第三百十四話 父親の思いつき
名残惜しかったが、俺はレティシアのいる部屋から静かに出た。
扉を閉めても、さっきまでの彼女の笑顔が頭から離れない。できることなら、もう一度戻って抱きしめたいところだが、そういうわけにもいかない。
何しろ、彼女のお腹には俺の子供がいるのだ。
俺の魔力が子供にどんな影響を与えるのか、まだはっきり分かっていない以上、慎重に行動するべきだろう。会えるようになったからといって、好き勝手に近づいていいわけではない。
分かっている。ちゃんと分かっているぞ。
……しかし、そうか。
レティシアのお腹に、俺の子供がいるのか。
改めて考えると、なんとも不思議な気分になってくる。つい先ほどまでは、ただ嬉しくて仕方がなかったのだが、こうして一人になると、妙に実感が湧いてきた。
あのレティシアが母親になる。
そして俺が父親になる。
ふふっ。
……いかん、顔が緩む。
誰もいない廊下でにやけているところを見られたら、何を言われるか分かったものではない。
俺は軽く頬を揉み、表情を引き締めた。
父親になるんだからな。これからは、もう少ししっかりしなくては。
うむ。
……まあ、それはそれとして、レティシアは可愛かったな。
嬉しそうに笑う顔を思い出しただけで、また頬が緩みそうになる。
駄目だ、これではいかん。
とりあえず歩こう。
そう思って廊下を進みかけたところで、ふと大事なことを思い出した。
ああ、そうだ。土産だ。
せっかく買ってきたんだから、早く渡さなくては。
……あれ?
土産、どこだ?
自分の服を見下ろしてから、手元を確認する。当然、何も持っていない。
部屋へ戻った時に置いたか?
いや、そんな覚えはないぞ。
しばらく考えて、ようやく思い当たった。
……そうか、馬の鞍につけっぱなしだ。
レティシアの懐妊を知らされてから、すっかり頭から抜け落ちていたらしい。
危ない危ない。
せっかく買ってきたものを忘れるところだった。
俺は行き先を変え、厩舎へ向かうことにした。
歩きながらも、頭の中では子供のことがぐるぐる回っている。
ダリアにも子供が生まれる。
レティシアにも子供が生まれる。
もちろん、どちらも俺の子供だ。
いやあ、素晴らしい。
こうなると、リエリエールにも子供を産んでもらいたいところだな。
貴族にとって子供は大歓迎だ。家にとっても喜ばしいことだし、俺としても、できることならたくさん欲しい。
せっかく美女に恵まれているんだからな。
バンバン作ろうじゃないか。
もっとも、貴族同士では子供ができにくいという話だが、そこは回数と密度でどうにかなるだろう。
うむ、自信はある!
……何の自信だと言われそうだが、俺は本気だぞ。
そんなことを考えながら城を出ると、見覚えのある連中が目に入った。
セバスチャンたちだ。
なんだ、まだいたのか。
「何してんだ、お前たち?」
思わず声をかけると、何人かがこちらを振り向いた。
せっかくの休暇だというのに、こんなところに集まって何をしているんだろう。
家族のいる奴は家族と過ごせばいいし、恋人や愛人がいるなら、そちらへ行けばいいのに。
俺だって、できればレティシアとずっと一緒にいたいくらいなんだぞ。
「何しとるはないでしょうが。皆、気にしとるんですよ」
セバスチャンが、呆れたような顔でこちらを見た。
「ん?」
何を気にしているんだ?
そう思いかけて、ようやく気づいた。
ああ、そうか。
こいつらも、レティシアのことが気になっていたのか。
俺が城へ戻った途端にあれだけ慌てたのだから、何かあったと思っていてもおかしくない。
しかも、こいつらは俺の直属騎士だ。
普段からレティシアのことも知っているし、気にしてくれるのも当然だろう。
なるほどなるほど。
よし、では教えてやろう。
「うむ、レティシアが懐妊した! 俺に二人目の子ができた!」
俺は胸を張って宣言した。
いやあ、こうして口に出すと、また嬉しくなってくるな。
この年齢で二人の子持ちだぞ。
まあ、まだ産まれていないから、正確には二人ともこれからなんだが、それでも十分に誇っていいことだろう。
「おおっ!」
「おめでとうございます!」
「さすがですね、若様!」
騎士たちの間から、次々と祝福の声が上がった。
うむうむ。
もっと褒めてくれてもいいぞ。
俺はなかなか立派にやっていると思うんだ。
「若様らしいですな」
セバスチャンも口元を緩めている。
……それは祝福なのか?
いや、まあ、こいつなりに喜んでくれているんだろう。
「ありがとう。しばらくの間、迷惑をかけることがあるかもしれんが、よろしく頼むぞ」
周囲の騎士たちを見渡しながら言うと、それぞれが頷いてくれた。
もっとも、俺自身にできることは、それほど多くないんだよな。
子供が生まれるのは嬉しいが、俺の魔力が問題になる以上、近くにいることさえ難しい。
何とももどかしい話だ。
産まれるまで、ただ大人しくしていればいいのか?
それも何だかなあ。
まあ、無理をしてレティシアや子供に何かあったら、それこそ取り返しがつかない。
ここは我慢するしかないんだろう。
皆からの祝福を受けながら、俺は厩舎へ向かった。
中へ入ると、馬たちの気配とともに、乾いた藁や革の匂いが鼻に届いた。
さて、俺の土産はどこだったかな。
確か、鞍につけたままだったはずだ。
預けた馬のところへ行って確かめると、思った通り、荷物はそのまま残っていた。
「おっ、あったあった」
よかった。
さすがに、なくなっていたら困るところだった。
荷物を外し、一つずつ中身を確認する。
レティシアへの指輪。
ダリアへの髪飾り。
それから、ダリアの子供へのお守り代わりに買った布。
そして、リエリエールへの水晶玉。
うむ。
全部揃っているな。
……ん?
俺は並べた土産をもう一度眺めた。
指輪、髪飾り、布、水晶玉。
「………うーむ」
しばらくその場に立ったまま考え込む。
……そうか。
俺は土産をまとめ直し、厩舎を出た。
外には、まだセバスチャンがいた。
「おい、セバスチャン」
「へい、何ですかい?」
「馬を用意してくれ。丈夫で脚の速いやつだ。ああ、それと金も頼むぞ」
「は? 馬ですかい? 金も?」
セバスチャンが目を丸くした。
そんなに驚くことか?
馬と金を用意してくれと言っただけだぞ。
「ああ、頼んだぞ。すぐに戻ってくる」
「いや、若様、ちょっと――」
何か言いかけていたが、俺は構わず歩き出した。
急がなくては。
何しろ、俺にはやりたいことができたのだ。
自分の部屋へ戻ると、土産をひとまず置いた。
レティシアの指輪も、ダリアの髪飾りも、早く渡して喜ぶ顔が見たい。
だが、その前にやることがある。
……いや、正確には、やりたいことか。
まあ、どちらでもいい。
思いついてしまった以上、このまま放っておく方が気になる。
荷物を置いたことを確かめ、俺はすぐに部屋を出た。
再び厩舎の方へ戻ると、セバスチャンが馬を用意して待っていた。
おお、仕事が早いな。
さすがだ。
馬の様子を見る限り、なかなか立派なやつを選んでくれたらしい。
用意された金も受け取る。
うむ、これでよし。
「どこか行くんですかい?」
セバスチャンがこちらを見て尋ねた。
「ちょっとな。明日には戻る」
「明日?」
「ああ」
それ以上説明することもなく、俺は馬に跨った。
手綱を握り、軽く馬の首筋を撫でる。
よし、頼むぞ。
「若様!」
背後からセバスチャンの声が飛んできたが、俺はそのまま馬を走らせた。
悪いな、セバスチャン。
帰ってきたらちゃんと話すから、今は勘弁してくれ。
城下を抜けるまでは、周囲の人や馬車に気を配りながら進んだ。
さすがに、こんなところで全速力を出すわけにはいかない。
道には人の姿もあるし、馬だって通っている。
焦って誰かを跳ね飛ばしたら洒落にならん。
俺は逸る気持ちを抑え、街道を進んだ。
ようやく城下を離れ、人通りが少なくなったところで、周囲を確かめる。
うむ。
この辺りなら大丈夫そうだな。
俺は自分の身体へ肉体強化魔法を巡らせ、続いて馬にも慎重に魔力を流した。
急激に負担をかけすぎないよう調整しながら、少しずつ強めていく。
馬の脚運びが変わった。
先ほどまでとは明らかに違う力強さで地面を蹴り、俺の身体を乗せたまま速度を上げていく。
風が顔を叩き、周囲の景色が勢いよく後ろへ流れ始めた。
「すまんが、頑張ってくれ」
馬の首筋へ声をかける。
目的地までの道なら分かっている。
あそこには、これまで何度も行き来しているからな。
多少急いだところで迷うような場所ではない。
それに、セバスチャンが選んでくれた馬だ。きっと大丈夫だろう。
……もちろん、無茶をさせるつもりはないぞ。
ただ、ちょっと急いでいるだけだ。
俺は手綱を握り直し、前方へ目を向けた。
馬がさらに速度を上げ、街道を駆け抜けていった。
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