第三百七十二話 寂しい朝と小さな幸せ
翌朝、俺は一人寂しく朝食を食べていた。
いや、別に広い食堂に俺一人だけがぽつんと座っているわけではない。食卓の周囲には何人もの使用人が控えているし、料理が減ればすぐに次の皿が運ばれてくる。いつもどおりの、何不自由ない朝食だ。
ただ、肝心の父上とアル兄さんがいない。
朝食の席に着く前、二人とも忙しくて一緒には食べられないと伝えられていた。まぁ、今の状況を考えれば仕方ないんだけどな。
戦争がほぼ終わったからといって、仕事まで終わったわけではない。むしろ、戦争中とは違う面倒事が山ほどあるのだろう。父上もアル兄さんも、昨日からずっと忙しそうにしていたしな。
それは分かっている。
分かっているんだが、せっかく久しぶりにマバール城へ帰ってきたんだから、一緒に朝飯くらい食べたかった。
そんなことを考えながら肉を切り分け、口へ運ぶ。
うん、美味い。
料理に不満があるわけではない。焼き加減もちょうどいいし、温かい料理はきちんと温かいまま出てくる。使用人たちの仕事にも文句のつけようがない。
それでも、なんとなく物足りない。
こういう時、普段はあまり意識しない家族との食事が、意外と楽しみだったんだなぁと思わされる。
ならばベルを連れてくればよかったか、とも考えた。
だが、さすがにそれは難しいだろう。
ベルは平民だし、まだ小さな子供だ。マバール家の人間が食事をする場所に、俺が可愛がっているからという理由だけで連れてくるのは、ちょっとなぁ。
何より、本人が緊張するだろう。
あの子のことだから、慣れない場所で大勢の使用人に囲まれたら、食事どころではなくなるかもしれない。
それに、ベルはまだ寝ている。
朝食へ向かう前に様子を見たのだが、実に幸せそうな顔で眠っていた。
起こそうかとも思ったんだけどなぁ。
あんな顔をされると、とてもじゃないが起こす気にはなれなかった。
まぁ、寝る子は育つというし、あの子にはたくさん寝て、たくさん食べてもらいたい。
だったら、俺がさっさと食事を済ませて戻ればいいだけだ。
そう決めると、残っていた料理を片づけ、食後のお茶もそこそこに席を立った。
使用人が静かに頭を下げる。
「ご苦労、美味かったよ」
そう声をかけると、使用人は丁寧に礼を返してくれた。
さて、ベルが起きる前に戻れるかな。
せっかくなら、あの子が朝飯を食べるところを眺めていたいからな。
そんなことを考えながら、俺は食堂を後にした。
◇
私室へ戻り、まず寝室を覗いてみる。
ベルはまだ眠っていた。
寝台の上で小さな身体を横たえ、気持ちよさそうに寝息を立てている。こちらが扉を開けたことにも気づかないらしく、起き上がる気配はまったくなかった。
おお、よく寝るなぁ。
だが、それでいい。
寝る子は育つ、というやつだ。
昨日までのことを思えば、ベルも疲れているだろうしな。せっかく安心して眠れているんだから、無理に起こす必要はない。
しばらくその寝顔を眺めてから、そっと扉を閉めた。
寝室を出て居間へ戻ると、控えていた使用人にお茶を頼む。
いつもならレティシアが世話をしてくれるところだが、今はそうもいかない。
妊娠しているからなぁ。
俺の魔力が強すぎるせいで、レティシアはあまり近くにいられないのだ。
まったく、面倒な身体だよな、俺も。
椅子に腰を下ろしていると、ほどなくして茶が運ばれてきた。
「ありがとう」
「恐れ入ります」
使用人は慣れた手つきで茶器を扱い、俺の前へカップを置く。
うむ。
見ている限り、仕事ぶりに問題はない。
なんでも、レティシアから俺の世話をする時のコツや、気をつけるべきことをいろいろ仕込まれているらしい。
あいつらしいよなぁ。
自分が直接世話をできなくなっても、代わりの使用人が困らないようにしているわけだ。
ありがたいことだ。
カップを持ち上げ、ゆっくり口をつける。
……うん。
美味い。
美味いんだけど、やっぱり違うな。
何がどう違うのかと聞かれると困る。茶の味が悪いわけでも、淹れ方がおかしいわけでもない。
ただ、いつものレティシアのお茶とは、なんとなく違う。
長年世話をしてもらっているから、俺の舌がすっかり慣れてしまったのかもしれない。
まぁ、そもそもレティシアに近づけなくなったのは、まさに自分の蒔いた種なんだが。
……うん、文字どおりだな。
そんなことを考えている場合でもないか。
さて、今日はどうするかな。
父上もアル兄さんも忙しい。
レダリエ騎士団については、朝に集まるよう命じてあるから、そちらは後で顔を出すとして……。
やはり気になるのは善良王のことだ。
ユーディリア。
あのおっさんは、近いうちに処刑されることになっている。
昨夜、父上と話して、なぜ今なのかという理由も理解できた。
俺も処刑には賛成だ。
だからといって、あのおっさんにもう一度会いたいという気持ちまでなくなったわけではない。
どうにも理解できないところがあるんだよなぁ。
最後にもう一度話をしてみたい。
とはいえ、処刑を取り仕切るのはアル兄さんだ。
父上にも、会いたければアル兄さんに相談しろと言われている。アル兄さんが了承するなら構わない、と。
つまり、頼む相手は決まっている。
問題は、そのアル兄さんが忙しいということなんだよな。
昨日も相当忙しそうだったし、今朝だって一緒に飯を食う時間もないらしい。
そこへ俺が、処刑されるおっさんと話したい、なんて頼み事を持ち込むわけだ。
うーん。
なんとも申し訳ない。
しかし、今会わなければ二度と会えなくなる。
処刑されてから、やっぱりもう一度話しておけばよかった、なんて思っても遅いしな。
俺はカップを置き、近くに控えている使用人へ顔を向けた。
「すまんが、アル兄さんに会いたいと伝えておいてくれ。可能なら今日中に」
「かしこまりました」
使用人は丁寧に一礼すると、静かに部屋を出ていった。
さて、どうなるかな。
会ってもらえるとしても、かなり遅い時間になるかもしれない。
まぁ、それでも構わないんだが。
俺は再びお茶を飲み、窓の方へ視線を向けた。
外はすっかり明るくなっている。
朝の光が差し込む居間は静かで、遠くから聞こえてくる城内の物音も、今のところ邪魔にはならない。
こうしてゆっくり茶を飲んでいられるのも、久しぶりな気がするなぁ。
父上やアル兄さんは忙しいというのに、俺だけのんびりしていていいのかとも思うが……まぁ、俺には俺の仕事がある。
今はその仕事が一段落しているだけだ。
それに、せっかく休めるんだから休まないとな。
無理に仕事を探してまで働きたくはない。
そんなことを考えながら、残っていたお茶を少しずつ飲んだ。
しばらくして、先ほどの使用人が戻ってきた。
「ギルバート様」
「うむ、どうだった?」
「アルディス様は、遅くなってもいいなら、とのことです」
やっぱりなぁ。
予想していた返事だったので、特に驚きはしなかった。
むしろ、忙しい中でも会ってくれるというのだからありがたい。
「ああ、それで構わない。すまんが、そう伝えてくれ」
「はい、かしこまりました」
使用人はもう一度頭を下げ、再び部屋を出ていった。
……あ。
しまったな。
最初から、いつでもいいから会いたい、と頼んでおけばよかった。
今日中に、なんて余計な条件をつけたせいで、使用人に何度も往復させてしまったじゃないか。
我ながら気が利かない。
まぁ、貴族なんだから、そんなことを気にする必要はないのかもしれない。
使用人は主の命令に従って働くものだし、それが仕事なのだからな。
だが、俺はどうしても気になってしまう。
前世の影響なんだろうなぁ。
誰かに何かをしてもらえば、つい「ありがとう」と言ってしまうし、仕事を終えた者には「ご苦労」と声をかけたくなる。
それが当たり前だと思って生きていた時期があるからだろう。
別に、こちらの世界での貴族の振る舞いが間違っていると思っているわけではない。
そもそも、使用人たちにとっては仕事をするのが当然なのだ。
父上なんかを見ていても、使用人に対していちいち感謝を口にするところは見た覚えがない。
それが普通なんだろうな。
もちろん、父上が使用人をどう思っているのかまでは知らない。
ただ、俺とはずいぶん違う。
まぁ、別に直さなくてもいいか。
俺が勝手に礼を言っているだけなんだから、誰かに迷惑をかけるわけでもないしな。
そう考えていると、寝室の方から小さな物音が聞こえてきた。
ごそごそ、と布が擦れるような軽い音だ。
お?
どうやらベルが起きたらしい。
俺は思わず寝室の扉へ目を向けた。
しばらくすると、扉が開き、小さな女の子が姿を見せた。
「えっと、おはようございます!」
おお。
元気だなぁ。
ベルはすでにきちんと着替えていた。
寝起きでぼんやりしている様子もなく、こちらを見つけると嬉しそうに挨拶してくる。
「ああ、おはよう。ゆっくり眠れたか?」
「はい!」
うむ。
元気いっぱいだ。
それに、なんだか肌までつやつやしている。
お肌つやつや、ぷるぷるだなぁ。
これはよく眠れたんだろう。
子供はしっかり寝るのが一番だ。
俺がそんなことを考えていると、ベルは少し首を傾げた。
「えっと、あの、今日のお仕事は?」
仕事か。
相変わらず真面目だなぁ。
起きて早々、今日の仕事を気にするとは。
俺なんか、できることなら仕事をせずにのんびりしていたいというのに。
しかし、どうするかな。
アル兄さんと会うのは、おそらく夜になる。
少なくとも、しばらくは時間が空くだろう。
なら、ベルと一緒に過ごしてやりたいところだが……。
ああ、そうだった。
昨日、レダリエ騎士団に朝から集まるよう命じていたんだ。
あの時点では、今日の予定がどうなるか分からなかったからな。
すっかり忘れるところだった。
まぁ、そちらは後で考えよう。
まずはベルだ。
「まずはベルは腹一杯、朝食を食べてからだ」
「はい!」
素晴らしい返事だ。
実に可愛らしい。
やっぱり子供は元気なのが一番だな。
ちょうどそこへ使用人が戻ってきたので、ベルの朝食を用意してもらうことにした。
ベルは俺を見て、聞いてきた。
「ギルバートさまは?」
「ああ、俺はもう済ませた。お茶だけ頂くよ」
「はい!」
使用人はすぐに準備を始めた。
ほどなくして居間の食卓にベルの朝食が並べられると、ベルは目を輝かせた。
おお、いい顔をするなぁ。
食事を前にして、あれほど嬉しそうな顔をしてくれるのだから、見ているこちらまで楽しくなる。
ベルはきちんと座り、食事を始めた。
小さな口で一生懸命に食べている。
うむ、いいぞ。
もっと食え。
「ほら、ベル。もっと食べろ」
「はい!」
ベルは元気よく返事をすると、また料理へ手を伸ばした。
頬を膨らませ、もぐもぐと食べている。
まったく、可愛いなぁ。
俺はお茶を飲みながら、その様子を眺めた。
こういう時間も悪くない。
いや、むしろかなりいい。
誰かが美味そうに飯を食っているところを見るのが、これほど楽しいとは思わなかった。
ベルの場合、食事をするだけで一生懸命なのがいいんだろうな。
それに、たくさん食べてもらいたいと思っている俺からすれば、遠慮せずに食べてくれるのはありがたい。
さて、問題は今日の予定だ。
アル兄さんは遅くなってもいいなら、と言っていた。
あの忙しさなら、日が暮れるまでは会えないと考えておいた方がいいだろう。
そうなると、善良王との面会は早くてもその後か。
いや、処刑の準備もあるだろうし、実際に会えるのは処刑当日になるかもしれないな。
まぁ、仕方ない。
無理を言っているのはこちらなんだから。
そこはアル兄さんの判断に従おう。
となれば、夕方くらいまでは自由に過ごせそうだ。
ベルと何をするかなぁ。
そんなことを考えていると、扉が静かに叩かれた。
使用人が応対に向かい、しばらくして戻ってくる。
「ギルバート様、セバスチャン様がお呼びだそうです」
おっと。
どうやら集まったようだな。
そういえば、騎士団を集めていたんだった。
さて、行かないと。
俺が立ち上がると、ベルの手がぴたりと止まった。
「ベル、お前はそのまま食事していろ。いいか、腹一杯までちゃんと食べるんだぞ」
ベルにとって、今一番大事な仕事は食事だ。
まずは腹一杯食うこと。
それさえきちんとしてくれれば、俺としては十分なんだが。
「はい!」
ベルは素直に頷いたものの、俺が出ていこうとすると、少しだけこちらを見上げた。
「あの、ギルバートさまは戻ってきますか?」
「ん?」
ああ、そうか。
ベルからすれば、俺がどこへ行くのか分からないもんな。
それに、今朝だって起きる前に俺はいなくなっていたわけだし。寝てたけど。
心配するのも無理はないか。
まぁ、騎士団の方はそんなに時間がかからないだろう。
仮に何かあったとしても、一度部屋に戻るくらいはできるはずだ。
「ああ、一度は必ず戻ってくるから安心しろ」
「はい!」
その返事を聞いて、俺も自然と笑顔になった。
うむ、よし。
あとはしっかり食べていてくれればいい。
俺はベルが再び食事を始めたのを確かめてから、居間を後にした。
さて、次は騎士団だ。
あいつらも、ここのところ働きっぱなしだったからなぁ。
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