第三百五十四話 すべては気のせい
屋敷の中に入っても、五人の騎士の魔力反応は消えていなかった。
……何をやっているんだ、あいつら。
セバスチャンたちも同じ場所にいる。感知魔法で確認する限り、別々の場所で戦っているわけではなさそうだ。
普通なら、もう片づいていてもおかしくないんだが。
まぁ、相手が五人もいるんだから、多少時間がかかることもあるかもしれん。
いや、セバスチャンたちだぞ?
それも、あいつ一人じゃない。オルドたちも一緒にいるんだからな。
何か事情があるんだろうか。
俺は屋敷の中を進みながら、少し首を傾げた。
外から見た印象と同じで、内部もなかなか落ち着いた造りをしている。壁や床はきちんと手入れされているようだし、少なくとも荒れ果てた屋敷という感じではない。
うん、悪くない。
やはり、こういうところなら数学の本くらいありそうなものだ。
そう思うと、少し気分も良くなってくる。
さっきの二人は忘れた。
俺は何も見ていないし、何も聞いていない。あんな連中に出会ったという記憶は、もう俺の中には存在していないのだ。
そうだとも。
気を取り直して、ベルへの土産を探そうじゃないか。
ところが、セバスチャンたちのいる方へ近づくにつれ、何だか妙な声が聞こえてきた。
「……我々は真実の愛の守護者であり体現者だ。殺したくば殺せ」
…………。
俺は足を止めた。
今、何と言った?
真実の愛?
守護者?
体現者?
……何だろう。
なんか行きたくなくなってきた。
いやいや、待て待て。
落ち着け、俺。
ひょっとすると聞き間違いかもしれないじゃないか。
ああ、そうだ。きっとそうに違いない。さっき妙な連中に会ったせいで、俺の耳がおかしくなっているんだろう。
うん。
そういうことにしておこう。
……でもなぁ。
何だか、嫌な予感がするんだよなぁ。
俺はしばらく立ち止まり、感知魔法で屋敷の中を確認した。
敵の騎士は五人。
最初に確認した時から変わっていない。
……ん?
ちょっと待て。
五人だぞ?
さっき聞こえたのは男の声だった。
それで真実の愛の守護者であり体現者だとか、何とか言っていたわけだが……。
ううむ。
五人というのは、何だか数が合わないんじゃないか?
いや、何の数が合わないのかと聞かれると困るんだが。
とにかく、五人だ。
俺はその場で少し考え込んだ。
……あっ。
そうだ!
俺は何を馬鹿なことを考えているんだ。
感知魔法で分かるのは魔力反応じゃないか。
男か女かなんて、分からないだろうが!
そうだ、そうだ。
女騎士がいるんだ。
きっとそうに違いない。
それなら何の問題もないじゃないか。
なぁんだ、俺は何を心配していたんだろうな。
まったく、さっきの妙な出来事のせいで、余計なことまで考えてしまった。
俺は気を取り直して歩き始めた。
だが、数歩進んだところで、また少し気になった。
……いや、本当に問題ないよな?
五人という人数は、別におかしくない。
そうとも。
俺だってエレオノーラを加えれば五人だぞ。
俺、レティシア、ダリア、リエリエール、エレオノーラ。
ほら、五人じゃないか。
何の問題もない。
むしろ、ちょうどいい人数ではないか。
……いや、ちょうどいいかどうかは知らんけど。
とにかく、五人という数だけで妙な想像をする必要なんてないんだ。
女騎士がいれば、それで全て解決する。
そうだ。
女騎士だ。
きっといる。
いてくれ。
頼むからいてくれ!
俺は一縷の望みを胸に、セバスチャンたちのいる場所へ向かった。
考えてみれば、俺がこんなに気を遣う必要なんてないんだよな。
相手は王国の騎士だ。
俺たちは帝国の騎士。
本来なら、見つけたら戦って殺すだけの話だ。
それなのに、どうして俺は敵と顔を合わせるのに、こんなにも覚悟を決めなくてはならないんだろう。
……まぁ、いい。
行こう。
俺は意を決し、勇猛果敢に踏み込んだ。
そして、そこにいた連中を見た。
…………。
ああ。
そうか。
うん。
なるほど。
五人の騎士がいるな。
感知魔法で確認していた通りだ。
それから……。
平民の男も一人いるな。
ああ、なるほど。
そういうことか。
魔力を持たない平民は感知魔法に引っかからないんだから、俺が気づかなかったのも当然だ。
五人の男性騎士に、平民の男が一人。
うん。
数は合うな。
…………。
もう嫌だ。
何だろうな、これ。
俺は何を見せられているんだろう。
いや、見ていないぞ。
俺は何も見ていない。
視界の端に何やら妙な連中がいるような気もするが、きっと気のせいだ。
そうに違いない。
俺はできるだけそちらを見ないようにして、セバスチャンへ顔を向けた。
そこには、何とも言えない表情をしたセバスチャンが立っていた。
……おい。
何だ、その顔は。
お前、普段ならもう少し楽しそうに戦っているだろうが。
いや、楽しそうというのも変かもしれんが、少なくとも、そんなにウンザリしたような顔をする奴じゃないだろう。
俺は思わず口を開いた。
「何で、殺してないんだよ」
珍しく、少し叱責するような声になった。
だって、そうだろう。
相手は敵の騎士だぞ。
屋敷へ突入してから、それなりに時間も経っている。それなのに五人とも生きているんだから、何をやっていたのかと思うじゃないか。
すると、セバスチャンが俺を見た。
「若様も二人逃しとるでしょうが」
…………。
チッ。
感知魔法で把握したか。
屋敷の外にいた二人は、どちらも魔力を持つ貴族だ。逃げ出した時に感知魔法を使っていれば、セバスチャンにも分かるのは当然だ。
まったく、余計なところまで見ている奴だな。
いや、別に悪いことじゃないんだが。
それにしても、わざわざ言わなくてもいいだろうが。
俺は少しだけ顔を背けた。
「……あれはもう忘れた。存在してない。気のせいなんだろ」
そうだ。
あんな二人はいなかった。
俺は何も見ていないし、何も聞いていない。
従って、逃がした貴族など存在しない。
実に簡単な話ではないか。
ところが、セバスチャンは俺の言葉を聞くと、さらにウンザリしたような声を出した。
「ならこっちもそうなんじゃねえですかね」
…………。
なるほど。
確かに。
……うん。
気持ちは分かるぞ。
いや、よく分かる。
というか、これほどセバスチャンの気持ちが分かったことも、そうそうないんじゃないか?
俺は改めてセバスチャンの顔を眺めた。
何とも疲れたような表情をしている。
こいつが戦闘で疲れるとは考えにくいし、今のやり取りからしても、どうやら俺と似たような気分になっているらしい。
……だよなぁ。
うん。
そりゃ、そうなるよな。
俺はそっと視線を動かした。
オルドたちもいる。
他の騎士たちも、何とも言えない顔をしていた。
誰も嬉しそうではないし、少なくとも俺の目には、ひどくウンザリしているように見える。
……そうだよなぁ。
お前らも嫌だよなぁ。
分かるぞ。
俺だって嫌だ。
何しろ、俺は屋敷の外で既に嫌な思いをしているんだからな。
まさか屋敷の中にまで、あんな連中がいるとは思わなかった。
いや、待て。
あんな連中とは何だ。
そもそも、そんな連中は存在していないではないか。
俺は何も見ていないんだからな。
……よし。
決めた。
「よし! ここに俺たちは来なかった。俺たちは何も見てないし、聞いてない。これは全て気のせいだ!」
俺ははっきりと宣言した。
うん、これでいい。
何しろ、部下の健康管理は上司の仕事だからな。
健康管理というのは、単に身体の怪我や疲労を気にしていればいいというものではない。
精神状態だって大切だ。
毎日毎日戦っているんだぞ。
そのうえ、こんな訳の分からないものを見せられて、精神的に疲れ果ててしまったらどうする。
そんなことにならないよう、気を配るのが指揮官としての責任だろう。
つまり、俺の判断は正しい。
何もおかしくない。
……うん。
そういうことにしておこう。
視界の端では、何やら奇妙な存在たちがぽかんとしているようだった。
だが、俺には関係ない。
そもそも、存在していないんだからな。
存在していないものがどんな顔をしていようと、俺には分からん。
分かる必要もない。
「行くぞ」
俺はセバスチャンたちへ声をかけた。
ここに長居する理由なんてない。
一刻も早く立ち去ろう。
できることなら、今すぐにでもこの屋敷から離れたいくらいだ。
ところが、セバスチャンが俺を呼び止めた。
「いいんですかい? なんか探しとったんでしょ?」
…………ああ。
そうだったな。
ベルへの土産。
数学書だ。
そういえば、そんなことを考えて、この屋敷へ入ったんだった。
俺は一瞬だけ周囲へ目を向けかけた。
確かに、外から見た時から上品な感じのする屋敷だった。中も手入れが行き届いているようだし、ひょっとすると本当に貴重な数学書があるかもしれない。
ベルが喜びそうな本。
あの娘がまだ見たこともないような数字や図形の載った本があれば、きっと目を輝かせるだろうな。
そう考えると、少し惜しい気もする。
……だが。
俺は眉をひそめた。
嫌だ。
絶対に嫌だ。
どんなに貴重な数学書があろうと、ここで見つけたものをベルに触れさせる気にはならん。
穢らわしい。
いや、本に何か問題があると分かったわけじゃないぞ。
だが、俺が嫌なんだ。
こんなところから持ち帰った本を、あの小さな手に渡すところなんて想像したくもない。
ベルには腹一杯食べて、数字を楽しんで、笑っていてほしい。
そのための土産が、俺にとってこんな嫌な思い出のある屋敷から出てきたものだなんて、まっぴらごめんだ。
数学書なら、ほかを探せばいい。
わざわざここで見つける必要なんてないだろう。
「いいんだ。ここには何も存在しない。俺たちはここに来てない。見てない。聞いてない」
俺はそう言いながら、セバスチャンの顔を見た。
あいつは一瞬黙ったあと、何も言わずにこちらを見返してきた。
よし。
俺はそのままオルドたちへ視線を移す。
騎士たちの顔を一人ずつ見渡し、最後にはっきりと告げた。
「いいな!」
「はい!」
返事が揃った。
全員が頷いている。
うん、いい返事だ。
普段からこれくらい素直なら、俺も楽なんだがな。
……いや、普段も別に反抗的というわけじゃないか。
とにかく、これで決まった。
俺たちは何も見ていない。
何も聞いていない。
何もなかったんだ。
それなら、もうここにいる必要はないだろう。
俺は踵を返し、屋敷の出口へ向かった。
背後で何か声が聞こえたような気もするが、気にしない。
存在しないものの声なんて、聞こえるはずがないからな。
セバスチャンたちも続いてくる。
誰も余計なことを言わない。
足音だけが屋敷の中に響き、やがて俺たちは崩れた壁のところまで戻ってきた。
外の空気を吸った瞬間、少しだけ肩の力が抜けた。
ああ、やれやれ。
何だったんだろうな、今のは。
いや、だから何もなかったんだって。
俺は馬のところまで歩き、その背に跨った。
他の騎士たちも次々に馬へ乗る。
セバスチャンがこちらを見たので、俺は前方へ顎を向けた。
「行くぞ」
「へい」
馬が動き始める。
俺たちはそのまま屋敷を離れ、速度を上げた。
誰も後ろを見ない。
もちろん、俺も振り返らない。
当たり前だ。
何も存在しないんだからな。
存在しないものを、わざわざ振り返って確認する必要なんてないだろう。
風が頬を叩く。
馬の蹄が地面を蹴り、屋敷はどんどん遠ざかっていった。
うん。
これでいい。
さぁ、仕事に戻ろう。
俺たちは帝国騎士だ。
王国の後方を荒らし、食料を失わせ、砦を破壊する。
それが今の俺たちの役目だ。
何だか妙に力が入っているような気もするが、きっと気のせいだろう。
その後も俺たちは王国領内を駆け回り、畑を焼き払い、食糧庫を破壊し、見つけた砦を崩していった。
攻撃魔法が放たれるたびに、土煙と炎が上がる。
セバスチャンたちも、いつもより少しばかり勢いよく動いているように見えた。
……いや、別におかしくはないぞ。
俺たちはもともと、こういう仕事をするために来たんだからな。
そうだ。
何もなかった。
俺たちは何も見ていないし、何も聞いていない。
全ては気のせいだ。
そこからの襲撃が少し手荒になったのは、たぶん気のせいだろう。
本日の投稿は、5時、12時、20時の予定です。




