第21話「顔合わせ」
第21話 顔合わせ
十一月の第一日曜日、涼子と蒼は両家の顔合わせのため都内の料亭に来ていた。
涼子の母は開口一番、蒼の顔をじっと見つめてから静かに言った。
「あなたが、蒼さん」
「はい。神谷蒼と申します。本日はよろしくお願いいたします」
蒼は深く頭を下げた。緊張で声がわずかに硬くなっていた。涼子はその様子を横目で見ながら、自分の方がむしろ落ち着かない気持ちになっていることに気づいていた。
食事が進む中で会話は和やかに流れていった。だが涼子の母の表情には、どこかまだ拭いきれない硬さが残っていた。
食事の後、蒼と涼子の父が席を外したタイミングで、母は涼子にだけ聞こえる声でそっと切り出した。
「涼子、正直に言うわね。年下の部下だった人と結婚するって聞いたとき、少し心配になったの」
「お母さん」
「あなたが所長という立場で、仕事一筋でやってきたのは、私が一番よく知ってる。だからこそ、その立場を利用したんじゃないかとか、周りにどう見られるかとか、色々考えてしまって」
母の言葉には、涼子への深い愛情と同時に、これまでの世間の目を気にしてきた世代特有の不安が滲んでいた。
涼子は静かに息を吸ってから答えた。
「その心配は当然だと思う。実際、会社の中でも同じような目で見られたこともあった」
涼子は淡々と、これまでの経緯を語り始めた。忘年会での過ちから始まったこと、人事から問われたこと、評価権限を移譲したこと、そして蒼が自分の意志で異動を選んだこと。すべてを包み隠さず伝えた。
母はしばらく黙って聞いていたが、やがて小さくため息をついた。
「そこまで、ちゃんと向き合ってきたのね」
「うん」
「蒼さんも、あなたのために、随分大きな決断をしてきたのね」
母の声が、少しだけ和らいでいた。
「立場が逆転してからも、彼はずっと変わらなかった。むしろ、対等な関係になってから、本当の意味で信頼できるようになったと思ってる」
涼子の言葉には迷いがなかった。母はその表情をじっと見つめ、やがて静かに頷いた。
「わかった。あなたがそこまで言うなら、もう何も言わない。ただ」
母は少し声を落として続けた。
「結婚した後は、仕事だけじゃなくて、自分自身の幸せも、ちゃんと大事にしてね」
その言葉に、涼子は胸が熱くなるのを感じた。
「ありがとう、お母さん」
***
一方、席を外した父と蒼は、庭に面した廊下でしばらく二人きりになっていた。
「神谷くん」
涼子の父は、穏やかな口調で切り出した。
「涼子は昔から、仕事のことになると誰にも弱みを見せない子だった。それが少し心配でもあったんだ」
「僕もそう感じています。涼子さんは、本当に強い人です」
「でも君と一緒にいるとき、涼子は違う顔をする。写真を見せてもらったんだが、随分、柔らかい表情をしていた」
父の言葉に、蒼は驚いたように顔を上げた。
「娘を、よろしく頼むよ」
短い言葉だったが、そこには確かな信頼が込められていた。蒼は深く頭を下げた。
「必ず、幸せにします」
***
その夜、帰りのタクシーの中で、涼子と蒼は互いの家族との会話を報告し合った。
「お母さん、最初は心配してたみたいだけど、最後は納得してくれたと思う」
「僕も、お父さんに認めてもらえた気がします」
二人は顔を見合わせて笑った。窓の外を流れる夜景を眺めながら、涼子はふと呟いた。
「両親に、正直に、これまでのことを話せてよかった。隠さずに向き合うことが、結局は一番の近道なんだと思う」
蒼はその言葉に深く頷いた。
「これから先も、色々な壁があるかもしれません。でも、隠さず向き合うっていう姿勢だけは、絶対に変えないでいたいです」
タクシーは静かな夜の道を進んでいった。二人の未来には、これから新しい試練が待ち受けていることを、この時の二人はまだ知らなかった。
(第22話へ続く)




