第三百五十五話 凡将の思いつき
畑の向こうに立ち上る煙を眺めながら、俺は馬の歩みを少し緩めた。
風が吹くたびに黒い煙が横へ流れ、焼けた麦の匂いが街道まで届いてくる。まだ刈り入れには早かったはずだが、あの畑から収穫できるものは、もう大した量ではないだろう。
もったいない話だ。
そう思わないわけでもない。だが、だからといって手を緩める気もなかった。王国の後方へ入り込んでから、俺たちは農村や食糧庫を見つけては襲撃を繰り返している。麦を焼き、蓄えてあった食料を使えなくし、抵抗する騎士がいれば排除する。逃げるだけの平民まで追いかけている暇はないし、そもそもそいつらを追い回したところで、前線の兵士が腹を空かせるわけでもない。
狙っているのは食料だ。
もちろん、それだけではない。王国が戦争を続けるために必要なものを、少しでも多く失わせる。それが今の俺たちの仕事である。
……仕事、ねぇ。
馬の背で揺られながら、我ながらずいぶん物騒な仕事をしているものだと思う。ただ、俺たちが相手にしているのは敵国だ。王国が兵を集め、食料を送り、戦いを続けるつもりなら、その食料が届かないようにする。至極単純な話である。
もっとも、こちらの都合ばかりが通るわけではないらしい。
街道から少し離れた道の先に、騎士らしい人影が見えた。数人が馬を止め、こちらの方角を警戒している。俺たちはまだ十分離れていたし、間には畑もある。すぐに戦闘になる距離ではないが、わざわざ近づく理由もなかった。
俺は手綱を引き、進む向きを変える。
後ろの騎士たちも、それを見て自然に続いた。以前なら、この辺りで騎士を見かけることなど、そう多くはなかったのだがなぁ。
最近は、どこへ行ってもこんな調子だ。
小さな村の近くにも騎士がいる。食料を蓄えていそうな場所を見つけても、少し離れたところから魔力を探れば、複数の反応が返ってくることが増えていた。もっとも、反応だけで相手が何をしているのかまで分かるわけではないから、目で確かめなければならない場合も多いのだが。
それでも、以前と比べて厄介になったことだけは間違いない。
俺たちが荒らし回っているという噂が、そろそろ広まっているのかもしれない。いや、これだけあちこち燃やしておいて、まだ知られていないと思う方がおかしいか。
何しろ煙は遠くからでも見えるのだ。焼けた畑を見れば誰かが何かをしたことくらい分かるし、逃げた者の口だって塞いでいない。どこの誰がやったのかまではともかく、何か妙な連中が暴れているという話くらいは伝わっているだろう。
そうなると、困るのはこちらである。
敵に備えられた場所へ、こちらからわざわざ突っ込むつもりはない。俺たちの強みは、王国の後方を好きなように移動し、守りの薄い場所を選んで襲えるところにある。敵が待ち構える場所で正面から戦えば、勝てたとしても時間を食うし、余計な損害が出るかもしれない。
そういうのは面倒だ。
「さて、どうするかな?」
考えていたことが、つい口から出た。
隣を進んでいたセバスチャンがこちらを見る。俺は視線を前へ戻したまま、馬の首筋を軽く撫でた。
「このまま農村を狙い続けてもいいが、少々やりにくくなってきたな」
「そうですな。こっちがやったことを考えりゃ、騎士を増やすのも当然でしょうぜ」
「まあ、そうなんだが……」
どこを狙うべきか。
別に畑を焼くことが目的ではない。王国の継戦能力を削ぐことが目的なのだから、狙うものを変えたところで問題はないはずだ。俺が食料にこだわっているのは、何だかんだ言って、それが一番分かりやすいからでもある。
貴族だろうと騎士だろうと、人間である以上は腹が減る。
どれほど偉そうなことを言っていても、食わずに戦い続けることはできない。前線に並ぶ兵士たちだって同じだ。食料が不足すれば、どれだけ戦いたくても思うようには動けなくなるだろう。
何より、食料は食べてしまえばなくなる。
武具なら手入れをしながら使えるし、壊れていなければ明日も使える。だが、今日食べたパンを明日もう一度食べることはできない。そんな当たり前のことを考えていると、ベルと数字の話をしていたときのことが頭をよぎった。
あの子には、一万個のパンをどう運ぶか、なんて話もしたっけなぁ。
あのときは楽しく遊んでいただけなのに、今はその手の面倒を王国側に押しつけようとしているのだから、何とも妙な話である。
もっとも、俺が考え込んだからといって、都合よく敵の食料が消えてくれるわけではない。
「この先にシルジェ要塞ってのがありますが、流石にこの数じゃちょいと厳しいですな」
俺が黙っていると、セバスチャンがそんなことを言った。
「ふむ、要塞か。どんな要塞だ?」
「けっこう歴史ある頑丈な要塞ですぜ。おそらく、この分じゃ前線へ送る食糧を貯めとるんでしょうな」
「ほう……」
頑丈な要塞。
あまり嬉しくない言葉である。
食料が貯め込まれているなら狙う価値はありそうだが、頑丈な要塞に籠もっている相手を攻めるとなると話は別だ。俺の魔力が多いからといって、何でもかんでも力任せに片づければいいというものではない。要塞ひとつのために騎士たちを危険にさらす必要があるのか、という問題もある。
そもそも、食料があるというのもセバスチャンの推測だ。苦労して攻め込んだ挙げ句、思ったほどの食料がなかった、なんてことになったら笑えない。
「なら、要塞そのものじゃなく、食糧を運び込む輸送隊や、前線へ送る輜重隊を狙うか?」
言ってみてから、俺は口を曲げた。
「いや、いつどこを通るのか分からん奴らを、ずっと待っているのもなぁ……」
うーん。
道を通る荷車を片っ端から止めれば、そのうち当たりを引くかもしれない。しかし、そんなことをしている間にも、別の場所へ食料は運ばれていく。おまけに、待ち構えている俺たちの方が見つかってしまっては意味がない。
相手の輸送隊を都合よく見つけられるなら、とっくにそうしているのである。
俺は道の先を眺め、それから、ふと別のことを思いついた。
「……敵貴族を狙うか?」
ぽつりと口に出し、考える。
領内のあちこちに騎士の姿が増えている。ならば、その騎士たちは一体どこからやって来たのだろう。
まさか、畑に水をまいたら、にょきにょき騎士が生えてきたわけでもあるまい。そんな便利な育て方があるなら、ぜひとも教えてほしいくらいだ。
まぁ、そんな便利な方法などある訳ないが。
ともかく、騎士は最初からそこにいたわけではないはずだ。どこか別の場所から送り出されたと考えるべきだろう。
例えば、貴族の城や屋敷だ。
そこにいた騎士を村や街へ配置しているなら、元いた場所の人数は減っていることになる。では、守備に百人の騎士がいた城から、五十人を外へ出したらどうなる?
残るのは五十人。
単純な人数の話なら、守る騎士は半分だ。防御力だって半分と言えるんじゃないだろうか。少なくとも、百人で守っていたときより攻めやすくなっている気がする。
貴族の城を攻め落とし、そこにいる貴族を倒せば、領地は混乱するだろう。まして相手が領主本人なら、混乱はもっと大きくなるはずだ。
王国の後方を荒らすという目的から考えても、悪くない。
農村の食料をひとつひとつ潰すより、ずっと大きな損害を与えられるかもしれないしな。
……ん?
ひょっとして、これ、なかなかいい思いつきなんじゃないか?
俺がそんなことを考えながら、頭の中であれこれ計算していると、隣から声が飛んできた。
「いけやせんぜ」
「ん?」
顔を向けると、セバスチャンはいつもの調子で馬を進めている。だが、こちらを見る目は妙に真面目だった。
「何がだ?」
「敵貴族を狙うって話です」
「いや、だからこそだろう。騎士が各地に増えている以上、城や屋敷の防御は薄まってるんじゃないのか?」
さっきから考えていたことを、今度はきちんと言葉にしてみる。
「例えば百人で守っていた城が五十人になってるなら、随分攻めやすいはずだ。いわば難易度の下がった攻略拠点だろ? 狙った方がいいんじゃないか?」
うむ。我ながら筋は通っていると思う。
だが、セバスチャンは頷かなかった。
「若様、敵もバカじゃありません。自分の守りを弱めはしませんよ」
「……そうなのか?」
思っていたのと違う返事が来て、俺は少し首を傾げた。
だって、実際に騎士の数は増えているじゃないか。村や街に配置されている連中は、いったいどこから湧いてきたというのだ。
俺がそう尋ねると、セバスチャンは小さく頷いた。
「村や街に送っとるのは、練度の低い騎士でしょう。見習いや年寄りなんかですな。そんな連中を外へ出したところで、貴族本人の周りにいる腕の立つ騎士まで減らす必要はありやせん」
「ふむ……」
「それに、さして重要じゃない砦なんかは放棄して、防御に回すんです。外に出す騎士が必要なら、そういう所から集めりゃいい。何も自分の身を守る騎士から削ることはないでしょうが」
なるほど。
言われてみれば、その通りかもしれない。
俺は勝手に、どこの騎士も同じように分散されているものだと考えていた。しかし、騎士を増やす必要があるからといって、城を守る騎士まで律儀に減らす必要はないわけだ。
まして貴族だ。
自分の命が危なくなるような配置を、わざわざ選ぶだろうか。俺だったら嫌だぞ。農村を守るためだから城の護衛を半分にします、などと言われたら、まず理由を聞くに決まっている。
いや、それ以前に止めるな。
「うーん、説得力あるなぁ」
思わず唸ると、セバスチャンが口の端をわずかに持ち上げた。
くそ、こいつ、俺が納得するのを最初から分かっていたんじゃないだろうな。
もっとも、経験では向こうの方がはるかに上だ。こういうときは変に張り合うより、ちゃんと話を聞いた方がいい。そもそも、今のところ相手の城を覗いて、実際に何人の騎士が残っているのか確かめたわけでもないのだから。
俺の百人が五十人という話だって、ただの仮定である。
それに気づくと、ついさっきまで少々名案に思えていたものが、急に頼りなく感じられた。
セバスチャンは前方へ目をやり、それから何でもないことのように言った。
「むしろ怯えた敵さんは防御を固めとるんじゃないですかね」
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