第三百四十話 真っ直ぐ前を見る娘
「だって、真っ直ぐ前を見てるから」
娘は少しも迷わず、そう答えた。
……ん?
真っ直ぐ前?
俺は思わず首を傾げた。
何の話だろう。俺が聞いたのは、どうして武装した俺たちを怖がらないのか、ということなんだが。
どうやら娘は、ちゃんと質問に答えたつもりらしい。こちらが不思議そうな顔をしていると、今度は向こうが首を傾げてきた。
「真っ直ぐ前を見てるから怖くないのか?」
面白くなって聞き返してみると、娘は大きく頷いた。
「だって、あいつらは横とか見ながら歩くもん!」
「あいつら?」
「山賊!」
「ああ、なるほどな」
俺は思わず口元を緩めた。
そういうことか。
娘の話を聞く限り、山賊たちは村へやって来ると、あちこちを見ながら歩くらしい。何か奪えそうなものがないか探しているのか、それとも別の理由なのか、そこまでは分からん。
だが、娘にとってはそれが山賊の特徴なんだろう。
一方、俺たちは特に周囲を物色することもなく、真っ直ぐ道を進んできた。だから山賊とは違うと判断したわけだ。
ふーん。
面白いやつだな。
もちろん、そんな見分け方が正しいとは限らん。真っ直ぐ前を見て歩いている悪人だっているだろうし、そもそも俺たちだって、ついさっきまで敵地を荒らして回っていた悪党だ。
俺なんぞ、別の街では家を焼いている。
それなのに、この娘からすると、横を見ながら歩く村の若者たちの方が怖いらしい。
なんとも妙な話じゃないか。
だが、それ以上に興味深いのは、この娘が自分の目で見たものを使って判断しているということだ。
周りの村人たちは俺たちを見ただけで逃げていった。いや、それが普通なんだが、この娘は違う。自分なりに考えて、それから声をかけてきた。
結果として、その判断が正しかったかどうかは別としてな。
俺は娘をもう一度眺めた。
長い髪はところどころ絡まっているし、顔には泥がついていて、どんな顔立ちをしているのかもよく分からない。
着ているものだって立派とは言い難い。まぁ、こんな小さな村で暮らしているんだから、身なりにまで気を使う余裕はないのかもしれん。
おそらく、まともな教育も受けていないだろう。
少なくとも、俺が貴族の子として受けてきたような教育を、この娘が受けているとは思えない。
だが、話してみると頭の回転は悪くない。
質問すれば答えるし、説明もきちんと順序立っている。それに、自分なりの判断基準も持っている。
ふむ。
地頭がいい、というやつだろうか。
そう考えると、なんだか惜しい気がしてきた。
このまま村で暮らしていれば、畑仕事や家畜の世話をしながら一生を終えるのかもしれない。それが悪いというわけではないんだが、もう少し違うことをさせてみたらどうなるんだろう。
読み書きなんかを教えたら、案外すぐに覚えるんじゃないか?
いや、そこまでは分からんか。
それでも、試してみる価値はありそうだ。
俺は娘の顔を見ながら、ふと思いついたことを口にした。
「おい、お前、俺のところで働く気はあるか? 給金ははずむぞ」
「えっ、えっ?」
娘が目を丸くした。
さっきまであれほど堂々と喋っていたのに、今度は口を開けたまま固まっている。
まぁ、いきなりそんなことを言われたら驚くか。
隣にいた女までこちらを見ている。
いや、そんな顔をされてもなぁ。
別に変なことを言ったつもりはないんだが。
「どうする?」
「えっ、働くの?」
「そうだ。俺のところで働くんだ。ちゃんと給金も払うぞ」
娘は何度か瞬きをして、それから俺の顔をじっと見上げた。
なんだ、その顔は。
そんなに不思議なことか?
いや、まぁ、見知らぬ騎士の集団にいきなり仕事を持ちかけられることなんて、そうそうないだろうけどな。
それにしても、この娘は面白い。
なんだっけ。
えーっと……奇貨居くべし、だったか?
ちょっと違うような気もするが、まぁいい。
面白そうな人材を見つけたんだから、確保しておくに越したことはない。
マバール城で使用人として働かせてもいいし、生産拠点に連れていってもいい。あそこなら仕事なんぞいくらでもある。
別に最初から難しい仕事を任せる必要はない。
色々教えて、何ができるのか見てみればいいんだ。
もし思ったほどではなかったとしても、娘一人を雇う程度で困ることはないだろう。
むしろ、予想以上に伸びたら面白いじゃないか。
「それで、どうするんだ?」
もう一度聞いてみると、娘は少し困ったように眉を寄せた。
「えっ、でも、あんた誰?」
「…………」
今更かい。
思わずそんなことを考えたが、よく考えたら俺も名乗っていなかった。
そりゃそうだよな。
いきなり現れた武装集団の男に、俺のところで働かないかと言われたところで、どこの誰だか分からんのでは返事のしようもない。
いや、そもそも俺は貴族なんだから、向こうから聞かれる前に名乗る必要があるのかという話もあるんだが……。
まぁ、いいか。
敵地ではあるが、今更名乗ったところで大した問題にもならんだろう。
「ギルバート・マバール、帝国貴族だ」
とりあえず名乗っておく。
娘は俺の顔を見たまま、何度か瞬きをした。
その反応を見る限り、どうやら俺の名前を聞いても大して何も感じていないらしい。
まぁ、こんな山の中の村に住んでいる娘が、マバール家のことを知っているとも思えんか。
横を見ると、セバスチャンが苦笑していた。
なんだよ。
別におかしなことは言ってないだろうが。
さらに周囲を見回すと、騎士たちの多くまで似たような顔をしている。
どうやら、こいつらもこの娘を面白がっているらしい。
いや、単に俺の行動に呆れているだけかもしれんが。
そんなことを考えていると、娘が口を開いた。
「でも、山賊は?」
「ん?」
「山賊、退治してくれないの?」
ああ、そういうことか。
この娘にとっては、俺が何者なのかという話より、そちらの方が気になるらしい。
まぁ、仕方がない。
村の連中は一年近くも討伐隊を待っているんだからな。
だが、だからといって俺たちがその討伐隊というわけでもない。そもそも敵地なんだから、この村の領主に頼まれた覚えもなければ、義理もない。
とはいえ……。
娘は俺の返事を待っている。
俺は少し考え、それから軽く頷いた。
「ああ、それはついでだから退治してやる。それでどうする? 俺と来るか? ここより色々面白いものを見せてやるぞ」
言ってから、少し考えた。
……なんか、人攫いみたいだな。
見知らぬ村へやって来た貴族が、泥だらけの娘に仕事を持ちかけ、面白いものを見せてやるからついてこいと誘っている。
うん。
傍から見ると、かなり怪しい。
いや、くれぐれも言っておくが、別に女として興味があるわけでは断じてないぞ。
そもそも年齢すらよく分からん娘なんだ。
顔だって泥で汚れていて、まともに見えていない。
俺が興味を持ったのは、あくまでその頭の方だ。
この娘が何を覚えて、どんなふうに育っていくのか。それを見てみたいんだよな。
それだけの話だ。
そんな俺の考えなど知らない娘は、今度こそ真剣に悩み始めたらしい。
先ほどまでこちらを見上げていた目が下を向き、口を閉じたまま何か考えている。隣にいる女へ視線を向けたり、また俺を見たりと、なかなか答えが出ない様子だ。
俺は急かさずに待っていた。
まぁ、多少は悩むだろう。
今まで暮らしてきた村を離れて、見知らぬ土地へ行くことになるんだからな。
それに、俺がいくら給金を払うと言ったところで、この娘からすれば本当かどうかも分からんだろう。
それでも、このまま放っておくには少々惜しい。
そんなことを考えていると、娘がようやく顔を上げた。
「おばちゃんがいいって言ったら行く」
「おばちゃん?」
誰だ?
俺は娘の隣にいる女へ目を向けた。
さっきから娘を連れ戻そうとしていた女のことだろうか。
そう思って聞いてみると、どうやら娘の両親は既に亡くなっていて、今は伯母夫婦の世話になっているらしい。
なるほどな。
だから自分一人では決められない、と。
いや、なかなかしっかりしてるじゃないか。
俺がいくら金を払うと言っても、世話になっている相手の意向を無視して勝手についてくるような娘だったら、それはそれで問題だ。
少なくとも、今の返事は悪くない。
「なら、話し合ってこい。すぐにだ」
そう言うと、娘が頷きかけた。
だが、まだ話は終わっていない。
「ああ、だが、ダメという答えはダメだ。いいと言われるまで説得しろ」
「ええっ?」
「とりあえず俺たちは、その間にその山賊とやらを退治しとくから」
娘は目を大きく開いた。
おいおい、何を驚いているんだ。
俺はお前を雇いたいんだぞ。
せっかく面白そうな人材を見つけたんだから、簡単に諦めるつもりはない。
もちろん、無理矢理連れていくのは簡単だ。
こんな村の娘一人を連れていくことぐらい、俺たちにとっては何でもない。
だが、それでは俺が嫌われてしまう。
そんなことになったら面白くないじゃないか。
俺はこの娘が、これからどの程度育って、どんな人間になるのかを見てみたいんだ。
嫌々ついてきた娘が、いつまでも俺の顔を見て怯えたり恨んだりしていたら、そんな楽しみもなくなってしまうだろう。
それでは意味がない。
だから、ちゃんと自分で伯母夫婦を説得してもらいたい。
まぁ、ダメと言われても諦めるつもりはないんだが。
娘はもう一度俺を見上げ、それから何か考えるように口を引き結んだ。
ふむ。
さて、どうなるかな。
俺が興味深く眺めていると、娘は伯母の手を引いて家々の方へ向かった。
その背中を見送りながら、俺は小さく頷く。
よしよし。
あとは本人の頑張り次第だな。
もっとも、伯母夫婦がどんな連中なのかは知らんし、あんな娘を簡単に手放すとも限らない。
まぁ、そこは頑張ってもらおう。
何しろ、本人が「おばちゃんがいいって言ったら行く」と答えたんだからな。
それなら、その条件を満たしてもらえばいいだけだ。
「いいんですかい?」
隣から聞こえた声に振り向くと、セバスチャンが苦笑していた。
「何がだ?」
「いきなりあの娘を連れていこうって話ですぜ」
「ああ、そのことか」
俺はもう一度、娘が向かった方を見た。
既に建物の陰へ入ったらしく、姿は見えなくなっている。
ふむ。
「お前はあの娘、面白いと思わんか?」
そう尋ねると、セバスチャンは少し考えるように口元へ手をやった。
「まぁ、面白い娘ではありますがね」
「だろ?」
やっぱりそう思うよな。
長いこと騎士をやっているこいつなら、平民だって山ほど見てきただろう。そのセバスチャンが面白いと認めるんだから、俺の目もそれほど間違ってはいないはずだ。
いや、まぁ、こいつが俺に合わせている可能性もあるが、そんなことまで疑っていたらきりがない。
「別に構わないだろ。仕事ならいくらでもあるし、色々教えたら面白そうだ」
「そりゃ、仕事には困りやせんでしょうがね」
「だったら問題ないじゃないか」
俺は肩をすくめた。
そもそも、マバール城にも生産拠点にも、人手が必要な仕事なんぞいくらでもある。
最初から難しい仕事を任せるつもりはないし、できることから覚えさせればいい。
その上で、何か得意なことが見つかれば、それを伸ばしてやればいいんだ。
読み書きから教えることになるかもしれんが、それはそれで面白そうじゃないか。
まぁ、本人がどこまで覚えられるかは、実際にやってみないと分からんけどな。
「それに、あの娘一人が増えたところで大した負担にもならんだろ?」
「まぁ、娘一人ぐらい構いませんがね」
セバスチャンはようやく頷いた。
その顔には相変わらず苦笑が残っている。
なんだか、また俺が妙なことを始めたとでも思っていそうだな。
まぁ、実際に妙なことを始めているのかもしれんが。
敵地で砦を三つ落として本陣へ帰る途中、山の中の村で出会った娘をいきなり雇おうとしているんだからな。
我ながら、ずいぶん行き当たりばったりだ。
だが、こういうのは思いついたときにやっておかないと、後で面倒になる。
そのまま村を通り過ぎてしまえば、もう二度とこの娘に会うこともないかもしれない。
それは少々惜しいじゃないか。
まぁ、何の役にも立たないかもしれんが、それはそれで構わない。特に不都合は無いしな。
俺は馬の向きを山の方へ変えた。
「よし、それじゃ山賊退治だ。本物の恐ろしさを教えてやろう」
「へい」
セバスチャンが頷き、騎士たちへ声をかけた。
さて、山賊退治ねぇ。
少女の話が正しければ、相手はこの辺りの村から集まった若者たちだ。騎士でもなければ、まともに戦争をしている連中でもない。
食料や酒を奪うために村を回っているだけの連中らしいからな。
そんな相手に、俺たちがわざわざ全員で出向く必要があるとも思えない。
何人か連れていけば十分じゃないか?
そう思ったんだが……。
馬を進め始めると、セバスチャンだけでなく、ほかの騎士たちまで当たり前のようについてきた。
おいおい。
全員来るのか?
別に止める理由もないので、そのまま進むことにしたが、こんな連中を相手にするために全員で出向くというのも、何とも妙な話だ。
もっとも、村に残っていてもやることはないだろうしなぁ。
知らない村で、いつ戻ってくるか分からない俺たちを待っているのも退屈だろう。
だったら一緒に行った方がまだましか。
うん。
暇だよな、この村で待つの。
俺はそんなことを考えながら、山へ続く道に目を向けた。
村へ来たときとは違い、今度は俺たちの方から山の中へ入っていく。
せっかく本陣へ帰る途中だったのに、また寄り道をすることになってしまった。
まぁ、いい。
こんな山賊どもに手間取るとも思えん。
それに、戻ってくる頃には、あの娘も伯母夫婦を説得し終えているかもしれない。
さてさて。
山賊退治と娘の勧誘。
どっちが先に片づくかな。
俺は少しだけ愉快な気分になりながら、セバスチャンたちと山道を進んでいった。
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