第三百六十四話 静かな司令部
ザイン殿が呼んでいるというなら、まずはそちらへ顔を出すべきだろう。
俺は文官に頷いてから、隣にいたセバスチャンへ向き直った。
「セバス、お前たちはひとまず休んでいいが、すぐに出立するかもしれん。準備と心づもりだけはしておいてくれ」
「へい、分かりやした」
セバスチャンは特に理由を尋ねることもなく頷いた。
まぁ、こいつも俺と同じことを考えているのかもしれない。
せっかくシルディア城まで戻ってきたというのに、肝心の父上がいないとなれば、今度はマバール城へ向かわなければならない可能性がある。
そうなれば、休んでいる暇もないかもしれん。
グレゴリオへ目を向けると、あの大男もこちらを見ていた。
「お前もセバスチャンの指示に従ってくれ」
「はっ」
相変わらず短い返事だが、こちらの言いたいことは理解しているらしい。
それにしても、こいつも随分と馴染んだものだな。
最初は馬さえ持っていなかったのに、今では他の騎士たちと一緒に行動している。セバスチャンの指示にも素直に従っているようだし、特に問題はなさそうだ。
まぁ、それはいい。
俺はもう一度セバスチャンを見て頷き、文官の後について城内へ入った。
外から石造りの城内へ足を踏み入れると、空気が少しひんやりして感じられた。
王国領内をあちこち動き回っていたせいか、こうして城の中を歩くのも随分と久しぶりな気がする。
いや、実際に久しぶりなんだけどな。
それにしても……。
ふむ。
何となく、以前とは雰囲気が違うような気がする。
俺は文官の後ろを歩きながら、廊下の先へ目を向けた。
人がいないわけではない。
武官らしい男が歩いているし、文官たちも何やら書類を持って行き来している。
だが、以前はもっと慌ただしかったような気がするんだよなぁ。
誰かが急ぎ足で通り過ぎ、別の者がその後を追いかける。遠くから人を呼ぶ声が聞こえてきたかと思えば、今度は別の場所から何かを指示する声が響いてくる。
前線司令部なんだから、そんな光景も珍しくなかった。
ところが、今はどうだ?
もちろん仕事をしている者はいるが、以前のような慌ただしさが感じられない。
廊下を歩いている文官たちも、特に急いでいる様子はない。
……何かあったのかな?
まぁ、何もなければ雰囲気が変わることもないだろうが。
俺たちが王国後方にいる間、こちらの状況がどうなっていたのか、ほとんど分からなかったからな。
戦況が好転したのかもしれないし、逆に何か大きな問題が起きた可能性だってある。
もっとも、これほど落ち着いているところを見ると、悪い知らせというわけでもなさそうだが。
俺は先を歩く文官の背中を眺めた。
こいつに聞いてみるか?
……いや、どうせザイン殿のところへ向かっているんだ。
そこで聞いた方が早いだろう。
それに、至急呼ばれているんだから、廊下で立ち話を始めるわけにもいかん。
俺は余計なことを尋ねるのをやめ、そのまま歩き続けた。
やがて、見覚えのある部屋の前へ辿り着いた。
文官が俺の到着を告げると、中から入るように促される。
さて、父上はいるかな?
そんなことを考えながら部屋へ足を踏み入れた俺は、室内を見回した。
……やっぱりいないな。
父上の姿が見えない。
部屋にはザイン殿がいて、その周囲では武官や文官たちが仕事をしている。
見慣れた光景ではある。
だが、どうにも違和感があるんだよなぁ。
俺は何気ない顔で部屋の中を見渡した。
……少ない。
上級武官や上級文官の姿が随分と減っている。
もちろん、俺だって全員の顔と役職を完璧に覚えているわけじゃない。
だが、父上の周囲で働いていた者たちについては、それなりに見覚えがある。
その顔が、いくつも見当たらないのだ。
しかも、父上自身までいない。
これは、何かあったな。
俺は少しだけ眉を動かした。
先ほど廊下で感じた落ち着きも、こうして部屋へ入ってみると、ますます気になってくる。
もしかして、戦争が終わりかけているのか?
いや、まだそうと決まったわけじゃない。
単純に上層部がどこかへ移動しただけという可能性もある。
だが、何のために?
……うーん。
分からんな。
まったく、無線があれば敵後方にいたって、こういうことはすぐに分かるんだが。
父上がどこへ移動したのか、前線がどうなっているのか、それだけでも知らせてもらえれば、こちらも随分と動きやすい。
それができないんだから、不便なものだ。
まぁ、今更愚痴を言っても仕方ないか。
俺は考えるのをやめ、ザイン殿へ向き直った。
「ザイン殿、戻りました」
「おお、ギルバート殿。お疲れ様でしたな」
ザイン殿は俺の姿を見ると、笑顔を浮かべて迎えてくれた。
その声も、いつもと大して変わらない。
どうやら、俺たちが無事に戻ってきたことを喜んでくれているらしい。
まぁ、随分と好き勝手に動き回ってきたからなぁ。
敵の後方へ入り込み、畑を焼いたり街を焼いたり、あちこちで騒ぎを起こしてきた。
途中でグレゴリオなんて大男まで拾ってしまったし、我ながらなかなか妙な遠征だったと思う。
とはいえ、こちらの目的はそれなりに果たしたつもりだ。
戦局にどれほど影響したのかは分からないが、少なくとも王国にとって迷惑なことを散々してきたのは間違いない。
俺としては十分働いたと思っている。
できれば、そろそろゆっくりしたいところなんだがなぁ。
しかし、今はそんなことより気になることがある。
俺はザイン殿の顔を見ながら、少し考えた。
こうして笑顔で迎えてくれているんだから、少なくとも俺たちの帰還に関して問題が起きているわけではなさそうだ。
だが、父上はどこへ行った?
それに、上級武官や上級文官たちの姿も見えない。
……やっぱり聞いておくか。
「さっそくなのですが、父上は? シルディア城には居られないのですか?」
俺が尋ねると、ザイン殿は特に驚く様子もなく頷いた。
「ええ、ガルシア殿は今回のいくさを終結させる為に、マバール城に向かわれました」
……ほう。
やっぱりマバール城だったか。
ああ、そうか。
最初からマバール城へ向かえば良かったかな。
いや、そんなことを言っても仕方ない。
出発した時点では、父上がどちらにいるのか分からなかったんだから。
それにしても、気になる言い方をしたな。
今回のいくさを終結させるため?
つまり、何か具体的な動きがあったということか。
俺はザイン殿の顔を見直した。
「つまり?」
短く尋ねると、ザイン殿は軽く頷いた。
「王国側の抵抗は少なく、戦線も崩壊しております。すでに我らの勝利と言ってもいいでしょう」
……ほう。
なるほど、そういうことか。
俺は思わず部屋の中へ視線を巡らせた。
先ほどから感じていた落ち着いた雰囲気。
父上の不在。
上級武官や上級文官たちの姿が減っていること。
少なくとも、そのうちの幾つかは今の話と関係しているのかもしれないな。
王国側の戦線が崩壊しているというなら、前線司令部の仕事だって以前とは変わってくるだろう。
何しろ、敵が積極的に攻めてくる状況と、敵の戦線が崩壊した状況とでは、考えるべきことが違う。
もちろん、戦線が崩壊したからといって、もう何もしなくていいわけじゃない。
抵抗を続ける軍だって残っているかもしれないし、王国の貴族たちが全員諦めたとも限らない。
ただ、ザイン殿がここまで言うからには、相当に有利な状況になっているのだろう。
俺たちが帰る途中、王国軍の姿をほとんど見かけなかったのも、そのせいかもしれない。
そういえば、グレゴリオも言っていたな。
王国側は、進むべきか留まるべきか戻るべきか、ちぐはぐになっているように感じる、と。
あの時は、指揮系統が混乱しているんじゃないかと思ったものだが、実際には戦線そのものが崩壊していたわけか。
いや、もちろん、どちらか一方だけとは限らない。
指揮系統が混乱したから戦線が崩壊したのか、それとも戦線が崩壊したから各軍の動きがばらばらになったのか。
あるいは、その両方かもしれない。
まぁ、どちらでもいいか。
少なくとも、こちらにとって悪い話じゃない。
俺たちが後方で荒らし回っていたことも、少しくらいは役に立ったんだろうか。
そうだとすれば、苦労した甲斐もあるというものだ。
ただ、ここで一つ引っかかることがある。
ザイン殿は、父上が戦争を終結させるためにマバール城へ向かったと言った。
だが、王国側の戦線が崩壊し、既に勝利と言ってもいい状況なら、わざわざマバール城へ戻って何をするんだ?
もちろん、戦争というのは敵の軍を倒せばそれで終わりというわけではない。
それくらいは俺にも分かる。
だが、敵国の国王は既にこちらの手中にある。
王国軍も崩壊しているという。
それなら、残っているのは……。
……ああ。
そういうことか?
俺はザイン殿へ視線を戻した。
「ならば」
そこまで言うと、ザイン殿は俺の顔を見て頷いた。
「はい、ガルシア殿はこのいくさに我らが勝利したと決定づける為に、善良王を処刑される事を決断されました」
……なるほどな。
俺はザイン殿の言葉を聞きながら、ゆっくりと頷いた。
善良王の処刑。
そうか。
父上は、そこまで決断したのか。
ようやく、マバール城へ戻った理由が分かった気がした。
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