第三百十三話 授かった命
第三百十三話 授かった命
…………そうか。
魔力を抑えれば、少しの間なら会えるのか。
うん、そうなんだな。
それはよかった。
俺はぼんやりと婆さんの顔を眺めていた。
さっきから色々な事がありすぎて、どうにも頭の働きが鈍い。レティシアが懐妊したと聞かされ、それがほぼ間違いないと言われ、今度は正式に確認された。
つまり、レティシアのお腹には俺の子がいる。
ああ、そうだ。
俺の子だ。
…………。
ん?
待てよ。
今、なんと言った?
魔力を抑えれば、少しの間なら会える?
…………会える?
「会えるんだな!」
気づけば椅子から立ち上がり、婆さんに詰め寄っていた。
婆さんは驚いたように僅かに身を引いたが、すぐに俺を見据えた。
「魔力を抑えて、少しだけです」
はっきりと念を押された。
「分かった!」
それなら問題ない!
魔力を抑えろというなら、いくらでも抑えてやる。俺の魔力が強すぎる事くらい、自分が一番よく知っているんだからな。
むしろ、そこを注意してくれてありがたい。
俺はすぐに魔力を抑え始めた。
身体の内側にある膨大な魔力を、外へ漏れ出さないよう慎重に押さえ込んでいく。
普段から魔力を抑えて生活しているが、今はそれだけでは足りない。いつもよりさらに厳しく、可能な限り小さくする。
ゆっくり、慎重に。
焦って力を入れすぎないように気をつけながら、ギリギリまで抑え込んだ。
…………よし。
これなら大丈夫だろう。
もちろん、絶対に影響がないと俺に断言できるわけではない。だが、治癒魔導士が会ってもいいと言ったんだ。
その条件を守ればいい。
だったら、もうここにいる理由はないじゃないか。
俺は扉へ向かって走り出した。
レティシア!
今行くぞ!
…………。
いや、待て。
俺は扉の手前で足を止めた。
えーっと。
どこだ?
レティシアがどこにいるのか知らんぞ。
いつもの部屋にいるとは限らないし、そもそも妊娠したばかりなんだから、別の部屋で休んでいる可能性もある。
いかん。
これでは会いに行けないじゃないか。
慌てて振り返ると、アル兄さんが俺を見ていた。
「アル兄さん、レティシアはどこですか?」
俺が尋ねると、アル兄さんは少し笑みを深くした。
……なんだよ。
そんなにおかしな事を聞いたか?
いや、我ながら間抜けだったとは思うが、今は仕方ないだろう。
アル兄さんが部屋の場所を教えてくれたので、俺は大きく頷いた。
「ありがとうございます!」
よし、今度こそ大丈夫だ。
俺はそのまま部屋を飛び出した。
背後で何か声がしたような気もするが、今度は振り返らなかった。
場所は聞いた。
魔力も抑えた。
治癒魔導士から許可も出ている。
なら、あとは会うだけだ。
廊下を走る。
靴音が石の床に響き、すれ違う使用人たちが驚いたようにこちらへ顔を向けた。
悪いな。
今は構っていられん。
レティシアが待っているんだ。
……いや、待っているかどうかは知らんが。
それでも俺は一刻も早く会いたい。
さっきまでは、帰ってきたら何を話そうか、土産を見せたらどんな顔をするだろうか、なんて考えていた。
だが、今となってはそんな事はどうでもいい。
いや、どうでもよくはないぞ。
土産はちゃんと渡す。
あの指輪だって、レティシアに似合うと思って選んだんだからな。
ただ、今はそれよりも大事な事がある。
レティシアが懐妊した。
俺の子を授かったんだ。
その事を、本人の口から聞きたい。
できる事なら、今すぐ抱きしめたい。
だが、身体に障るような事は絶対にしたくない。
ああ、もう。
どうすればいいんだ?
抱きしめてもいいのか?
そもそも妊娠したばかりの女を抱きしめていいものなのか?
…………分からん。
だったら、レティシアに聞けばいいか。
そうだな。
それが一番だ。
俺は走りながら、もう一度自分の魔力を確かめた。
よし。
きちんと抑えられている。
それでも油断はしない。
レティシアのお腹には俺の子がいるんだからな。
レティシア。
レティシア。
レティシア!
頭の中で何度も名前を呼びながら、最後の角を曲がった。
教えられた部屋が見える。
あそこだ!
俺は扉の前まで一気に駆け寄った。
そして、そのまま蹴破るような勢いで扉を開け放った。
「レティシア!」
勢い余って部屋の中へ駆け込む。
その途端、目に入った光景に足が止まった。
…………いた。
レティシアだ。
椅子に腰掛けている。
俺の声に顔を上げたレティシアが、こちらを見つめていた。
そして、微笑んだ。
…………。
美しい。
いや、本当に美しい。
なんだ、これは。
久しぶりに会ったせいだろうか。
それとも、懐妊したと知っているせいなのか?
分からん。
分からんが、目の前のレティシアは光り輝いていた。
ほんのりと頬を染め、柔らかく微笑んでいる。
女神だ。
間違いない。
俺のレティシアは女神だったんだ。
…………いや、前からそう思っていたが。
それにしても、美しいな。
ああ、会いたかった。
どれだけこの顔が見たかった事か。
俺は思わず駆け寄りかけたが、慌てて足を止めた。
いかん。
落ち着け。
レティシアのお腹には子供がいる。
俺の魔力がどんな影響を与えるか分からない以上、慎重にならなければならん。
改めて魔力を抑え直す。
さっきから十分に抑えているつもりだが、念には念を入れておくべきだろう。
胸の奥にある喜びとは反対に、魔力だけは静かに押さえ込んでいく。
…………よし。
俺はレティシアへゆっくりと歩み寄った。
近づくにつれて、見慣れた顔がはっきり見えてくる。
綺麗な瞳も、柔らかな唇も、俺を見る時の穏やかな表情も、何一つ変わっていない。
ああ、レティシアだ。
間違いなく俺のレティシアだ。
そのレティシアが、俺を見上げながら口を開いた。
「子を授かりました」
…………。
なんて美しい声なんだ。
頬を染め、柔らかくそう告げるレティシアの声が、まっすぐ胸に染み込んでくる。
いや、声だけじゃない。
その言葉まで美しい。
子を授かった。
俺とレティシアの子を。
…………そうか。
本当なんだな。
アル兄さんから聞いていた。
治癒魔導士からも確認した。
それでも、こうしてレティシア本人から聞かされると、嬉しさがまるで違う。
なんだか胸の奥がいっぱいになってしまった。
ああ、抱きしめたい。
今すぐ抱きしめたい。
だが、ここは慎重にならなければならん。
「抱きしめてもいいか?」
俺が尋ねると、レティシアは一瞬だけ目を大きくした。
それから、頬をさらに赤く染めた。
「はい、お願いします」
そう答えたレティシアが、ゆっくりと両手を広げる。
…………。
おお。
なんだ、これは。
可愛すぎるだろう。
頬だけじゃない。
首筋まで赤くなっている。
そんな顔をしながら両手を広げられたら、抱きしめずにはいられないじゃないか。
いや、抱きしめていいと許可をもらったんだから、別に遠慮する必要はないんだが。
だが、乱暴に扱うわけにはいかない。
俺はレティシアの肩へそっと手を回した。
身体を引き寄せ、ゆっくりと抱きしめる。
…………ああ。
レティシアだ。
懐かしい匂いがする。
俺のレティシアの匂いだ。
その匂いを感じた途端、ようやく身体の奥から力が抜けていくような気がした。
帰ってきたんだ。
本当に、帰ってきたんだな。
シルディア城でも不自由はなかったし、別に寂しくてたまらなかったわけでもない。
それでも、こうしてレティシアを抱きしめると、今まで足りなかったものが全部戻ってきたような気がする。
柔らかな肩。
華奢な背中。
そして、身体を寄せると感じる見事な胸。
…………うむ。
間違いない。
やはり俺のレティシアだ。
ああ、なんだろうな、この安心感は。
戦場でどれだけ敵を倒そうが、どれほど大きな城を手に入れようが、こういうものには敵わない気がする。
俺は腕の中のレティシアを見た。
相変わらず頬を赤くしているが、その表情は穏やかだった。
俺の身体にも、そっと腕が回されている。
ああ、愛おしいな。
こいつが俺の子を授かってくれたのか。
そう思うと、自然に言葉が出た。
「レティシア、よくやった。ありがとう」
もっと気の利いた事を言うべきなのかもしれない。
だが、今の俺にはこれ以上の言葉が見つからなかった。
嬉しい。
本当に嬉しいんだ。
レティシアは俺を抱きしめたまま、少しだけ顔を上げた。
「はい。いいえ、子を授けてくださりありがとうございます」
…………。
ああ、もう。
なんなんだ、この女は。
そんな事を言われたら、ますます好きになってしまうじゃないか。
俺はレティシアの背中に回した手をそのままに、しばらくその顔を眺めた。
ほんの少し俯いているが、口元には柔らかな笑みが浮かんでいる。
俺の腕の中に収まっているレティシアが、どうしようもなく愛おしい。
しかも、これからは二人だけじゃない。
レティシアのお腹には子供がいる。
俺たちの子だ。
まだ生まれてもいないのに、なんだか随分と凄い事になった気がするな。
ダリアの子もいるし、これからますます賑やかになるだろう。
うん。
素晴らしいじゃないか。
そう考えていると、つい口元が緩んでしまった。
「楽しみにしてろ。これからもバンバン仕込むからな」
そう言うと、レティシアの顔が一気に赤くなった。
おお。
真っ赤だ。
さっきまでだって十分赤かったのに、さらに赤くなるとは。
いやぁ、可愛いなぁ。
俺は思わず笑ってしまいそうになったが、レティシアが恥ずかしそうに俯いたので、どうにか堪えた。
さすがに笑うのは可哀想だ。
しかし、こんなに赤くなってしまうとはな。
いつもは何かと俺の世話を焼いてくれるし、落ち着いた顔をしている事が多いんだが、こういうところは本当に可愛らしい。
俺がそんな事を考えていると、腕の中から小さな声が聞こえた。
「はい、期待しています」
…………。
ん?
今、なんと?
いや、聞こえた。
確かに聞こえたぞ。
小さな声だったが、俺は聞き逃さなかった。
期待しています、だと?
…………。
おいおい。
そんな可愛い事を言うなよ。
ただでさえ抱きしめたい気持ちを抑えているというのに、これ以上どうしろというんだ。
レティシアは相変わらず真っ赤な顔をしている。
俺と目を合わせるのが恥ずかしいのか、少し俯いたままだ。
だが、その両腕は俺の身体に回されたままだった。
…………ああ。
幸せだな。
戦場から帰ってきて、こんなに嬉しい知らせを聞けるとは思わなかった。
マバール城に帰ったら何をしようか、土産を渡して、のんびり過ごして、なんて考えていたのが馬鹿らしくなってくる。
いや、土産も渡すし、のんびりもするぞ。
だが、今はそんな事よりも、この腕の中の温もりを感じていたい。
俺は少しだけ強くレティシアを抱きしめた。
本日はここまでとなります。
ありがとうございました。
次回更新は、明日5時となります。




