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魔力が強いやつがモテる世界に生まれ変わったのでモテる為にがんばります  作者: 伊右衛門


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第九十六話 遠い王都の目


 翌朝の会議室には、夜とは違う冷たさがあった。


 窓から入る陽の光はまだ薄く、石壁の色も青みを帯びている。火皿の灯りは消されておらず、揺れる炎が机の端を照らしていた。外では朝番の兵が交代しているらしく、遠くで鎧の金具が触れる音が細く届いてくる。


 俺が会議室へ入った時、父上は既に上座にいた。


 昨夜、王都外交の大枠を話したばかりだ。だが、父上の姿勢は少しも崩れていない。帰還したばかりの多少の疲れはあるだろう。それでも、机に置かれた手や、周囲を見渡す目には揺らぎがなかった。父上がそこにいるだけで、会議室の空気が整う。


 上層部の顔ぶれも揃っていた。


 文官、武官、諜報に関わる者たち。王都へ同行した文官も、昨夜に続いて席についている。紙束は既に整えられ、必要なものから順に並べられていた。誰も無駄話をしていない。椅子を引く音や、紙を押さえる指先の動きだけが、静かな部屋の中でやけにはっきり聞こえた。


 俺は席へ着き、軽く息を整えた。


「始めよ」


 父上の声が落ちる。


 王都へ同行した文官が頭を下げ、最初の紙を開いた。


「帝国新皇帝の戴冠式への対応でございます。王国からは、王都貴族より選ばれた代表が出席する見込みとなりました」


 文官の声は淡々としていた。


 その声だけ聞けば、何事もなく決まったように聞こえる。だが、会議室の誰もそうは受け取っていない。帝国の新皇帝。戴冠式。王国から誰を送るか。簡単に決まった話ではないのだろう。


「陛下は一時、帝国との関係改善のため、ご自身が出席すべきではないか、と仰せになられたそうです」


 部屋の空気が、ほんのわずかに止まった。


 善良王。


 あの王なら言いそうだと思ってしまうあたりが悲しい。帝国との関係改善。言葉だけなら綺麗だ。だが、王自ら帝都まで行くとなれば話は違う。王都から帝都まではかなりの距離がある。当然、道中の護衛も要る。通過する貴族領への負担も増える。何より、帝国が完全に落ち着いたとはまだ言えない。


 老武官が顔をしかめた。


「さすがに、それは通らんでしょうな」


「はい。ほとんどの貴族が反対したとのことです」


 文官は一度、紙へ視線を落とした。


「表向きの理由は、危険が大きいこと、帝都までの距離が遠いこと、旅程となる各貴族家や随行する者たちへの負担が重いことでした」


「表向きは、か」


 老文官が低く呟く。


 文官は少しだけ間を置いた。


「内心では、陛下が帝国相手に十分な交渉を行えるとは思われていなかったようです」


 会議室に、何とも言えない沈黙が落ちた。


 誰も善良王を罵らない。罵れば済む話ではないからだ。だが、誰も否定もしない。年若い新皇帝が相手だとしても、帝国は帝国だ。政は善意だけで進むものではない。善良王が向かえば、帝国との関係改善という名で、こちらが譲るだけになると見られたのだろう。


「陛下では、なかなか難しいでしょうな」


 老文官が言葉を選ぶように言った。


 別の者が、茶器に触れないまま続ける。


「いくらあちらが年若いとはいえ、政は遊びではありませんからなぁ」


「同行するかもしれん貴族たちも、内心では迷惑でしかなかっただろうな」


 俺が言うと、武官の一人が口元をわずかに歪めた。


「王を守って帝都まで往復するとなれば、道中の領主も護衛も、気が休まりませんからな」


 善良王は善良ではあるのだろう。


 だが、善良なだけでは周りが疲れる。本人が良いことをしようとしても、その道を整えるのは別の誰かだ。帝国相手に頭を下げるのも、護衛を出すのも、宿を整えるのも、襲撃に怯えるのも、全部善良王以外になる。


 王都の椅子に座っていると帝都への道は地図の線に見えるのかもしれない。


 だが、線の上には人が住んでいる。


 父上は黙って聞いていた。顔に出るものは少ない。だが、善良王の話題になると、会議室の誰もが言葉を少し柔らかくする。敬意というより、触れ方を間違えれば面倒が増えるものを扱う空気だった。


「次へ移れ」


 父上が短く言う。


 口調も表情も変わっていないが、相変わらず父上は善良王が嫌いなようだな。


 王都へ同行した文官が紙を下げ、別の文官が前へ出た。今度は領内の報告だ。


「ガルシア様が王都へ赴かれている間の領内状況についてご報告いたします。国境地帯は徐々に落ち着きを取り戻しております。目立った大規模な動きは確認されておりません」


 国境が落ち着いている。


 それだけで、少し肩の奥が緩む。もちろん、完全に安全という意味ではない。帝国側は変わらずこちらを見ている。だが、目の前で火が上がっていないなら、それだけで動きやすくなる。


 文官は続けた。


「農作物の生育は概ね順調です。小麦と芋については、豊作とまでは申し上げられませんが、備蓄を確保できる見込みです」


 会議室の空気が少しだけ柔らかくなった。


 兵も民も、貴族ですら飯がなければ動かない。小麦と芋が順調なら、まずは大きい。戦も外交も税も、最後は食い物に繋がっている。そこが崩れれば、どれだけ立派な理屈も役に立たない。


「一部の果実については、不作の見込みです」


 文官が言うと、老文官の一人が眉を動かした。


「食料に影響は」


「ございません。主に酒に利用される果実です」


 その瞬間、老武官が深く息を吐いた。


「酒が減るのも困るのう」


 重苦しかった会議室に、わずかに笑いが混じる。


 別の者が顎を撫でた。


「輸入した方がよいかもしれんな」


「そこまでではありません」


 文官は落ち着いて答えた。


「ただ、値が上がり始めた段階で対応すれば十分かと。現時点で急ぎ動けば、かえって商人に足元を見られます」


「なるほど」


 老文官が頷く。


 続いて、備蓄の話へ移った。


「小麦と芋の収穫後、古い備蓄の一部を市場へ回す案が出ております。新しい備蓄を確保した上で、古くなる前に放出する形です」


 文官はそこで父上へ視線を向けた。


 父上は少しだけ考え、短く頷いた。


「値を見ろ。早すぎれば安く叩かれる。遅すぎれば意味がない」


「承知いたしました」


「市場を乱すな。だが、倉に腐らせるな」


「はい」


 簡潔だった。


 父上は細かな説明をしない。必要なところだけを押さえる。文官たちはその短い言葉から、実際の手順を組むのだろう。誰がどの権限を持っているか、会議室の中で迷う者はいなかった。


 次に立ったのは、諜報に関わる男だった。


 顔立ちは目立たない。声も大きくない。なのに、その男が一歩前へ出ただけで、会議室の空気が少し沈んだ。人の目に映らない場所を扱う者は、表に立ってもどこか影を連れてくる。


「諜報活動が活発化しております」


 最初の一言から、軽くなかった。


「帝国側からの動きもございますが、現時点では王国側からの活動増加が目立ちます。平民を中心にした探りが多く、一部では魔力持ちの関与も確認されました」


 王国側。


 その言葉が、会議室に鈍く落ちた。


 敵国ではない。


 同じ王国の中から、こちらを探る目が増えている。


「数名を捕らえ、情報を収集しました。その結果、王都貴族の関与が認められました」


 老武官が歯を噛む音が聞こえた気がした。


 俺は手元の木目を見つめながら、報告の裏側を想像してしまった。


 捕らえ、情報を収集した。


 綺麗に言えばそれだけだ。


 だが、この世界に基本的人権なんてものはない。密偵として捕まった時点で、丁寧に扱われる期待などできない。何が何でも吐かされる。しかも治癒魔法がある。傷を負わせても戻せる。戻せるなら、どこまでやるかは、やる側の必要性と判断次第になる。


 ちなみに、この世界では犯罪者にも人権なんてない。


 軽い罪なら示談で済むこともある。だが、殺人のような重い罪を犯した者は、たいてい全財産を没収され、奴隷として死ぬまで重労働だ。税を使って更生を促す施設なんてものもない。


 その分、治安はかなりいい。


 悪いことをすれば本当に終わる世界だからだ。


 もちろん、密偵と犯罪者は立場が違う。罪人として裁かれる者と、敵意ある探りを入れて捕まった者を同じ枠で扱うわけではない。だが、どちらにせよ、捕まった後に優しい扱いが期待出来る世界ではなかった。


「まったく、何を考えておるんじゃ」


 老文官が吐き捨てるように言った。


「我らを探るぐらいなら、北方諸国を探ればよいものを」


「敵より味方の粗探しが先か」


 武官の声には、露骨な不快感があった。


 文官の一人が、苦い顔で口を開く。


「王都貴族たちからすれば、その方が出世できますからな」


「まったく」


 誰かがため息をついた。


 俺も同じ気分だった。


 王都貴族にとって、マバール家の粗を拾うことは手柄になるのだろう。国境でどれだけ兵が立っているかより、どれだけ税を取れるか、どれだけ相手を牽制できるか。椅子取りの材料になるなら、味方の領地でも平気で探る。


 父上が短く問う。


「捕らえた者は」


 諜報に関わる男が、頭を下げた。


「男は全て処分しました」


 父上は頷いた。


 それだけだった。


 俺はその言い方に引っかかった。


 男はか。


 つまり、女は生かしている。


 まぁ、色々と利用しているのだろう。だが、わざわざこの場で聞く話でもない。父上も上層部も、その程度は察している顔だった。


 報告は、そこで終わらなかった。


「続いて、メガレア家長男の件でございます」


 会議室の空気が、また重くなる。


 今度は俺の話だ。


 諜報の男ではなく、老文官が紙を取った。父上不在中に城で開いた会議、その流れを整理するためだろう。


「国境の砦から急報が入りました。メガレア家の長男が少数で接触し、保護と亡命を望んでいるとの内容でした」


 父上は黙って聞いている。


「急報を受け、ギルバート様と我らで会議を行いました。受け入れた場合の火種、帝国側の動き、メガレア家内部の状況を考慮し、慎重に扱うべきと判断いたしました」


 老文官の声は落ち着いている。


 だが、上層部の数人はわずかに表情を硬くしていた。あの件は軽い話ではなかった。亡命者として抱えれば危険。逃せば利用される。受け入れずに放置しても、どこかで火種になる。


 俺は父上の視線を受け、口を開いた。


「確認のために動きました」


 会議室の視線がこちらへ集まる。


「ですが、会う事は出来ませんでした」


 それだけ言った。


 それ以上は要らない。


 父上はしばらく俺を見ていた。


 怒っているようには見えない。驚いてもいない。ただ、言葉の裏にあるものをそのまま受け取っている目だった。


「そうか」


 父上は短く言った。


「残念だったな」


「はい」


 会議室に、それ以上の言葉は落ちなかった。


 誰も詳しく聞かない。聞く必要がない。聞けば、答えなければならないことが増える。父上もそれを分かっている。上層部も分かっている。俺も分かっている。言わない方がいい事もあるのだ。


 次に、リエリエールの報告へ移った。


「メガレア家に連なる確かな血統の女性についても、ご報告いたします」


 老文官が続ける。


「現在、城内で保護しております。魔力封印はギルバート様ご自身が行われました」


 父上の目が俺へ向いた。


 俺は姿勢を正す。


「上層部と相談し、俺が保護しました」


 言った瞬間、上層部の何人かが微妙に視線を逸らした。


 おい、ずるいぞ。


 内心で思う。


 相談したのは事実だ。反対されなかったのも事実だ。だが、こういう時だけ、俺一人が前に出たような空気になるのはずるい。いや、最終的に俺が抱えたのだから、俺が言うしかないのも分かっている。


 父上は、また短く答えた。


「そうか」


 それだけだった。落ち着いた声だった。


 それで許されたわけではないのかもしれない。だが、少なくともこの場で切り捨てられる話にはならなかった。胸の奥にあった硬いものが、ほんの少しだけ緩む。


 会議は、今後の対応へ移った。


 武官の一人が、王国側の地図を机へ広げる。帝国との国境ではない。マバール領と王国側の領境に近い場所だ。


「密偵への対応強化に伴い、王国側の領境にも小規模な砦を設ける案が出ております」


 父上は地図を見た。


「理由は」


「王都貴族たちの探りが増えております。これまでも王国側からの探りはございましたが、近頃は数が増え、平民だけでなく魔力持ちの動きも確認されております」


 武官は指で地図の線をなぞった。


「帝国側の国境警備は当然続けます。ですが、王国側からの目をそのまま通せば、城下や拠点の情報が抜かれる恐れもございます。大きな砦では目立ちすぎますが、小規模なものを置き、通行の確認と不審な動きの把握を強めるべきかと」


 新皇帝を出すアバルディア家とマバール家には、ある程度の関係が出来た。作ったのはほぼ俺だが。だからこそ、王都側の視線も強くなる。王都貴族にとって、マバール家が帝国側と妙な距離を取っているように見えれば、探る理由になるのだろう。


 父上はしばらく地図を見ていた。


「大きくするな」


「はっ」


「王国側へ牙を向けたように見せる必要はない。だが、目を閉じる必要もない」


「承知いたしました」


「場所を詰めろ。人員もだ。既存の警備と重ね、無駄を出すな」


 武官が深く頭を下げる。


 俺は地図を見つめながら、少しだけ息を吐いた。


 帝国側だけを見ればいいわけではない。


 王国側も見なければならない。


 帝国だけではなく王国もある。しかも、味方の中にもこちらを探る目が増えている。考えれば考えるほど面倒だ。だが、その面倒を放っておけば、もっと面倒になる。


 会議が一段落したところで、父上が俺を見た。


「ギルバート」


「はい」


 背筋が自然に伸びる。


 父上の目は静かだった。


「よくやったな」


 一瞬、返事が遅れそうになった。


 褒められるとは思っていなかったわけではない。だが、今朝の会議で、メガレア家長男の件も、リエリエールの件も、密偵の件も、どれも軽くはなかった。どこかで叱られる覚悟もしていた。


 だから、その短い言葉は思ったより重かった。


「はっ」


 俺は頭を下げた。


「ありがとうございます」


 胸の奥にあった力が、少しだけ抜ける。


 全てが解決したわけではない。


 善良王は相変わらず善良で、王都貴族は味方の粗を探り、帝国は新皇帝を迎え、北方には化け物みたいな老婆がいる。国境の砦は立ち続け、王国側にも小さな砦を考えなければならない。


 それでも、父上が戻り、話を聞き、短く認めた。


 それだけで、俺の足元は少し固くなった気がした。


 会議室の窓布の向こうで、朝の光がわずかに強くなっていた。


 夜は終わっている。


 だが、明るくなったからといって、面倒が消えるわけではない。


 俺は机の上の地図を見ながら、次に動くべきものを考え始めていた。

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