第三百七十話 今、王を処刑する理由
「だが、ユーディリアは息子を王城で育てた。やむを得ん事でもあったのであろうが、覚悟が足りぬ。鍛えるとは、死ぬかもしれぬ事を受け入れねばならん」
父上はそう言うと、苦り切った顔で口元を歪めた。
おお。
ずいぶん厳しいな。
だが、先ほど自分で考えていたことを思い返すと、父上の言いたいことも分かる気がする。
王太子という立場を考えれば、王城で育てること自体がおかしいとは思わない。むしろ、王位を継ぐ人物なのだから、王の近くで色々と学ぶこともあるだろう。
それに、王太子を危険な場所へ送り出して死なせてしまったら、それこそ大問題だ。
王族なのだから、普通の貴族以上に慎重になるのも当然だろう。
ただ、それで十分なのかと言われると、どうなんだろうな。
俺は先ほど思い浮かべたダル兄さんの姿を、もう一度頭の中に描いてみた。
ヴォス要塞を差配していた頃のダル兄さんは、当然ながら父上の隣で仕事をしていたわけではない。何か起きれば、自分の判断で対処しなければならなかったはずだ。
父上に相談することもあっただろうが、いつでも返事を待っていられるとは限らない。
そして、判断を誤れば自分だけでなく、部下たちまで危険にさらすことになる。
……よく考えたら、恐ろしい話だな。
親としては、息子を安全な場所へ置いておきたいと思うんじゃないだろうか。
少なくとも、俺だったらそう考えるかもしれない。
だが、それでは後継者として必要な経験が積めない。
危険を避け続けて、いざ当主になってから初めて重大な決断を下すことになったらどうなる?
周囲の者たちは従ってくれるかもしれない。
しかし、その本人は何を頼りに判断すればいいんだ?
……なるほどなぁ。
父上が言う覚悟というのは、そういうことなのかもしれない。
息子が死ぬ可能性まで受け入れて、それでも責任を負わせる。
口で言うほど簡単なことじゃないだろう。
俺は父上の顔を見た。
夜着姿の父上は、普段より幾分くつろいで見える。それでも、ユーディリアについて語る時の表情には、どこか苦々しいものが残っていた。
ただの敵国の王に対する評価なのだろうか。
それとも、父親としての考え方があまりにも違うことに、何か思うところがあるのか。
まあ、そこまでは分からない。
分からないが、少なくとも父上はユーディリアの後継者教育を高く評価していないようだ。
父上はしばらく俺を見ていたが、やがて口を開いた。
「ギルバート、そんなジリオスが王位を継げると思うか?」
おっと。
今度は、そちらですか。
王太子ジリオス。
名前さえ怪しかった人物について、いきなり王位継承の可能性を聞かれてしまった。
しかし、父上がここまで話してくれたのだから、何を聞かれているのかくらいは分かる。
正式に立太子されている以上、王位を継ぐ資格はある。
問題は、その資格だけで王になれるのか、ということだろう。
「難しいかと」
俺が答えると、父上は小さく頷いた。
「うむ。政治的には正当ではある。血統的にも正統であろう。おそらくな」
そう言って笑った。
……え?
今、最後になんて言いました?
おそらく?
いやいや。
そこは断言してもらえませんかね。
確かに、王族の血統なんて俺が確認したわけじゃないし、父上だって自分の目で確かめられるものではないだろう。
だからといって、そんな楽しそうに笑いながら言うことじゃないと思うぞ。
えっと、冗談なのかな?
笑えないですよ、パパ。
俺は思わず父上の顔を見つめたが、父上は何事もなかったかのような表情をしている。
……うん。
余計なことは聞かないでおこう。
冗談なら、それでいい。
もし冗談でなかったとしても、今の俺にはどうしようもない。
それに、王太子の血統について何か疑いがあるという話は、俺は知らない。父上も断言したわけではないのだから、勝手に妙な想像を膨らませるのはやめておこう。
問題は、王太子としての地位があったところで、ジリオスが本当に王国を率いられるのかということだ。
父上に尋ねられた以上、俺も少しは真面目に考えないとな。
「ですが、実績が圧倒的に足りませんね。処刑される父王を救えなければ、さらに評価は落ちるでしょう」
父上の表情から笑みが薄れた。
俺は言葉を続けようとして、少し考え直す。
王太子が王位を継ぐこと自体は、別に珍しい話ではない。
父親が退位したり、亡くなったりすれば、その息子が跡を継ぐ。
だが、今回は少し事情が違う。
ユーディリアは戦争に敗れて捕らえられ、これから敵の手によって処刑されるのだ。
しかも、その処刑を命じるのはかつて王国貴族の重鎮であった父上だ。
ジリオスがどこで何をしているのか、俺は詳しく知らない。
だが、父親が捕らえられている以上、王太子としては何とか助けたいと思ってもおかしくないだろう。
いや、本人がどう考えているかは別として、周囲の貴族たちからすれば、助けようとするのが当然だと思う者もいるはずだ。
ところが、実際に処刑されてしまったら?
父王を救えなかった王太子。
しかも、戦争に敗れて国を失いつつある状況で王位を継ぐことになる。
……うわぁ。
これは厳しいな。
俺だったら、そんな立場になりたくないぞ。
実績があって、周囲の貴族たちから信頼されている人物なら、まだ何とかなるかもしれない。
だが、名前すら覚えられていないかもしれない王太子だ。
俺が知らない実績があったとしても、それが広く知られていなければ、政治的にはあまり役に立たないだろう。
父上は俺の顔を見ながら、ゆっくりと言った。
「父王を敵に処刑されて受け継ぐ王位だ。最初から困難になるだろうな」
……ですよねぇ。
まったくもって、その通りだと思う。
そもそも、王位というのは玉座に座れば終わりというものではない。
王になったあと、貴族たちを従わせ、国を動かしていかなければならない。
父王が生きていれば、王位を譲ったあとも何かと支えてもらえるかもしれないが、処刑されてしまえば、それも期待できない。
まして、今の王国は戦争に敗れたばかりだ。
土地を失い、兵を失い、国を支えていた貴族たちも傷を負っている。
そんな状況で王位を継いだところで、何から手をつければいいんだろうな。
俺だったら、とりあえず逃げ出したくなる。
いや、王太子なら逃げるわけにもいかないか。
……ますます嫌だな。
父上はそんな俺の顔を眺めながら、次の質問を投げてきた。
「うむ。そんなジリオスに、どれほどの王国貴族たちが従う?」
なるほど。
今度は貴族たちの反応か。
俺は少し視線を落とした。
王太子が正式に立太子されている以上、王位を継ぐ資格があることは確かだ。
その資格を重く見る貴族もいるだろう。
長く王家に仕えてきた家なら、王太子が即位すれば従うのが当然だと考えるかもしれない。
それに、王国を維持しようとするなら、正式な王位継承者がいることは重要なはずだ。
だが、すべての貴族がそれだけで満足するとは思えない。
戦争に敗れた責任を誰に求めるか。
王家を支え続けることで、自分たちの領地や家を守れるのか。
そんなことを考える貴族だっているだろう。
王太子に十分な実績があれば、多少の不満があっても従わせられるかもしれないが、ジリオスにはそれが足りない。
少なくとも、俺にはそう思える。
「政治的正当性を重視する貴族なら従うでしょうが、それ以外は難しいかと」
そう答えると、父上はすぐには口を開かなかった。
俺も黙って考える。
もっとも、政治的な正当性だけじゃない。
血統的な正統性を重視する貴族だっているだろう。
王家の血を引く者が王になるべきだ。
そう考える貴族なら、ジリオス個人の能力が多少頼りなくても従う可能性はある。
だが、そこまでいちいち口にする必要はないだろう。
父上なら、当然分かっているはずだ。
俺よりはるかに長い間、貴族社会で生きてきた人なのだから。
父上はしばらく俺を見ていたが、やがてゆっくりと首を振った。
「うむ、従いはするだろう。表向きだけはな。何せ負けたばかりだ。王家に逆らうほどの地力は残っておらんだろう」
……ああ。
なるほど。
そういうことか。
俺は、王太子に従う貴族と従わない貴族が出てくることを考えていた。
だが、父上は少し違う見方をしているらしい。
今の王国貴族たちは、戦争に敗れたばかりだ。
自分たちの領地を守るだけでも大変だろうし、失った兵をすぐに補充できるわけでもない。
そんな状況で、王家に対して公然と反旗を翻す余裕があるのか。
……ないだろうなぁ。
少なくとも、まともに考えれば、今すぐ王家と争いたがる貴族は多くないはずだ。
そもそも王国そのものが負けているのだから、その中でさらに争えば、余計に力を失うだけだ。
ならば、気に入らない王太子が王になったとしても、とりあえず従っておく。
表向きは忠誠を示して、余計な争いを避ける。
だが、心から従っているわけではない。
王の命令を聞いても、できるだけ自分の領地や家に有利なように動く。
場合によっては、王家が困っていても積極的には助けないかもしれない。
うわぁ。
面倒だな、それ。
王位を継いだジリオスからすれば、周囲には従順な貴族たちが並んでいるように見えるかもしれない。
ところが、いざ何かを命じてみれば、誰も積極的に動こうとしない。
それぞれが自分の利益を優先し、王家のために危険を冒そうとはしない。
……えっと。
面従腹背とか、獅子身中の虫とか。
そんな言葉が頭に浮かんできた。
もちろん、全員が王家を裏切るつもりだとは限らない。
ただ、王家に従う理由が、王への信頼ではなく自分たちの都合になってしまう。
そう考えると、実に厄介な話だ。
しかも、ジリオスにはそれを押さえ込めるほどの実績がない。
何かあれば、貴族たちは自分たちの利益を優先するだろう。
だが、王家もそれを強く咎められない。
貴族たちを敵に回せば、ただでさえ弱っている王国がさらに混乱することになる。
……なるほどなぁ。
そう考えて、俺はふと気づいた。
待てよ。
王太子はまだ王位を継いでいない。
そして、ユーディリアはまだ生きている。
今なら、正式に立太子されたジリオスが王位を継ぐことになるはずだ。
だが、もし処刑を遅らせたら?
その間に、王国貴族たちが立ち直るかもしれない。
あるいは、王太子への不満が表面化し、別の動きが出てくる可能性もある。
そうなる前に、父王を処刑して王位継承を迫る。
王太子には十分な実績がない。
貴族たちは敗戦で疲弊し、王家に逆らう余力も乏しい。
それでも、心から従うわけではない。
……ああ。
そうか。
「だから、今処刑する」
思わず口にすると、父上が頷いた。
「そうだ。これ以上遅らせれば、表立って王家に反する王国貴族も出るだろう。今が最も王国貴族たちを混乱させられる」
父上の声は落ち着いていた。
まるで、明日の予定でも話しているような口調だ。
だが、その言葉が意味するところは、そんな生易しいものではない。
王を殺す。
それによって、次の王を政治的に不利な立場へ追い込む。
しかも、王国貴族たちが最も弱っている時期を選んでだ。
……うーん。
なるほどなぁ。
確かに、今が処刑しどきってことか。
俺は、父上が最初に王太子の名前を尋ねた理由を、ようやく理解した気がした。
単に、ジリオスという人物がどれほど知られているかを確かめたかったわけではない。
名前すら十分に知られていない後継者が、敗戦直後の王国を引き継ぐ。
しかも、父王を救えなかったという結果まで背負わされる。
そんな王の下で、貴族たちは表向きだけ従いながら、それぞれの思惑を抱えて動くことになる。
……そりゃ、王国は大変だろうなぁ。
俺は小さく息を吐いた。
処刑そのものに反対するつもりはなかったが、どうして今なのかという疑問は残っていた。
しかし、父上の話を聞いてみれば、確かに理由がある。
俺が思っていた以上に、ずっと政治的な理由が。
そう考えると、父上が今、処刑を決断したのも理解できる。
俺は改めて父上の顔を見た。
父上はいつの間にか、先ほどまでの苦々しい表情を消していた。
その顔を眺めていると、なんだか妙な気分になってくる。
敵国の王を処刑するという話をしているのに、父上は実に落ち着いている。
いや、落ち着いているのはいつものことか。
ただ、その落ち着きが、今夜は少しばかり恐ろしく感じられた。
……まったく。
俺はまだまだ勉強が足りないな。
そんなことを考えながら、父上の次の言葉を待った。
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