第二百九十六話 お気楽な三男坊の帰り道
それからの道中は、思っていたよりも穏やかだった。
今は戦争の最中だ。
王国と帝国が本格的に戦っているのだから、街道には焼け出された平民が溢れ、荷物を抱えた者たちが逃げ惑っているのではないかと想像していた。
だが、実際にはそんなこともなかった。
もちろん、普段とまったく同じというわけではない。
街道を歩く家族連れの中には、大きな荷物を抱えている者もいる。荷車に家財らしきものを積んで進む者もいた。
子供の手を引きながら歩く母親や、荷物を背負って黙々と進む男の姿も見える。
俺たちの一行が近づくと、彼らは街道の端へ寄って道を譲った。
騎士の一団に、馬車。
しかも、馬車の中には捕虜まで乗っている。
平民からすれば、余計な関わり合いになりたくない相手だろう。
俺も特に声をかけることはせず、そのまま通り過ぎた。
だが、思っていたほど悲惨な光景ではない。
少なくとも、俺が見ている範囲では、街道に人が溢れ返るようなことにはなっていなかった。
ふーむ。
まあ、当たり前といえば当たり前なのかもしれない。
俺自身、初陣以外ではそれほど平民を殺した経験はない。
まったくないわけではないが、積極的に平民を狙うほどでもない。
基本的に戦う相手は騎士や兵だ。
もちろん、他の連中がどうしているかまでは知らん。
略奪だって行われているだろうし、戦場になった土地では平民も巻き込まれるはずだ。
それでも、戦争が始まったからといって全員が住む場所を捨てるわけではないのだろう。
そもそも、平民が簡単に土地を離れられるわけでもない。
家も畑も仕事もある。
逃げた先でどうやって食っていくかという問題もあるだろう。
略奪されそうだから逃げる者はいても、実際に略奪されてから逃げる者は案外少ないのかもしれないな。
……いや、単にまだ本格的な略奪が始まっていないだけかもしれん。
俺が見ていない場所では、もっと酷いことになっている可能性もある。
まあ、今の俺には分からん。
街道を行く平民たちを眺めながら、そんなことを考えていると、馬車の車輪が小さく軋む音が聞こえてきた。
振り返ると、バルボアを乗せた馬車は問題なくついてきている。
御者の男も落ち着いて馬を操っており、もう一人の兵も周囲に気を配っているようだった。
バルボアは相変わらず大人しい。
まあ、魔力を封印されたうえに騎士に囲まれているのだから、騒いでも仕方ないと思っているのだろう。
それよりも、俺の方が気になることがある。
バルボアを引き渡したら、次はどうなるのだろう。
また、どこかへ手伝いに行くのか?
それとも、別の仕事を与えられるのだろうか。
せっかくエラム城を攻略したんだから、少しくらい休んでもいい気がするんだけどなぁ。
……無理かな。
「セバス」
「へい?」
「俺たちはこれからどうなると思う?」
隣を進んでいたセバスチャンが、こちらへ顔を向けた。
「さて、どこか苦戦しとるところがあれば、そこに回されるか。それとも別の役目を与えられるか」
「やっぱりそうなるか」
「どっちにしろ、暇にはならんでしょう」
「だよなぁ……」
俺は苦笑しながら前を向いた。
まあ、分かっていたことだ。
今は戦争の真っ最中である。
マバール家もエディオン家も、やることはいくらでもあるだろう。
しかも俺は、戦場ではそれなりに役に立つ。
自分で言うのもなんだが、魔力の強さには多少の自信がある。
となれば、父上たちが放っておいてくれるはずもない。
まったく、困ったものだ。
俺はお気楽な三男坊として生きていきたいだけなのに。
毎日、美味いものを食べて、気の向くままに遊び、レティシアたちと楽しく過ごす。
そんな生活を送りたいのである。
なのに、どうしてこうも忙しいのだろう。
いや、理由は分かっている。
お気楽な三男坊であり続けるためには、努力しなくてはいけないのだ。
マバール家が無事でなければ、俺だって気楽に暮らせない。
家が危うくなれば、レティシアたちの生活だって危うくなる。
だったら、今のうちに頑張るしかない。
お気楽に暮らすために働く。
努力している間はお気楽ではいられない。
……なんか矛盾してないか?
俺は思わず小さく笑った。
まあ、いいさ。
いずれは愛する女たちと楽しく暮らす。
そのための努力だと思えば、それほどつらくもない。
それに、戦うこと自体は嫌いじゃないからな。
馬上から見える景色は、少しずつ変わっていく。
遠くの木立が近づき、やがて背後へ流れていく。踏み固められた街道には馬の蹄の跡が重なり、荷車が通った轍も残っていた。
風に揺れる草の音を聞きながら、俺はこれからのことを考えた。
帝国と王国の戦争は、どうなるのだろう。
父上は本当に善良王を処刑するのだろうか。
そして、その後の王国はどうなる?
帝国は?
マバール家は?
考え始めれば、分からないことばかりだ。
ほんの少し前まで、俺はお気楽な三男坊でいられればそれでよいと思っていた。
いや、今だってそう思っている。
だが、いつの間にか帝国の皇位争いに関わり、新しい皇帝が即位し、今度は王国との戦争で城を攻め落としている。
人生というのは、なかなか思いどおりにならないものだな。
もっとも、今さら引き返したいとも思わない。
俺には守りたいものがある。
家族も、レティシアたちも、今の生活も。
それを守れるだけの力があるなら、使わない理由もないだろう。
俺は手綱を持つ手に少し力を込め、前方へ視線を向けた。
街道はまだ続いている。
シルディア城まではもうしばらくかかるだろう。
次に何を命じられるのかは、父上に会ってみなければ分からない。
だが、どんな仕事であろうと、俺にできることならやってやる。
それが、いつか手に入れるお気楽な生活につながるのだから。
……まあ、休めるなら休みたいけどな。
俺は鞍の上で小さく肩をすくめ、元気よく歩く馬の首筋を撫でた。
帝国と王国がどうなるのか、その後に俺たちがどうなるのか。
未来は見えんが退屈はしなくて済むだろう。
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