第三百十六話 レティシアへの土産
さて、まずはレティシアだな。
俺は土産の中から指輪ともう一つを取り出し、改めて確かめた。
うむ、これでよし。
早く渡して喜ぶ顔が見たいところだが、その前に忘れてはいけないことがある。
魔力だ。
レティシアの懐妊が分かった以上、今までのように何も考えず近づくわけにはいかない。俺の魔力が子供にどんな影響を及ぼすのか、正確なところはまだ分からないのだから。
俺は身体の内側へ意識を向け、魔力を可能な限り抑え込んだ。
これで絶対に安全だと断言できるわけではないが、何もしないよりはいいだろう。
それにしても、まさか自分の魔力をここまで邪魔に感じる日が来るとはな。
強い魔力があれば大抵のことはどうにかなると思っていたのに、好きな女と一緒にいることさえ難しくなるんだから、世の中分からんものだ。
まあ、それも子供のためだ。
父親として、これくらいは我慢しなくてはな。
俺は買ってきた土産を持ち、レティシアの私室へ向かった。
……そういえば。
レティシアの私室に入るのって、初めてじゃないか?
幼い頃からずっと一緒にいるし、俺の部屋には当然、何度も出入りしている。今では同じ寝台で眠ることだって珍しくないというのに、考えてみれば彼女自身の部屋へ入った覚えがない。
何とも妙な話だな。
いつも俺の世話をしてくれているレティシアが、自分の部屋ではどんなふうに過ごしているのか。
……ちょっと興味があるぞ。
いや、もちろん覗きに行くわけではない。土産を渡しに行くんだ。それが目的だということは忘れていない。
ただ、少しくらい部屋を見ても罰は当たらんだろう。
そんなことを考えながら部屋の前まで行き、扉を叩いた。
「レティシア、俺だ」
中から物音がしたと思うと、間もなく扉が開いた。
「若様!」
俺の顔を見た途端、レティシアが目を丸くした。
いつも落ち着いている彼女にしては、なかなか珍しい反応だ。
「驚かせてすまんな」
「い、いえ。どうぞ、お入りください」
少し慌てた様子で俺を迎え入れるレティシアに頷き、部屋へ入った。
……おお。
なんか、すごくいい匂いがする。
いや、変な意味じゃないぞ。清潔な布の匂いに、何となく甘い香りが混じっているというか、普段レティシアの近くにいる時に感じる匂いが、少し濃くなったような気がする。
なるほど。
ここがレティシアの部屋か。
どうしても周囲を見回したくなるが、さすがに初めて入った女の私室でキョロキョロするのはどうかと思う。
俺は視線をレティシアへ戻した。
彼女は俺の様子を見ながら、少し不思議そうに首を傾げている。
……うむ、危ないところだった。
別に後ろめたいことはないんだが、何となく落ち着かないな。
「若様、何かございましたか?」
「ああ、いや。ちょっと渡したいものがあってな」
俺は持ってきた品を差し出した。
「土産だ」
「まぁ、ありがとうございます」
レティシアは柔らかく微笑み、両手で受け取ってくれた。
その笑顔を見ただけで、わざわざ持ってきた甲斐があったと思ってしまう。
我ながら単純だが、仕方がないだろう。惚れた女が喜んでくれるのは嬉しいものだ。
レティシアは受け取った二つの品を見比べ、それから指輪へ目を向けた。
最初は穏やかだった表情が、少しずつ変わっていく。
おや?
どうした?
俺としては、気に入ってくれればそれでいいのだが、彼女は指輪を見つめたまま、しばらく何も言わなかった。
「レティシア?」
声をかけると、彼女が顔を上げた。
その頬は、いつの間にか赤く染まっている。
「若様……」
「ん?」
レティシアは少し躊躇うように指輪へ視線を落とし、それから俺を見た。
「着けてください」
そう言って、そっと指を差し出してきた。
……おお。
これはまた。
普段のレティシアなら、礼を述べて自分で着けそうなものだが、今日は違うらしい。
頬を赤くしたまま、俺の返事を待っている。
いやあ、可愛いな。
何だこれは。
こんなふうに甘えてくるなんて、滅多にないぞ。
俺は彼女から指輪を受け取り、差し出された手を取った。
細く長い指が、俺の手の中に収まる。
いつもなら何の気なしに触れている手なのに、こうして改めて指輪を着けようとすると、妙に緊張するな。
まあ、俺が緊張してどうする。
レティシアの方が、よほど恥ずかしそうにしているじゃないか。
「レティシア」
「はい、若様」
「もっと俺にだけは甘えろ。もっとわがままになれ、俺だけにはな」
そう言いながら、指輪をゆっくりと彼女の指に嵌めた。
おっ。
ピッタリだ。
思わず満足してしまった。
俺が選んだものではあるが、これほど綺麗に合うとはな。買ってきて正解だった。
レティシアは指輪を着けた手を少し持ち上げ、じっと眺めている。
その横顔を見ていると、何となく胸の奥が温かくなった。
「どうだ?」
「……とても、嬉しいです」
レティシアは指輪から視線を上げ、俺に微笑んだ。
「ありがとうございます、若様」
「うむ。似合っているぞ」
そう言うと、彼女の頬がまた赤くなった。
……いや、本当に似合っているんだから仕方がない。
それにしても、指輪一つでこれほど喜んでくれるなら、もっと早く贈ってやればよかったな。
俺は彼女の手を握ったまま、もう一度指輪を眺めた。
レティシアは昔から俺のそばにいた。
幼い頃から何かと世話を焼いてくれて、俺が好き勝手なことを始めても、結局は最後まで付き合ってくれる。
今では俺の子供まで身籠ってくれたのだ。
そう考えると、指輪一つでは足りない気もしてくる。
もっと何かしてやりたい。
しかし、何をしてやればいいんだろうな。
金ならあるし、欲しいものがあれば用意してやれると思う。だが、こいつは自分から何かを欲しがることが少ないんだよな。
だからこそ、さっきのように甘えてくれると嬉しいのだ。
「遠慮するなよ。お前には随分世話になっているんだからな」
「若様……」
「今までだって十分頑張ってきただろう。これからは子供のこともあるんだ。少しくらいわがままになってもいいんだぞ」
レティシアは俺を見つめ、それから小さく頷いた。
「……はい」
うむ。
素直でよろしい。
もっとも、そう簡単に性格が変わるとも思えんが。
まあ、少しずつでいいだろう。
俺としては、こいつが俺の前で気兼ねなく笑ってくれれば、それだけでも十分嬉しいからな。
そんなことを考えていると、レティシアがもう一つの品を手に取った。
「若様、こちらの布は?」
「ああ、それか」
俺は布へ目を向けた。
綺麗な品ではあるが、正直なところ、どういう理屈で赤ん坊を守るのかは分からない。
そもそも、本当に効果があるのかどうかも怪しい。
ただ、そういうものだと聞いたんだよな。
「ああ、なんでも子を守るそうだ。気休めかもしれんが、まぁ好きに使え」
「子供を、ですか?」
「ああ」
レティシアは布をそっと広げ、指先で表面を撫でた。
それから、もう一度俺を見る。
「こちらも、ありがとうございます」
何とも嬉しそうな顔をするじゃないか。
俺としては、別に大したものではないつもりだったんだが。
……いや、本人が喜んでくれるなら、それでいいか。
「気に入ったなら何よりだ。別に無理して使う必要はないからな」
「はい。大切にいたします」
そう言って布を胸元へ寄せるレティシアを見ていると、また抱きしめたくなってくる。
いや、それだけでは済まないかもしれん。
指輪を着けた手を大事そうに眺め、時々こちらへ嬉しそうな視線を向けてくるんだぞ。
しかも顔を赤くして、普段より少し恥ずかしそうにしている。
……駄目だ。
可愛すぎる。
このまま押し倒してしまいたい。
いやいや、何を考えているんだ、俺は。
レティシアのお腹には子供がいるんだぞ。
しかも、俺の魔力がどんな影響を与えるか分からないから、わざわざ可能な限り抑えているんじゃないか。
ここで欲望に負けてどうする。
俺は心の中で自分に言い聞かせ、どうにか平静を保った。
ふう。
危なかった。
レティシアはそんな俺の内心を知ってか知らずか、また柔らかく微笑んでいる。
……こら。
そんな顔をするんじゃない。
理性が揺らぐだろうが。
「レティシア」
「はい」
俺は彼女へ手を伸ばし、そっと抱き寄せた。
力を入れすぎないように気をつけながら、ほんの軽く身体を重ねる。
いつもなら、ここからもっと強く抱きしめているところだが、今日は我慢だ。
それでも、腕の中にレティシアがいるというだけで、何とも落ち着く。
彼女も俺の背中へそっと手を回してきた。
……ああ、いいなあ。
ずっとこうしていたい。
しかし、それでは何のために魔力を抑えたのか分からなくなる。
俺は名残惜しさを振り払い、ゆっくりと腕を解いた。
「それじゃあ、俺は行くぞ。身体を大事にな」
「はい、若様」
レティシアは少し寂しそうに見える顔で頷いた。
……おいおい。
そんな切なそうな顔をするな。
せっかくの鋼の意志が溶けそうになるじゃないか。
俺だって、できればここにいたいんだぞ。
でもな、今は我慢するしかないんだ。
俺はもう一度レティシアの手を取り、指輪の嵌まった指を軽く撫でた。
「また来るからな」
「……はい。お待ちしております」
その返事を聞き、俺はようやく手を離した。
扉へ向かい、振り返る。
レティシアはまだこちらを見ていた。
指輪を着けた手が、胸元にそっと添えられている。
……まったく。
あんな顔を見せられて、どうやって帰れというんだ。
いや、帰るけどな。
帰らないといけないんだから。
俺はどうにか笑顔を返し、静かに部屋を出た。
扉を閉め、廊下へ出たところで大きく息を吐く。
ふう。
勝った。
俺の理性が、見事に勝利したぞ。
普段なら、とっくに抱きしめ直して寝台へ連れて行っていたところだ。
それを軽く抱きしめるだけで済ませたんだからな。
うむ、立派だ。
……いや、こんなことで自分を褒めるのもどうかと思うが。
とにかく、レティシアが喜んでくれてよかった。
俺は自然と緩んでいた頬を引き締め、次の土産を渡すために歩き出した。
次は、20時となります。




