第三百三十話 時が足りん
数日間の休暇をもらった。
休暇と言っても、ここはマバール軍の本陣である。周囲には騎士や兵たちが大勢いるし、天幕の外へ出れば武装した連中が忙しそうに歩き回っている。遠くから馬の嘶きが聞こえることもあれば、何やら大声で指示を飛ばしている者もいる。
まぁ、戦争中なんだから仕方ない。
それでも、ここのところ敵の後方を散々荒らし回っていたことを考えれば、十分に休暇と言えるだろう。飯はまともに食えるし、馬の上で一日中揺られている必要もない。
何より、夜に普通に眠れるというのがありがたい。
いや、本陣だって絶対に安全とは言えないんだろうが、少なくとも俺が夜通し警戒している必要はないのだ。
うん、素晴らしい。
そんなわけで、久しぶりにのんびりしていた俺だったが、一つだけ気になっていることがあった。
善良王のおっさんである。
いや、別にあのおっさんに会いたいわけではない。
俺が王都まで行って攫ってきた相手だからな。多少なりとも、その後が気になるというだけだ。
それに、そろそろ一月になる。
父上は確か、一月後に処刑すると宣言していたはずだ。
あれから戦況も随分と変わっている。王国貴族たちは相変わらず抵抗しているし、俺たちもその領地を荒らして回っている。
そんな状況で、本当に予定どおり処刑するんだろうか?
そもそも、今の段階で処刑することに、どれほど政治的な意味があるのか。
……うーむ。
まぁ、考えていても分からんな。
父上に聞けば済む話だ。
問題は、その父上がとんでもなく忙しいことだった。
休暇中、何度か父上の天幕の近くを通ったが、いつ見ても人の出入りがある。文官らしい者が書類を抱えて入っていったかと思えば、今度は武官たちが集まってくる。
軍を率いて戦争をしているんだから、忙しくないわけがない。
それにしても、よく身体が持つもんだなぁ。
寝る間も惜しむように働いているのではないだろうか。
俺だったら絶対に嫌だぞ。
……いや、父上だからこそ、そんなことができるんだろうな。
そう思うと、わざわざ時間を取ってもらうのも申し訳ない気がしてくる。
とはいえ、少し聞くだけだ。
俺は父上の仕事が一段落したらしい頃合いを見つけ、天幕を訪ねることにした。
中へ入ると、父上は机に向かっていた。
広げられた地図の脇には書類が重なり、灯火の明かりがその上へ落ちている。父上は何かに目を通していたが、俺が入ってきたことに気づくと顔を上げた。
「父上、少しよろしいでしょうか?」
「うむ。どうした、ギルバート」
声はいつもと変わらない。
しかし、さすがに疲れているようには見える。机に向かう姿勢は崩れていないものの、目元には普段よりも深い陰があった。
……本当に忙しいんだろうなぁ。
長々と話すのはやめておこう。
「善良王の処刑はどうなさるんですか?」
父上の目が、わずかに細くなった。
「そろそろ一月だな」
「はい」
「気になるか?」
そう言って、父上は少し笑った。
うーむ。
気になるかと言われれば、まぁ、気になる。
何しろ俺が攫ってきた相手だ。
王都へ乗り込んで、王城から連れ出して、父上の元まで運んできたのである。しかも、あのおっさんは道中でもほとんど態度を変えなかった。
変わった人だったなぁ。
……いや、今も生きているんだから過去形にするのは失礼か。
もっとも、気になっている理由はそれだけではない。
あのおっさんを処刑すること自体は、別に不思議でも何でもない。敵国の王を捕らえたのだから、降伏させるなり処刑するなり、何らかの決着をつける必要はあるだろう。
だが、今なのか?
父上は何を考えているんだろうか。
「はい。少し気になりまして」
そう答えると、父上は手元の書類へ視線を落とした。
何かを確かめるようにしばらく黙っていたが、やがて顔を上げる。
「処刑は執り行う。だが、マバール城でなくてはならん」
ああ、なるほど。
俺は内心で頷いた。
そうだよなぁ。
そこ以外で処刑しても、あまり意味がないのかもしれない。
もちろん、善良王のおっさんが処刑されたとなれば、大陸中に知れ渡るだろう。何しろ王国の国王なのだ。どこで殺されようが、それなりの騒ぎにはなるはずだ。
だが、ここは戦地の本陣である。
毎日のように戦いが続き、貴族が死んだだの、どこそこの軍が勝っただの、そんな話が次々と飛び込んでくる場所だ。
敵国の王の処刑であっても、戦争の出来事の一つとして扱われてしまうかもしれない。
それに比べれば、マバール城で処刑する方がずっと目立つ。
少なくとも、マバール家が処刑したということは、はっきりするだろう。
「少し遅れるだろうが、戦場が落ち着けば処刑せねばならん」
父上は俺をじっと見て、そう断言した。
ふむ。
どうやら、あのおっさんを生かしておくつもりはないらしい。
いや、最初から処刑すると宣言していたんだから、当然と言えば当然なんだが。
「そうせねば我らが勝ったとはならん」
その言葉を聞いて、俺は少し考え込んだ。
我らが勝ったとはならん、か。
なるほどなぁ。
単に敵国王を殺すだけではない。
王国との戦いにおいて、誰が勝者なのかをはっきりさせる。そのためにも、善良王の処刑はマバール城で執り行わなければならないということか。
確かに、王国の貴族たちを何人倒したところで、戦争そのものが終わるとは限らない。
どれだけ領地を奪っても、負けていないと言い張る者だっているだろう。
そんな連中に、自分たちの国王の処刑を見せつける。
しかも、それを行うのはマバール家だ。
うん。
なかなか派手な勝利の飾りになりそうだな。
……いや、さすがに飾りと言ったら怒られるか。
もちろん口には出さない。
父上が何を考えているか、全部分かったわけでもないからな。
「やはり降伏は了承しませんか?」
なんとなく答えは分かっていた。
それでも、聞かずにはいられなかった。
父上は俺の問いに、特に驚いた様子も見せなかった。
「せぬな。それが王だ」
静かな返答だった。
俺は父上の顔を見る。
そこに怒りは見えなかった。かといって、善良王のおっさんを憐れんでいるようにも見えない。
ただ、そういうものだと受け止めているように感じられた。
……ふむ。
父上も、それには納得しているらしい。
考えてみれば、あのおっさんも一国の王なのだ。
俺からすれば、何を考えているのかさっぱり分からんところも多い。あれだけ追い詰められても考えを変えようとしないし、自分の命がかかっているのに態度まで変わらない。
だが、それが王というものなのかもしれない。
まぁ、俺にはよく分からんが。
父上はもう一度書類へ目を向けた。
そろそろ失礼した方がいいかな。
俺も休暇中とはいえ、父上の邪魔をするわけにはいかない。
……しかし。
俺は父上を見ながら、別のことを考えていた。
実は、もう一つ聞いてみたいことがある。
いや、聞いていいのかどうか分からないこと、と言った方が正しいか。
うーむ。
どうしようかなぁ。
下手に聞いて、間違っていたら怒られるだろうな。
怒られるだけならまだいい。
場合によっては、妙なことを考えている奴だと危険視されるかもしれん。
何しろ父上だ。
俺がどこまで考えているのか、警戒されたら面倒なことになりそうだ。
……別に悪いことをしようとしているわけじゃないんだがなぁ。
だが、聞いておかないと、今後の俺の立場にも影響するかもしれない。
今なら周囲に誰もいない。
父上と二人だけだ。
これ以上、都合のいい機会が次いつ来るか分からん。
……まぁ、いっか。
「父上」
「うむ?」
父上が再び顔を上げた。
俺は一瞬だけ言葉を選んだ。
「父上は大陸統一を目指しておられるのですか?」
口にした途端、自分でも随分と大きなことを聞いてしまった気がした。
……おお。
言っちゃったよ。
父上は何も答えず、俺をじっと見ている。
あれ?
まずかったかな?
いやいや、別に何かを知っているわけじゃない。俺が勝手に考えただけだ。
そもそも、父上が大陸統一を目指しているという証拠なんてない。
ただ、最近の父上の動きを考えると、どうにも引っかかるものがある。
まず、王国を裏切ったタイミングだ。
あの時点で帝国側へ移ったことには、もちろん理由があったのだろう。俺だって、父上の判断が間違っていたとは思っていない。
むしろ、今の状況を見る限り、随分とうまくやっているように思える。
だが、その後の動きはどうだ?
王国を相手に戦争を始め、国王まで捕らえてしまった。大手柄だ。
だが、その割に帝国に対しても、何となく微妙な距離感を感じるんだよなぁ。
帝国に忠節を尽くすというより、うまく利用しているようにも見える。
いや、もちろん俺の気のせいかもしれない。
父上ほどの人になれば、帝国内での立場を考えて行動するのも当然だろうし、帝国に取り入るために王国と戦っているだけなのかもしれない。
だが、それだけなんだろうか?
俺は父上の顔を見つめた。
父上も、俺から目を逸らさない。
妙に長く感じられる沈黙だった。
外からは、遠くで馬が鳴く声が聞こえてくる。
天幕の布が風でわずかに揺れ、机の上の灯火が小さく動いた。
……ううむ。
何か言ってください、父上。
できれば怒らない方向でお願いします。
そんなことを考えていると、父上がようやく口を開いた。
「時が足りん」
それだけだった。
俺は思わず瞬きをした。
……時が足りん?
つまり、時間が足りないということか?
それはそうだろう。
大陸統一なんて、どれほど大きな戦争になるか分かったものではない。
今の王国との戦いですら、これだけ大勢の貴族や騎士が動いているのだ。
帝国まで含めて大陸全部となれば、父上が生きている間に終わらせられるのかどうか。
……いや、待てよ。
父上は、否定しなかったな。
目指していないとも、そんなつもりはないとも言わなかった。
時が足りん。
ふむ。
ということは、時間さえあれば?
……おいおい。
まさかな。
だが、もし父上が土台を作るのだとしたら。
王国を倒し、マバール家の勢力を広げ、その先を次の世代に任せる。
そう考えれば、父上一人で大陸統一を成し遂げる必要はない。
そして、マバール家の次の当主は。
「ダル兄さんなら?」
思わず口から出てしまった。
しまった。
余計なことまで聞いちゃったよ。
父上は俺を見たまま、しばらく何も言わなかった。
それから、小さく笑った。
「もう寝ろ。お前も疲れただろう」
……あ。
終わりですか。
それ以上の答えはなかった。
父上は俺を叱るわけでもなく、再び手元の書類へ視線を戻した。
うーむ。
何とも判断に困る反応だなぁ。
だが、これ以上聞くのもどうかと思う。
父上が話すつもりなら、もう少しくらい何か言ってくれただろう。
ここは大人しく引き下がるのが正解だな。
「そうですね。父上もお疲れ様ですものね。おやすみなさいませ」
「うむ」
短い返事を聞き、俺は頭を下げた。
父上はすでに書類へ目を通している。
本当に忙しいんだなぁ。
俺は邪魔にならないよう静かに踵を返し、天幕の出口へ向かった。
布を持ち上げると、夜の空気が頬に触れた。
中に比べると、随分と涼しい。
振り返れば、天幕の奥にはまだ灯火が揺れている。
父上は今夜も、あそこで仕事を続けるのだろう。
……お疲れ様です。
俺にはとても真似できません。
そう思いながら布を下ろし、父上の天幕を後にした。
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