第24話「両立の壁」
第24話 両立の壁
蒼の実家から戻って以降、涼子の日々は、これまで以上に慌ただしくなっていった。統括所長としての業務に加え、結婚式の準備が、次々と涼子の時間を圧迫し始めていた。
「今月中に、式場との最終打ち合わせも、招待状の発送も、終わらせないといけないのに」
深夜、自宅のデスクで、涼子は仕事の資料と、結婚式の準備リストを、交互に見比べながら、小さくため息をついていた。
翌朝、涼子は本社での重要な会議に出席していた。関西エリアの新戦略について、桐谷と共同で進めていたプロジェクトの、最終報告の場だった。
「早坂さん、資料の数字、少し、こちらの想定と違っているようですが」
役員の一人から、そう指摘され、涼子は、資料の一部に、確認不足の箇所があったことに気づいた。
「申し訳ございません。すぐに修正いたします」
涼子にとって、こうした細かなミスは、これまでほとんどなかったことだった。会議の後、桐谷が、心配そうに声をかけてきた。
「早坂さん、最近、少し、疲れてるように見えるが」
「大丈夫です。結婚式の準備と、仕事を、両立させるのに、少し、時間の使い方が追いついていないだけです」
涼子は、努めて明るく答えたが、桐谷の表情には、まだ、懸念の色が残っていた。
***
その夜、涼子は蒼に、会議でのミスについて、正直に打ち明けた。
「珍しいですね、涼子さんが、そんなミスをするなんて」
「自分でも、驚いてる。これまで、仕事だけは、絶対に手を抜かないようにしてきたのに」
涼子の声には、自分自身への苛立ちが滲んでいた。
「結婚式の準備、僕も、もっと分担しないといけませんね」
蒼は、そう提案したが、涼子は、少し複雑な表情を見せた。
「ありがとう。でも、正直に言うと、自分の中で、うまく、頼り方がわからない部分もあるの」
「頼り方、ですか」
「これまでずっと、一人で、何でも抱え込んで、こなしてきた。結婚式の準備も、統括所長としての仕事も、両方とも、完璧にこなさなきゃいけないって、無意識に思い込んでたのかもしれない」
涼子の言葉には、これまで気づかなかった、自分自身の思考の癖への気づきが滲んでいた。
「涼子さんは、いつも、完璧を目指しすぎるところがあります」
蒼は、優しく、しかし、はっきりと指摘した。
「僕たちは、もう、二人で、支え合っていく関係のはずです。仕事のことも、結婚式の準備のことも、もっと、僕に、頼ってもらっていいんです」
涼子は、その言葉に、しばらく黙り込んだ。
「……そうね。あなたの言う通りかもしれない」
涼子は、静かに頷いた。
***
翌週から、涼子と蒼は、結婚式の準備を、これまで以上に、役割分担して進めることにした。招待状の発送や、引き出物の選定は蒼が中心となって進め、涼子は、式場との細かな打ち合わせに専念することになった。
「坂本さんにも、少し、手伝ってもらいましょうか」
蒼の提案で、幹事役を買って出てくれていた坂本にも、招待客のリスト作成などを、正式に協力してもらうことになった。
「所長、水くさいですよ。もっと早く、頼ってくれてもよかったのに」
坂本の言葉に、涼子は、思わず苦笑した。
「ごめんなさい。一人で、全部、背負い込む癖が、なかなか抜けなくて」
「所長らしいといえば、所長らしいですけどね。でも、こういうときくらい、みんなに頼ってくださいよ」
坂本の温かい言葉に、涼子は、改めて、自分の周りにいる人々の存在の大きさを、実感していた。
***
役割分担を進めたことで、涼子の仕事にも、少しずつ余裕が戻り始めた。会議での細かなミスもなくなり、桐谷からも、改めて信頼の言葉をかけられるようになった。
「早坂さん、最近、また、いつもの調子に戻ってきたな」
「ありがとうございます。少し、周りに頼ることを、覚えました」
涼子の言葉に、桐谷は、静かに微笑んだ。
「それは、いいことだ。一人で抱え込みすぎるのは、早坂さんの、唯一の弱点だったからな」
その夜、涼子は蒼に、この日々の変化について、静かに語った。
「一人で頑張ることだけが、強さだと思ってた。でも、あなたや、坂本さんや、周りの人たちに、素直に頼ることも、きっと、大切な強さの一つなんだと、最近、思うようになった」
蒼は、その言葉に、深く頷いた。
「これから先も、色々な壁が、あるかもしれません。でも、二人で、それから、周りの人たちと一緒に、一つずつ、乗り越えていきましょう」
窓の外、初夏の夜風が、静かに、部屋の中に流れ込んできた。結婚式まで、あと二ヶ月。涼子と蒼の間には、これまでとは違う、新しい種類の絆が、確かに、育まれ始めていた。
(第25話へ続く)




