第三百十九話 女の身体は丈夫らしい
「はい、わたくしに出来る事でしたら、なんでもおっしゃってください」
リエリエールはそう言うと、俺の方へ身体を向けた。
膝の上で重ねていた手を静かに置き直し、まっすぐにこちらを見つめてくる。別に大げさなことを言っているわけでもないのに、その落ち着いた態度を見ていると、なんとも頼もしく感じられた。
うーん、さすが貴族の女性だな。
こういう時の受け答えが自然なんだよなぁ。俺だったら、頼み事があると言われれば、まず何を頼まれるのか気になってしまう。
面倒な仕事だったら嫌だし。
いや、リエリエールだって何でも引き受けるつもりではないだろうが、少なくとも今の返事からは嫌がっている様子など感じられない。
ありがたいことだ。
「まずは頼みというか、知らせなんだが」
「はい」
さて、どこから話したものかな。
いくつか伝えておかなければならないことがあるんだが、順番を間違えると妙な話になりそうだ。
いや、何をどう話したところで、最後には同じところへ行き着くんだけどな。
俺は隣に座るリエリエールの顔を見た。
「エレオノーラが俺の正妻となる」
言ってから、少しばかり胸が高鳴った。
……うむ。
なかなかいい響きだ。
エレオノーラが俺の正妻になる。
まだ本決まりではないけどな。
実際には検討段階だし、すべてが決まったわけではない。それでも、可能性はかなり高いと思っている。
いや、高くあってほしい。
せっかくここまで話が進んだんだから、今さら駄目になったりしたら悲しいじゃないか。
俺としては大歓迎なんだ。
もちろん、結婚というのは俺一人の希望で決まるものではない。特にエレオノーラほどの女性となれば、いろいろ面倒なこともあるだろう。
それは分かっている。
分かっているんだが、期待するくらいはいいよな。
「まあ、そうなのですか。おめでとうございます」
リエリエールは少し目を見開いたものの、すぐににこやかな表情で祝ってくれた。
おや。
ずいぶん素直な反応だな。
エレオノーラの名前を出したことで、もう少し複雑な表情をされるかと思っていたんだが。
考えてみれば、リエリエールはエレオノーラから俺に託された女性だ。
二人は以前からの顔馴染みだし、互いの立場も知っているはずだ。
だからこそ、エレオノーラが正妻となる見込みについては、早めに伝えておいた方がいいと思った。
ただ、あの二人がものすごく仲良しだったかと言われると、どうなんだろうなぁ。
別に喧嘩しているところを見たわけではない。
だが、親しい友人同士という感じでもなかったように思う。
まあ、俺が知らないだけかもしれないが。
「まだ本決まりではないが、そう心づもりしておいてほしい」
「はい」
リエリエールは、はっきりと頷いた。
その表情には、少なくとも俺が見て取れるような陰はない。
ふむ。
リエリエール個人としては、エレオノーラに悪感情はないようだな。
それなら良かった。
正妻と側室が仲違いするなど、考えただけでも面倒くさい。俺としては、できるだけ皆に仲良く暮らしてもらいたいんだ。
もちろん、女性同士のことを俺が全部理解できるとは思わないが。
「エレオノーラ様が正妻になられるのでしたら、わたくしも嬉しく存じます」
「そうか?」
「はい。ギルバート様にとって、お喜ばしいお話なのでしょう?」
そう言われると、なんだか少し照れくさい。
俺は頬を掻いた。
「ああ、まあ、そうだな」
リエリエールが微笑む。
うん。
こういうところなんだよなぁ。
俺が何を喜んでいるのか、無理に聞き出そうとせず、自然に受け止めてくれる。
まだ付き合いが短いというのに、不思議と話しやすい。
これなら、次の話も問題なさそうだ。
「それと、レティシアが妊娠した」
今度は少し声が小さくなってしまった。
いや、恥ずかしがる必要なんてないんだけどな。
貴族の男子として、子供ができるというのは喜ばしいことだ。家にとっても重要な話だし、堂々としていればいい。
そう思っているんだが、自分の口から伝えるとなると、どうにも落ち着かない。
リエリエールは、今度こそ驚いたように瞬きをした。
「それはおめでとうございます」
「ああ、ありがとう」
「レティシア様も、お喜びでしょうね」
「うむ。喜んでくれている」
指輪を渡した時の顔を思い出す。
嬉しそうだったよなぁ。
もちろん、子供のことをどう考えているのか、俺にすべて分かるわけではない。
だが、少なくともあの時の笑顔は本物だったと思いたい。
そして俺も嬉しい。
嬉しいんだが……。
隣に座るリエリエールへ目を向けると、少しばかり胸の奥がむずむずした。
何しろ、リエリエールにはまだ子を授けていないからな。
ダリアに続いてレティシアも妊娠した。
その二人のことを喜んでいるのは本当だが、リエリエールの前であまりはしゃぐのもどうなんだろう。
いや、彼女が嫌がっているようには見えない。
むしろ、穏やかに祝福してくれている。
だからこそ、少し申し訳ない気分になる。
……うーん。
こういうことを考え始めると、きりがないな。
まずは本題だ。
「それでだ。ダリアも妊娠している」
「はい、それは存じております」
リエリエールが頷いた。
そうだよな。
ダリアのことは、すでに知っているんだった。
腹も大きくなってきているし、同じ城で暮らしているんだから、知らない方が不思議か。
「うむ。それで、今回レティシアも妊娠した」
「はい」
「それに、エレオノーラもいつ正妻となれるか分からない」
「そうでございますね」
リエリエールは、俺の話を遮ることなく聞いてくれている。
だが、その落ち着いた眼差しを前にしていると、どうにも言葉が続かない。
何を恥ずかしがっているんだ、俺は。
別に隠すような話じゃないだろう。
……いや、隠したくなるような話ではあるか。
戦場で大勢の騎士を相手に話す時なら、こんなに緊張することもないんだがなぁ。
不思議なものだ。
戦う時は相手の魔力や動きを見ていればいい。
何をするべきか分かれば、あとは実行するだけだ。
だが、女性を前にした時はそうはいかない。
特に、こういう話となると。
「うむ、それで、つまりだな……」
「はい」
「その、リエリエール以外に、その……俺の相手となる者がいないんだ」
……言った。
とうとう言ってしまった。
なんだか顔が熱い。
俺はわざと視線を外し、ソファの肘掛けへ目を向けた。
こんなことで恥ずかしがるなんて、我ながら情けない。
しかし、どう考えてもそういうことになるんだよな。
ダリアは妊娠している。
レティシアも妊娠した。
エレオノーラは、そもそもまだ正妻となることが決まっていない。
つまり、今の俺の周囲で、これまで通り相手をしてもらえる女性はリエリエールだけになってしまったわけだ。
……うむ。
これはなかなか大変なことだぞ。
俺は自分でも、性欲がかなり強い方だと思っている。
いや、かなりどころではないかもしれない。
絶倫と言ってもいいんじゃないだろうか。
あまり人に自慢するようなことではないが、少なくとも俺自身はそう思っている。
しかも、戦場から帰ってきたばかりだ。
長い間留守にしていたのだから、これからは女性たちとゆっくり過ごしたい。
だが、妊娠している二人に無理をさせるわけにはいかない。
これは絶対だ。
せっかく授かった子供なのだから、何よりも大事にしなければならない。
そうなると、どうしてもリエリエールに頼ることになる。
……いや、もちろん、無理にとは言わないぞ。
俺だって、嫌がる女性に何かを強いるつもりはない。
ただ、彼女がどこまで受け止めてくれるのか、俺には分からない。
だからこそ、こうして相談しているわけだ。
「その……だいぶ負担をかけることになると思う」
何とか言葉にすると、リエリエールがわずかに首を傾げた。
その表情に戸惑いは見えない。
むしろ、何かを面白がっているような……。
いや、まさかな。
「負担、でございますか?」
「ああ。何しろ、俺は……その、あまり我慢が得意ではないからな」
うーん。
これはずいぶん控えめな言い方をした気がする。
我慢が得意ではない、どころじゃない。
できれば我慢なんてしたくない。
いや、正確には、我慢するのは不可能だと思う。
そう考えている自分に、少しばかり呆れてしまった。
戦場ではあれほど自分を律することができるのに、こういうことになると途端に駄目になるんだよなぁ。
俺はリエリエールへ視線を戻した。
「もちろん、できるだけ気遣うつもりだ。無理をさせたいわけじゃないんだが……」
そこまで言ったところで、リエリエールの口元が緩んだ。
……ん?
笑っている?
俺としては結構思い切ったお願いをしているつもりなんだが。
しかし、彼女は口元へ手を添えると、くすくすと小さく笑い始めた。
おいおい。
そんなにおかしなことを言ったか?
「リエリエール?」
「申し訳ございません」
そう言いながらも、彼女の笑みは消えない。
むしろ、俺の顔を見てますます楽しそうにしている。
……なんだろう。
もしかして、最初から俺が何を言いたいのか分かっていたのか?
いや、それならそれで、もう少し早く助け舟を出してくれてもいいじゃないか。
こっちはずいぶん悩んでいたんだぞ。
俺が少しむくれていると、リエリエールはそっと身体を寄せてきた。
白金色の髪が肩から流れ、俺の腕に軽く触れる。
近いな。
そう思った時には、彼女の顔がすぐ隣にあった。
リエリエールは俺の耳元へ唇を寄せると、穏やかな声で囁いた。
「ギルバート様、ご心配は無用です。ギルバート様が思うより、女の身体はずうっと丈夫に出来ております」
……うん?
今、なんと言った?
女の身体は丈夫?
どこかで聞いたような言葉だな。
確か、以前レティシアも似たようなことを言っていた気がする。
女の身体は案外丈夫、だったかな。
うーむ。
そういうものなのか?
俺にはよく分からないが、女性が自分でそう言うのなら、そうなのかもしれない。
もっとも、何をしても平気という意味ではないだろうし、そこは気をつけなければならない。
……などと考えていたのだが。
それ以上に気になることがある。
リエリエールが、なんとも色っぽい。
いや、待て。
今のは反則じゃないか?
あれだけ上品に微笑んでいた女性が、急にこんな距離で囁くなんて。
しかも、こちらがずいぶん悩んでいたことを、まるで何でもないことのように受け止めてしまう。
これは困る。
大変困るぞ。
俺はリエリエールの顔を見た。
彼女もこちらを見ている。
目が合うと、また柔らかく微笑んだ。
……駄目だな。
これはもう駄目だ。
「リエリエール……」
「はい、ギルバート様」
その声を聞いた途端、胸の奥にあった最後の遠慮まで、どこかへ消えてしまった。
気がつけば、俺は彼女を抱き寄せていた。
リエリエールは驚いたように一度だけ瞬きをしたものの、俺の腕へそっと手を添えてくれる。
そして、また笑った。
まったく。
どうしてこうも余裕があるんだろうな、この人は。
俺は半ば無意識のまま、リエリエールをソファの上へ押し倒していた。
彼女の白金色の髪が柔らかく広がり、近くなった顔を見つめる。
……ああ。
やっぱり、綺麗だな。
リエリエールは少しも慌てず、俺の顔を見上げている。
その眼差しを受け止めながら、俺はもう一度だけ、彼女の名前を呼んだ。
返ってきたのは、いつもの穏やかな微笑みだった。
その先は、もはや言葉を重ねる必要もなかった。
◇
翌朝。
俺は実に爽やかな気分で目を覚ました。
うーん。
よく寝た。
いやぁ、実に気分がいい。
身体を起こし、軽く肩を回してみる。
疲れが残っているどころか、妙に身体が軽い。
一昨日は一晩中馬を走らせ、ほとんど眠らずに買い物へ出かけた。
昨日も城へ戻ってから、レティシアやダリアのところを回り、最後にはリエリエールの部屋へ来た。
そして昨夜は、ずいぶん遅くまで彼女と過ごしてしまった。
普通なら、もう少し疲れていてもおかしくないと思うんだが。
……うむ。
若いって素晴らしいな。
いや、肉体強化魔法のおかげというのもあるんだろうが、それにしても調子がいい。
窓から差し込む朝の光が、部屋の中を淡く照らしていた。
俺はしばらくその明るさを眺めてから、隣へ目を向ける。
……あれ?
リエリエールが寝台の上でぐったりと横たわっている。
白金色の髪が枕の上に広がり、普段ならきちんと整えている姿も、今はずいぶん無防備に見えた。
俺が身を起こしても、すぐには起き上がってこない。
……うーん。
もしかして、少しやり過ぎてしまっただろうか。
昨夜のことを思い返してみる。
確かに、ずいぶん遅くまで起きていた。
俺は楽しかったし、リエリエールも嫌がっているようには見えなかった。
むしろ、何度も笑ってくれたと思う。
だが、それと疲れないかどうかは別の話だよな。
なんと言っても、今は俺だけが妙に元気なんだから。
……これは、少し反省した方がいいかもしれない。
「リエリエール、大丈夫か?」
声をかけると、彼女がゆっくりと目を開いた。
こちらを見つめ、少し遅れて微笑む。
「おはようございます、ギルバート様」
「ああ、おはよう。……その、疲れていないか?」
リエリエールは俺の顔を見てから、少しだけ目を細めた。
「少々……」
やっぱりか。
俺は思わず頭を掻いた。
「すまん。昨夜は少し調子に乗ってしまった」
「ふふ……」
また笑われた。
どうも、リエリエールには俺の考えていることが顔に出てしまうらしい。
「今日はゆっくり休んでくれ。無理をする必要はないからな」
「ありがとうございます」
彼女はそう答えると、もう一度目を閉じた。
その口元には、かすかな笑みが残っている。
……うむ。
少なくとも、怒ってはいないようだ。
良かった。
いや、だからといって安心しきるのもどうかと思うが。
今度からは、もう少し気をつけよう。
何しろ、これからしばらくはリエリエールに頼ることになるのだから。
彼女に無理をさせて、身体を壊してしまったりしたら本末転倒だ。
そうだな。
今夜は少し大人しくしておくか。
……できるかな。
まあ、努力はしよう。
それにしても、昨夜はリエリエールも喜んでくれたと思う。
そうであってほしい。
少なくとも、あの微笑みを見ている限りでは。
たぶん。
次は、20時となります。




