第三百七十七話 魔法を使えない知恵
「芋?」
俺は思わず聞き返した。
膝の上のベルは、こちらを見上げて小さく頷いた。自分から話し始めたものの、オルフィアにも見られているのが恥ずかしいらしく、俺の服を握る指先に少し力が入っている。
「はい。お芋は小屋とかに置いといても芽が出たりします。だから、お芋なら小屋に置いてる時に、えっと、魔法してくれたら、えっと、草は増えないかも……」
そこまで言うと、ベルは自信がなくなったのか、俺とオルフィアの顔を交互に見た。
……ほう。
なるほど。
俺はベルの言葉を頭の中で繰り返してみた。
小屋に置いてある芋から芽が出る。
つまり、畑に植える前から育ち始めているわけだ。
オルフィアは、成長していないタネに魔法をかけても効果がほとんどないと言っていた。だが、芽が出ている芋ならどうだろう。
少なくとも、何も変化していないタネとは違う。
しかも、畑に植える前に魔法をかけるのだから、周囲の雑草まで元気になる心配もない。
……おお。
これは、なかなかいいんじゃないか?
「なるほどな。さすがベルだ、偉いぞ!」
俺は嬉しくなって、ベルの頭を撫でた。
「えへへ……」
ベルは少し照れくさそうに笑った。
うむ、かわいい。
いや、それだけじゃないぞ。
今のは本当にいい考えだと思う。
俺は魔法を使えるし、オルフィアなんて魔法の研究ばかりしている。それなのに、二人とも芋のことなんて思いつかなかった。
俺に至っては、タネに魔法をかけてから植えればいいんじゃないかと考えたくらいだ。
ところがベルは、畑に植える前から芽が出る芋に目を向けた。
小さな村で暮らしてきたからこその発想なのだろうが、聞いたばかりの魔法の話と結びつけられるのは大したもんだ。
俺が感心していると、向かいのオルフィアが少し首を傾げた。
「芋? 芋が増えて嬉しいの?」
……ん?
俺はオルフィアを見た。
こいつ、本気で不思議そうな顔をしているな。
ベルも少し驚いたらしく、俺の膝の上で背筋を伸ばした。
「は、はい。村の人たちは、お芋増えれば嬉しいです……」
さっきよりも声が小さくなってしまった。
うーむ。
まぁ、オルフィアがそう考えるのも無理はないか。
何しろ、こいつは貴族だからな。
貴族が領地の作物を考えるなら、まず小麦になるのが普通だろう。
小麦なら保存も利くし、売ることもできる。パンの材料にもなるし、領地でどれだけ取れるかは、統治する側にとっても重要なはずだ。
小麦がたくさん実る土地なら、それだけ豊かな土地だと考えやすい。
俺だって、さっきまでは小麦のことばかり考えていたしな。
だが、実際に村で暮らしている人間はどうだろう。
小麦が増えるのは嬉しいだろうが、芋だって食える。
むしろ、毎日の食事を考えるなら、芋がたくさん取れることも相当ありがたいんじゃないだろうか。
……なるほどなぁ。
俺はベルの頭に置いていた手を動かし、もう一度ゆっくり撫でてやった。
「ベルの言う通りだ。小麦だけじゃなく、芋でも試してみる価値はありそうだな」
「えっと、はい……」
ベルが安心したように小さく頷く。
その顔を見ていると、さらに何か言いたそうにしていることに気づいた。
「ん? まだ何かあるのか?」
「あの、えっと……」
ベルはオルフィアの方へちらっと目を向け、それから俺を見上げた。
「えっと、えっと、あの、ぶどうとかりんごでも、みんな喜びます」
「ぶどう? りんご?」
今度は俺が首を傾げる番だった。
もちろん、ぶどうもりんごも食える。
収穫が増えれば嬉しいというのは分かる。
だが、なぜその二つなんだろう。
畑の作物はほかにもあるだろうに。
……いや、待てよ。
ベルは何となく名前を挙げているのだろうか。
それとも、何か考えがあるのか?
「なぁ、ベル。増えれば何でもいいんじゃないか? 何でぶどうとりんごなんだ?」
なるべく優しく尋ねると、ベルは少し考えるように目を伏せた。
それから、小さな手を胸の前へ持ち上げる。
「えっと、あのね、ぶどうは、えっと、こう伸びた蔓とかをくっつけて増やすの」
ベルは両手の指先を合わせ、何かを繋ぐような仕草をした。
「それにね、えっと、りんごは木だから、えっと、元気になるとたくさん実をつけるかなって……」
言い終えると、ベルは俺の顔をじっと見た。
……ふむ。
俺は少し考えた。
ぶどうの蔓をくっつける。
接木のことか。
なるほど、別々の植物を繋いで育てるなら、治癒魔法を使うことでうまくくっつくかもしれない。
肉体強化魔法も合わせれば、その後の成長に何か変化が出る可能性はある。
りんごは木そのものを元気にするわけだな。
毎年実をつける木なら、一度きりの収穫とは違った結果が期待できるかもしれん。
もちろん、実際にどれほど効果があるのかは試してみないと分からない。
だが、少なくとも小麦の畑に魔法をかけるのとは、ずいぶん事情が違う。
俺は思わずベルの顔を見直した。
……おいおい。
こいつ、すごいんじゃないか?
ベルは魔力を持っていない。
当然、魔法を使うこともできない。
それなのに、オルフィアから聞いた話だけで、どうすれば魔法が役に立つか考えている。
しかも、俺が知らなかったような作物の育て方まで知っているときた。
うーむ。
やっぱり賢いなぁ、ベルは。
「あのね、あのね、それに、ぶどうもりんごもお酒になるから」
ベルは俺が黙っているのを見て、慌てたように付け加えた。
「……酒?」
俺は一瞬きょとんとして、それから思わず笑ってしまった。
なるほど。
そういうことか。
ぶどうなら酒になるし、りんごからだって酒は造れる。
果物のままでは長く置いておけなくても、酒にしてしまえば保存が利く。
遠くへ運ぶことだってできるし、売り物にもなる。
そう考えると、ただ食える作物を増やすというだけの話ではなくなるな。
「なるほど、ぶどうもりんごも酒にすれば長持ちするし、売ることもできるな」
「は、はい!」
ベルは嬉しそうに頷いた。
「さすがベルだ。偉いなぁ!」
俺は我慢できずにベルの頭を撫でた。
よしよし。
いやぁ、本当に賢い。
しかもかわいい。
これほど素晴らしい子がほかにいるだろうか。
俺が感心しながら頭を撫でていると、ベルは恥ずかしそうに笑いながらも、逃げようとはしなかった。
ふむ。
頭もいいし、素直だし、いい子だなぁ。
俺は頬にも手を伸ばした。
柔らかい。
なんだ、この気持ちよさは。
つい指先でむにむにしてしまう。
ベルは少し困ったような顔をしているが、俺の膝から降りようとはしない。
うむ、かわいい。
すると、向かいから妙な視線を感じた。
顔を上げると、オルフィアがぽかんと口を開けてこちらを見ていた。
……ん?
なんだ?
「お前もやって欲しいのか?」
「う、うん……いや、そうじゃなくて!」
オルフィアは一度頷きかけてから、慌てて首を振った。
「その子、何? 何でそんなこと思いつくの?」
「ベルはベルだ。賢いんだ。かわいいだけじゃないんだよなぁ」
俺はベルの頬を軽く揉みながら答えた。
それにしても、気持ちいいなぁ、この頬。
「もちろん、ベルはかわいいけどな」
「だから、そういうことじゃなくて……」
オルフィアは何やら言いかけたが、俺にはまだ伝えておくことがある。
「オルフィア、ベルの言う通りだ。小麦だけじゃなく、ほかの作物でも実験しろ。特にベルが提案した芋とぶどう、りんごはかなり効果がありそうだ。必ず実験してくれ」
オルフィアは俺とベルを交互に見た。
「う、うん。やる、やってみるけど……だから、その子は何? 何でそんなこと思いつくの?」
「ベルはベルだ。言っとくけど、やらんぞ」
俺はベルの頬をむにむにしながら答えた。
こんな賢くてかわいい子を、そう簡単に他人へ渡せるものか。
ましてやオルフィアである。
何を研究させられるか分かったもんじゃない。
「じるわーとしゃま、はじゅかしいえす……」
……ん?
何やら膝の上から妙な声が聞こえた。
ベルを見ると、頬を左右から押されているせいで、うまく口が動かせないらしい。
しかも、真っ赤になっている。
ああ、そうか。
恥ずかしかったか。
「おっと、すまんな」
残念だが、むにむにするのはやめておこう。
俺が手を離すと、ベルは両手で自分の頬を押さえながら、少し俯いてしまった。
……うーむ。
残念。
もう少し触っていたかったんだが。
「だから、そうじゃなくて!」
オルフィアが少し身を乗り出した。
「いや、貰えるなら喜んで貰うけど、何でそんなことを思いついたの?」
今度はベルへ直接尋ねている。
ベルは頬を押さえていた手を下ろし、少し戸惑ったように俺を見上げた。
俺が頷いてやると、オルフィアの方へ向き直る。
「えっと、えっと、あの……治癒魔法って聞いたし、あの、肉体強化魔法? って聞いたから、何となくできるかなって……」
ベルは自分でもうまく説明できないらしく、最後は少し自信なさそうに言葉を濁した。
だが、俺には言いたいことが分かった。
治癒魔法で植物を元気にできる。
肉体強化魔法で成長を助けられる。
ならば、こういう作物にも使えるんじゃないか。
そう考えたわけだ。
しかも、ただ収穫を増やすだけじゃなく、雑草の問題まで考えている。
うむ。
やっぱり賢いなぁ。
ところが、オルフィアは俺とは違うことに驚いたらしい。
「……つまり、前々からギルに話を聞いて考えてたわけじゃなくて、今聞いて思いついたの?」
「えっと……はい」
ベルは小さく頷いた。
それを見たオルフィアの目が、ますます大きくなった。
「……今?」
その声には、先ほどまでの勢いがなかった。
俺は思わず笑ってしまう。
「だから、ベルは賢いと言っただろ」
そう言いながら、もう一度あの柔らかい頬へ手を伸ばした。
……ん?
ベルが素早く両手を持ち上げ、自分の頬を守ってしまった。
おお。
防御された。
俺が右から手を伸ばすと右の頬を押さえ、左から近づけると左も守る。
……なんということだ。
学習している。
さすがベル。
……いや、感心している場合じゃないな。
うーむ、残念。
俺が諦めて手を引くと、ベルは少しほっとしたように肩の力を抜いた。
オルフィアはそんな俺たちのやり取りを眺めていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……すごいわ。本当に頭がいいのね」
おお。
あのオルフィアが素直に褒めているぞ。
魔法の研究となれば俺にだって遠慮なく言い返してくるやつなのに、ベルの発想には随分と感心しているらしい。
まぁ、当然だな。
ベルは賢いからな。
俺が満足していると、オルフィアが今度はベルの顔を覗き込んだ。
「ねえ、他には? 他の作物も思いつく?」
「えっと、うーんと、えっと……」
ベルはすぐに答えず、困ったように考え始めた。
小さな指を折りながら何か思い出そうとしているらしい。
……おいおい。
オルフィア。
ちょっと待て。
「オルフィア、ベルは三つも思いついたんだぞ。それだけで充分だろうが」
俺は軽く手を上げて制した。
ベルは今、初めて聞いた魔法の話をもとに考えているんだ。
それで三種類も提案できたのだから、十分すぎるだろう。
そんなに次から次へと答えを求める必要はない。
「それに実験する対象を増やしすぎると、お前が大変なんだぞ」
実際、そうだろう。
オルフィアは今、小麦の実験だけでも時間がかかると言っていた。
それなのに芋、ぶどう、りんごと増やすんだ。
これ以上あれこれ手を出していたら、さすがのオルフィアでも大変なんじゃないだろうか。
俺はそう思ったのだが、ベルはもう何か思いついたらしい。
「あの、えっと、えっと……オリーブとか、えっと、あの、胡桃の木も、あの、いい台木に接木して育てます」
「……ほう?」
俺は思わずベルを見下ろした。
オリーブ。
胡桃。
それも接木するのか?
「そうなのか?」
「は、はい。あの、いい台木にくっつけて、えっと、育てるんです」
ベルは両手の指を再び合わせ、少し恥ずかしそうに説明してくれた。
ふむ。
そうなのか。
知らなかった。
ぶどうだけじゃなく、オリーブや胡桃の木でも接木をするんだな。
俺は果物や木の実を食うことはあっても、どうやって育てているかなんて、そこまで詳しくない。
オリーブも胡桃も、木になっているものを収穫するくらいの認識しかなかった。
だが、ベルは違うらしい。
どういう木を使い、どうやって増やすのかまで知っている。
……うーむ。
考えてみれば、そうだよなぁ。
俺が魔法を使えるからといって、農作物のことまで詳しいわけじゃない。
オルフィアだって、作物に魔法を使う方法を研究しているだけで、あらゆる作物の育て方を知っているとは限らない。
だが、ベルは村で暮らしていた。
畑や木々を見て、実際にどう育てるのかを知っている。
俺たちには思いつかないことを考えられるのも、そういう知識があるからなのかもしれんな。
もっとも、聞いたばかりの魔法の話と結びつけられるのは、やっぱり大したものだと思う。
俺はベルの頭を撫でようとして、ふと手を止めた。
……いや、頬じゃないから大丈夫だよな?
ベルは俺の手をちらっと見たものの、今度は逃げなかった。
うむ、よし。
俺は安心して頭を撫でてやった。
すると、扉の方から小さな物音がした。
「し、失礼します……」
シルフィアだ。
ようやくお茶を持って戻ってきたらしい。
……ずいぶん時間がかかったな。
シルフィアは俺たちの様子をちらっと見てから、そろそろと近づいてきた。
そして、何やら慎重な手つきでカップを置いていく。
……ん?
なんでそんなにそーっと置くんだ?
別に何も起きていないぞ。
俺は不思議に思いながらも、置かれたカップへ目を向けた。
ほう。
ちょうどいい。
ベルもずいぶん話したからなぁ。
「ほら、ベル。たくさん話して喉が渇いただろ。飲んでいいぞ」
「は、はい。ありがとうございます」
ベルがカップへ手を伸ばしかけたところで、俺は少し考えた。
……待てよ。
ここはルディア家だ。
そして、ルディア家の者が入れたお茶といえば……。
俺の頭に、以前飲んだお茶の味が蘇ってきた。
あれはひどかったなぁ。
ジルベッドの淹れた茶も相当だったし、俺が淹れたものだって散々だった。
オルフィアの淹れた茶なんて、ほとんど味がしなかったしな。
最後にはまともな茶を飲めたが、あの時は本当に苦労した。
うむ。
念のためだ。
「ちょっと待て、ベル」
俺はカップを手に取り、一口だけ飲んでみた。
……ふむ。
大丈夫そうだな。
少なくとも、あの時みたいなひどい味ではない。
よし。
「ほら、飲んでいいぞ」
「はい!」
俺はカップをベルへ渡した。
ベルは両手を伸ばして受け取り、ゆっくりと口へ運ぶ。
……ん?
俺はその様子を眺めて、少し首を傾げた。
カップが大きいのか?
ベルは両手でしっかり支えながら、慎重に傾けている。
小さな手の中では、確かに少し大きく見えるな。
もちろん、飲めないわけじゃない。
だが、もう少し小さなものの方が持ちやすいんじゃないだろうか。
ベルはカップの縁からそっと口を離し、また両手で持ち直した。
……うーむ。
かわいい。
両手でお茶を飲んでいる姿も実にかわいい。
だが、毎回こんなふうに大きなカップを抱える必要もないよなぁ。
ベル専用のカップがあってもいいんじゃないだろうか。
ちょうど城下にいるんだし。
……そうだな。
帰りに買ってやるか。
俺はお茶を飲んでいるベルを眺めながら、一人で頷いた。
うむ。
なかなかいいことを思いついたぞ。
本日はここまでとなります。
次回は、明日5時の予定です。




