第三百四十四話 天才少女と最初の仕事
「七十七なら、どうでい?」
後ろから聞こえてきた声に、俺は思わず振り返った。
セバスチャンだ。
こいつ、さっきから黙って聞いていると思ったら、いきなり妙な数字を出してきやがった。
七十七頭の馬の蹄か。
百四十八頭より数は小さいが、なかなか嫌らしいところを突いてくる。百とか五十とか、簡単な数字だけでは答えが出ないように考えたんだろう。
性格の悪いくそじじいめ。
もっとも、俺も気になっていたところだ。ベルが百四十八頭の問題を解けたのは、実に見事だった。だが、あれがたまたまだったのか、それとも数字が変わっても同じように計算できるのかは、まだ分からない。
俺はベルへ視線を戻した。
「だそうだ。ベル、七十七頭ならどうだ?」
「ななじゅうなな……」
ベルは小さく繰り返すと、また俯いてしまった。
さっきより少し考え込んでいるように見える。口元が動き、時々眉が寄る。何かを確かめているのか、わずかに顔を上げては、また視線を落としていた。
周囲の騎士たちも、今度は誰も余計な口を挟まない。
火の中で薪が弾け、乾いた音がした。風が吹くたびに火の先端が揺れ、ベルの頬にも赤い光が当たる。
それにしても、七十七か。
俺なら七十七に四を掛けて三百八、と終わる話なんだが、ベルはそういう計算を習っているわけではなさそうだ。
さっきの百四十八頭の問題では、百五十頭から二頭を引いていた。
では、今回はどうする?
八十頭から三頭を引けば簡単そうだが、そんな方法を思いつくんだろうか。それとも、別のやり方をするのか。
俺がそんなことを考えている間も、ベルは一生懸命に考え続けていた。
うーむ。
ちょっと難しすぎたか?
いや、出したのは俺じゃないけどな。
横目でセバスチャンを見ると、奴もベルを見ていた。いつもの余裕のある顔だが、今は口を挟むつもりがないらしい。
まあ、答えられなくても構わん。
あの百四十八頭を正確に計算しただけでも、十分すぎるほど驚かされたんだ。これ以上を求めるのは、少々欲張りというものだろう。
そう思い始めたところで、ベルが顔を上げた。
「えっと、えっと……えっとねー……三百八、かな?」
お?
三百八?
俺はすぐに頭の中で計算した。
七十七に四を掛けて、三百八。
うん、正解だ。
……おいおい、また正解しやがった!
「正解だぞ、ベル」
「ほんと?」
「ああ、間違いない」
ベルが小さく息を吐いた。
その隣で、セバスチャンがわずかに目を見開いていた。
おや?
これは珍しいものを見たな。
普段のセバスチャンなら、大抵のことは平然と受け流す。戦場でどれだけ面倒なことが起きても、まずは状況を見て、必要なことを考える奴だ。
そんな男が、今は子供の答えを聞いて驚いている。
いや、驚くよなぁ。
俺だって驚いている。
百四十八頭に続いて七十七頭まで正解したんだから、偶然で片づけるのはさすがに無理がある。
だが、どうやって?
「今回はどうやって数えたんだ?」
俺が聞くと、ベルはまた少し困った顔になった。
答えは出せても、説明するのは苦手らしい。さっきもそうだったが、頭の中にあるものを言葉にするのに苦労しているように見える。
「うん、えっと……だから、五十なら、えっと、二百なの」
「そうだな」
五十頭なら蹄は二百。
それは先ほども言っていた。
そこを基準にするのか。
俺は黙って頷いた。
「うん、えっと、だから……十頭が四十で、えっと、それが二つだから、八十なの」
「うむ、これで二百八十だな」
百頭で四百、五十頭で二百。十頭で四十だから、二組なら八十。
合わせれば七十頭で二百八十。
なるほど、なるほど。
ここまでは分かった。
問題は残りの七頭だ。
俺はベルの顔を見つめた。
七という数字を、どう扱うんだ?
「うん、それで、えっとー……五頭だと十頭の半分だから、えっと、二十なの」
「おお」
「それに、あと二頭だから……えっと、八なの」
俺は一瞬、言葉を失った。
五十頭で二百。
十頭が二組で八十。
五頭で二十。
最後の二頭で八。
合わせて三百八。
完璧じゃないか。
しかも、こいつ、別に七十七を四倍しているわけじゃないんだよな。
自分が分かる数字に分けて、それぞれの蹄の数を出し、最後に全部足している。
百四十八頭のときは、百五十頭を利用して二頭分を引いた。今度は五十頭を基準にして、十頭、五頭、二頭と分けて足した。
なるほどなぁ。
……いや、なるほど、じゃないだろう。
なんだ、こいつ。
すごすぎないか?
俺はもう一度、ベルの顔を眺めた。
本人は自分が何か特別なことをしたという顔ではない。ただ、俺の反応を気にしているらしく、少し不安そうにこちらを見上げている。
いやいや、心配するな。
正解どころか、大正解だ。
それにしても、九九なんて覚えていないだろうに、よくこれだけ計算できるものだ。
十頭で四十、五頭ならその半分。そういう数の関係が、何となく分かるらしい。
それだけでもすごいのに、そこから自分で考えて答えを組み立てている。
しかも、さっきも今も、答えを出すまでより、その計算方法を説明している時間の方が長かった。
どういうことなんだろう?
俺なら頭の中で計算したことを、そのまま順番に話すだけだ。だがベルは、答えを出した後に、どうやって考えたのかを一つずつ思い返しているように見える。
もしかして、直感的に数字を理解しているんじゃないだろうか?
いや、分からん。
分からんが、これは相当なものだぞ。
前世でも、こんな子供がいたらかなり驚かれるんじゃないか。少なくとも、俺が子供の頃に出会っていたら、間違いなく天才だと思っただろう。
それが、この世界の小さな村にいたんだからな。
しかも、まともな教育を受けていたようにも見えない。
うーん。
本物の天才なのかもしれない。
「いろいろやらせてすまなかったな。疲れただろう?」
そう聞くと、ベルは首を横に振った。
「ううん、えっと……面白かった、です」
「面白かった?」
「うん」
ベルはこくりと頷いた。
おいおい。
あれだけ難しい問題を出されて、面白かったとはな。
俺が子供の頃なら、面倒な問題ばかり出してくる大人なんて嫌いになっていたかもしれんぞ。
少なくとも、喜んで次の問題を待つような子供ではなかった気がする。
なんともすごい奴を拾ってしまった。
俺は思わず笑い、後ろにいるセバスチャンへ顔を向けた。
「どうだ、恐れ入ったか?」
そう言ってやると、セバスチャンは少し口元を緩めた。
「恐れ入りやした」
苦笑している。
だが、その目はまだベルへ向いていた。
ふふん。
どうやら本気で驚いたらしいな。
まあ、無理もない。こいつが七十七なんて問題を出したのも、ベルが本当に計算できるのか確かめたかったからだろう。
それで正解されたんだから、驚くのも当然だ。
俺だって、ここまでとは思わなかった。
そのとき、少し近くにいたクレインが、俺へ声をかけてきた。
「商人にもたまにいるそうです。単に答えだけが出る者が」
「ほう?」
クレインの方を見る。
そういえば、こいつには商人に嫁いだ姉がいたな。
以前、その姉と旦那にも会った事がある。数字や物資の扱いに詳しいのも、そうした縁が多少は関係しているのかもしれない。
商人の中には、数字に慣れ親しんでいるうちに、いちいち考えなくても答えが出るようになる者がいるんだろう。
それは分かる。
毎日のように品物の数や値段を扱っていれば、自然と計算が早くなることもあるはずだ。
だが、ベルはちょっと違う気がする。
こいつは商人じゃないし、そもそもそんなに数字を扱う暮らしをしていたとも思えない。
もちろん、まだ何も聞いていないから断定はできん。
だが、今の計算方法を見る限り、ただ数字に慣れているだけではなさそうだ。
自分で考え、工夫している。
それも、かなり自然に。
これはもう、天然だな。
本物の天才なのだろう。
いやあ、いいものを拾った。
「ベル、よくやった。偉いぞ」
俺がそう言うと、ベルは目を丸くした。
「今日は腹いっぱい飯を食え」
「えっ?」
何を言われたのか分からない、という顔をしている。
だが、俺としては結構真面目だ。
脳はかなりカロリー消費の激しい器官だったはずだ。前世でそんな話を聞いた覚えがある。
考え事をしただけでどれほど余計に消費するのかは知らんが、少なくとも子供に腹を空かせたまま頭を使わせるのは良くない気がする。
それに、こいつの村は裕福そうではなかった。
普段、どれだけ食べていたのかは知らないが、あの暮らしぶりでは十分な量を食べられない日もあったんじゃないだろうか。
せっかくこれほどの才能を持っているのに、飯が足りずに育たなかったら、あまりにももったいない。
まずはしっかり食わせる。
難しいことはそれからだ。
「えっ、あっ、ありがとうございます、ギルバートさま」
ベルが慌てて頭を下げた。
その様子を見て、俺はふと思いついた。
そうだ。
こいつ、うちで働くためについてきたんだったな。
なら、最初の仕事を与えてやろう。
「ベル、おまえにまず一つ仕事を与える」
「は、はいっ!」
さっきまで少し緩んでいたベルの表情が、途端に引き締まった。
背筋を伸ばし、俺を見上げる。
おやおや。
随分と緊張しているじゃないか。
そんなに難しいことをさせるつもりはないぞ。
「いつでもどこでも、食事の時は必ず腹いっぱいまで食え」
「……え?」
「誰かが文句を言ってきたら、ギルバートさまのご命令です、と答えろ」
ベルが瞬きをした。
俺の顔を見上げたまま、しばらく黙っている。
ふむ。
仕事と言われて身構えたのに、腹いっぱい食えと言われたんだから、少々面食らったのかもしれない。
だが、これは立派な仕事だ。
こいつの知力は、下手をすれば魔力に匹敵するほど貴重な才能かもしれない。少なくとも、俺にはそれくらいの価値があるように思える。
そんなものを、食い物を惜しんで潰してしまうのは馬鹿馬鹿しい。
この先、ベルがどんな仕事をするのかはまだ決めていない。だが、どこで何をさせるにしても、まずはしっかり育ってもらわなければ困る。
飯を食うななどと誰かに言われたら、俺の名前を使えばいい。
俺が命じたのなら、ベルが遠慮する必要もないだろう。
「分かったか?」
「は、はい! ありがとうございます!」
今度はさっきよりずっと大きな声が返ってきた。
うむ、いい返事だ。
ベルはまだ少し驚いたような顔をしているが、少なくとも嫌がっているようには見えない。
これでよし。
あとは本陣へ戻ってから、こいつをどう育てるか考えればいいだろう。
計算が得意だからといって、いきなり難しい仕事を押しつけるつもりはない。まずは読み書きも含めて、どの程度できるのかを見ていけばいい。
それにしても、面白い子供だ。
村で声をかけられたときには、こんなことになるなんて考えてもいなかったぞ。
「随分優しいですな」
横からセバスチャンの声がした。
俺はそちらを向いた。
なんだ、その言い方は。
まるで俺が普段は優しくないみたいじゃないか。
「俺はいつも優しいぞ。なぁ、ベル」
そう言ってベルへ顔を向ける。
ベルは一瞬きょとんとしたが、すぐに大きく頷いた。
「はい! ギルバートさまは優しいです!」
ほら見ろ。
本人がそう言っているじゃないか。
俺はセバスチャンへ得意げに顔を向けた。
「ほらな」
本日はここまでです。
次の更新は、明日5時となります。




