第23話「朝の対話」
第23話 朝の対話
翌朝、涼子は蒼より一足早く目を覚まし、居間に向かった。そこには、すでに新聞を読んでいる蒼の父の姿があった。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
父は、涼子から視線を逸らすことなく、静かに新聞を畳んだ。昨夜の重い空気が、まだ、二人の間に残っていた。
「少し、お話しさせていただいても、よろしいですか」
涼子は、思い切って切り出した。父は、少し驚いた様子を見せながらも、頷いた。
「お義父さんが心配されていること、昨夜、蒼さんのお母様から伺いました。妹さんのこと」
父の表情が、わずかに硬くなった。
「そこまで、話したのか」
「はい。私に、正直に、事情を教えてくださいました」
涼子は、深く息を吸ってから、続けた。
「妹さんが経験されたこと、本当に、おつらかったと思います。大切な家族が、周りの目に苦しんで、結局、離婚に至った。そのご経験があれば、私たちのことを、心配されるのは、当然だと思います」
涼子の言葉には、父の不安を、まっすぐに受け止める姿勢があった。
「私も、これまで、似たような視線を、何度も感じてきました。年下の部下と付き合っていること、それを理由に、色々な噂を立てられたこともあります」
「それでも、蒼と、結婚しようと思うのか」
父の問いに、涼子は、迷わず頷いた。
「はい。周りの目を気にして、大切な人との関係を諦めることの方が、私にとっては、後悔の残る選択だと思います」
「世間は、そんなに甘くないぞ」
父の声には、実体験に基づいた重みがあった。
「わかっています。だからこそ、私は、蒼さんと、二人で、その厳しさに、ちゃんと向き合っていくつもりです。逃げずに、隠さずに」
涼子は、これまでの経緯を、簡潔に、しかし正直に語った。忘年会の夜の過ち、社内での噂、人事との面談、評価権限の移譲、そして蒼が自らの意志で異動を選んだこと。すべてを、包み隠さず伝えた。
父は、しばらく、黙って涼子の話を聞いていた。
「……蒼が、そこまでの決断をしていたとは、知らなかった」
「蒼さんは、いつも、逃げずに、正面から、物事に向き合う人です。それは、きっと、お義父さんが、そう育ててくださったからだと思います」
涼子の言葉に、父は、しばらく、複雑な表情を浮かべていた。
「涼子さん」
父は、静かに、しかし、これまでとは違う口調で言った。
「あなたの覚悟は、よくわかった。だが、私の不安が、すぐに消えるわけでもない。もう少し、時間をもらえないだろうか」
「もちろんです」
涼子は、深く頭を下げた。
「焦らず、これから、少しずつ、信頼していただけるように、努めます」
父は、それ以上何も言わず、静かに新聞を手に取った。だが、その横顔には、昨夜のような、頑なな拒絶の色は、少し薄れているように、涼子には感じられた。
***
朝食の席で、蒼が起きてくると、涼子と父の間に流れる空気が、昨夜とは、わずかに違うことに気づいた。
「涼子さん、父と、何か話したんですか」
「少し、朝の対話をね」
涼子は、微笑みながら、そう答えた。
食後、二人が実家を発つ際、父は、玄関先で、静かに涼子に言った。
「涼子さん、今日は、正直な話を、聞かせてくれてありがとう」
「こちらこそ、お話しさせていただけて、よかったです」
「まだ、完全に納得したわけじゃない。だが、あなたたちの覚悟は、少し、わかった気がする」
父の言葉には、まだ、完全な受容ではないものの、確かな変化が滲んでいた。
新幹線の中で、蒼は、涼子の手を、そっと握った。
「今日は、ありがとうございます。父と、あそこまで、話してくれて」
「あなたのお父さんの気持ち、少しはわかった気がする。大切な家族を、守りたいっていう想いは、私にも、よくわかるから」
窓の外を流れる景色を眺めながら、涼子は、これから先も続くであろう、この試練を、蒼と共に、一つずつ乗り越えていく覚悟を、改めて胸に刻んでいた。
(第24話へ続く)




