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魔力が強いやつがモテる世界に生まれ変わったのでモテる為にがんばります  作者: 伊右衛門


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第九十五話 王都の距離


 父ガルシアが戻ったのは、夜になってからだった。


 日が沈む少し前から、城内の空気は変わっていた。厩へ向かう使用人の足音が増え、廊下には灯火が足され、城門側へ出入りする兵の声がいつもより低く響いている。騒いでいるわけではない。誰も走ってはいないし、怒鳴り声もない。ただ、石壁に返る靴音が硬くなり、城全体が背筋を伸ばしたように感じられた。


 当主が戻る。


 それだけで、城は形を変える。


 俺は自室の窓布を少しだけ開け、外を見ていた。夜気が細く入り込み、松明の煙と馬の匂いを運んでくる。城門の方では明かりがいくつも揺れ、鎧の金具が火を受けて小さく光った。王都から戻った一行が門をくぐったのだろう。馬の鼻息が白く立ち、控えていた兵たちが道を開けていくのが見えた。


 帰って来たか。


 胸の奥で、思ったより深く息が落ちた。


 父上が王都へ行くのは珍しいことではない。定例の王都外交で、毎年のように城を空ける。分かっている。分かっているが、今年はあまりにも面倒なことが多すぎた。帝国皇帝の死、アバルディア家、メガレア家、北方諸国との和平、そして王都の善良王。父上がいない間に、城の中も外も静かではなかった。


 父上が戻れば、すぐにすべてが楽になるわけではない。


 だが、城に重みは戻る。


「若様」


 レティシアの声がした。


 振り返ると、彼女は茶器のそばに立っていた。落ち着いた声だったが、視線だけは一瞬、窓の方へ残っている。ダリアも棚の近くで手を止め、静かに頭を下げていた。机の端ではレアが白い綿毛を膨らませ、騒がしい気配に反応して首を傾げている。


「お館様がお戻りになられたようですね」


「ああ」


 俺は窓布を戻した。


「無事で何よりだ」


「はい」


 レティシアが静かに頷く。ダリアも少し表情を緩めた。リエリエールとノエルは自室にいる。夜も遅いし、父上の帰還だからといって全員が動く必要はない。むしろ、変に目立たない方がいい。


 廊下の足音が近づいてきた。


 軽いが、急いでいる。城の者が、無礼にならないぎりぎりの速さで歩いている音だった。


 扉が叩かれる。


「入れ」


 入ってきたのは、文官付きの若い男だった。会議室周辺で何度か見た顔だ。彼は深く頭を下げ、こちらが頷くのを待ってから口を開いた。


「ギルバート様。お館様がお戻りになられました」


「分かっている」


「帰還の挨拶を終え次第、会議を行うとのことです。ギルバート様にも同席いただきたいと」


 帰還直後で即会議か。


 俺ならまず茶を飲んで、少しだけ椅子に沈みたい。王都からの帰路も楽ではなかったはずだ。父上だって多少は疲れているだろう。だが、当主はそうもいかないらしい。


 王都から持ち帰った話と、城に溜まっていた話が、父上の帰還で一斉に動き出す。水門を開けるようなものだ。今夜のうちに大枠だけでも合わせなければ、明日からの指示が遅れる。


「分かった。すぐ行く」


「はっ」


 若い文官が下がると、レティシアが近づいてきた。彼女は何も言わず、俺の上着の襟元を整え、袖のわずかな乱れを直してくれる。城内の会議室へ行くだけだ。それでも、父上の帰還直後の会議にだらしない姿で入るわけにはいかない。


「若様」


「なんだ」


「お疲れではありませんか」


「座って話を聞くくらいなら平気だ」


「若様の場合、それで済むとも限りませんので」


 ダリアが小さく笑いを堪えた。


「否定しにくいことを言うな」


「申し訳ございません」


 レティシアはそう言いながらも、目元をわずかに緩めた。俺はその空気を背に受け、自室を出た。


 廊下には夜の冷えが落ち始めていた。


 灯火の火が石壁を揺らし、奥へ進むほど人の気配が濃くなる。使用人たちは声を抑えて動き、騎士たちは壁際に控えながらも、普段より姿勢が硬い。父上が戻ると、城にいる全員が、自分の立つ場所を確かめ直すようだった。


 会議室へ向かう途中、中庭へ続く細い窓から父上の姿が見えた。


 ガルシア・マバール。


 旅装を解いたばかりなのだろう。衣服にはまだ道中の埃が少し残っている。だが、背筋はまったく崩れていない。そこに立ち、近くの文官から短い確認を受けているだけで、周囲の人間が自然に距離を測っている。


 父上がこちらへ視線を向けた。


 俺は軽く頭を下げる。


 父上はわずかに頷き、すぐに目の前の文官へ視線を戻した。言葉はなかった。それで十分だった。


 会議室に入ると、既に上層部は集まっていた。


 文官系の者たち、武官系の者たち、王都へ同行した文官、城内に残っていた老文官や老武官。入室した父上は上座へ座ると、机へ手を置いた。同行した文官が資料を整え、必要な紙を父上の手元ではなく、自分の前へ揃えていく。


 俺も指定された席へ着いた。


 父上の正面ではない。だが、顔は見える。話を聞き、必要なら口を挟める位置だった。


「始めよ」


 父上の声が落ちた。


 その一言で、会議室の空気が締まる。


 父上は机上の紙へ一度視線を落とし、すぐに顔を上げた。


「王都は例年通りだ。変わらず面倒で、変わらず遠い。細部は随行の文官から聞け」


 それだけ言うと、父上は口を閉じた。


 同行していた文官が静かに頭を下げ、資料の一枚を開いた。旅から戻ったばかりのはずだが、声は整っている。ただ、紙を押さえる指に少しだけ硬さが残っていた。王都で見聞きしたものを、今夜のうちに形へする役目があるからだろう。


「まず、国境貴族家からの訴えでございます。今年も主軸は、税と国境警備負担の扱いでした」


 文官が言うと、老文官たちの顔に、聞き慣れた苦味が浮かんだ。新しい話ではない。だからこそ、毎年削られるような顔になる。


「各国境貴族家は、兵の維持、砦の修繕、街道警備、国境監視、迷宮管理に多くの負担を抱えております。マバール家は、広い耕作地と、塩、鉄、銅などを産出する迷宮を持ち、さらに近年は生産拠点の収益もございます」


 文官の視線が、ほんの一瞬だけこちらへ向いた。


 俺は何も言わなかった。


 生産拠点。蜘蛛の糸、炭、馬車まわり、食品の試作。俺の趣味が混じっていることは否定できないが、領地の利益になる芽は育っている。マバール家はまだ恵まれている方なのだろう。


「しかし、他家も同じとは限りません。迷宮があっても、必ず資源が出るわけではございません。何も産出せず、危険だけを抱える迷宮もあります。それでも放置すれば魔物被害につながるため、兵を置き、管理し続けなければなりません」


 部屋の中に、重い沈黙が落ちた。


 迷宮は当たりなら資源となる。


 塩、鉄、銅、魔石、薬草、木材。何かしら出る迷宮なら、領地の金になる。だが、何も旨味がないくせに魔物だけは出る場所もある。放置すれば周辺に被害が出る以上、兵を置かなければならない。金にならないのに金だけかかる。


 経費だけ発生する最悪の穴だな。


 俺は机の木目を見ながら思った。


「つまり」


 声を出すと、同行していた文官の視線がこちらへ向いた。


「国境を守るために使った金くらい、税を決める時に考えてくれという話か」


「大雑把に申し上げれば、その通りです」


 文官が頷く。


「国境警備、砦修繕、迷宮管理にかかった費用を、税額を定める際に考慮してほしいという訴えでございます。単に税を下げよというより、必要経費を無視しないでほしい、という形になります」


「普通に考えれば当然に聞こえるがな」


 俺が言うと、武官の一人が低く笑った。笑いというより、喉の奥で呼吸が擦れたような音だった。


「王都では、その普通がなかなか通じません」


 文官はその言葉を受け、紙を一枚めくった。


「王都貴族側は、帝国情勢が不安定である以上、王国財政を厚く保つ必要があると主張しました。国境貴族側は、その財政を守るためにも国境維持費を認めるべきだと返しましたが、今年も明確な譲歩は得られておりません」


「そのやり取り、毎年やっているのか」


「形を変えながら、毎年でございます」


 やっぱり面倒だ。


 父上が王都は遠いと言った意味が、少しだけ分かる気がした。距離の話だけではない。砦の壁に残る傷も、迷宮から戻らない兵の名も、王都の議場へ入ると紙の上の数字になる。数字は必要だ。だが、数字だけ見ている相手に、濡れた土の匂いや、夜番の冷えや、魔物が出た村の怯えまでは届かない。


 文官は次の紙へ移った。


「続いて、国内貴族家の動きです。王都と国境貴族領の間にある小領主たちは、今年も関所と通行料を巡って対立しておりました」


 国内貴族家。


 王都と国境の間に挟まった家々。安全な内側にいる代わり、広い土地も強い権限もない。昔なら、内側で楽そうだと思ったかもしれない。だが、小さな領地で税を払い、兵を持ち、街道を維持し、王都貴族に頭を下げる暮らしが楽なわけはない。


「近年、関所を増やす家、通行料を上げる家が増えております。ただ、上げすぎれば商人が別の街道へ流れます。そのため、通行料の統一を求める領主と、各家の裁量を守るべきだとする領主で対立しております」


「資源が出る迷宮を持つ領主は、通行料を安くできるか」


 俺が聞くと、文官が頷いた。


「はい。迷宮収入があれば、関所で無理に徴収せずとも領地は回ります。商人も安く安全な道を選ぶため、そうした領地へ流れやすくなります」


「資源がない迷宮を持つ領主からすれば、不公平に見えるわけだ」


「そのようです」


 不公平。


 便利な言葉だが、実際に危険だけを抱える側からすれば、そう言いたくなる気持ちも分かる。迷宮を持っているのに儲からない。兵を置く金だけ減る。隣の領主は資源迷宮で潤い、通行料も安くし、商人まで集めている。放っておけば差は広がる。


 だが、資源を持つ側からすれば、なぜ自分たちまで高い通行料に合わせなければならないのか、となるだろう。


 正しさが複数ある。


 だから面倒になる。


「王都は裁定したのか」


「明確な裁定はありませんでした」


 文官は少しだけ目を伏せた。


「領内事情に応じて柔軟に対応すべき、という言葉でまとめられております」


「決めない時に便利な言葉だな」


 今度は老武官がはっきり鼻を鳴らした。会議室に小さな苦笑が広がる。笑える話ではない。だが、笑わなければやっていられない類の話だった。


 父上は黙って聞いていた。


 目を伏せてもいない。興味がないわけでもない。ただ、既に見てきたものを、今は城の者たちへ置かせている。随行した文官の説明に余計な口を挟まず、必要な部分だけを場に残しているように見えた。


 その文官は、次の資料へ指を移した。


「そして、王都貴族の動きです」


 その一言で、笑いは消えた。


 王都貴族。


 領地を持たず、王と王宮に仕え、税や制度や文書を扱う者たち。王国を回すには必要なのだろう。だが、領地を持たない者が領地の負担を数字だけで決める構造には、どうしても嫌な歪みがある。


「王都貴族は、各領からより多く集めた者ほど評価される傾向が強くございます。表向きは王国財政への貢献です。しかし実際には、各派閥がどれだけ数字を握るかという争いにもなっております」


 文官の声は淡々としていた。


 だが、その淡々とした声の下に、うっすらと疲れがあるように聞こえた。王都で同じ理屈を何度も聞かされ、言葉を選び、反論し、押し返され、また同じ場所へ戻された者の声だ。


「小領主たちも協力して訴えてはおります。ですが、利害が一致しきりません。国境貴族は国境警備負担を見ろと言い、国内貴族は関所や通行料を見ろと言います。迷宮のある家、ない家、資源のある家、ない家で意見が割れます。王都貴族からすれば、分けて扱いやすい相手になっております」


 嫌な話だ。


 前世でも似たようなものはあった。現場同士で意見が割れていると、上は決めない理由に使う。あるいは、都合のいい意見だけ拾う。世界が違っても、人間とはあまり変わらないらしい。


「王都貴族たちは現場を見ないのか」


 問いながら、答えはだいたい分かっていた。


 文官は答える前に、一瞬だけ父上を見た。


 父上は短く言った。


「見たがらん」


 それだけだった。


 文官が続ける。


「王都から離れれば、その間に席を奪われる。そう考える者が多くおります。派閥内の序列も変わります。自分の目で国境を見るより、王都に残って文書を握る方を選ぶ者が多い、ということです」


「それで国境の税を決めるのか」


「はい」


「面倒だな」


 父上が、そこで初めて少しだけ口を開いた。


「それで済めばよいがな」


 会議室の空気が、少しだけ冷えた。


 父上は王都でそれを見てきたのだ。俺が紙の上で想像するよりずっと近くで、王都貴族たちの顔を見て、声を聞いて、話をしてきた。その上でこの温度なら、よほどだったのだろう。


 文官が水で喉を湿らせる。


 多少疲れは見える。だが、それでも資料をめくる手は乱れなかった。


「次に、北方の件でございます」


 会議室の空気が、また違う硬さへ変わった。


 カルデアの名は既に書状で知っている。あの時、俺も上層部も驚いた。まだ生きていたのか、と口に出してしまったくらいだ。約百年前、劣勢の北方諸国をまとめ、王国軍を押し返し、停戦へ持ち込んだ女当主。ドレス姿で突撃しただの、鎧など不要と叫んだだの、武勇伝だけでも濃すぎる。


「北方諸国との和平は正式に締結されました。これは書状で既にお伝えした通りです。会議には、カルデア・トラギス殿が出席されました」


 文官の声は、ほんの少しだけ慎重になった。


「カルデア殿が議場に入った際、王都貴族の間にはかなりの動揺がございました。存命であることを本当に把握していなかった者も多く、北方諸国側が今も彼女を中心に一定のまとまりを保っていることにも驚いておりました」


 またそれか。


 俺は思わず眉間に力が入った。


「負けた相手だよな」


「はい」


 文官が答える。


「敗れた相手で、和平相手で、まだ影響力があるかもしれない相手だろう。生きているかどうかも調べていなかったのか」


「そう見える反応でございました」


「王都貴族は暇ではないんだな」


 皮肉が漏れた。


 老文官の一人が咳払いをした。咎めるというより、笑いを隠したようにも聞こえた。


 父上は怒らなかった。


「暇ではないのだろう。王都の中で椅子を奪い合うのに忙しい」


 父上も皮肉で返してきた。


 会議室の空気が少しだけ緩む。だが、すぐに重さが戻った。


「カルデア殿は実際どうだった」


 俺が尋ねると、同行した文官ではなく父上が答えた。


「老いていた」


 その言葉に、誰も驚かない。二百歳近いのだから当然だ。


「歩みは遅く、側近の手も借りていた。だが、議場に入った時、北方側の者たちの背筋が変わった。あの老婆が椅子に座るだけで、場の形が変わる」


 父上の声は淡々としていた。


 それだけに、その場の気配が想像できた。身体は老いている。だが、名が老いていない。百年前の戦場で兵を動かした女が、今も北方諸国の者たちを立たせる。本人が剣を振るう必要はない。そこにいるだけで、意味がある。


「化け物みたいな婆さんだな」


 つい言ってしまった。


 父上が少しだけ口元を動かした。


「否定はせん」


 否定しないのか。


 老武官が低く唸った。


「百年前、マバール家は帝国国境を守っておりましたゆえ、北方戦には兵を出しておりません。ですが、五倍の王国軍を押し返された話は、武官の間では今も語られます」


「五倍で負けるのは情けないな」


「まことに」


 老武官は本気で悔しそうだった。自分が戦ったわけでもないだろうに、やはり武官としては悔しいらしい。


 父上はその話を長く膨らませなかった。


「重要なのは、カルデア殿が生きていたことそのものではない」


 俺は顔を上げた。


「王都貴族どもがそれを把握していなかったことだ。そして、北方諸国側がまだ一枚の札としてカルデア殿を使えることだ」


 そうだ。


 むろん、カルデア本人が今すぐマバール領へ攻めてくるわけではない。北方は遠い。俺たちの目の前にあるのは帝国国境だ。問題はカルデアという老婆そのものではなく、その存在によって王都貴族たちがどう動けなくなるかだ。


「王都は北方を恐れますか」


「恐れる」


 父上は即答した。


「和平を結んだ以上、善良王は北方へ軍を向けぬ。カルデア殿が生きている間、王都貴族も北方を軽く扱えぬ。つまり、王国全体の意識を帝国へ集中させることは難しい」


 やっぱりそうなるか。


 書状を読んだ時にも思った。これまで通り、国境はマバール家や国境貴族たちが見ることになる。北方が片付けば、王国全体で帝国へ意識を向けられるという期待は遠のいた。


 少なくとも、善良王とカルデアの二人がいる間は厳しい。


「では、これまで通りですね」


 俺が言うと、父上の目がこちらを見た。


「不満か」


「不満はあります。ですが、王都に期待しない方が気楽です」


 老文官が少しだけ顔を上げた。


 俺は肩をすくめる。


「王都貴族が口を出してこないなら、こちらの好きにできる部分も多いでしょう。国境を守るのが我らなら、守り方も我らで決めるしかありません」


 父上はしばらく黙っていた。


 怒られるかと思ったが、父上は薄く笑った。


「その通りだ」


 会議室の空気が、ほんの少しだけ軽くなる。


 諦めではない、腹をくくる空気だ。


 王都は遠い。王都貴族は数字と椅子を見ている。国内貴族は関所で揉め、国境貴族は税と兵で苦しんでいる。北方にはまだカルデアがいる。善良王は帝国新皇帝の戴冠式に出たがるような男だ。


 ならば、マバール家はマバール家でやるしかない。


 父上が机上の資料を一つ閉じた。


「王都外交の大枠は以上だ。細かな税額、諸家の発言、各派閥の動きは文官に整理させる。今夜は枠だけでよい」


 文官が深く頭を下げた。説明を終えたことで、肩の硬さが少しだけ解けたように見えた。


 俺は少しだけ息を吐いた。


 王都外交の話だけで、頭が疲れる。


 戦場なら敵を倒せば終わる。もちろん、本当はその後も色々ある。だが、少なくとも目の前の敵を斬れば静かになる。王都の話は違う。斬れない。燃やせない。税と書状と面子が絡み合って、面倒臭い糸の塊になる。


 会議室の空気は完全には緩まなかった。


 今夜は王都外交を共有しただけだ。細かな税額や諸家の発言は後で文官たちが整理する。王都貴族の動きも、国内貴族の対立も、国境貴族の不満も、一晩で片付く話ではない。


 それでも、父上が戻ったことで、言葉の置き場所は決まった。


 父上が王都で見たもの。


 上層部が城で待っていたもの。


 俺が書状で知っていたもの。


 それらが同じ机の上に並べられ、ようやく一つの形になった気がした。


「ギルバート」


 父上が俺を呼んだ。


「はい」


「王都は遠い」


 最初に言った言葉と同じだった。


 だが、今度は少し響きが違った。


「だが、遠いからといって無視はできん。税も書状も王命も来る。王都貴族どもが現場を知らぬなら、こちらは現場を知った上で動け。王都の理屈に呑まれるな」


「はい」


「お前はまだ王都を知らん。知らんままでよいとは言わん。だが、今は国境を見ていろ」


 俺は父上の目を見た。


 王都の椅子取りも、税の押し付けも、善良王の甘さも、カルデアの重さも見た上で、父上はここに戻って来た。戻って来て、最初に会議を開いた。王都で見たものを城に置いた。


 その意味は、たぶん軽くない。


「国境を見て、どう動くか考えます」


「それでよい」


 父上は短く答えた。


 会議室の灯火が小さく揺れる。石壁に映る影が伸び、机の上の書類の端を黒く撫でた。


 夜は深くなっている。


 父上は最後に、机の上の資料を隣りの文官へ戻した。


「今夜はここまでだ。続きは明日以降に詰める」


 老文官たちが頭を下げ、武官たちも姿勢を正す。文官は資料を丁寧にまとめ、息を一つだけ小さく吐いた。


 俺も席を立った。


 会議室の扉が開くと、廊下の冷たい空気が流れ込んでくる。外は夜だ。城内の灯火はまだ多いが、父上の帰還直後の硬さは少し薄れていた。使用人たちの足音も、先ほどより静かになっている。


 廊下へ出る前に、俺は一度だけ父上の背中を見た。


 大きい。


 あの背中があるうちは、俺は三男でいられる。お気楽な三男坊でいたい、という気持ちはまだ消えていない。だが、王都の話を聞いた後では、そのお気楽さにも値段があるのだと分かる。


 国境は勝手に守られない。


 税は勝手に軽くならない。


 王都は勝手に賢くならない。


 面倒だ。


 実に面倒だ。


 けれど、今の暮らしを守るためなら、その面倒も少しずつ引き受けるしかない。


 俺は小さく息を吐き、夜の廊下へ足を踏み出した。

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