第二百九十七話 帰れない三男坊
シルディア城が見えてきた頃には、俺の頭から米のことも少し離れていた。
いや、忘れたわけじゃない。あれほど苦労して手に入れる目処が立ったのだから、忘れるはずがないだろう。
ただ、目の前に城が見えてくれば、さすがに仕事のことを考えなくてはならない。
馬を進めながら前方を眺めると、城へ向かう街道には人や馬の行き来があった。武装した兵の姿も見える。戦争の最中なのだから当然だが、エラム城を出てからの比較的静かな道中とは、少し雰囲気が違っていた。
ようやく戻ってきたか。
もっとも、帰ってきたからといって休めるとは限らないんだけどな。
俺は小さく息を吐き、後ろを振り返った。
バルボアを乗せた馬車は、相変わらず俺たちの後ろを進んでいる。道中、一度も騒ぎを起こすことはなかった。
魔力を封印されているうえに、周囲には俺たちがいる。逃げ出そうとしても無理だと分かっているのだろう。
まあ、俺としても大人しくしていてくれるなら助かる。
ここまで連れてきて逃げられた、なんてことになったら面倒だからな。
城へ近づくにつれて、兵たちの姿が増えてきた。俺たちに気づいた者が道を空け、馬車へ視線を向ける。誰を連れているのか気になるのだろう。特に問題もなく城内へ入ることができた。
さて、まずはバルボアを引き渡さなくては。
馬を止めて鞍から降りると、長く乗っていたせいで少し固くなった脚を伸ばした。馬が鼻を鳴らしたので首筋を撫でてやる。
「ご苦労だったな」
お前は元気いっぱいだったけど、俺はそれなりに疲れたぞ。
そう思いながら馬車の方へ歩いていくと、出迎えた武官がこちらへ近づいてきた。
「ギルバート様、お戻りになられましたか」
「ああ。エラム家当主のバルボアを連れてきた。引き渡したい」
「承知いたしました」
武官は馬車へ視線を向け、近くにいた兵たちへ声をかけた。
バルボアは促されるまま馬車を降りた。
俺はその様子を見守る。
エラム城では降伏を受け入れたが、あくまでも捕虜である。ここから先の扱いは父上たちが決めることになる。
バルボアは俺の方を見たものの、特に何か言うこともなかった。
俺も声はかけなかった。
今さら何を話すというのだろう。
降伏した以上、俺にできることは連れてくるところまでだ。
武官に引き渡しを済ませると、男は改めて俺へ向き直った。
「ガルシア様が、ギルバート様がお戻りになられたら会議室へ来るようにと仰せです」
「父上が?」
「はい」
ふむ。
やっぱり呼ばれるか。
まあ、仕事の報告もしなくてはいけないし、今後の指示もあるだろうからな。
「分かった。すぐに向かう」
そう答えてから、セバスチャンの方を見る。
「セバス、俺は父上のところへ行ってくる」
「へい、承知しやした」
「バルボアは引き渡したから、あとは任せる」
「お任せくだせえ」
頼もしい返事を聞いて頷き、その場を離れようとしたところで、大事なことを思い出した。
そうだ、米だ。
危ない危ない。
忘れるところだった。
俺は馬車の御者を務めてくれた男を呼び止めた。
「おい、ちょっといいか」
「はい、何でございましょう?」
「さっき頼んだ米のこと、忘れるなよ」
「ああ、あれですな。もちろん覚えております」
「実の方と、川沿いに生えていたやつの両方だぞ」
「はい、承知しております」
「うむ、頼んだ」
よし。
これで大丈夫だろう。
何度も念を押しているんだから、さすがに忘れまい。
あくまでも馬の餌として頼んでいるんだけどな。
……本当は俺が食いたいからだけど。
まあ、その辺は別に言わなくてもよいだろう。
御者の男に頷いてから、俺は会議室へ向かった。
城内の廊下を歩いていると、すれ違う兵や武官たちが頭を下げてくる。俺も軽く頷いて応じながら進んだ。
こうして歩いていると、シルディア城も随分と慌ただしい。
俺がエラム城へ向かっていた間にも、戦争は続いていたのだ。
父上たちも忙しいんだろうな。
さて、次はどこへ行かされることやら。
できれば少しくらい休みたいが、セバスチャンの言うとおり、そう簡単にはいかない気がする。
そんなことを考えているうちに、会議室へ着いた。
扉を開けて中へ入ると、父上がいた。
その横にはザイン殿もいる。
俺は姿勢を正して二人の前へ進んだ。
「父上、只今戻りました。降伏したエラム家当主も連行しました」
そう報告すると、先に口を開いたのはザイン殿だった。
「ありがとう。相変わらず見事な働きだ」
「ありがとうございます」
素直に頭を下げる。
ザイン殿は笑みを浮かべているが、父上は何も言わない。
……あれ?
なんだろう。
父上がじっと俺を見ている。
別に睨まれているわけではない。だが、何かを確かめるような視線がこちらへ向けられていた。
なんかしたっけ?
エラム城はちゃんと攻略したし、バルボアも連れてきた。
バカルカにも城を任せてきたから、問題はないはずだ。
ほかに何かあったかな。
「父上?」
少し不安になって声をかけると、父上はようやく口を開いた。
「よくやった」
「はい、ありがとうございます」
なんだ。
ちゃんと褒めてくれるじゃないか。
俺がほっとしたところで、父上が続けた。
「だが、夜空を輝かせたのはお前か、ギルバート」
「…………」
あ。
そういえば、やったな。
すっかり忘れてた。
エラム城で、ちょっとばかり派手なことをしたんだった。
いや、ちょっとというには大きかったかもしれないが、あれは別に誰かを攻撃したわけじゃない。
あくまで実験だ。
戦闘時の連絡に使えるかどうか試してみただけなのである。
うむ。
そういうことにしておこう。
……誤魔化せるかな?
いや、無理だろうなぁ。
セバスチャンも見ていたし、バカルカもいる。ほかにもたくさん見ているはずだ。
ここで俺じゃありませんなんて言ったら、かえって怒られるだろう。
ならば、素直に認めるしかない。
「はい。戦闘時の連絡に使えるかと思い、実験しました。少しやりすぎましたが」
よし。
嘘は言っていない。
……はずだ。
父上はしばらく俺を見つめていたが、やがて口元をわずかに動かした。
「ほう、少しか」
うっ。
そこを突っ込まれるのか。
いやいや、落ち着け。
実際、加減を間違えたのは間違いないんだからな。
「はい。初めてのことで加減を誤りました」
これならどうだ。
あくまでも初めての実験だった。
慣れていないから加減を誤った。
ミスなんだよ、パパ上。
わざとあんな大きなものを出したわけじゃないんだ。
……まあ、どの程度になるか興味があったのは事実だけど。
俺はできる限り真面目な顔をして、父上の反応を待った。
しばらく沈黙が続く。
なんだろう。
やっぱり怒られるのか?
そんな不安が頭をよぎったところで、父上の肩が小さく震えた。
うわっ。
まずいか?
だが、次の瞬間だった。
「はっはっはっ!」
父上が笑い出した。
……お?
これは。
セーフか?
セーフだよな?
俺が恐る恐る父上の顔を見ていると、父上はしばらく笑ったあと、ようやく口を開いた。
「王都だけではなく、帝都の空まで覆ったらしいぞ」
「…………」
え?
帝都?
王都だけじゃなくて?
そこまでデカかったのか、あれ。
俺は顔に出さないように気をつけながら、内心で冷や汗を垂らした。
いや、確かにかなり大きな光だったとは思う。
だが、帝都まで見えたというのは予想外だ。
王都どころか、帝都の空まで覆った?
……そんなに?
あれ、別に全力じゃないんだけどなぁ。
いやいや。
余計なことを言う必要はない。
ここで全力ではなかったなんて言ったら、また何を聞かれるか分からん。
俺は大人しく口を閉じていた。
父上はそんな俺を見て、まだ少し笑っていたが、やがて表情を改めた。
おや?
今度はなんだろう。
先ほどまでの笑いが収まり、父上の顔が真面目なものに戻っている。
「ダルメシアンが帝都よりマバール城に戻って来る」
「!」
ダル兄さんが?
帰って来るのか!
俺は思わず身を乗り出しかけた。
父上の後継者であるダル兄さんは、とにかく忙しい。
最近はほとんど顔を合わせていないし、それなりの期間、帝都に滞在していたはずだ。
新しい皇帝が即位したこともあって、色々と大変だったのだろう。
そうか。
ようやく帰って来るのか。
それなら会いたいな。
いや、会いたいどころじゃない。
聞きたいことが山ほどある。
帝都はどんなところだったのか。
皇帝城は?
新しく即位した皇帝はどんな人物なんだろう。
帝国内でのマバール家の立場はどうなっているのか。
ダル兄さんなら、そういう話も色々と知っているはずだ。
それに、帝都にはどんな貴族がいるんだろうか。
騎士は?
料理は?
美味いものがあったなら、ぜひ教えてもらいたい。
帝都にはしばらく行けそうにないからな。
ダル兄さんから話を聞くだけでも楽しそうじゃないか。
久しぶりに兄弟でゆっくり話すのもいい。
うん。
決まりだ。
「では、俺もマバール城に戻ります」
そう言いかけたところで、父上が口を開いた。
「儂は一度マバール城に戻る。ダルメシアンとさまざまなことを話し合わねばならん」
「…………」
ああ。
そりゃそうだよなぁ。
ダル兄さんは父上の後継者なんだから、まず父上が話し合うのは当たり前だ。
帝都でのこともあるだろうし、今後の戦争についても話さなくてはならないだろう。
俺が聞きたいこととは、重要さが違う。
それは分かる。
分かるんだけどさぁ。
俺だって、久しぶりに兄さんと会いたいんだよ。
少しくらい顔を合わせてもいいじゃないか。
俺はじとっとした目で父上を見つめた。
すると、父上は苦笑した。
「気持ちは分かるが、我慢せよ」
……うっ。
やっぱり駄目なのか。
いや、まだ諦めるには早い。
父上だって、俺が同行しても困ることはないだろう。
少なくとも、馬に乗ってついていくだけなら邪魔にはならないはずだ。
「俺も同行して――」
「ギルバート、お主はシルディア城を護れ」
「……………………はい」
終わった。
俺のささやかな希望が、一瞬で打ち砕かれた。
くそぅ。
やっぱり駄目かぁ。
いや、分かるよ。
ちゃんと分かっている。
シルディア城は、今の戦争では前線司令部とも言える場所だ。
父上がここを離れるなら、マバール家の人間が残っていた方がいい。
そして、その役目に一番都合がいいのが俺だということも理解している。
ダル兄さんは帝都から帰って来るところだし、父上はそのダル兄さんと話し合わなくてはならない。
現在マバール城を差配しているアル兄さんとも、色々と相談することがあるのだろう。
それに比べて、俺はどうだ。
エラム城での仕事は終わった。
バルボアも引き渡した。
今のところ、特に決まった役目はない。
……うん。
便利だよな、俺。
しかも、ただ城にいるだけじゃない。
万一、敵が攻めてきても俺なら対処できる可能性が高い。
魔力には自信があるからな。
だからこそ、父上も俺に任せるのだろう。
分かる。
全部分かる。
だが、それでもさぁ。
せっかくダル兄さんが帰って来るというのに、俺だけ会えないなんて。
はぁ。
ちょっとくらいなら会えると思ったのにな。
俺は肩を落とし、思わずため息を吐きそうになった。
まったく。
お気楽な三男坊への道は遠い。
せっかくエラム城を攻略したんだから、少しくらい休ませてくれてもいいと思うんだけどなぁ。
……くそっ。
腹いせに、どっかの貴族領に攻め込むかな?
そんなことを考えたところで、父上が再び口を開いた。
「良いか、シルディア城を護るのだぞ」
「はい」
「現状でシルディア城が敵に囲まれることはあるまい。だが、もしそうなっても護るのだ」
「はい」
父上はそこで少し間を置き、俺をまっすぐ見据えた。
「攻めてはならん! いいな!」
「…………はい、分かりました」
うわぁ。
がっつり釘を刺された。
なんだよ。
まだ何もしてないじゃないか。
ちょっと考えただけなのに。
……いや、もちろん父上が俺の頭の中を読んだわけじゃないだろうけど。
それにしても、なんというか。
信用されているのか、されていないのか、よく分からんな。
シルディア城を守る役目は任せてくれるくせに、攻めるなとはっきり言われてしまう。
まあ、仕方ない。
父上の命令だ。
それに、今のところシルディア城が攻められる可能性は低いらしい。
だったら、しばらく大人しくしていることにしよう。
城を護りながら、何か面白いことでも探せばいい。
……米が届くのを楽しみにするのも悪くないな。
そう考えると、少しだけ気分がよくなった。
ダル兄さんに会えないのは残念だが、ずっと会えないわけでもないだろう。
いずれ機会はある。
そのときに色々と聞けばいいさ。
俺は小さく息を吐き、父上に向き直った。
とりあえず、俺の次の仕事は決まった。
シルディア城を護る。
それも、攻めることなく。
まったく、父上も注文が多いなぁ。
まあ、いいさ。
しばらくは大人しくしておこう。
本日はここまでとなります。
次回更新は明日、5時となります。




