第三百五十九話 貴族殺しのグレゴリオ
川沿いを進みながら、俺は何度目かになるため息をついた。
川幅はそれほど広くない。向こう岸もはっきり見えるし、場所によっては馬でも渡れそうな気がする。だが、流れが速い。水面には細かな波が絶えず走り、ところどころ白く泡立っていた。
無理をすれば渡れるかもしれんが、失敗して馬を傷付けるのも馬鹿らしい。
特に俺たちが使っている軍馬は、きちんと鍛えられた貴重な馬だ。そこらで簡単に替えが手に入るものでもないし、こんなところで無駄にしたくない。
というわけで、橋を探して川沿いを進んでいる。
もっとも、川が曲がるたびに道まで曲がるので、思ったほど先へ進めない。眺める景色も似たようなものばかりで、少々退屈になってきた。
そんなことを考えながら馬を進めていると、念の為、ぼんやり展開していた感知魔法に反応があった。
ん?
まだかなり距離があるが、そこそこ大きな魔力反応だ。
俺は少し意識を向け、その強さを確かめた。
貴族か?
いや、弱い貴族のようでもあるし、強い騎士のようでもある。なんとも微妙なところだな。魔力反応だけでは、どちらとも判断しかねる。
それよりも気になるのは、反応が一つしかないことだ。
貴族にしても騎士にしても、普通はある程度の集団で動くだろう。ましてこんな場所を、たった一人で移動しているというのは少々珍しい。
傭兵かな?
そう考えると、案外しっくりくる。
魔力を持っていても傭兵になる者はいる。仕えていた家が滅んだり、主人と折り合いが悪くなったり、理由はいろいろだ。貴族の子でも、相続の見込みが薄い平民腹の者などは、家を出ることがあるらしい。
そういう連中なら、腕一本で食っていこうと考えてもおかしくないだろう。
まあ、まだ傭兵と決まったわけじゃないんだが。
「どうしやした?」
隣からセバスチャンが声をかけてきた。
俺が急に黙ったので、不思議に思ったのだろう。
「かなり先に魔力反応がある。そこそこの強さだが一人だ」
「傭兵ですかね?」
おお、セバスチャンも同じことを考えたか。
「その可能性はあるな。だが、俺たちの敵か味方かが分からんかもな」
傭兵なら、王国側につくとも帝国側につくとも限らない。まだどちらにも雇われていないならいいが、すでに王国側に雇われている奴だったら、少々面倒なことになるかもしれん。
「まぁ、会って聞くしかありませんな」
「それもそうか」
俺は頷き、後ろの騎士たちへ声をかけた。
「魔力持ちがいる、気をつけろ。それなりの魔力反応がある」
騎士たちの視線が周囲へ散り、馬の間隔が少し変わった。
相手が一人だからといって、油断する理由はない。いきなり攻撃してくる可能性だってあるからな。
俺は感知魔法を展開したまま進んだ。
しばらくすると、相手の反応が一度止まった。
おや?
こちらが近づいている間、それまで移動していた反応が動かなくなったのだ。少しすると再び進み始めたが、今度はさっきまでよりもゆっくりしている。
どうやら、こちらに気づいたらしい。
もっとも、本当に俺たちを警戒しているのか、単に歩く速度を変えただけなのかは分からん。だが、この距離まで近づいているのだから、相手も何かしら気づいていて不思議じゃないだろう。
やがて、対岸の森の中から川沿いの道へ、一人の男が姿を現した。
ふむ。
なかなか立派な体格だな。
それほど背が高いわけではない。だが、身体に妙な重量感がある。肩から腕にかけての厚みが凄まじく、鎧の上からでも筋肉がみっちり詰まっているように見えた。
全体的にずんぐりしているというより、身体の中身がぎっしり詰まっている感じだ。
そして何より目立つのが頭と顎だった。
頭には髪の毛が一本も見当たらない。見事なまでの禿頭だ。その反対に顎には濃い髭が生えており、なんとも特徴的な顔をしている。
男はこちらをじっと見た。
俺も対岸からその姿を眺める。
しばらく視線が合っていたように思うが、男は何も言わず、そのまま川沿いを歩き始めた。
なんだ、行っちゃうのか。
俺は馬を進めながら、ちらりと男の装備を観察した。
身につけている鎧はかなり色褪せている。遠目にも新しいものではなさそうだが、妙に身体に馴染んで見える。長く着込んでいるのだろう。
そして、手には長く太い棒を持っていた。
あれは鉄の棒か?
木にしては重そうに見えるが、距離があるので材質までは分からない。それにしても、あんなものを武器にしているとは、なかなか変わった男だ。
何となく、歴戦の傭兵という感じがするな。
いや、だからまだ傭兵かどうか分からんのだが。
男は俺たちを気にする様子もなく歩き続けた。こちらも川を挟んで同じ方向へ進む。相手は徒歩で、俺たちは馬だから当然こちらの方が速い。
しばらく進むと、前方に橋が見えてきた。
おお、やっと見つかった。
橋は特別大きくも小さくもない、普通の橋だった。馬で渡るには十分そうだし、わざわざ別の場所を探す必要もなさそうだ。
ただ、対岸にはさっきの男がいる。
さて、どうするかな?
このまま渡るか、それとも他の橋を探すか。
別にあの男と争うつもりはない。だが、こちらも相手を見ているし、向こうも俺たちを見ている。
ここでわざわざ別の橋を探しに行くのも、なんだか逃げたみたいで嫌だな。
うん、渡るか。
俺たちは男より先に橋へたどり着き、そのまま渡り始めた。
馬の蹄が橋を叩く音に、下を流れる水音が重なる。橋の上から見ると、思った以上に流れが速い。やっぱり馬を川へ入れなくて正解だったな。
対岸では、例の男が少し離れたところに立ち止まり、こちらをじっと見ていた。
うーん。
ここまで来て、無視して通り過ぎるのもわざとらしいよな。
俺は馬上から声をかけた。
「馬上より失礼する。名を拝見してもいいか?」
正直、名前を聞いても分からんだろうが、一応な。
男はこちらを見たまま、しばらく黙っていた。
むっつりと口を閉じ、何か考えているようにも見える。俺も返事を急かさず待っていると、やがて低い声が返ってきた。
「グレゴリオと申す。よしなに」
そう言って、軽く頭を下げる。
グレゴリオか。
うん、知らんな。
どこかで聞いた名前というわけでもない。やっぱり名前を聞いただけでは分からなかったな、などと考えていると、後ろからセバスチャンの声が聞こえた。
「ほう、お前さんが貴族殺しのグレゴリオか」
ん?
貴族殺し?
なんか物騒な名前が出てきたぞ。
俺がセバスチャンの方を見ると、こちらの疑問を察したのか、すぐに教えてくれた。
「ああ、仕えてた貴族が村娘に乱暴しようとしたんで、そのまま殺しちまった騎士ですよ」
「ほう」
なるほど、貴族殺しか。
仕えていた貴族を殺してしまったとは、なかなか大したものだな。
だが、少し考えてみる。
貴族を殺せるほどこいつの腕が凄いのか、それとも自分の騎士に殺されてしまった貴族が情けないのか。
なんとも微妙なところだ。
まあ、いいか。
「貴族を殺すとは大した腕だな」
とりあえず褒めておこう。
「いえ」
グレゴリオはそれだけ答えた。
……うん?
終わりか?
もっと何か言うかと思ったが、男は再び口を閉じている。
なんとも無口な奴だな。
「傭兵としていくさに参加するのか?」
「はっ」
またそれだけか。
どうやら、傭兵として戦争に参加するつもりなのは間違いなさそうだ。だが、せっかく話しかけたのだから、もう少し喋ってくれてもいいんじゃないか?
ここまで無口だと、なんだかかえって面白くなってきた。
「どちらにつく? 王国か? 帝国か?」
興味が湧いたので聞いてみる。
グレゴリオはこちらをじっと見た。
「さて」
……さて、か。
それで終わりらしい。
俺は思わず笑いそうになった。
魔力を持っているのだから、俺が貴族だということくらいは気づいているだろう。それなのに、この態度だ。別に無礼なことを言っているわけじゃないが、ずいぶん堂々としている。
ますます面白い。
それにしても、まだどちらにつくか決めていないのか?
こんなところを一人で歩いているくらいだから、特定の軍に所属しているようにも見えない。もちろん、見た目だけでは分からんが。
俺は少し考え、ふと思いついた。
「なぁ、まだ決めてないなら、俺に雇われんか?」
その瞬間だった。
グレゴリオの目が見開かれた。
おお、驚いた。
この男、ちゃんと表情が変わるんだな。
さっきまであれほどむっつりしていたのに、今はまじまじと俺の顔を見つめている。
「どうだ? お前は面白そうだ。俺に雇われんか?」
もう一度誘ってみる。
これだけの体格で、しかも貴族を殺したという経歴まで持っている。少なくとも弱い騎士ではないだろう。何より、今のやり取りが妙に気に入った。
強くて面白い奴なら大歓迎だ。
だが、グレゴリオはすぐには頷かなかった。
「しかし、ワシは貴族殺しですぞ」
おお、けっこう喋ったな。
なるほど、自分の経歴が気になるのか。
確かに、仕えていた貴族を殺した騎士を雇いたがる貴族は、それほど多くないかもしれない。
だが、俺にしてみれば別に問題じゃない。
「それも面白いじゃないか。貴族を殺せる騎士なぞ、そうはおらんからな」
俺がそう答えても、グレゴリオはまだこちらを見つめている。
なんだろうな?
そこまで気になるものなのか?
「どうした? 俺が殺したいか?」
「いえ」
即答だった。
なんだ、違うのか。
「俺はお前を雇いたい。お前は俺を殺したくない。何の問題も無いな」
簡単な話だろうに。
少なくとも、今の時点でこいつが俺を殺したいと思っていないことは確認できた。それなら雇っても構わんだろう。
もちろん、裏切る可能性なんぞ考え始めたらきりがない。そんなことを言ったら、誰も雇えなくなるからな。
「は、はぁ……」
グレゴリオは何やら戸惑っているようだった。
おや?
まだ何か問題があるのか?
俺は少し首を傾げた。
貴族殺しの経歴は気にしないと言ったし、本人も俺を殺したくはないと言っている。なら、何が引っかかっているんだろう。
ああ、そうか。
雇用条件ってやつか。
「それなりに金なら払うぞ。詳しくはセバス、このクソじじいに聞いてくれ」
俺が隣を示すと、グレゴリオはセバスチャンへ顔を向け、軽く頭を下げた。
セバスチャンは苦笑している。
「若様、いくら何でも大雑把すぎますぜ」
「だから細かいところはお前が決めろ。俺は面倒は嫌いだ」
報酬がいくらで、どういう扱いにして、どこで何をさせるのか。そういうことはセバスチャンに任せればいい。
こいつなら、俺があれこれ考えるより上手くやってくれるだろう。
うん、これで決まりだな。
そう思ったのだが、グレゴリオはまだ頷かない。
なんだ?
金でもないとなると、いよいよ分からんな。
「どうした? 俺を殺してみるか?」
そう尋ねてみると、グレゴリオは少しだけ顎を上げた。
「殺したくはありませんが、戦いたくはあります。弱い貴族に雇われるのはウンザリですからな」
ほう。
なるほど、そういうことか。
俺が納得しかけたところで、背後から大きな笑い声が響いた。
「ぶははははっ!」
セバスチャンだ。
こいつ、腹を抱えそうな勢いで笑ってやがる。
他の騎士たちもざわめいていた。こちらを見ている者もいれば、グレゴリオを見つめている者もいる。
まあ、いきなり貴族に向かって、弱い奴には仕えたくないから戦わせろと言っているようなものだからな。
そりゃ驚くだろう。
だが、俺としては実に分かりやすい。
強い奴に仕えたい。
つまり、俺の実力を確かめたいということだ。
「なるほど、ではやるか?」
そう答えてから、周囲を見回した。
さて、どこでやるかな。
川沿いの道はそれほど広くないし、騎士たちも馬に乗っている。あまり余計な場所まで使いたくない。
そう思っていると、さっき渡ってきた橋が目に入った。
おお、ちょうどいいじゃないか。
「ふむ、そこの橋でやるか? ちょうどいいだろ」
橋なら幅が限られている。互いに正面からやり合うには、なかなか都合がよさそうだ。
俺は馬から降り、鉈槍を手にした。
グレゴリオは黙って俺の動きを見ている。
俺は橋の方へ歩きながら、ふと思い出して声をかけた。
「ああ、攻撃魔法は使わん。安心しろ」
攻撃魔法なんぞ使えば、一瞬で終わってしまう。
それに、こいつが確かめたい強さというのは、そういうものじゃないだろう。
たぶん。
グレゴリオは少しの間こちらを見ていたが、やがて背負っていた荷物を下ろした。
納得したのか、それとも諦めたのか。
その表情からはよく分からん。
だが、長い棒を手にして橋へ歩いてくる姿を見る限り、勝負を受けるつもりなのは間違いなさそうだった。
俺も橋の上へ進む。
下では川の水が勢いよく流れていた。流れる水音に混じって、騎士たちの声が遠く聞こえる。
グレゴリオは橋の上で立ち止まり、俺へ向き直った。
近くで見ると、本当に凄い身体だな。
肩も腕も太く、色褪せた鎧の隙間から覗く身体には、無駄な肉がほとんどないように見える。長く太い棒を握る手も大きく、指の一本一本まで分厚い。
あの棒で殴られたら、普通の人間ならひとたまりもないだろう。
「それでは」
グレゴリオが軽く頭を下げた。
俺も鉈槍を握り直す。
次の瞬間、グレゴリオの身体が一気に迫ってきた。
おおっ!
速いな!
あの体格からは想像しにくいほど鋭い踏み込みだった。足が橋を蹴ったかと思うと、もう眼前まで迫っている。
肉体強化魔法を使っているな。
だが、それだけじゃない。元々の身体が相当に鍛えられているのだろう。太い脚から生み出された勢いが、そのまま上半身へ伝わっているように見える。
長い棒が頭上へ振り上げられた。
俺は鉈槍を構え直し、振り下ろされる棒を受け止める。
ガンッ!
硬い音が橋の上に響いた。
「おっと!」
思わず声が漏れる。
重い!
俺も肉体強化魔法を使っているというのに、ほんの少し押された。
足元へ力を込め、鉈槍を握る手に力を入れ直す。受け止めた棒がさらに押し込まれてくるが、こちらもそのまま受け続けた。
凄いな、こいつ。
これほどの力で押してくる騎士など、そうそういるものじゃない。
「凄まじいな。気に入った」
俺がそう言っても、グレゴリオは返事をしなかった。
いや、返事をする余裕がないのかもしれん。
太い腕に力が入り、鉈槍へかかる重さが増していく。目の前でグレゴリオの顎髭が揺れ、歯を食いしばる様子が見えた。
なるほど。
これはいいな。
肉体強化魔法を使っている俺を押すなんて、なかなかできることじゃない。
だが、いつまでも押されっぱなしというのもつまらん。
俺は受け止めていた鉈槍へ、少しずつ力を込めた。
ぐっ、と棒が持ち上がる。
グレゴリオの腕がわずかに上がった。
もう少し力を込める。
今度は、こちらの鉈槍が棒を押し返し始めた。
グレゴリオの目が見開かれる。
おお、驚いているな。
まあ、無理もない。
俺の方がずっと小柄だからな。
腕の太さなんぞ比べるまでもない。グレゴリオの腕は俺の倍、いや、下手をしたら三倍くらい太いんじゃないか?
そんな相手を、小柄な俺が正面から押し返している。
そりゃ驚くだろう。
もっとも、肉体強化魔法は元々の肉体を強化する魔法だ。どれほど強化したところで、基礎となる肉体が弱ければ、そこには限界がある。
幸いというか、残念ながらというか。
俺はセバスチャンに、ずいぶん鍛えられたからな。
あのクソじじい、俺がどれほど嫌がっても容赦しなかったからなぁ。
おかげで今では、こういう力比べにも自信がある。
グレゴリオはさらに力を込めてきた。
顔が赤くなり、太い首に筋が浮き上がっている。踏ん張る足が橋を強く踏み、棒を握った腕が小刻みに震えていた。
それでも、俺の鉈槍は止まらない。
少しずつ、また少しずつ。
とうとう、押しているのがグレゴリオではなく俺の方になった。
相手の棒を鉈槍で押し上げながら、俺はグレゴリオの顔を眺めた。
うん、実にいい顔をしている。
さっきまでむっつりと黙っていた男が、今は必死になっている。これだけの力を持っているのに、それでもなお俺を押し切ろうとするのだから、なかなか根性があるじゃないか。
俺はさらに力を込めた。
グレゴリオの腕が押し戻される。
しばらくは互いに力を込めたままだったが、やがて棒から伝わる抵抗がわずかに弱まった。
おや?
グレゴリオの顔を見ると、さっきまでのように無理に押し返そうとはしていない。
力を抜き始めたのか。
俺も押し込む力を少し緩めた。
すると、グレゴリオはゆっくりと棒を下げ、完全に抵抗をやめた。
「参りました」
低い声だった。
先ほどまでの激しい力比べが嘘のように、あっさりした返事だ。
俺は鉈槍を下ろし、グレゴリオを見上げた。
うん、なかなか面白かった。
何より、こいつは強い。
少なくとも、俺が肉体強化魔法を使っている状態であれだけ押し込んできたのだから、実力は十分だろう。
「よし、ならお前は俺の部下だ。いいな」
「はっ」
グレゴリオは短く答え、頷いた。
おお、今度は素直だな。
どうやら、これで本当に決まりらしい。
俺は満足して笑い、鉈槍を持ち直した。
橋の向こうではセバスチャンたちがこちらを見ている。さて、後の細かな話はあのクソじじいに任せればいいだろう。
それにしても、なんか最近運がいいな。
前回はベルを拾い、今回はグレゴリオを拾った。
どちらもなかなか面白い奴だ。
こうして考えると、戦争の最中だというのに、思いがけない拾い物が続いているじゃないか。
うん、実にいいことだ。
願わくば、今度は美女を拾いたいもんだな。
本日はここまでとなります。
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