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この恋は百合の皮をかぶっている  作者: しろうさぎ。
花咲く日に向かって
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もう逃げないと誓う日

 風邪から回復した澪は学校へ戻り、ひなたたちと変わらない日常を過ごしていた。

 しかし、ひなたは見舞いの日に見た「家族写真の男の子」のことを胸にしまい続けていた。

 放課後、ひなたは澪を空き教室へ呼び出し、写真について静かに問いかける。

 逃げ場を失った澪は、自分が「昔は男だった」という真実をついに打ち明ける。

 突然の告白に、ひなたは今までの思い出さえ信じられなくなったと苦しみを吐露する。

 澪の想いは届かず、ひなたは「今は聞けない」と告げ、一人教室を後にした。

 教室の扉が強く閉まる。

 

その音を聞いた途端、張りつめていた糸が切れた。


「っ……」


息が苦しい。


ちゃんと呼吸をしているはずなのに、胸が締めつけられる。


足が動かない。

 

振り返れば、まだそこに澪がいる気がした。


でも、振り返れなかった。

 

振り返ったら。


きっと、また「(みお)ちゃん」と呼んでしまうから。



 昇降口までの道のりが、いつもよりずっと長く感じた。


「ひなた!」

途中で誰かに呼ばれた気がした。

 

それでも足は止めず、そのまま校舎を出た。

 

夕焼けがいつもより眩しい一人で歩く帰り道。




 家に帰っても、制服を着替える気になれない。

 

椅子に腰を下ろし、静かに目を閉じる。

 

思い出すのは、さっきの教室。

 

澪が震える声で言った。

『全部話す。だから』


私は、それを止めた。

『もういい。』


……違う。

 

本当は違う。

 

「もういい」なんて思ってなかった。

 

聞くのが怖かっただけ。

 

もし、全部本当だったら。

もし、私が思っている通りだったら。

もう、前みたいには笑えなくなる気がして。


「……最低。」

ぽつりと漏れた言葉は、自分に向けたものだった。


あの日、澪の部屋で見つけてしまった家族写真。


笑っている家族。

その隣で笑う、男の子。

何度も何度も思い出し、その面影は、澪と重なってしまう。


「……どうして。」

写真に問いかけても、答えは返ってこない。

 

だから本人に聞いた。

 

でも。

 

答えを聞いてしまった。


「……っ。」

顔を伏せる。

 

その瞬間。

 

頭の奥で、嫌な記憶がよぎる。

 

見覚えのある教室。

笑い声。

誰かの背中。


「やだ……。」


思わず耳を塞ぐ。

思い出したくない。

もう終わったことなのに。

 

それなのに、体だけが覚えている。


スマートフォンが小刻みに震えた。

 

画面には、詩乃(しの)の名前。


『ひなた、大丈夫?』

短いメッセージ。

 

返信しようとして。

 

指が止まる。

何を書けばいいのか分からない。

 

画面が滲む。


「……ごめん。」

その謝罪が誰に向けたものなのか、自分でも分からなかった。


数日後


 昼休みのチャイムが鳴る。


「よしっ!お腹すいたー!」

みさきが勢いよく立ち上がり、大きく伸びをした。


「今日も食堂行く?」

「どうする?ひなた」


ひなたは教室を出ていく澪を横目に、二人へ「うん。」と、だけ簡単に返した。


三人で教室を出ると、昼休みの廊下は、生徒たちで賑わっていた。


食堂へ向かう途中。

何気なく窓の外へ目を向ける。


「あ……。」

見慣れた黒髪が目に入った。


澪。


その隣には、(れい)いた。


二人は校舎脇のベンチに座り、何かを話している。

その光景に思わず足が止まった。


「ひなた?」

詩乃が振り返り、私の視線を追って、窓の外を見る。

「あ……」


詩乃も、澪たちに気付いた。


少しだけ沈黙が流れる。

 

みさきも「なになに」と立ち止まり、窓の外を覗き込んだ。


「あ、澪ちゃんだ」

一ノ瀬(いちのせ)くんと話してる。なんか珍しい組み合わせ」

悪気のない一言。

 

それだけなのに、胸が少し痛んだ。


澪は俯き、怜の話を静かに聞いている。

 

何を話しているのかは聞こえない。

でも、真剣な話をしていることだけは伝わってきた。


「……行こっか。」

詩乃が静かに言う。

私の様子を気遣うような声だった。


「……うん。」

歩き出そうとする。

 

でも。

 

もう一度だけと、振り返ってしまう?




 その日の放課後。

 

みさきはダンス部へ向かい、教室には私と詩乃が残っていた。


鞄を肩に掛けようとした時だった。


「ひなた。」

詩乃が静かに私を呼ぶ。


「少しだけ、いい?」


わたしは小さく頷いた。

 

二人で人気のない廊下へ出る。


夕日が窓から差し込み、廊下を橙色に染めていた。

 

しばらく、お互い何も話さない、静かな時間が流れる。


やがて詩乃が口を開いた。

「昼休み」

「澪ちゃんのこと見てたよね」


隠しても仕方ない。

「……うん。」


「何話してるのかなって、気になって。」

 

そう答えると、詩乃は小さく笑った。

「やっぱり」


「まだ、気になるんだね」

その一言に、胸が締め付けられた。


「違う」

反射的に否定してしまう。


「わたしは…」

続きが出てこない。

 

詩乃は何も言わず、私の言葉を待ってくれる。


「わたしは、もう……」


本当にそう思っているなら。

こんなに苦しくなんてならない。

澪の、澪ちゃんの顔が頭から離れない。

嫌いになった時の、あの悲しそうな表情も。

今日、怜と話していた横顔も。

 

全部。

 

忘れられない。


「……分かんないや」

気付けば、そんな言葉が漏れていた。


「わたし、どうしたらいいの分かんない」


詩乃は静かに頷く。


否定もしない。

責めもしない。


ただ、受け止めてくれる。


「ひなたはさ、」


「……なに?」


「澪ちゃんの話」

「最後まで聞いた?」


私は息を呑んだ。

 

思い返す。


あの日の空き教室で、澪は何かを話そうとしていた。


でも、私は「もういい。」そう言って、話を遮った。


「……聞いてない。」

 

詩乃は静かに頷く。

「じゃあ、まだ終わってないよ」


その言葉に、私は顔を上げた。

「ひなたは、自分の気持ちと向き合った」


「だから澪ちゃんを嫌いになった」

「それは間違いじゃないと思う」


私は黙って聞く。

「でも」

「澪ちゃんは、まだ自分の気持ちを全部伝えられてない」


「許せなくてもいい」

「だから……」

詩乃は優しく笑った。


「最後まで話くらいは、聞いてあげてもいいんじゃないかな」

 

その一言が、胸の奥へ静かに落ちていく。

 

ひなたは窓の外を見る。


夕焼けが、街を赤く染めていた。


「……怖いの」

小さく呟く。


「うん」


「また関係が傷付くのが、怖い。」


「うん」

詩乃は、それ以上何も言わなかった。


ただ、隣にいてくれた。


その沈黙が、心地よかった。

 

長い沈黙のあと。

 

ひなたはゆっくりと息を吐く。

「……もう一回」


「ちゃんと、話してみる。」

その言葉を口にした瞬間。


少しだけ、胸のつかえが軽くなった気がした。


詩乃は安心したように微笑む。

「うん」

「その方がひなたらしいよ」


その言葉に、小さく笑みがこぼれる。


それは、この一週間で初めて自然に浮かんだ笑顔だった。

 

 家へ帰り、自分の部屋に入ると、制服のままベッドへ腰を下ろした。


机の上に置いたスマートフォンを手に取る。

 

画面の中にある、黒瀬(くろせ) 澪の名前の上で指先が止まる。

 

何度も画面を閉じては開き、ようやくメッセージを打ち始めた。


「明日話したいことがあるの少しだけいいかな」


たったこれだけの短い一文。

それだけ打つのに、ずいぶん時間がかかってしまった。


送信ボタンの上で指が止まる。

 

怖い。

 

でも。

 

もう逃げたくない。

 

小さく息を吸い込み、そっと送信ボタンを押した。

 

送信されたメッセージを見つめながら、わたしは静かにスマートフォンの画面を閉じた。

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