表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この恋は百合の皮をかぶっている  作者: しろうさぎ。
花咲く日に向かって
PR
63/63

「私たち」としての、はじまり

 怜は自らの過去を悔い、澪もまた「守っていたのはひなたではなく、自分だった」と気づく。

 意を決した澪は、自分が元は男性だったという秘密を初めて怜へ打ち明けた。

 驚きながらも受け止めようとする怜は、澪に「ひなたへ伝える練習をしよう」と提案する。

 昼休みのたびに想いを言葉にする中で、澪は謝罪とは許しを求めるためではなく、自分の過ちと向き合うことだと知る。

 勇気を振り絞り、ひなたへ連絡しようとしたその時、スマートフォンに一通の通知が届く。

 「明日話したいことがある」と、ひなたからのメッセージが、止まっていた二人の時間を再び動かし始めた。

翌朝。


制服に袖を通し、鏡の前に立つ。

 

何度も考え直した言葉を頭の中で繰り返す。

 

大丈夫、もう逃げない。

 

そう言い聞かせても、胸の鼓動だけは少しも落ち着かなかった。

 

 家を出て、いつもの通学路を歩く。


見慣れた景色。

聞き慣れた電車の音。

 

それなのに、今日だけは何も頭に入ってこない。

 

考えるのは、放課後のことばかりだった。

 

 教室へ入ると、ひなたと目が合ったけれど、お互い何も言わない。

 

私は静かに自分の席へ向かった。

 

授業が始まり、先生の声が教室に響く。

 

ノートを開き、黒板を見る。


何を書いたのか、ほとんど覚えていない。

 

気付けば一限目が終わっていた。

二限目。

三限目。

 

時計の針だけが、やけにゆっくり進んでいるように感じる。

 

 昼休みになっても、私は席を立たなかった。

 

ひなたは詩乃(しの)とみさきの三人で教室を出ていく。


私はその背中を見送ることしかできなかった。

 

話しかけたい。

 

でも。

 

全部、放課後に伝えると決めた。

だから今は、何も言わない。

 

 午後の授業も、気が付けば終わっていた。

 

ホームルーム。

 

先生の話は耳に入らない。

 

膝の上で握った拳には、じんわりと汗が滲んでいた。


「それじゃあ、終礼終わります。」

 

チャイムが鳴ると同時に教室が一気に騒がしくなる。


椅子を引く音。

笑い声。

部活へ向かう生徒たち。


その喧騒の中で、私はゆっくりと立ち上がった。

 

教室の前を見ると、ひなたも同じように静かに立ち上がっていた。


目が合うとほんの一瞬だけ、ひなたは小さく頷く。

 

私は何も言わずに頷き返した。

 

二人は教室を後にした。


向かう先は――誰もいない、あの空き教室だった。


ひなたが一歩先に歩き、私はその少し後ろをついていく。


ひなたの背中は、いつもより少しだけ遠く感じる。

 

何か話した方がいいのかな。


そう思って口を開きかける。

 

けれど、言葉は喉の奥で止まり、ただ足音だけが静かに廊下へ響く。

 

コツ、コツ、コツ。

 

歩幅を合わせているわけじゃない。

 

それでも、不思議と足音だけは重なっていた。

 

階段を上り、廊下を曲がると、人の気配が少しずつ遠ざかっていく。

 

窓からは夕日が差し込み、長い影を廊下へ落としていた。

 

誰もいないあの空き教室の前で、二人は足を止めた。

 

ひなたはゆっくりとドアへ手を伸ばす。

 

一瞬だけ深呼吸をして。

 

静かに扉を抜けた。




 二人しかいない教室を、窓から差し込む夕日が、淡い茜色に染めていた。

 

ドアが閉まる音だけが、静かに響く。

 

ひなたは教壇の前まで歩くと、ゆっくり振り返った。

 

私は少し離れた場所で立ち止まる。


いざひなたを前にすると、何から言い出せばいいのか分からなくなり、何を話せばいいのかも分からなくなってしまった。


静寂だけが、二人の間を流れていた。

 

私は意を決して息を吸う。


「「あの……」」

重なる声。


二人とも驚いたように顔を上げる。

 

一瞬だけ目が合って。

 

張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ和らいだ。

 

ひなたは小さく息を吐き、どこか困ったように笑う。


「……ごめん」


「え……?」

思わず聞き返すと、ひなたは視線を少し伏せたまま、小さく口を開いた。


「先、私から話してもいい?」


私はゆっくり頷く。

「……うん」


ひなたは胸の前でぎゅっと手を握り、覚悟を決めるように深く息を吸った。


「……この前は、ごめん」

(みお)の…澪ちゃんの話もちゃんと聞かずに」


澪は小さく首を振る。

「ううん、違う」

「謝るのは、私だから」


澪は一度目を閉じ、深く息を吸う。


「全部、話すね」

 

その一言から、澪は自分の過去を話し始めた。

 

朝、目を覚ましたら女性になっていたこと。

原因は今でも分からないこと。

昔は男として生活していたこと。

そのまま学校へ通えなくなり、転校してきたこと。

誰にも言えず、一人で抱え続けてきたこと。

 

そして。


「……私は。」


澪は自分の震える手を強く握り締める。


「秘密が知られたら、全部が終わると思ってた」

「だから、誰にも言えなかった」

「ひなたにも」


澪は苦しそうに笑う。


「守ってるつもりだった」

「話したら、きっと離れていくって」

「だから黙ってた」


澪は首を横に振る。


「……でも違った」

「守ってたのは、ひなたじゃない」

「嫌われたくない、自分だった」

「全部、自分のことしか考えてなかった」

 

空き教室に沈黙が落ちる。

 

ひなたは何も言わずにただ、静かに澪を見つめていた。


「ごめん。」

「本当に、ごめん。」

その声は震えていた。

 

少しの間を置いて、ひなたがゆっくりと口を開く。

「……わたしね」


小さく息を吸う。

「秘密が、怖いの」


澪は顔を上げる。

「昔、自分の秘密がきっかけで……大切な人との関係を失いかけたことがあったの」


「だから」


「写真を見た時」

「また秘密なんだ、って」

少しだけ目を伏せる。


「澪ちゃんが男だったことも、もちろん驚いたよ」


「でも、それ以上に」

「わたしはまた、大切な人との間に秘密があることが怖かった」


澪は何も言えない。

言葉が見つからなかった。

 

ひなたは言葉を続ける。

「だから、逃げたの」

「ちゃんと話も聞かないで」

「傷付く前に、澪ちゃんを遠ざけようって」

 

ひなたは自嘲するように笑う。

「最低だよね」


「そんなことない」

澪はすぐに否定した。


「私の方が本当に……」


「違うよ」

ひなたは澪の言葉を遮るようにゆっくり首を振る。


「わたしたち」

「二人とも、秘密に振り回されてただけだったんだと思う」

 

その言葉に、澪は目を見開く。


「秘密が悪いんじゃなかった」


「向き合えなかったことが、苦しかった」


夕日が二人を照らす。

長かった沈黙が、少しだけ優しいものに変わっていく。


ひなたが微笑む。

「…もう怖くない、とはまだ言えない」


「でも」


「今の澪ちゃんは、逃げなかった」

「ちゃんと私を見て、話してくれた」

 

一歩。

 

ひなたが澪との距離を縮める。


「だから」

「もう一回だけ」

「澪ちゃんを信じたい」


澪の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


「……ありがとう。」

震える声で、それだけを口にすると、澪はもう言葉を続けられなかった。


隠し続けてきた過去。

逃げ続けてきた自分。

全部受け止めてもらえた安心感が、涙になって溢れていく。


ひなたはそんな澪を見つめ、小さく笑った。


「約束しよ」

「もう、一人で抱え込まないこと」


「わたしも、あなたも」

 

澪は何度も頷く。

「うん……約束する。」


その返事を聞いて、ひなたはゆっくりと澪との距離を縮めた。


ただ真っ直ぐに澪の瞳を見つめ、少しだけ背伸びをして。


ゆっくりと手を伸ばし、澪の制服の襟元をそっと掴む。


逃がさないように。

そして、自分も逃げないように。


「ひ、ひなた……?」

突然近付いてきたひなたに、澪は戸惑う。

 

けれど、ひなたは何も言わず、静かに目を閉じた。


二人の距離が、ゆっくりと近付いていき。

 


唇が、そっと重なった。


 

どれくらいの時間が経ったのかは分からないが、お互いの想いを伝えるには十分すぎる時間だった。

 

唇が離れると、澪は呆然としたまま、ひなたを見つめる。


「えっと……いまのって……」


ひなたの頬も真っ赤だった。


恥ずかしそうに視線を逸らしながら、小さく笑う。

「誓いのキス…みたいな?」

 

その笑顔を見た瞬間。

 

澪の瞳から、また涙が零れ落ちた。

 

ひなたは困ったように笑って、その涙を指先で優しく拭う。


「もう、そんなに泣かないで」


「……ごめん、嬉しくて」


「ふふっ」

「今日は謝ってばっかり」

 

二人は顔を見合わせ、思わず笑った。

 

さっきまで感じていた距離は、もうどこにもなかった。

 

窓の外では、夕焼けがゆっくりと茜色へと変わっていく。

 

そして。

 

初めてのキスは、涙の味がした。







 数年後。


段ボールが置かれている玄関前で、ひなたが少し立ち止まる。


「……どうしたの?……入らないの?」


声がした方に振り返ると、荷物を持っていた澪がいた。


ひなたは苦笑する。

「なんかさ」

「今日からここが『帰る場所』なんだって思ったら、急に実感湧いちゃって」


澪は笑い、あの日のことを思い出したように。


ゆっくり手を差し出す。


「緊張してる?」

澪はそう言うと、そっと私の手を握った。


「大丈夫だって。さ、行こ?」   


わたしはその手に引かれるまま、新しい暮らしの扉をくぐった。




これから先も、嬉しいことばかりじゃないかもしれない。


悲しい日も。

苦しい日も。

きっとある。


それでも。

 

もう、どちらかが前を歩くことはない。

もう、どちらかが、一人で背負うこともない。

 

私たちはこれからも、隣で笑い合いながら、同じ歩幅で歩いていく。

 

これは、心と心が重なるまでの物語。

 

そして、その先の物語。



           完

ここまで読んでいただき本当にありがとうございました!感想などいただけると、とても励みになります!


 この作品は私の処女作で、正直挫折して途中で辞めるかなとか、思いながら書いていましたが、皆さんのリアクションや感想、ブックマーク、評価など、一つ一つが書き続ける大きな気力になりました。ここまで書き切ることができたのは、最後まで見届けてくださった皆さんのおかげです。本当に本当にありがとうございました。


 現時点で新たな物語を書くかはまだ未定ですが、もしまた新しい物語を書く日が来たら、そのときはまた皆さんに読んでいただけたら、とても嬉しいです。またどこかでまた、新しい物語をお届けできる日を願っています。


最後になりますが、澪とひなたを見届けてくださり、本当にありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ