第三百八話 まだ終わらぬいくさ
会議室を出て廊下を歩きながら、俺は父上に言われたことを考えていた。
騎士団の名前、か。
そういえば、俺の騎士団には名前がない。これまで特に不便を感じたこともなかったし、セバスチャンたちを呼ぶ時だって、誰かに用事を頼む時だって、名前が必要になったことはなかった。
だが、父上に言われてみれば確かにそうだ。
正式に名前を付けろということは、今後は一つの騎士団として扱うつもりなんだろう。これまでも俺の直属騎士団として動いていたわけだが、記録に残すとなると、いつまでも俺の騎士団では通らないらしい。
……面倒だな。
名前なんて、呼びやすくて誰のことか分かれば何でもいいと思うんだが、そういうわけにもいかないんだろう。
まあ、俺一人で考える必要はないか。
セバスチャンもいるし、オルドやクレインたちもいる。どうせ全員が使う名前なんだから、皆で考えればいいじゃないか。俺が勝手に決めて、後から文句を言われるのもムカつくしな。
よし、そうしよう。
そう決めると、少し気が楽になった。
問題はセバスチャンがどこにいるかだ。
……たぶんシルディア橋だろうな。
あいつ、何かあると橋の方へ行っている気がする。別にセバスチャンだけが警戒しなければならないわけではないと思うんだが、本人はああいう場所に立っている方が落ち着くのかもしれない。
少なくとも、部屋でのんびり茶でも飲んでいる姿よりは想像しやすい。
城を出て、橋へ向かう道を歩いた。
外は明るく、城内にいた時よりも風が強く感じられた。石壁に囲まれた廊下とは違い、顔に当たる風には土と草の匂いが混じっている。
道には相変わらず人が多い。
荷物を運ぶ者、馬を引く者、何やら話し込みながら歩いている者。皆それぞれの用事があるらしく、足を止める者は少ない。大きな荷車が通ると人の流れが左右へ分かれ、通り過ぎるとまた元に戻っていく。
いくさの最中だというのに、なかなか賑やかなものだ。
いや、いくさの最中だからこそ、か。
橋を渡る者もいれば、城へ向かう者もいる。物を運ぶ連中にしてみれば、こちらが勝っているか負けているかより、今日の荷物をきちんと届けられるかどうかの方が大事なんだろう。
もっとも、戦況が悪くなればこんな悠長なことも言っていられない。人がこれだけ行き来しているというのは、少なくとも今のところ悪い状況ではないということだ。
橋が見えてくると、人の往来はさらに増えた。
袂には屋台や小屋が並び、荷車を止めて何かを積み下ろしている者たちもいる。少し前より店が増えたような気もするが、毎日見ていると案外分からないものだ。
さて、セバスチャンは……。
いた。
やっぱり橋にいた。
少し離れたところからでも、あの顔はすぐに分かる。傷だらけの顔に厳しい目つき。周囲の者たちとは明らかに雰囲気が違う。
橋を行き来する人々へ視線を向け、時折、通り過ぎる荷車や馬にも目をやっている。
うん、今日も怖い顔をしているな。
何か不審なものでも見つけたのかと思ったが、特に動く様子はない。
……いや、待てよ。
あれ、普段通りの顔じゃないか?
警戒しているから怖い顔なのか、元から怖い顔なのか、長い付き合いなのに時々分からなくなる。
まあ、どちらでもいいか。
「よう」
声をかけると、セバスチャンがこちらを向いた。
「どうしやした?」
いつもの調子だ。
俺がここへ来るのは珍しいことでもないから、特に驚く様子もない。視線だけこちらへ向け、身体は橋の方へ向けたままである。
……相変わらずだな、こいつ。
「いや、父上から十日ほど休めと命じられた」
そう伝えると、セバスチャンの片眉がわずかに動いた。
「ほう、構わんので?」
やっぱりそう思うよな。
俺だって最初は驚いた。十日間も休ませるなんて、今の状況では随分と思い切った話に聞こえる。
「ああ、いくさはひとまず落ち着いてるそうだ。ほぼ全てでこちらの勝ちだそうだ」
「ほう」
……それだけか?
セバスチャンは短く呟くと、また橋へ視線を戻した。
いやいや、勝ったんだぞ?
ほぼ全ての戦場でこちらが勝利したというのは、かなり大きな話じゃないか。父上やザイン殿の様子からしても、今回の作戦は相当うまくいったらしいんだが。
それなのに、この反応である。
もう少し喜んでもいいと思うんだがな。
もっとも、こいつが手を叩いて大喜びしている姿なんて想像できない。そんなことをされたら、逆に何かあったのかと心配するかもしれない。
……うん、やっぱり普段通りでいいか。
俺は少し肩をすくめた。
「それで、お前らも十日ほど休みになった」
「ほう、それはそれは」
またしても、あっさりした返事だった。
今度こそ少しくらい嬉しそうにするかと思ったんだが、どうにもそんな様子は見えない。もちろん、顔が怖いから分からないだけかもしれないが、それにしたって反応が薄すぎないか?
十日だぞ、十日。
城へ戻って休めるんだから、普通なら喜ぶと思うんだが。
「なんだ? 不満か?」
思わず聞いてしまった。
もしかして、十日では短すぎるのか?
考えてみれば、セバスチャンたちもずっと働きっぱなしだった。俺の見回りに付き合ったり、橋を警戒したり、騎士団の仕事もある。俺は途中で少しくらいサボることもできたが、あいつらはそういうわけにもいかなかっただろう。
それなら、もう少し休ませた方がいいのかもしれない。
俺がそんなことを考えていると、セバスチャンがこちらを向いた。
「いくさは終了ですかい?」
……そっちか。
休みが少ないんじゃなくて、いくさが終わるのか気にしていたのか。
まったく、こいつは。
まだ戦いたいのか?
いや、気持ちは分からなくもないけどな。せっかく始まったいくさだし、俺たちはまだまだ戦える。相手がいるうちは戦いたいという考え方だってあるだろう。
もっとも、俺としては適当に休む時間も欲しい。戦うのは嫌いじゃないが、だからといって毎日戦っていたいわけでもない。
「いや、父上は王国が国王軍をなんとか動かそうとしてると見てるようだ。たぶん、最後にデカいのがあるんじゃないかな?」
そう答えながら、俺は会議室で聞いた話を思い返した。
善良王がいないから国王軍を動かせない。
それでも、王国は敗北を受け入れないだろうと父上は言っていた。
国王救出という理由を付けて軍を動かそうとするなら、確かにもう一度、大きな戦いになるかもしれない。
だが、王国も大変だよな。
国王は攫われ、各地の貴族はボコボコにされ、国としての面子は丸潰れだ。王国の貴族たちがどう考えているのかは知らないが、少なくとも胸を張って勝ったとは言えないだろう。
しかも、相手がこちらの要求を拒み続けたらどうするんだ?
国王が戻らないまま、いくさを続けるのか?
……そもそも、善良王は今後どうなるんだろうな。
俺が攫った時には、王国を困らせるには十分だと思っていた。だが、今になって考えると、あいつの存在は想像以上に大きいらしい。
国王がいないだけで国王軍を動かせないというのだから、王国の連中も頭を抱えているんだろう。
いや、待てよ。
もし善良王が処刑されたらどうなる?
国王が攫われただけでもこれだけ大騒ぎになっているんだ。それが処刑されたとなれば、王国は立ち直れるのか?
国王を守れなかった貴族たちの立場はどうなるんだろう。
国王軍を動かすために大慌てで条文を整えているというのに、その国王自身がいなくなってしまったら……。
……ん?
もしかして、王国が崩壊する?
いや、そこまでいかなくても、今のままではいられないんじゃないか?
だとすると、帝国はどうするんだろう。
大陸の大部分を占めている王国が崩れれば、帝国にとっては随分と都合がいい。これまで王国と帝国で睨み合っていたのが、片方だけになってしまうわけだ。
……帝国が大陸を統一するのか?
それはそれで、とんでもない話だな。
いや、北部諸国や南部連合があるか。
王国や帝国に対抗するために、それぞれの国々が協力しているんだったな。帝国がさらに大きくなれば、黙っているとは思えない。
……いや、でも小さすぎるか?
王国が健在ならともかく、その王国が崩れてしまったら、北部諸国だけで帝国を相手にできるんだろうか。南部だって、もともと帝国に対抗するために協力しているんだから、帝国がさらに強くなれば相当困るはずだ。
そうなると、どうなる?
帝国が全部飲み込んでしまうのか。それとも残った国々が抵抗して、さらに面倒ないくさになるのか。
……うーむ。
分からん。
そもそも王国が本当に崩壊するのかどうかも分からないのに、その先を考えても仕方がないか。
俺は別に大陸を統一したいわけでもないしな。
マバール家が困らなければそれでいいし、俺としてはできればレティシアたちとのんびり暮らしたい。もちろん、いくさがあるなら戦うが、それとこれとは別の話だ。
それに、王国のことは父上たちが考えるだろう。今の俺があれこれ悩んだところで、何か変わるとも思えない。
そんなことを考えていると、セバスチャンが頷いた。
「まぁ、いくさに参加できるんなら構いませんぜ」
……やっぱり、そっちなのか。
こいつ、本当に戦うのが好きだな。
俺だって敵を倒すのは嫌いじゃないが、セバスチャンはどうにも筋金入りらしい。十日も休めると聞いて最初に心配するのが、次のいくさに参加できるかどうかなんだから。
いや、別に文句はない。
むしろ、こういう奴が味方にいてくれるのはありがたい。俺の騎士団を任せる相手としては、これ以上ないくらい頼りになる。
……そうだ、騎士団だ。
すっかり忘れるところだった。
「そうだ、父上から騎士団の名前も考えておけとも言われたぞ」
セバスチャンがこちらを向いた。
今度は何を言われるのかと思ったが、特に驚いた様子もなく、少し考えたように口を開いた。
「ギルバート騎士団でいいじゃねえですかい?」
……え?
それだけ?
あまりにもあっさりした返答に、俺の方が少し驚いてしまった。
いや、確かにそうなんだが。
俺の直属騎士団なんだから、ギルバート騎士団というのは別に間違っていない。名前を見ただけで誰の騎士団なのか分かるし、父上が記録に残す時だって困らないだろう。
だが、なんというか……。
そのまますぎないか?
「うーん、それは嫌だ。なんか俺が偉そうに見えるだろ。俺は謙虚な人間だからちょっとな」
そう言って、俺は少し考えた。
別に俺が団長なのを隠すつもりはない。そもそも俺の個人騎士団なんだから、俺が団長なのは当然だ。
だが、自分の名前をそのまま付けるというのは、どうにも気恥ずかしい。
ギルバート騎士団。
……うーん。
何度か頭の中で繰り返してみたが、やっぱりしっくりこない。
まるで俺が自分の名前を広めたくて騎士団を作ったみたいじゃないか。そんなつもりはないし、俺はもっと控えめに生きていきたいのだ。
いや、俺の騎士団なんだから、多少は偉そうでもいいのかもしれないが、それにしたってもう少し工夫が欲しい。
せっかく正式な名前を付けるんだぞ?
呼びやすくて、覚えやすくて、それでいて何となく格好いい名前がいいじゃないか。
……そういう名前が何なのかは分からんけど。
俺が考え込んでいる間、セバスチャンは妙な顔でこちらを見ていた。
何だ、その顔は。
ギルバート騎士団がそんなに気に入ったのか?
まあ、こいつが気に入っているとしても、俺が嫌なものは嫌だ。名前なんて一度決めたら、そう簡単には変えられないだろうしな。
それなら最初から、皆が納得できるものにしておいた方がいい。
オルドやクレインたちにも聞いてみれば、何か面白い案が出るかもしれない。セバスチャン一人に任せるより、候補も増えるだろう。
うん、やっぱりそれがいい。
「みんなでなんかいい感じのを考えてくれ。ギルバート騎士団は無しだ」
そう言うと、セバスチャンがぽかんとした顔になった。
……なんだ?
俺、そんなに変なことを言ったか?
せっかく騎士団に名前を付けるんだから、皆で考えればいいじゃないか。どうせ使うのは俺だけじゃないんだし、最初から相談しておけば後で文句を言われることもないだろう。
実に合理的な判断だと思うんだが。
まあ、セバスチャンが何を考えているのかは分からない。
とにかく名前の件は頼んだぞ。
俺は、なぜかぽかんとしているセバスチャンにそう言って、騎士団の命名を任せることにした。
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