第三百六十五話 かつての王への礼儀
善良王の処刑。
ザイン殿からその言葉を聞いた俺は、もう一度ゆっくりと頷いた。
なるほどな。
父上がマバール城へ戻った理由も、それなら納得できる。
王国側の戦線は既に崩壊しており、軍事的にはほとんど勝敗が決したらしい。だが、戦場で勝ったからといって、それだけで戦争が終わるわけじゃない。
何しろ、王国にはまだ多くの貴族がいる。
それぞれが軍を持ち、領地を治めている以上、国王が捕らえられたからといって、全員が素直に負けを認めるとは限らない。
実際、俺たちが後方を荒らし回っている間にも、王国軍の姿は何度か見かけていた。
こちらを追おうとする者もいれば、守りを固めているように見える者もいた。グレゴリオが言っていたように、その動きは随分とちぐはぐだったが、それでも全員が戦うのをやめたわけではない。
そんな状況で、捕らえた国王をどうするか。
……まぁ、父上ならそうするか。
おそらく、善良王は最後まで降伏しなかったのだろう。
もし素直に降伏していたなら、わざわざ処刑する必要もない。
国王本人が負けを認め、その立場を利用できるのであれば、そちらの方が何かと都合がいいはずだ。
それなのに父上が処刑を決断したということは、もはや善良王を生かしておく意味がないと判断したのだろう。
少なくとも、俺にはそう思える。
俺はザイン殿の顔を見ながら、王城で顔を合わせた善良王のことを思い出した。
善良王、か。
何とも皮肉な名前だな。
いや、本人はきっと善良だったのだろう。
理想もあったんだろうし、自分なりの思想だって持っていたはずだ。
だが、それで戦争に勝てるわけじゃない。
どれほど立派なことを考えていたところで、それを実現できなければ意味がない。ましてや、国王ともなれば、自分一人の失敗では済まないからな。
善良であることと、国を治める能力があることは、必ずしも同じではない。
まぁ、俺だって国王になったことがあるわけじゃないから、偉そうなことを言える立場ではないんだが。
それでも、今回の戦争で王国側がどうなったかは、少しくらい分かる。
国王は捕らえられ、軍は崩壊し、領地のあちこちでは食糧まで失われている。
しかも、その後方を荒らしたのは俺たちだ。
まったく、随分と酷いことになったものだな。
善良王が死ねば、それが王国の敗北を示す決定的な出来事になるのだろう。
帝国の勝利の象徴。
……いや、少し違うか。
王国敗北の象徴、と言った方が近い気がする。
何しろ、自分たちの国王が敵の手によって処刑されるんだからな。
これほど分かりやすい敗北も、そうそうないだろう。
その知らせを聞いた王国の貴族たちは、何を考えるんだろうか。
怒り狂う者もいるかもしれないし、これ以上戦っても仕方がないと諦める者もいるだろう。
もちろん、最後まで抵抗する連中だっているかもしれん。
だが、それでも国王が処刑されたという事実は残る。
もはや、善良王の下で戦うことはできない。
そこに父上が求めている意味があるのだろう。
……善良王か。
死後は敗北王なんて呼ばれるかもしれないな。
いや、流石に酷い呼び名か。
だが、歴史に残る名前なんて、本人が決められるわけじゃない。
善良な王として記憶されるのか、敗北した王として記憶されるのか。
それは、これから先の人間が決めることになるんだろう。
本人がどれほど立派な理想を掲げていたとしても、最後に残るのが敗北という結果なら、随分と厳しい評価を受けるかもしれない。
運が悪かったのか。
それとも、能力が足りなかったのか。
あるいは、その両方か。
……憐れなものだ。
別に、あいつを助けてやりたいわけじゃない。
俺たちは敵同士だったし、善良王を王城から連れ去ったことについても、後悔しているわけではない。
必要だと思ったからやった。
今でも、その判断が間違っていたとは思わない。
ただ、国王という立場に生まれ、最後には敵国の手で処刑されることになった男の人生を考えると、何とも言えない気分になる。
まぁ、本人が何を考えているのかなんて、分からないんだけどな。
俺は小さく息を吐き、ザイン殿へ視線を戻した。
「すでに処刑されたのですか?」
たぶん、まだだろう。
もし既に処刑されているなら、ザイン殿もそう説明したはずだ。
だが、念のため確認しておいた方がいい。
俺が尋ねると、ザイン殿は落ち着いた様子で首を横に振った。
「はい、三日後に処刑される予定です」
……三日後か。
俺は思わず、その日数を頭の中で繰り返した。
三日。
なるほど、まだ間に合うな。
もちろん、予定は予定だ。
何かあれば変更される可能性だってある。
だが、今回の処刑を決めたのは父上だ。
しかも、今回の戦争を終結させるための重要な決断として準備しているという。
それなら、ほぼ決定したものと考えていいだろう。
父上がわざわざマバール城へ戻って準備を進めている以上、そう簡単に変更されるとも思えない。
……そうなると、あまりのんびりしていられないな。
俺はシルディア城まで戻ってきたばかりだし、セバスチャンたちも随分と働いてくれた。
本当なら、少しくらい休ませてやりたいところなんだが。
しかし、三日後となれば話は別だ。
ここからマバール城まで移動しなければならない。
途中で何があるかも分からないし、余裕を持って向かった方がいいだろう。
それに、俺が出立するなら、こちらのこともザイン殿へお願いしておく必要がある。
俺は少し姿勢を正した。
「ザイン殿」
名前を呼ぶと、ザイン殿は俺の顔を見て、すぐに頷いてくれた。
「はい、こちらはお任せください」
ほう。
流石だな。
どうやら、俺が何を考えているのか分かってくれたらしい。
ザイン殿は胸を張り、安心させるように頷いている。
俺はその様子を見て、少しだけ肩の力を抜いた。
まぁ、この人に任せておけば大丈夫だろう。
俺がここに残ってあれこれ口を出すより、ずっと上手くやってくれるはずだ。
「ありがとうございます」
俺は礼を述べ、そのまま部屋を後にした。
廊下へ出ると、先ほどまで気になっていた城内の静けさが、今度は少し違って感じられた。
もちろん、周囲の様子が急に変わったわけじゃない。
文官たちは相変わらず仕事をしているし、武官たちもそれぞれの持ち場へ向かって歩いている。
ただ、俺の方が事情を知っただけだ。
そうか。
もう、戦争は終わろうとしているのか。
いや、まだ完全に終わったわけじゃない。
それでも、父上はすでに終わらせるために動いている。
そう考えると、随分と遠くまで来たものだなぁ。
俺は廊下を歩きながら、無意識に足を速めそうになった。
……おっと。
いかん、いかん。
別に慌てる必要はない。
三日あるんだから、普通に移動すればいい。
それに、ここで俺が慌ただしく走り出したら、周囲の連中が何事かと思うだろう。
俺は歩調を整え、胸を張って廊下を進んだ。
しかし、善良王の処刑か。
俺は少し考えた。
別に、善良王を捕らえたのは俺だと主張したいわけじゃない。
ましてや、あいつは俺の獲物だ、なんて言うつもりもない。
そんなことを言い出したら、随分と馬鹿馬鹿しい話になる。
俺が王城から連れ去ったのは確かだが、捕らえた後のことまで全て俺が決めるわけじゃない。
そもそも、善良王をどう扱うかなんて、父上たちが判断することだ。
俺が出しゃばる必要はないし、そんなことをしたいとも思わん。
だが、それでも……。
何というかな。
俺が攫ったんだから、その最期くらいは見届ける責任があるような気がする。
……責任?
いや、違うな。
責任というのは、何となくしっくりこない。
別に、俺が善良王を処刑するわけじゃないし、処刑について何か責任を負わされているわけでもない。
もちろん、善良王が今の状況になった原因の一つが俺であることは間違いない。
それでも、責任という言葉では、どうにも違うんだよなぁ。
俺は歩きながら、もう一度考えた。
……ああ、そうか。
礼儀だ。
何となくだが、それが一番近い気がする。
俺は善良王を王城から連れ去った。
そして、善良王は処刑される。
それなら、その最期を見届けるのが礼儀なんじゃないだろうか。
誰かにそうしろと命じられたわけじゃないし、別に決まりがあるわけでもない。
ただ、そうするのが筋のような気がする。
そもそも、善良王は敵国の王だが、元々は俺たちの国王でもあった。
マバール家が王国から帝国へ所属を変えたからといって、かつて王国貴族だった事実が消えるわけじゃない。
セバスチャンたちだって同じだ。
あいつらも、元々は王国の騎士なんだから。
今となっては敵同士だし、戦争の結果として善良王が処刑されることにも、俺は反対するつもりはない。
だが、それとこれとは別だろう。
負けたからといって、かつて国王だった人物を馬鹿にしていいわけじゃない。
敵として戦うことと、王としての立場に敬意を払うことは、別に矛盾しないはずだ。
俺は廊下の先へ目を向けた。
……まぁ、そういうことかな。
どうにも上手く言葉にできないが、とにかく俺は善良王の最期を見届けたい。
それだけは、はっきりしている。
やがて城外へ出ると、外の空気が頬に触れた。
石壁に囲まれた廊下とは違い、空が広く感じられる。
俺は周囲へ目を向け、休んでいるセバスチャンたちの姿を探した。
すぐに見つかった。
騎士たちはそれぞれ休息を取っていたが、俺の姿に気づくと顔を向けてきた。
セバスチャンもこちらを見た。
グレゴリオはその近くにいる。
あの大男は、こうして大勢の中にいても目立つな。
まぁ、今はそんなことを考えている場合じゃないか。
俺は騎士たちの前で足を止めた。
そして、セバスチャンへ目を向ける。
こちらから何か言うのを待っているらしい。
普段なら、俺がザイン殿と何を話してきたのか尋ねてくるところだろう。
だが、今回は先に伝えておくことがある。
「マバール城に向かう。善良王の処刑に立ち会う」
俺はそう宣言した。
「はっ」
返事は短かった。
セバスチャンも、グレゴリオも、他の騎士たちも、静かに頷いた。
誰も余計なことを言わない。
普段なら何かと口を挟んでくるセバスチャンさえ、軽口を叩こうとはしなかった。
俺はその様子を見ながら、ゆっくりと頷いた。
そうだよな。
善良王は、かつて俺たちの国王だった男だ。
今は敵国の王であり、処刑されることが決まっている。
それでも、かつて仕えていた国王の最期に立ち会うというのは、軽々しく扱うようなことじゃない。
俺はセバスチャンたちの顔を見渡した。
誰も笑っていない。
誰も異を唱えない。
ただ、静かに俺の言葉を受け止めている。
……うん。
それでいい。
俺も、それ以上は何も言わなかった。
本日はここまでとなります。
次の更新は、明日5時となります。




