第三百三十一話 お気楽な三男坊の妄想
父上の天幕から離れながら、俺は夜の本陣を眺めた。
あちこちに灯火があり、その明かりの間を騎士や兵たちが歩いている。昼間に比べれば静かだが、完全に人の動きがなくなるわけではない。少し離れたところでは馬が鼻を鳴らし、どこかから金属の擦れる音が聞こえてきた。
戦争中なんだから当然か。
それにしても、父上は本当に大変だなぁ。
あの仕事量を見ると、公爵家の当主という立場が少しも羨ましくない。
……いや、今はそんなことよりも。
俺は歩きながら、先ほどの父上の言葉を思い返した。
時が足りん。
うーむ。
何とも意味深な返答だったな。
大陸統一を目指しているのかと聞いたのに、時間が足りないとだけ答えられた。
普通なら、目指していないならそう言えばいい。
そんなつもりはない、でも構わないし、くだらんことを考えるなと叱ってくれてもよかった。
だが、父上は否定しなかった。
……ということは?
いやいや、落ち着け。
否定しなかったからといって、肯定したことにはならん。
俺の質問が馬鹿馬鹿しくて、まともに答える気にならなかっただけかもしれないしな。
それでも、どうにも引っかかる。
仮に、だ。
仮に父上が本当に大陸統一を考えているとしたら、それは可能なんだろうか?
俺は少し歩調を緩めた。
マバール家は強い。
これは身内贔屓というわけでもないだろう。
騎士たちは実戦経験が豊富だし、父上を中心とした結束も強い。領地だって恵まれているし、国境を守り続けてきた実績もある。
何より、父上がいる。
俺からすれば、それだけでも随分と大きな強みだ。
兄上たちも優秀だしな。
うん、なかなかいい家だと思う。
……まぁ、俺もその一員なんだが。
だが、強ければ何でもできるというものでもない。
何しろ、大陸統一だぞ?
俺一人が強いとか、マバール家の騎士が優秀だとか、そんな話でどうにかなる規模じゃないだろう。
ましてや、マバール家の領地は王国と帝国のほぼ中央に位置している。
元々は王国の東端で、帝国との国境を守っていた領地だ。
王国から離れて帝国に加わったとはいえ、領地そのものが移動したわけではない。
西には王国、東には帝国。
……あれ?
これって、地政学的にかなり危険な場所じゃないか?
もしマバール家が大陸統一を目指して動き始めたら、王国と帝国の両方から警戒されるんじゃないだろうか。
王国は当然、敵として攻撃してくる。
帝国だって、マバール家が自分たちまで支配しようとしていると知れば、黙っているはずがない。
そうなれば、東西から挟み撃ちとなる。
……うわぁ。
いくらマバール家が強くても、それは厳しいぞ。
敵が一方向にいるならまだしも、両側を同時に相手にするなんて、俺だったら絶対に避けたい。
いや、避ける以前に、そんな戦争を始めたくない。
ただでさえ面倒なのに。
俺は足元へ視線を落とし、踏み固められた地面をゆっくり歩いた。
……ん?
だから、なのか?
両側を同時に敵にはできない。
なら、まず片方を倒す。
しかも、弱い方から。
……王国から。
なるほどなぁ。
王国と帝国を比べれば、今の王国の方が弱いだろう。
何しろ、国内がガタガタだ。王都貴族と国内貴族、それに国境貴族の対立は、俺たちが離叛した後も続いている。
王国貴族たちは今も抵抗しているが、一つにまとまっているわけでもない。俺たちが領地を荒らして回っても、軍を引く者と引かない者がいる。
それぞれ自分の家の事情を抱えているんだろうな。
そんな王国を先に倒してしまえば、マバール家の西側はどうなる?
……ふむ。
別に、王国を完全に滅亡させる必要はないんじゃないか?
大陸の西側全部を占領するなんて、それこそ途方もない話だ。
土地が広ければ、その分だけ守る場所も増える。反抗する貴族が残れば、いつまでも相手をしなければならないだろう。
それなら、王国を大陸の西の端へ押し込んでしまえばいい。
北方諸国連合のようにな。
存在していても、こちらに大きな影響を及ぼせない程度まで弱らせる。
そうしておけば、少なくとも背後から大軍で攻め込まれる危険は減るんじゃないだろうか。
なんなら、王国の中で分裂して内輪揉めでもしてくれれば都合がいい。
王国貴族たちが互いに争っている間は、マバール家を相手にしている余裕もなくなるだろうしな。
……うん。
そう考えると、少し現実味が出てきた気がする。
まず父上が王国を倒す。
西側の脅威を取り除き、マバール家の力を蓄える。
それから、次の世代で帝国へ向かう。
つまり、ダル兄さんが帝国を倒す。
……可能か?
いやぁ、どうだろう。
そんな事、絶対に不可能だとは思わないが。
ダル兄さんは優秀だ。
俺なんかとは比べ物にならないくらい、真面目にマバール家のことを考えていると思う。
次の当主としても申し分ない。
だが、いくらダル兄さんでも、帝国を相手に戦うというのは簡単じゃないだろう。
そもそも、王国を倒したからといって、そのままマバール家が強くなるとも限らない。
むしろ、帝国に警戒されるんじゃないか?
元々王国の貴族だったマバール家が帝国へ寝返り、今度は王国を倒してしまった。
そんな家が帝国内に存在していたら、普通は怖いだろう。
俺だったら警戒する。
……いや、俺はそのマバール家の人間なんだが。
だが、そう考えると、さっきの善良王の処刑にも別の意味があるように思えてくる。
父上は、マバール城でなければならないと言っていた。
戦地の本陣では駄目だと。
もし王国を倒したのがマバール家だと、はっきり印象づけたいのだとしたら?
なるほど。
敵国王をマバール城で処刑するというのは、確かに分かりやすい。
王国の国王を捕らえ、その命を奪うのはマバール家だ。
他の貴族が何を言おうと、その事実だけは残る。
王国を倒したのは誰かと聞かれれば、真っ先にマバール家の名前が挙がるかもしれない。
……ふむ。
だが、それを帝国はどう見るんだ?
俺は顔を上げ、並んでいる天幕の向こうへ目を向けた。
帝国に忠節を尽くした家。
そう思われるなら悪くない。
かつての主君だった王国の国王まで処刑し、帝国の勝利に貢献したのだからな。
少なくとも、帝国側にとっては大きな戦果だろう。
だが、逆の見方だってできる。
かつて仕えていた王を裏切り、捕らえ、最後には自分の城で処刑する家。
……うーむ。
これはこれで怖いな。
あまり近づきたくない連中だと思われても不思議じゃない。
今は帝国に味方していても、将来は帝国を裏切るんじゃないかと疑う奴もいるだろう。
そもそも、一度王国を裏切っているわけだしな。
どうなんだろう。
忠義を示す行為と受け取られるのか、それとも冷酷な家だと思われるのか。
……まぁ、どちらにしても、強いことは伝わるか。
そこは大きいよなぁ。
人間、単純に強い者が好きだったりするし。
味方にすれば頼もしいし、敵に回せば恐ろしい。
そういう評価を得ることができれば、マバール家に近づいてくる貴族も増えるんじゃないだろうか。
マバールファンが増えるわけだ。
……いや、ファンって何だよ。
自分で考えておいて、ちょっとおかしくなった。
しかし、強さを示すという意味では、あながち間違っていない気もする。
強い家と縁を結びたいと思う貴族はいるだろうし、帝国だって、王国との戦いではマバール家を頼りにしているはずだ。
そう考えていると、ふと別のことが頭に浮かんだ。
……あれ?
ひょっとして、俺の正妻をエレオノーラにしたのも、そのためか?
エレオノーラは皇帝と血縁がある。
皇帝と同族の女性を正妻に迎える。
それって、考えてみればかなり大きな意味があるんじゃないか?
マバール家は帝国に加わったばかりだ。
どれほど戦場で活躍しても、元々王国の貴族だったという事実は変わらない。
帝国の貴族からすれば、本当に信用していいのかと考えるのも当然だろう。
だが、皇帝と血のつながりがある女性を正妻に迎えればどうだ?
単に帝国へ忠節を誓っているだけではなく、帝国の皇帝と縁続きになる。
さらに、その間に子どもが生まれれば、皇帝の血筋にマバールの血が加わるわけだ。
……おお。
何だか随分と大きな話になってきたぞ。
俺は思わず自分の顔へ手をやり、しばらく考えた。
もちろん、エレオノーラとの婚姻には他にも理由があるだろう。
俺だって、別に家の都合だけで正妻を迎えたいわけではない。
だが、父上ほどの人が、そういう政治的な意味を考えていないとも思えないんだよなぁ。
……となると。
ダル兄さんがずっと帝都にいるのも、そのためなのか?
マバール家の次期当主が帝都にいる。
しかも、帝国に加わった後も、父上のように王国との戦場へ出てくるわけではない。
これって、帝国側からすれば、かなり安心できる状況なんじゃないか?
マバール家が妙なことを考えたとしても、次期当主は帝都にいる。
つまり、ある種の人質みたいなものか。
……うーん。
あり得るな。
いや、人質と言っても、別に捕らえられているわけじゃない。
ダル兄さんは帝都で自分の仕事をしているんだろうし、父上だって、そんな単純な理由だけで長男を置いているとは思えない。
だが、結果的に帝国への信用を得る役割を果たしているとしたら?
……なるほどなぁ。
マバール家は王国と戦って実績を作る。
俺の婚姻によって皇帝と血縁を結ぶ。
そして、次期当主であるダル兄さんが帝都にいることで、帝国を裏切らないという安心感を与える。
その間に、父上は王国を弱らせていく。
……おいおい。
全部つながってしまうじゃないか。
俺はしばらく足を止め、夜の本陣を眺めた。
遠くの灯火が風に揺れ、その前を歩いていた騎士の影が長く伸びている。
……うーむ。
分からん。
だが、理屈ならいくらでもつけられる。
しかし、それが本当かどうかは別だ。
俺がこう考えたからといって、父上が同じことを考えているとは限らない。
そもそも、大陸統一なんて話自体、俺が勝手に持ち出したものだからな。
しかし、もしマバール家から西側を無力化できれば。
王国がこれ以上、マバール家にとって大きな脅威にならなくなれば。
東にある帝国へ、力を向けることもできるんじゃないだろうか。
……やれなくはない、かもしれんな。
無論、簡単な話ではない。
帝国には帝国の貴族がいるし、それぞれの家に領地も騎士もいる。
王国よりも厄介な相手だって、いくらでもいるだろう。
それでも、西側を気にせずに済むなら、ずっと戦いやすくなるはずだ。
……ふむ。
時が足りん、か。
そういえば、父上はそう言ったんだったな。
父上一人では時間が足りない。
だから、ダル兄さんへ引き継ぐ。
だが、ダル兄さんの代でも足りなかったら?
……うん?
俺は再び歩き始めながら、首を傾げた。
もしかして、父上はもっと先まで考えているんだろうか。
ダル兄さんの次の代。
つまり、父上にとっての孫だ。
……ああ、そうか。
ダル兄さんのところには、まだ長男がいないんだよなぁ。
女の子はいるんだけどな。
まぁ、そのうち男の子も生まれるだろう。
ダル兄さんはまだまだこれからだし、そんなに心配することでもない。
仮に男の子が生まれたら、その子が次の当主になるんだろう。
父上が王国を倒し、ダル兄さんが帝国との戦いを進め、その子が大陸統一を完成させる。
……おお。
三代がかりの大仕事じゃないか。
いや、そこまで考えているなら、父上も随分と気の長い話をしていることになるな。
それに、大陸統一なんて、そんなにうまく引き継げるものなんだろうか?
父上とダル兄さんが優秀なのは分かっている。
だが、まだ生まれてもいない子が、どんな人物になるかなんて分からない。
父上ほどの人物になるかもしれないし、俺みたいに面倒な仕事を嫌がる奴になるかもしれない。
……あ。
それは困るな。
いや、別に俺が困る必要はないのか。
その頃には、俺だっていい年齢になっているだろうし。
もっとも、男の子が生まれなかったらどうするんだ?
ダル兄さんの娘がいるとはいえ、マバール家の当主となれば、やはり男子の方が望まれるだろう。基本的に男尊女卑な社会だからな。
そうなると、次は……アル兄さんか?
……いや。
それは難しいかもしれないな。
アル兄さんは優秀だ。
迷宮の管理も内政も、俺なんかよりずっと上手にこなしている。
性格も穏やかだし、俺にとっては本当にいい兄上だ。
だが、アル兄さんは平民腹なんだよなぁ。
母親が平民出身の側室であるというのは、やはり貴族社会では無視できない。
マバール家の中でなら、アル兄さんの能力を知っている者も多いだろう。
だが、大陸全体を相手にするとなれば話は別だ。
ただでさえ血統や家格を重んじる貴族たちが、アル兄さんをすんなり認めるだろうか。
いくら優秀でも、平民腹というだけで文句を言う連中は出てきそうだ。
ましてや、マバール家の当主どころか、大陸統一を目指す立場となれば。
……うーん。
やっぱり難しいよなぁ。
そこで、俺はふと嫌なことに気づいた。
……ん?
ちょっと待て。
ダル兄さんのところに男子が生まれない。
アル兄さんは出自の問題がある。
そうなると。
……俺?
いやいやいや。
待て待て。
それはおかしいだろう。
どうしてそうなるんだ?
俺は三男だぞ?
上に優秀な兄上が二人もいるんだから、俺がそんな面倒なことをする必要はないはずだ。
そもそも、俺は当主になりたいわけじゃない。
大陸統一なんて、もっとなりたくない。
戦争をするたびに何万人も動かして、貴族たちの相手をして、毎日大量の仕事に追われる。
……うわぁ。
父上の天幕を思い出してしまった。
あの書類の山。
休む暇もなく出入りする文官や武官たち。
夜になっても仕事をしている父上。
あんな生活、絶対に嫌だぞ。
俺はできれば、好きな女たちと楽しく暮らしたいのだ。
もちろん、貴族として必要な仕事はする。
戦争だって、必要なら参加するし、敵を倒せと言われれば倒す。
だが、それと大陸統一を目指すのとは、話が違うだろう。
何で俺がそんな面倒なことをしなくちゃならんのだ。
……いや、そもそも誰も俺にやれなんて言っていない。
俺は自分で考えて、自分で嫌がっているだけじゃないか。
……馬鹿馬鹿しい。
思わず苦笑いが漏れた。
冷静になってみれば、何の話をしているんだろうな。
父上に大陸統一を目指しているのかと聞いた。
父上は、時が足りんと答えた。
それだけだ。
ダル兄さんがどうとか、その次の世代がどうとか、ましてや俺がやるかもしれないとか、そんな話は一言も出ていない。
全部、俺が勝手に考えただけだ。
……うーむ。
そうだよなぁ。
父上は別に否定しなかっただけで、肯定もしていない。
そもそも、そんな壮大な計画が本当にあるとして、俺に簡単に話してくれるとも限らないだろう。
逆に、何も考えていないからこそ、あんな返答だったのかもしれない。
俺には判断できん。
……まぁ、いいか。
今すぐ答えを出さなければならない話でもない。
父上が何を考えているにせよ、俺は俺の役目を果たせばいいだけだ。
今は王国との戦争の最中だ。
大陸統一なんて遠い話を考えるより、目の前の敵をどうするか考える方が、ずっと現実的だろう。
俺はようやく自分の天幕へ戻り、入口の布を持ち上げた。
中へ入ると、外の冷たい空気が遮られ、歩きながら冷えていた頬が少し楽になった。
……ふう。
それにしても、父上の一言だけで随分と考えてしまったな。
まったく、余計なことを聞くものじゃない。
俺は身体を休めることにして、先ほどまで頭の中を占めていた大陸統一の話を追い払った。
どうせ、俺一人で考えたところで何も決まらないのだ。
それに、せっかくの休暇なんだから、余計な心配をして過ごすのももったいない。
……うん。
今は考えなくていいか。
次は20時となります。




