第29話 最後の準備
第29話 最後の準備
結婚式まで、残り二週間。
涼子と蒼は、細部の最終調整に追われていた。招待状はすでに発送済みで、返信も、ほとんど戻ってきていた。
「所長、引き出物の最終数、確定しましたよ」
坂本が、リストを片手に、営業所の休憩スペースで涼子に報告した。
「ありがとう、坂本さん。本当に助かってる」
「いやいや、これくらい当然です。それより所長、余興のこと、覚えてますよね」
坂本は、少しいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「余興? 何か、企んでるの」
「ふふ、当日のお楽しみです」
坂本は、それ以上詳しくは教えてくれなかった。涼子は、少し不安げな表情を浮かべながらも、坂本の様子に、思わず笑ってしまった。
***
その週末、涼子と蒼は、式場で最後のリハーサルに臨んでいた。ウェディングプランナーの指示に従い、入場のタイミングや、誓いの言葉を交わす位置を、細かく確認していく。
「神谷様、こちらで、少し止まっていただいて。そこで、早坂様の方を、振り返っていただきます」
プランナーの指示に、蒼は、緊張しながらも、丁寧に応じていた。リハーサルを重ねるうちに、これまで実感の薄かった結婚式が、ようやく現実のものとして、二人の中に染み込んでいくようだった。
「涼子さん、緊張してますか」
リハーサルの合間、蒼が小さく尋ねた。
「正直、少し。仕事の商談より、緊張してるかもしれない」
涼子の答えに、蒼は、思わず笑った。
「僕もです。何百件も商談をこなしてきたのに、今日は手が震えそうです」
二人は、顔を見合わせて、静かに笑い合った。
***
式の一週間前、涼子と蒼は、桐谷から、思いがけない申し出を受けた。
「早坂さん、神谷くん、当日、少しだけ乾杯の挨拶をさせてもらえないだろうか」
桐谷の言葉に、涼子は、少し驚きながらも、快く頷いた。
「もちろんです。ぜひ、お願いします」
「ありがとう。実は、早坂さんとのこれまでのことを、少し振り返りたいと思っていてね」
桐谷は、そう言って、静かに微笑んだ。かつて、涼子と桐谷の間に生まれた複雑な感情も、今では互いに素直に祝福し合える、確かな関係へと変わっていた。
***
式の前日、涼子は、蒼の両親と、自分の両親を、それぞれ改めて食事に招待した。両家の空気は、以前とは比べ物にならないほど、穏やかで、温かいものになっていた。
「明日は、いよいよですね」
蒼の母が、涼子に、優しく声をかけた。
「はい。緊張してますけど、楽しみでもあります」
「涼子さん、これからも、蒼のこと、よろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
涼子は、深く頭を下げた。
食事の後、涼子の父は、蒼に、静かに言葉をかけた。
「明日から、二人で新しい人生の始まりだ。何があっても、二人で支え合っていってくれ」
「はい。必ず、涼子さんを、幸せにします」
蒼の言葉に、父は、静かに頷いた。
***
その夜、涼子と蒼は、それぞれの実家で、最後の独身の夜を過ごすことになっていた。別れ際、二人は玄関先で、少しだけ二人の時間を持った。
「明日、いよいよですね」
蒼が、静かに言った。
「そうね。長かったような、あっという間だったような」
涼子は、これまでの日々を、静かに振り返った。忘年会の夜の過ち、社内での噂、人事との面談、桐谷や白石との出来事、そして、蒼の父との対話。様々な試練を、二人は、一つずつ、乗り越えてきた。
「明日から、本当の意味で、家族になるんですね」
「うん」
涼子は、蒼の手を、そっと握った。
「これまでも、これからも、よろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
二人は、静かに、しかし、確かな想いを込めて、微笑み合った。窓の外には、結婚式前夜の、静かな夜空が広がっていた。
(第30話へ続く)




