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雪桜の教室は、誰の子を埋めたのか  作者: 綾見 恋太郎


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第一章 雪桜の村

 雪は、音を消す。

 車のエンジン音さえ、白い膜に吸い込まれていくようだった。ワイパーが一定のリズムでフロントガラスの雪を払うたび、視界は一瞬だけ開けて、またすぐに閉ざされる。

 真壁彰は、助手席で腕を組んだまま、前方の白を見つめていた。

 運転席の男が、ため息まじりに言う。

「……これ、本当に通れるのか」

 二階堂壮也だった。ハンドルを握る手は安定しているが、言葉の調子は軽い皮肉を帯びている。

「通れなければ引き返すだけだ」

 真壁が短く返す。

「その“だけ”が一番面倒なんだよな」

 後部座席から、くぐもった声がした。

「引き返す判断ができるだけ、まだましだろう」

 九条雅紀は、窓に額を寄せるようにして外を見ている。薄い色素の瞳が、雪の濃淡を追っているようだった。

「判断の材料がないのが一番厄介だ」

 言いながら、彼はわずかに目を細めた。

「季節が混ざっている」

 真壁が振り返る。

「何だ」

「いや」

 九条は短く息を吐いた。

「この辺りは、四月でも雪が残るのは珍しくない。だが……」

 そこで言葉を切る。

「“混ざっている”感じがする」

 二階堂が鼻で笑う。

「詩人かよ。寒いからってポエム始めるな」

「事実を言っただけだ」

 九条はそれ以上説明しなかった。

 代わりに、指先で窓の外を示す。

 ワイパーが雪を払った一瞬、視界の奥にそれが見えた。

 白の中に、色がある。

 薄く、しかし確かに。

「……あれか」

 真壁が低く呟いた。

 道路の先、ゆるやかなカーブの向こうに、一本の木が立っている。

 雪に囲まれた、ただ一本の樹。

 その枝に、淡い色が乗っていた。

 桜だった。

 

 車がゆっくりと坂を上りきると、景色が開けた。

 かつて校庭だったのだろう、広い空間が白く埋まっている。その中央に、例の桜が立っていた。

 周囲はすべて雪。

 空は鈍い灰色。

 その中で、桜だけが、場違いなほど静かに咲いている。

 二階堂が、エンジンを切る。

 急に、世界が静まった。

「……なんだこれ」

 思わず漏れた言葉は、誰のものだったか分からない。

 真壁はドアを開け、外に出た。

 雪が靴の下で軋む。

 冷気が肺に入る。

 桜は、思ったよりも近かった。

 枝に積もった雪の合間から、淡い花弁が覗いている。風もないのに、時折、ひとひらが落ちる。

 落ちた花弁は、雪の上で消えずに残る。

 白の上に、もう一つの白。

 しかし、そこにあることだけは分かる。

「変だな」

 真壁が言う。

「何が」

 二階堂が隣に立つ。

「咲いているのはいい。だが、あまりにも……」

 言葉を選ぶように、真壁は桜を見上げる。

「静かすぎる」

 九条が後ろから歩いてきた。

「雪は音を消す。だが、これはそれだけではない」

「だからポエムやめろって」

 二階堂が肩をすくめる。

 そのときだった。

「――あ、来た」

 校舎のほうから、声がした。

 三人が振り返る。

 旧校舎の玄関から、一人の男が出てきた。

 ジャケットの前をだらしなく開け、片手にマグカップを持っている。歩き方も、どこか気だるい。

 だが、近づくにつれて、目が合った。

 その瞬間、男の表情が変わる。

「……ああ」

 男は、口の端を上げた。

「来るとは聞いてたけど」

 視線が二階堂に止まる。

「本当に来るとは思ってなかった」

 二階堂も、同じように笑った。

「そっちこそ。生きてたんだな」

「そりゃどうも」

 男は肩をすくめる。

「社会人やってると、死んでるのと大差ないですけどね」

 近づいてくる。

 距離が詰まる。

 真壁は、その男の顔を見た。

 三白眼。目の下に、はっきりとしたクマ。肌の色は良くない。細身の体は、コートの中でやや頼りなく見える。

 だが、笑っている。

 不健康そうな顔で、妙に人懐っこく。

「久しぶりだな、にか」

「やめろ、その呼び方」

「じゃあ何だよ。広報様?」

「殴るぞ」

「怖」

 軽口を叩きながら、男は真壁と九条に視線を移した。

「……で」

 マグカップを持ち替える。

「そっちは?」

「警視庁捜査一課の真壁だ」

「へえ」

 男は目を細めた。

「見た目通りの人だ」

「何がだ」

「怒りそうな顔してる」

 さらりと言う。

 真壁は何も返さなかった。

「で、そっちは」

「九条だ」

「法医学」

 九条が短く言う。

「なるほど」

 男は頷く。

「じゃあ今日は、わりとちゃんとした仕事の日なんですね」

 二階堂が口を開く。

「紹介してやるよ」

 少しだけ、声のトーンが変わる。

「こいつが、江口桜次郎」

 名前を聞いた瞬間、真壁はわずかに視線を細めた。

 どこか、引っかかる響きだった。

 しかし、それが何かは分からない。

「どうも」

 江口は軽く頭を下げる。

「教師やってます」

 言いながら、笑う。

 軽い。

 だが、その奥に、何かがある。

 九条が、じっと見ていた。

「……睡眠不足」

 唐突に言う。

「栄養も偏っている。あと、軽い慢性疲労」

 江口が吹き出す。

「便利ですね、その仕事」

「ついでに」

 九条は続ける。

「後悔もある」

 一瞬だけ、空気が止まった。

 江口の笑みが、ほんのわずかに揺れる。

 だが、それもすぐに戻る。

「それは全人類共通なんで」

 軽く受け流す。

「とりあえず中、入ります? 寒いでしょ」

 言って、先に歩き出す。

 三人は顔を見合わせたあと、後を追った。

      *

 校舎の中は、思ったよりも暖かかった。

 古い建物だが、改装されているのだろう。廊下には新しい床材が敷かれ、壁も塗り直されている。

 だが、ところどころに残る古さが、逆に違和感を強めていた。

「ここ、元は小学校と中学校が一緒だったんです」

 江口が歩きながら言う。

「廃校になって、そのあとリノベして宿泊施設に」

「観光か」

 真壁が言う。

「まあ、そんなとこです。雪桜が売りらしいですよ」

 軽く顎で外を示す。

「珍しいからな」

 二階堂が言う。

「珍しいっていうか、無理してるんですよ」

 江口は肩をすくめた。

「本来の時期じゃないのに、無理やり咲かせてる」

「無理やり?」

 九条が聞く。

「温度管理とか、色々」

「……」

 九条は何も言わなかった。

 そのとき、廊下の奥から、小さな足音がした。

「先生ー」

 子どもの声。

 江口の足が止まる。

「お」

 振り返る。

「どうしました」

 声の調子が、変わっていた。

 さっきまでの軽さが、少しだけ柔らかくなる。

 小学生くらいの男の子が、駆け寄ってくる。

「雪、すごいよ」

「見ました」

「ほんとに帰れなくなるかな」

「なるかもしれません」

 あっさり言う。

 子どもが少し不安そうな顔をする。

 江口は、それを見て、少しだけ笑った。

「でもまあ、大人がこれだけいますし」

 軽く頭を撫でる。

「大丈夫でしょう」

 その一言で、子どもの顔が少し緩む。

「うん」

「はい、じゃあ中戻っててください。滑るから走らない。ね」

「はーい」

 子どもは去っていく。

 江口はその背中を見送ってから、振り返る。

 さっきの軽い笑みではない。

 少しだけ、疲れたような顔。

「……いい教師だな」

 真壁が言う。

「やめてください」

 即座に返ってくる。

「それ、悪口なんで」

 軽く笑う。

 だが、どこか本気だった。

 そのときだった。

 別の場所から、歌が聞こえてきた。

 小さな声。

 子どもたちの声。

「ねんねん桜 誰の子だ」

 江口の足が、止まる。

「ひとつ 雪に隠して」

 歌は続く。

 真壁が眉をひそめる。

「ふたつ 川に流して」

「……」

 江口は、無言でそちらを見た。

「みっつ 枝に結んで」

 九条が、わずかに目を細める。

「よっつ 炉にくべて」

 二階堂が、低く呟く。

「……なんだ、その歌」

「いつつ 母に返して」

 最後まで歌われた。

 静寂が戻る。

 江口が、ゆっくりと息を吐く。

 そして、歩き出した。

「それ」

 短く言う。

「あんまり外で歌わないほうがいい」

 声は、さっきより低かった。

「なんでだ」

 真壁が聞く。

「……昔の歌なんで」

 それだけ言う。

 説明はしない。

 だが、その言い方には、明らかに“触れてほしくない”ものがあった。

 廊下の窓の外では、雪が強くなっていた。

 風はない。

 だが、降り続ける白が、すべてを覆っていく。

 真壁は、もう一度、外の桜を見た。

 花は、まだ落ちている。

 雪の上に、静かに。

 消えずに、残る。

 その光景が、なぜか頭から離れなかった。


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