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処方箋のない恋〜たった一夜の過ちから始まる、大人の恋の処方箋〜  作者: 優涼


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第11話「再会」


 四月の終わり、関西エリア統括所長の交代に伴う、全国所長会議が開かれた。会場は、都内の本社ビル、大会議室。全国から集まった所長クラスの社員が、一堂に会していた。


涼子は、いつも通り、資料に目を通しながら、自分の発表の準備をしていた。だが、心のどこかで、桐谷隆一の姿を、無意識に探している自分に気づいていた。


「早坂さん」


聞き覚えのある声に、涼子は顔を上げた。そこには、記憶の中の姿より、少し貫禄を増した桐谷が立っていた。


「桐谷さん……お久しぶりです」


十二年ぶりの再会だった。当時、新人だった涼子に、営業のいろはを丁寧に教えてくれた先輩。桐谷は数年前に本社の中央エリアへ異動になり、以来、涼子とは会う機会がほとんどなかった。


「立派になったな、早坂さん。所長になったって聞いたときは、驚いたよ。いや、驚いたというより、納得した、が正しいか」


桐谷の穏やかな笑顔は、記憶の中のものと変わっていなかった。涼子は、懐かしさと、それ以上の何かがない交ぜになった感情に、胸がざわつくのを感じた。


「桐谷さんこそ、関西エリアの統括所長になられるなんて。ご栄転、おめでとうございます」


「ありがとう。実は、関西に行く前に、少し早坂さんの営業所の様子を見せてもらいに来たんだ。今の営業戦略で、参考にしたい点もあってね」


会議の合間、桐谷は涼子に、そう申し出た。


「もちろんです。ぜひ、いらしてください」


涼子は、業務上の対応として、当然のように答えた。だが、桐谷を再び自分の営業所に迎えることに、涼子の心の中には、単なる業務上の緊張以上の、何かが渦巻いていた。


***


新人時代、涼子は桐谷に対して単なる先輩以上の感情を抱いていたことがあった。当時、桐谷はすでに結婚しており、涼子はその想いを誰にも言わないまま、静かに胸の内に封じ込めていた。


以来、十二年。その想いは、涼子の中で遠い過去の淡い記憶として、静かに眠っていたはずだった。


「早坂所長」


会議の休憩中、涼子に声をかけてきたのは、坂本だった。今回の会議には、坂本も涼子の営業所の代表として同行していた。


「桐谷さんと、随分親しそうでしたね」


「昔、お世話になった先輩なの。新人の頃、右も左もわからない私に、色々教えてくれた」


「へえ。所長にも、そんな時代があったんですね」


坂本は、軽い調子でそう言ったが、涼子の表情の変化を見逃してはいなかった。


「まあ、俺は詮索しませんけどね。ただ、神谷のことは忘れないでくださいよ」


坂本の一言に、涼子は少し動揺した。


「当たり前でしょう。何言ってるの」


「いや、なんとなく所長の顔がいつもと違って見えたので」


坂本は、それ以上何も言わず、涼子の反応を確かめるように軽く笑った。


***


その週末、桐谷は約束通り、涼子の営業所を視察に訪れた。


営業所のメンバー全員が、緊張した面持ちで統括所長を迎える中、蒼もまた初めて桐谷と顔を合わせた。


「君が、神谷くんか。早坂所長から優秀な部下だと聞いているよ」


桐谷の言葉に、蒼は丁寧に頭を下げた。


「ありがとうございます。ご期待に沿えるよう、努めます」


視察は、滞りなく進んだ。桐谷は、営業所の戦略や、各MRの実績データに目を通しながら、的確な質問やアドバイスを投げかけていった。その手腕は、さすが統括所長という貫禄を感じさせるものだった。


視察後、桐谷は涼子を近くのカフェに誘った。


「少し、昔話でもしないか。積もる話もあるだろう」


涼子は少し躊躇したが、断る理由も見つからず、桐谷の誘いに応じた。


カフェの窓際の席で、桐谷は懐かしそうに、新人時代の涼子について語り始めた。


「早坂さんは、あの頃から本当に真面目だったな。誰よりも早く出社して、誰よりも遅くまで資料を作り込んで」


「桐谷さんが、厳しく指導してくれたからです」


「いや、早坂さんの努力だよ。俺はただ、少し手助けしただけだ」


桐谷は、そう謙遜しながら、静かに涼子を見つめた。


「実は、離婚したんだ。三年前に」


その言葉に、涼子は思わず、桐谷の顔を見た。


「……そうだったんですね。知りませんでした」


「今更、こんな話をするのもおかしいかもしれないが」


桐谷は、少し言葉を選ぶように、続けた。


「早坂さんが、独身だと聞いたとき、少し驚いたよ。こんなに優秀で、魅力的な人が、まだ一人だったのかって」


その言葉の裏に滲む意味を、涼子は敏感に感じ取ってしまった。


「桐谷さん……」


「ああ、変な意味じゃないんだ。ただ、昔から、早坂さんのことは、部下としてだけじゃなく、一人の女性としても、印象に残ってたから」


桐谷の言葉は、穏やかだったが、涼子の心を、確実に揺さぶるものだった。涼子は、動揺を隠すように、コーヒーカップに視線を落とした。


心の中には、蒼の顔が、はっきりと浮かんでいた。だが同時に、目の前の桐谷に対する、若い頃の淡い想いの記憶も、確かに疼いていた。


「……桐谷さん、私には、大切な人がいます」


涼子は、静かに、しかしはっきりと告げた。


「そうか」


桐谷は、少し驚いたような表情を見せたが、すぐに穏やかな笑顔に戻った。


「それは、失礼した。だが、これからも、仕事のパートナーとして、よろしく頼むよ」


その言葉に、涼子はほっと胸を撫で下ろした。だが、桐谷の視線の奥に、まだ何かがくすぶっているような気配を、涼子は見逃さなかった。


***


その夜、涼子は蒼に、桐谷との再会について、簡単に伝えた。


「新人時代にお世話になった先輩が、関西エリアの統括所長になったの。今日、視察に来てた」


「そうなんですか」


蒼は、特に気にする様子もなく、頷いた。だが、涼子はあえて詳しくは話さなかった。桐谷の言葉の真意も、自分自身の心の揺らぎも、まだ整理がついていなかった。


窓の外、四月の夜風が、静かに部屋の中に流れ込んできた。涼子は、蒼の隣で静かに目を閉じた。


――大丈夫。この気持ちは、ただの懐かしさ。それだけのはず。


だが、その言葉を、涼子は自分自身に、何度も言い聞かせなければならなかった。


(第12話へ続く)


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