表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
処方箋のない恋  作者: 優涼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/10

第9話「向き合う覚悟」


 翌週、涼子は人事部長に、正式な面談を申し入れた。蒼も同席を希望したが、涼子はまず自分一人で話をつけることを選んだ。


「所長として、まず私自身の責任を、はっきりさせておきたいの」


そう言う涼子に、蒼はそれ以上何も言わず、送り出した。


人事部の会議室、涼子は人事部長と、コンプライアンス担当者の前に座っていた。


「本日は、異動の件について、私の考えをお伝えしに参りました」


涼子は、深く息を吸ってから、続けた。


「まず、神谷とのことは、事実です。個人的な関係にあります。隠すつもりも、否定するつもりもありません」


会議室に、緊張が走った。人事部長は、眉を寄せながら、涼子の言葉を受け止めた。


「早坂所長、それは、正式にお認めになる、ということですか」


「はい」


涼子は、まっすぐに人事部長を見つめた。


「ただし、はっきりさせておきたいことがあります。私は、所長としての立場を利用して、神谷に特別な評価を与えたことは一度もありません。彼の評価は、彼自身の実績によるものです。それは、これまでの人事評価記録を見ていただければ、明らかだと思います」


涼子は、事前に準備していた資料を差し出した。神谷の評価履歴、担当エリアの実績データ、そして涼子自身がこれまで下してきた人事判断の記録。すべてが、公平性を裏付けるものだった。


「私たちの関係が始まったのは、あくまでプライベートな時間です。業務上の評価に、私情を挟んだことは、一度もありません」


コンプライアンス担当者が、資料に目を通しながら、静かに頷いた。


「……確かに、データ上は、不自然な優遇の跡は見受けられませんね」


「もちろん、上司と部下という立場上、周囲に誤解を与えかねないリスクがあることは、重々承知しています。だからこそ、ご提案があります」


涼子は、事前に考えていた案を切り出した。


「私の方から、営業所内での神谷の直属の評価権限を、副所長に移譲します。神谷の人事評価、査定については、今後、私が直接関わらない体制を作ります。それによって、公平性は担保できると考えています」


人事部長は、しばらく考え込んだ後、涼子に尋ねた。


「異動という選択肢は、考えられなかったのですか。その方が、社内的には、もっとも簡単に解決できる問題だと思いますが」


「考えました」


涼子は、正直に答えた。


「ですが、私はもう、逃げたくないんです」


涼子の声には、これまでにない強さが宿っていた。


「異動という形で問題を回避すれば、確かに表面上は解決するかもしれません。でも、それは、私たちの関係を『隠すべき恥ずかしいこと』として扱うことになる。私は、そうは思っていません」


会議室に、しばらく沈黙が流れた。人事部長は、涼子の顔を、じっと見つめていた。


「早坂所長、あなたは、これまで誰よりも堅実で、リスクを避けてきた方だと、私は認識していました。それが、今回は、随分と踏み込んだ判断をされますね」


「はい」


涼子は、静かに、しかし確かな声で答えた。


「これまでの私は、リスクを避けることで、自分の価値を証明してきました。でも、今回だけは、リスクを取ってでも、大切にしたいものがあります」


その言葉に、迷いはなかった。


***


面談の結果は、その週のうちに正式に伝えられた。


異動という形の処分は見送られ、涼子が提案した「評価権限の移譲」という形で、社内の体制が整えられることになった。ただし、コンプライアンス上、今後の状況を半年間、人事部が定期的にモニタリングするという条件つきだった。


「所長、本当に、大丈夫だったんですか」


面談の結果を聞いた蒼は、安堵と申し訳なさの入り混じった表情を浮かべていた。


「大丈夫。ちゃんと、筋道を立てて話したから」


涼子は、少し疲れた様子だったが、その表情には、これまでにない晴れやかさがあった。


「所長、ありがとうございます」


蒼は、深く頭を下げた。


「頭を下げるのは、なし」


涼子は、蒼の肩に、そっと手を置いた。


「私たちは、これから対等に向き合っていく。あなたが頭を下げる必要は、もうないの」


蒼は、顔を上げ、涼子をまっすぐに見つめた。その目には、これまでとは違う、確かな決意が浮かんでいた。


「所長。いえ、涼子さん」


初めて、蒼が涼子の名前を、敬称付きで呼んだ。


「僕は、これからも、あなたの隣にいたいです。部下としてでも、恋人としてでもなく、あなたと対等に生きていく一人の人間として」


涼子は、その言葉に、目頭が熱くなるのを感じた。


「蒼くん」


「涼子さんが、これだけの覚悟を見せてくれたんです。僕も、覚悟を決めます」


蒼は、まっすぐに続けた。


「僕は、涼子さんと、これからの人生を、一緒に歩いていきたいです」


それは、これまでの告白とは違う、確かな未来を見据えた言葉だった。涼子は、しばらく言葉を失っていたが、やがて、静かに、しかしはっきりと頷いた。


「私も、同じ気持ち」


窓の外には、二月に入ったばかりの、まだ冷たいけれど、どこか春の気配を含んだ風が吹いていた。


長く曲がりくねった道のりを経て、涼子と蒼は、ようやく、対等な二人として、同じ方向を見つめ始めていた。


(第10話へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ