第三百三十八話 大雑把な主君
翌朝、目を覚ましたときには、まだ夜が明けきっていなかった。
空は薄暗く、遠くの地平線がわずかに白み始めている程度だ。昨夜の焚き火はすっかり小さくなっていたが、騎士たちは既に動き始めている。
俺も身体を起こし、軽く手足を動かした。
うむ。
特に問題はないな。
昨夜はそれなりに早く寝たおかげか、身体も軽い。まぁ、そもそもそんなに疲れていたわけでもないんだが。
少し離れたところでは、馬が鼻を鳴らしていた。
朝の空気はひんやりとしていて、草には夜露が残っている。歩くたびに足元が湿るのは少々気持ち悪いが、文句を言っても仕方がない。
「若様、お目覚めですかい」
声をかけてきたのはセバスチャンだった。
「ああ。もう準備してるのか?」
「へい。いつでも出られやすぜ」
「そうか、なら出発するか」
俺がそう言うと、セバスチャンは頷いて騎士たちへ声をかけた。
まったく、なんとも勤勉なことだ。
まだ夜も明けきらないうちから起き出し、馬に乗って仕事へ向かう。
前世の俺だったら、こんな時間に出勤するなんて聞いただけで嫌になっていたんじゃないだろうか。
いや、実際には早朝から仕事をすることだってあったが、だからといって好きだったわけじゃない。
しかし、今は違う。
自分で起きる時間を決め、自分で行動を決め、部下たちを率いて仕事へ向かう。
しかも、誰からも文句を言われない。
いや、文句を言われないというのは少し違うか。
敵からは散々文句を言われている気がする。
なにしろ、俺たちの仕事ときたら、他人の街を襲撃することだからな。
あまり褒められたものじゃない。
それでも、勤勉であることだけは認めてもらいたいものだ。
……誰にだ?
まぁ、いいか。
俺たちは馬に跨り、まだ薄暗い街道を進み始めた。
蹄が踏み固められた地面を叩き、静かな朝に乾いた音が響く。馬の吐く息が白く見えるほどではないが、頬に当たる風は冷たかった。
しかし、よくもまぁ、これだけ襲撃を続けたものだ。
ジキタリヌ家、カリウス家、マグニア家。
王家の血統を受け継ぐ三家に対しては、かなりの被害を与えられたと思う。
街を焼き、砦を破壊し、騎士たちも散々殺してきた。
こちらが襲った場所の正確な被害状況までは分からないが、少なくとも無視できるような損害ではないだろう。
それなのに、まだ敵軍が全面的に撤退した様子はない。
まぁ、セバスチャンの見立てでは、少しずつ騎士たちを戻している可能性があるらしいが。
実際のところ、どうなんだろうな。
俺としては、さっさと軍を撤退させてくれた方がありがたいんだが。
もちろん、撤退したからといって、それで戦争が終わるとは限らない。
しかし、少なくとも父上たちが前線で戦っている相手は減るだろうし、こちらの襲撃にも意味があったことになる。
そう考えると、もう少し続けてみたい気もする。
だが、昨夜決めた通り、あと三つ砦を破壊したら一度本陣へ戻るつもりだ。
無理は禁物だからな。
さて。
問題は、どこの砦を襲うかだ。
これまでと同じように、ジキタリヌ家、カリウス家、マグニア家から選んでもいい。
あの三家には散々迷惑をかけているし、今さら遠慮する必要もないだろう。
しかし、どうせなら別の貴族家を襲ってみるのも面白いかもしれない。
これだけ三家を襲い続けているんだから、向こうもある程度は対策を考えているだろうしな。
まぁ、それで俺たちを止められるかどうかは別問題だが。
うーむ。
どうするかなぁ。
俺は馬上で少し考えた。
どうせ砦を三つ破壊したら帰るんだし、あまり遠くへ行くのは面倒だ。
近いところにするか。
そういえば、以前セバスチャンから聞いた貴族家があったな。
ウリシス家とデール家だったか。
どちらも今のところ、俺たちが集中的に襲っている三家とは別の貴族家だ。
さて、どちらが近いんだろう。
「なぁ、セバスチャン」
「へい?」
隣を走っているセバスチャンが、こちらへ顔を向けた。
「ウリシス家とデール家、どちらが近いんだ?」
「そうですなぁ……」
セバスチャンは少しだけ前方へ目を向け、それから答えた。
「デール家でしょうな」
「そうか」
ふむ。
デール家か。
特に恨みがあるわけでもないが、近いというならちょうどいいだろう。
どうせ敵対している貴族家なんだから、どこを襲ったところで大した違いはない。
それに、今まで襲っていなかったところなら、多少は油断しているかもしれないしな。
いや、これだけ俺たちが暴れているんだから、流石に警戒しているか。
まぁ、いい。
俺は馬上で身体を起こし、後ろを走っている騎士たちにも聞こえるように声を張った。
「よし、とりあえずデール家の砦を三つ落とすぞ! それで一度本陣に帰還する!」
声が朝の街道に響くと、騎士たちがこちらへ顔を向けた。
「へい!」
セバスチャンが応じ、後ろの騎士たちからも返事が上がる。
ふむ。
反対はないようだな。
いや、そもそも俺に面と向かって反対する奴がいるとも思えないんだが。
まぁ、少なくとも不満そうな様子は見えない。
よしよし。
昨夜、セバスチャンと相談したときにも思ったが、まだまだ戦えるからといって、いつまでも敵地で暴れ続ける必要はない。
余裕のあるうちに帰還し、本陣でゆっくり休む。
その後どうするかは、戻ってから考えればいいだろう。
しかし、デール家か。
どんなところなんだろうな。
俺は馬を進めながら、なんとなく周囲を眺めた。
陽が昇るにつれて、街道の先まで見通せるようになってきた。
道の両側には草地が広がり、遠くには木々が連なっている。場所によって道幅が変わり、馬を走らせやすいところもあれば、少し速度を落とさなければならないところもあった。
まったく、道というものは、どこも同じようでいて少しずつ違うものだ。
以前から思っていたんだが、こうしてあちこち走り回っていると、どこを通っているのか分からなくなりそうになることがある。
もちろん、道そのものが分からないわけじゃない。
問題は、その道が地図のどこに当たるのかということだ。
いや、今はセバスチャンがいるからいいんだけどな。
そうして進んでいるうちに、俺たちはデール領へ入った。
俺は馬上で意識を集中し、感知魔法を広い範囲へ展開する。
周囲に散らばる魔力反応が、感覚の中に浮かび上がってきた。
ふむ。
思ったよりいるな。
もちろん、反応の一つ一つがどういう立場の騎士なのかまでは分からない。
ただ、場所によっては複数の魔力反応が固まっている。
俺はさらに範囲を広げ、周囲の反応を確認した。
すると、少し離れた場所に、ほかよりもまとまった魔力反応があることに気づいた。
おや。
これは何かあるな。
街にしては反応が集中しているような気もするが、だからといって何があるのかまでは分からない。
ただ、これだけ騎士らしい魔力反応が集まっているなら、何らかの拠点がある可能性は高いだろう。
「砦があるようだな」
俺がそう呟くと、セバスチャンが頷いた。
「砦というより小さめの城がありますぜ」
「城?」
「へい」
なるほど。
城か。
ふむ。
それは困ったな。
いや、別に攻略するのが難しいという意味ではない。
さっき、砦を三つ落として帰ると宣言したばかりだからだ。
城を一つ落としたところで、砦三つのうちの一つに数えていいんだろうか?
……いいよな?
そもそも、城と砦の違いなんて、俺にはそれほど重要じゃない。
敵の騎士が集まっていて、防御のために造られた建物なら、似たようなものじゃないか。
小さめの城というなら、大きめの砦と言い換えてもいいだろう。
「まぁ、大きめの砦でいいだろ。砦三つの目標だし」
そう言うと、セバスチャンがこちらを見た。
細かい奴だよなぁ。
俺は苦笑しながら、再び魔力反応の集中している方向へ意識を向けた。
数はそれなりにいるようだが、これなら今までと同じ方法でいけるんじゃないか?
もちろん、実際に近づいてみなければ分からない部分もある。
だが、あの城へ直接突っ込む必要はないだろう。
周辺の街を襲って、城にいる騎士たちを外へ引っ張り出す。
それから城を襲えばいい。
今まで何度もやってきた方法だ。
もっとも、向こうが必ずこちらの思い通りに動くとは限らないが。
そのときは、そのときで考えればいいだろう。
俺は後ろの騎士たちへ顔を向けた。
「まずは周辺の街を襲い騎士たちを分散させる。その後、砦を破壊する!」
騎士たちがこちらを向き、返事をした。
うむ。
大雑把な指示だが、これで十分だろう。
どの街をどの順番で襲うかなんて、今の段階で細かく決めたところで、敵の動き次第で変わる。
それに、こいつらはもう何度も同じような襲撃を経験している。
どんなふうに動けばいいのか、俺がいちいち説明しなくても理解しているはずだ。
実際、これまでもそうだったからな。
俺が敵騎士の魔力反応を確認し、危険な場所を避けながら襲撃する。
セバスチャンたちは俺の指示に従い、それぞれが必要な行動を取る。
そうやって、ずっと襲撃を続けてきた。
何も問題はない。
「では、行くぞ!」
俺が声を上げると、セバスチャンが馬の速度を上げた。
おや?
少しだけ前に出たかと思うと、そのまま俺たちの先を進み始める。
道案内のつもりなのだろう。
それはありがたいんだが、こいつ、随分と詳しそうだな。
ここはマバール領からそれなりに離れている。
いくら経験豊富な騎士とはいえ、この辺りの細かい地理まで把握しているものなんだろうか?
俺は馬を少し進め、セバスチャンの隣へ並んだ。
「よく知ってるな」
「へい?」
「この辺りのことだ。随分と詳しいじゃないか」
セバスチャンはこちらを見て、少し笑った。
「本陣での休暇中にちょいとね」
「ほう」
なるほど。
そういうことか。
本陣で休んでいる間に、周辺の地理を調べていたらしい。
いや、感心するな。
こいつは休暇中まで仕事をしていたのか?
もちろん、ずっと調べ物をしていたというわけじゃないんだろうが、それでも、俺たちがこれからどこへ向かうか分からないうちから準備していたということになる。
まったく、よくできた騎士だ。
「さすがだな」
俺が素直に褒めると、セバスチャンは愉快そうに笑った。
「なんせ主君が大雑把ですからな」
「おい」
思わず顔を向けたが、セバスチャンは悪びれた様子もない。
むしろ、ますます楽しそうにしている。
失礼な奴だな。
いや、まぁ、確かに大雑把なのは否定できないんだが。
それでも、一応俺だって考えているんだぞ?
今回だって、敵の街を襲って騎士たちを分散させ、それから城を破壊するという立派な作戦を立てたじゃないか。
……今までと同じ作戦だけど。
まぁ、上手くいっている方法をわざわざ変える必要はないだろう。
それに、俺だって本陣での休暇中に地図くらいは見たんだ。
何もしていなかったわけじゃない。
ただなぁ。
どうにも東西南北が苦手なんだよな。
いや、方角そのものが分からないわけじゃない。
太陽は東から昇って西へ沈む。
そんなことくらい、俺だって知っている。
実際、今だって陽の位置を見れば、おおよそどちらが東なのかは分かる。
問題は、そこから先なのだ。
朝日が昇る方向は、毎日きっちり真東というわけではない。夕陽だって、毎日真西に沈むわけじゃない。
だから、太陽の位置を基準に正確な方角を考えるなら、そのずれを修正しなければならない。
それくらいは分かっている。
分かっているんだが……。
どの程度ずれていて、どの程度修正すればいいのかが、いまいち分からん。
しかも、地図自体も少し不正確なんだよな。
地図を見ているときは、なんとなく位置関係を理解したつもりになれる。
この辺りに街があって、その向こうに別の街がある。
その間に道が伸びていて、さらに先には城や砦がある。
なるほどな、と頷くことはできる。
だが、実際に馬で走ってみると、これがなかなか難しい。
地図では真っ直ぐに見えた道が曲がっていたり、思ったよりも進む方向が変わったりする。
そのたびに、頭の中で位置関係を修正しなければならない。
これが苦手なんだよなぁ。
もちろん、全然分からないというわけではない。
ただ、セバスチャンのように迷いなく進めるかと言われれば、ちょっと自信がない。
俺は前方を進むセバスチャンの背中を眺めた。
こいつ、さっきからほとんど迷っている様子がないんだよな。
いや、頭の中では色々考えているのかもしれないが、少なくとも俺にはそう見える。
いいなぁ。
こういうのも経験の差なんだろうか。
俺もいずれは慣れるのかな?
いや、そもそも慣れる必要があるんだろうか?
そんなことを考えながら空を見上げる。
陽はもう随分と高くなってきていた。
それでも、あれを見ただけで地図上の正確な位置を把握できるわけではない。
うーん。
GPSとか無いかなぁ?
……無いよなぁ。
あれば便利なんだが。
現在地が分かって、目的地までの方向も分かる。
そんなものがあれば、わざわざ太陽の位置と地図を見比べながら悩む必要もない。
まぁ、この世界でそんなものを期待しても仕方がないか。
前世では当たり前のように使っていたものでも、こちらには存在しないものがいくらでもある。
そして、俺はその仕組みを詳しく知っているわけでもない。
あれば便利だと思うことと、実際に作れることは別問題だからな。
それにしても、不便なものだ。
俺は小さく息を吐き、再び前方へ視線を戻した。
セバスチャンは相変わらず先を進んでいる。
後ろの騎士たちも、特に困った様子はなくついてきていた。
うむ。
こうして見ると、やはり俺が何もかも自分でやる必要はないんじゃないか?
俺には俺の得意なことがある。
感知魔法で遠くの敵騎士を探ることもできるし、強力な攻撃魔法で敵を叩き潰すこともできる。
それに、どこを襲うか、いつ撤退するかといった判断だって、俺がすればいい。
一方で、地理に詳しいセバスチャンがいるなら、道案内はそいつに任せればいい。
何も問題はないじゃないか。
むしろ、得意な奴に任せた方が上手くいくに決まっている。
そう考えれば、俺が地図とにらめっこして悩む必要もないわけだ。
うむ。
実に合理的だな。
俺は少し前を走るセバスチャンを見ながら、口元を緩めた。
まぁいい、いい筆頭騎士がいるんだし任せられるところは任せよう。
それがいい上司ってやつだ。
たぶん。
本日はここまでです。
次回は、明日5時の予定です。




