第三百五十三話 真実の愛より数学書
「あの屋敷を襲うぞ」
俺がそう言うと、隣を進んでいたセバスチャンが屋敷へ目を向けた。
「貴族は?」
「二人だな。それに騎士が五人だ」
感知魔法で確かめた反応を思い返しながら答える。
それほど大勢がいるわけじゃない。貴族らしい魔力反応が二つ、それとは別に騎士と思われる反応が五つある。数だけなら、俺たちが苦労するような相手ではないだろう。
もっとも、どんな奴らがいるかまでは分からんがな。
俺は馬を進めながら、改めて屋敷を眺めた。
何だろう。こう、いい感じなんだよなぁ。
壁の向こうに見える建物は、やたらと大きいわけでもなければ、飾り立てられているわけでもない。外壁もきちんと手入れされているようで、全体的に落ち着いた雰囲気がある。
上品というか、知的というか。
うまく言えないが、少なくとも下品な感じはしない。
こういう屋敷に住んでいる貴族なら、書物の一冊や二冊くらい持っていそうなものだ。もちろん、数学の本があるかどうかは分からないが、探してみる価値くらいはあるだろう。
ベルへの土産だしな。
せっかくなら、あの娘が喜びそうなものを見つけてやりたい。
ただ、そのためには屋敷の中へ入らなければならないわけだが。
俺は目の前の壁を見た。
……薄いな。
いや、普通の屋敷ならこんなものなのかもしれん。何しろ、ここは砦じゃない。周囲を囲む壁もそこまで高くないし、分厚くもなさそうだ。
少なくとも、俺たちを防ぐには頼りない。
まぁ、これだけの壁があれば、普通の賊が簡単に入ってくることはないんだろう。
残念ながら、俺たちは普通の賊じゃないんだがな。
「それ」
馬上から軽く攻撃魔法を放つ。
直後、壁の一角が大きな音を立てて崩れた。
石の破片が飛び散り、巻き上がった土煙が風に流されていく。崩れた部分から屋敷の敷地が見えるようになり、壁の向こうにあった建物の姿もはっきりした。
うん、これなら入れるな。
騎士たちが崩れた壁へ向かって動き始めるのを見て、俺は慌てて声をかけた。
「おい、まだ焼くなよ」
危ない危ない。
いつもの調子で屋敷ごと焼かれたら困る。
俺は別に、この屋敷を見逃そうと思っているわけじゃないぞ。王国貴族の屋敷なんだから、壊すこと自体に何の問題もない。
だが、その前に探したいものがある。
数学の本があったとしても、燃えてしまったら意味がないからな。
騎士たちの動きが一度止まり、俺は崩れた壁の向こうへ視線を向けた。
すると、屋敷の方で動く人影が見えた。
おっ、出てきたな。
二人だ。
建物から現れた二人は、こちらを見て足を止めた。俺が壊した壁と、その向こうにいる騎士たちを見比べているようだったが、すぐに互いの身体を庇い合うように身を寄せた。
そして、それぞれが防御魔法を展開する。
ふむ。
どちらも若いな。
少年と呼ぶには少し大きいが、青年と言うにはまだ早いような気もする。まぁ、年齢なんて見ただけでは分からんし、どちらでもいいか。
ただ、二人とも男性貴族なのは分かる。
その二人が、まるで相手を守るように身体を寄せ合っている。
……何だろうな?
ここに避難していたのか?
それとも、もともとこの屋敷に住んでいるのか?
どちらにしても、どうして二人で出てきたんだろう。
騎士たちは何をしている?
感知魔法で確認すると、五人の反応はまだ屋敷の中にあった。
どういうことなんだ?
普通なら、まず騎士が出てくるんじゃないか。貴族は屋敷の中に留まって、騎士たちに相手をさせるものだと思うんだが。
……いや、そうでもないか。
俺だって結構先頭に立つしな。
貴族の方が魔力は強いんだから、そちらが先に出てきてもおかしくはない。
ひょっとすると、俺の魔力を感じて、自分たちで相手をするつもりになったのかもしれん。
そう考えると、別に変な話でもないな。
まぁ、どうでもいいか。
「屋敷の中に騎士たちがいる。任せるぞ」
「へい」
セバスチャンが短く答え、他の騎士たちとともに崩れた壁の向こうへ入っていく。
俺はその背中を見送ってから、改めて二人の貴族へ目を向けた。
こちらを警戒しているのは間違いない。
防御魔法も展開しているし、互いを庇うような姿勢も崩していない。だが、今のところ攻撃してくる様子はなかった。
……ううむ。
何だか妙な連中だな。
まさか、こちらから近づいてきてくれるのを待っているんだろうか。
まぁ、それならそれで構わん。
俺は馬から降り、二人へ向かって歩き始めた。
どうせ大した距離じゃない。
向こうが攻撃してくれば対応すればいいし、逃げるなら追いかければいい。どちらにしても、さっさと片づけて屋敷の中を調べたい。
せっかく良さそうな屋敷を見つけたんだからな。
ベルに渡せる本があるといいんだが。
そんなことを考えながら、すたすたと近づいていく。
二人までの距離が縮まったところで、片方が何やら決意したように顔を上げた。
「ぼ、ぼくたちは別れたりしないぞ!」
…………は?
思わず足が止まった。
何だ、今の?
別れたりしない?
誰が?
誰と?
俺は二人を見比べた。
何を言われたのか、ちょっと理解できない。
いや、待てよ。
そうか。
俺は重大な思い違いをしていたのかもしれん。
二人とも男性に見えるが、ひょっとすると一人は貴族女性なのか?
そうだ。
きっとそうに違いない。
俺が男だと思い込んでいただけで、よく見れば女性なのかもしれないじゃないか。
うん、そうだな。
そういうこともあるだろう。
いや、そうであってほしい。
頼む、そうだと言ってくれ。
ところが、俺の願いを知ってか知らずか、もう一人が胸を張って叫んだ。
「ボクたちの愛は本物なんだ!」
………………キモッ!
ああ、そうか。
そういうことか。
なるほどなぁ。
……いや、なるほどじゃないだろ。
何なんだ、こいつらは。
俺は何とも言えない気分になり、二人の顔を交互に見た。
向こうは真剣そのものだ。
防御魔法を展開したまま、互いを守るように身体を寄せ合っている。
ううむ。
見なかったことにしたい。
いや、まだ何も始まっていないんだから、今なら引き返せるんじゃないか?
そんな考えまで浮かんできた。
実は、こういう話を聞いたことがないわけじゃない。
男性貴族の中には、女性を嫌う男性もいるらしい。
何しろ、貴族同士では子ができにくい。
家を存続させるためには子を成さなければならないし、早いうちから女性をあてがわれることもある。だが、なかなか子ができず、周囲から責められ続けた結果、女性そのものが苦手になる者もいるそうだ。
女性恐怖症、とでも言うんだろうか。
俺にはさっぱり理解できん。
子を成すのは貴族にとって最大の義務の一つだぞ。
それ以前に、どうして女が嫌いになるんだ?
あんなに素晴らしいものを。
美しいし、柔らかいし、一緒にいて楽しいし、何より可愛らしい。
俺なんて、もっと女が欲しいくらいなんだが。
いや、まぁ、人それぞれと言われればそれまでなのかもしれん。
だがなぁ。
だからといって男に走るというのも、俺には分からん。
そもそも、穴として考えれば大して変わらんのじゃないか?
……いや、知らんけど。
知りたくもないけど。
尻だけに。
…………。
何を考えているんだ、俺は。
自分で考えておいて何だが、猛烈に嫌な気分になってきた。
いかん。
さっさと話を終わらせよう。
俺がここへ来たのは、別にこいつらの恋愛事情を聞くためじゃない。ベルへの土産になりそうな数学書を探すためだ。
そのついでに、屋敷を襲撃しているだけなんだよな。
……ん?
よく考えれば、こいつらは何か勘違いしていないか?
俺が二人を引き離そうとしているとでも思っているのか?
いやいや、そんな面倒なことをするつもりはないぞ。
それなら、ちゃんと教えてやった方がいいな。
「いや、なんというか、俺はお前たちを別れさせに来たんじゃない。どちらかというと殺しに来たんだがな」
一応、親切心から教えてやる。
すると、二人の顔色が変わった。
「なっ、そこまでぼくたちの愛を認めたくないのか!」
「ボクたちの愛は何の損得もない純粋な愛だ!」
……おい。
人の話を聞いていたか?
俺は別れさせに来たんじゃないと言っただろうが。
というか、殺しに来たとまで教えてやったんだぞ。普通なら、もう少し別の反応があるんじゃないか?
それなのに、こいつらときたら愛だの何だのと。
しかも、損得のない純粋な愛ねぇ。
俺は二人の様子を眺めながら、さっき思い出した貴族の話をもう一度考えた。
もちろん、この二人がそうなのかは分からん。
女が嫌いなのかもしれんし、そうではないのかもしれん。
だが、あれだけ必死に純粋だと言い張られると、何だか逆に引っかかるんだよな。
少なくとも、俺には理解できない。
「いや、知らんが、お前らのは愛じゃなく逃げだろうが」
「なっ!」
「そんな残酷なことをよく言えるな!」
……ええ?
そんなに残酷なことを言ったか、俺?
別に、こいつらの事情を知っているわけじゃないぞ。
ただ、何となくそう思ったから口にしただけなんだが。
それにしても、随分と強く反応するな。
ひょっとして、何か思い当たることでもあるのか?
まぁ、だからといって本当にそうだとは限らんか。
俺が勝手にそう思っているだけかもしれんし。
……うん。
どうでもいいな。
何だろう。
急に何もかも面倒になってきた。
俺は数学書を探したいだけなんだが、どうしてこんな話になっているんだろう。
まったく理解できん。
しかも、こいつらは俺が何を言っても、結局は愛の話に戻ってしまうような気がする。
もう、これ以上会話したくないぞ。
二人は相変わらず互いを庇うように立っている。
防御魔法も解いていない。
ただ、その視線は俺から離れず、何か言いたそうに口元を動かしていた。
……いや、もういいから。
何も言わなくていいぞ。
俺はゆっくりと息を吐き、二人へ向けて殺気を放った。
「まぁ、いいや。死にたくなければ退け。退かなきゃ殺す」
今度こそ、こちらの意思が伝わるようにはっきり告げる。
さっきまでとは違う。
俺は本気だ。
実際、退かないなら殺すつもりだった。敵の貴族をわざわざ生かしておく必要なんてないし、俺たちは戦争をしているんだからな。
だが、できることなら黙って退いてくれ。
面倒だから。
すると、二人の身体が目に見えて強張った。
それでも、まだ何か言おうとしている。
……おいおい。
勘弁してくれ。
「お前らが真実の愛でも単なる現実逃避でもどっちでもいい。とにかく邪魔だ!」
思わず声が大きくなった。
もう愛でも何でも好きにしてくれ。
俺はお前らの事情なんて知りたくないし、別に知る必要もない。
とにかく、そこを退け。
そう思いながら殺気をさらに強めると、二人はびくりと肩を震わせた。
互いの顔を見合わせたかと思うと、次の瞬間には揃って背を向けた。
そして、そのまま一目散に逃げ出した。
……おお。
速いな。
肉体強化魔法を使っているんだろう。
さっきまで互いを庇い合いながら立っていた二人が、今度は並んで物凄い勢いで遠ざかっていく。
逃げ足はなかなかのものじゃないか。
というか、後ろ姿を見せるな。
何だか気持ち悪い。
もう見たくないぞ。
二人は一度も振り返らず、どんどん遠ざかっていった。
俺はその姿を眺めながら、首を傾げた。
……ううむ。
どうしようかなぁ。
殺そうかな?
今なら追いつくのは難しくないだろう。
逃げていったとはいえ、あいつらは王国の貴族だ。俺たちの敵なんだから、ここで殺してしまっても何の問題もない。
それに、いつもの俺ならそうしていただろう。
だがなぁ。
何というか。
あんまり関わり合いになりたくないんだよなぁ。
追いかければ、また何か言い出すんじゃないか?
真実の愛だの、純粋な愛だの、俺には理解できない話を聞かされるんじゃないか?
そう考えただけで、追いかける気が失せてしまった。
そもそも、俺がここへ来た理由は数学書だ。
あんな連中を追いかけている場合じゃない。
……うん。
そうだな。
「まっ、いっか。気持ち悪いし、なかったことにしよう」
俺は小さく頷いた。
そうだ。
何もなかった。
俺は二人の妙な貴族なんて見ていないし、真実の愛だの何だのという話も聞いていない。
全部、気のせいだ。
うん、それがいい。
何だか少し気が楽になったぞ。
俺は二人が逃げていった方角から顔を背け、屋敷へ向き直った。
崩した壁の向こうでは、先ほどと変わらず屋敷が建っている。
そうだ、そうだ。
本来の目的を忘れるところだった。
ベルへの土産だ。
数学の本が見つかれば、あの娘も喜ぶだろう。せっかくここまで来たんだから、何か良さそうなものを探していこう。
それにしても、妙な屋敷だったな。
いや、妙だったのは屋敷じゃなくて住人か。
……だから、もう忘れろって。
俺は自分に言い聞かせながら、崩れた壁の間を通った。
靴の下で細かな石が音を立てる。
さっきの攻撃で崩れた破片がまだ散らばっていたが、歩くのに困るほどではない。屋敷の外観も思ったより傷んでいないし、これなら中の本まで壊れていることはないだろう。
さて、セバスチャンたちはどうしているかな。
感知魔法を展開すると、屋敷の中にはまだ五人の騎士の反応があった。
もちろん、セバスチャンたちの反応もある。
……ん?
あいつら、何をしているんだ?
まだ、殺してないのか?
俺は少し首を傾げた。
まぁ、行ってみれば分かるか。
そんなことを考えながら、屋敷の中へ足を踏み入れた。
本日はここまでとなります。
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