そんなこと、一度も考えようとしなかった。
情けなさで胸がいっぱいになる。
それでも。
ここでまた黙っていたら、私は何も変われないような気がした。
澪は立ち止まり、隣を歩く怜を呼び止める。
「……一ノ瀬くん。」
「ん?」
私は大きく息を吸った。
これまで誰にも言えなかった言葉。
怖くて、ずっと隠し続けてきた言葉。
でも、もう逃げたくない。
「今度は……私の話を聞いてほしい。」
怜は驚いたように目を瞬かせたが、すぐに静かに頷いた。
「もちろん」
その一言に、少しだけ肩の力が抜ける。
私は空を見上げた。
茜色だった空は、ゆっくりと夜へ変わろうとしていた。
「私ね……」
震える声で、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「昔は男だったの。」
世界がまるで止まったようだった。
怜は立ち止まり、私を見つめる。
「……え?」
その一言だけだった。
理解できないと言いたいようなそんな表情。
「いや……え?」
「何、それ」
「冗談……じゃない、よな」
私は静かに首を縦に振る。
「冗談じゃない」
怜は何か言おうとして、口を閉じる。
言葉が出てこない。
当然だ。
私だって、初めて目を覚ましたあの日は理解できなかった。
「……どういうことなんだ。」
ようやく絞り出した声は、小さく震えていた。
私はゆっくりと息を吸う。
「私にも、分からない」
「ある朝、目が覚めたら……女の子になってた」
怜の目がさらに見開かれる。
「最初は夢だと思った」
「病院にも行った」
「検査もいっぱい受けた」
「でも、結局原因は分からなかった」
「病気なのか、体質なのか……今でも何も分かってない」
怜は黙ったまま聞いている。
信じようとしているのか。
まだ信じられないのか。
そのどちらでもあるような表情だった。
「戸籍とか、学校とか……色んな手続きが必要になって」
「そのまま前の学校に通うことは難しかった」
「だから転校したの」
「……それが、この町に来た理由」
怜は小さく息を吐く。
「じゃあ……」
何かを確かめるように、慎重に言葉を選ぶ。
「転校前の、お前は……」
「うん、男として生活してた」
怜は頭を抱えるように額へ手を当てる。
「……悪い。信じてないとかじゃない」
「ただ……」
「頭が追いつかない」
苦笑にもならない苦笑いを浮かべる。
「こんなの、漫画とかドラマでしか見たことない」
私は少しだけ笑う。
「私もそう思った」
「だから、誰にも話せなかった」
「話しても信じてもらえないと思ってたから」
怜はゆっくりと私を見る。
「……ひなたも、それを知ったのか」
「うん」
「そりゃ、お前も一人で抱え込むしかなかったよな」
その言葉に、私はゆっくり顔を上げる。
慰めでも、同情でもなかった。
ただ、今まで抱えてきた重さを理解しようとしてくれている。
そんな言葉だった。
怜は少しだけ苦笑する。
「でも、それでも……」
「話さなきゃいけない相手がいたんだな」
私は小さく頷く。
「……うん」
その一言だけで、胸が締め付けられた。
「私は、その一番大切な人から逃げてた。だから、もう逃げない」
そう決意を抱いた時、私を遮った「もういい」という言葉がフラッシュバックした。
あの一言だけで、私は何も言えなくなってしまった。
「…でも、上手く伝えれなかったらと思うと怖くて……また逃げちゃう気する」
澪がぽつりと漏らした言葉に、怜が振り向く。
「今度こそ、ちゃんと話したいのに」
拳を握る。
でも、その手は情けないくらい震えていた。
怜は少し考えるように視線を落とす。
「じゃあさ」
「一回、練習してみるか」
「……え?」
「俺をひなただと思ってさ」
「言いたいこと、全部言ってみればいい」
「そんなこと……」
「できるかな」
怜は苦笑しながら肩をすくめた。
「そのための練習だって」
「本番までに失敗しといた方が気は楽になるだろ?」
その言葉に、少しだけ笑みがこぼれる。
「……そうかも」
「じゃあ昼休みだな」
怜は即答した。
「昼休みなら時間あるだろ?」
私は少し考え、小さく頷く。
「……うん。お願いしても、いい?」
「もちろん」
怜は照れくさそうに笑った。
その一言が、胸にすっと落ちていく。
私は小さく笑って答えた。
「ありがとう、一ノ瀬くん」
明日に向かって、逃げずに、自分の言葉で伝えるために歩み始めた。
翌日から、昼休みになるたび、澪は怜と昼休みを共に過ごした。
謝る言葉。
伝えたいこと。
ひなたに話すはずだった過去。
何度も口にしては、途中で詰まる。
そんなふうに、何度も練習する度に、私は自分がどれだけ言い訳ばかりしていたのかを思い知る。
謝ることは、許してもらうためじゃない。
自分の過ちと向き合うためなんだと、少しずつ分かり始めていた。
そんな昼休みを、何日か繰り返した。
そして――。
数日後の夜。
机に向かっていた私は、手元のスマートフォンを見つめる。
連絡先を開き、指は「ひな」と書かれた名前の上で止まった。
(……送ろう)
そう思って画面を開き「話したいことがある」そう打ち込んでは消す。
「時間をもらえないかな」また消す。
どんな言葉なら伝わるんだろう。
どんな言葉なら、もう一度向き合ってくれるんだろう。
考えれば考えるほど、指は動かなくなっていく。
その時だった。
ピコン。
静かな部屋に通知音が鳴る。
画面に表示された名前を見た瞬間、息が止まった。
震える指で画面を開く。
「明日話したいことがあるの少しだけいいかな」
短い一文。
それだけなのに、心臓が大きく脈打つ。
澪は画面を見つめたまま、小さく息を吐いた。
逃げ続けた時間は、もう終わり。
今度こそ。
私は、自分の言葉でひなたと向き合う。
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