第二百八十五話 妙な迷宮
バカルカたちエディオン家の軍勢と別れてから、俺たちはエラム領へ向けてひたすら馬を進めていた。
急がなければならない。
エディオン家の軍勢がエラム領へ到着するより先に、俺たちが向こう側へ回り込んでおかなければ、せっかくバカルカも賛成してくれた作戦が実行出来なくなる。
あれだけ話しておいて、俺たちの方が遅れましたでは笑い草だ。
……いや。
笑い草では済まないな。
敵を挟み込むつもりで別行動を始めたのに、肝心の俺たちが間に合わなければ、エディオン家だけでエラム家とぶつかることになる。
それはさすがにまずい。
だが、急ぐからといって派手に街道を走るわけにもいかなかった。
俺たちは途中で街道を外れ、そのまま森の中へ入っている。
街道より当然走りにくい。
木々の間を抜け、張り出した枝を避け、馬の脚元にも気を配らなければならない。踏み固められた道ではないから速度も落ちるが、エラム家の者に俺たちの動きを知られるよりはいい。
「魔力は抑えろよ」
馬上から後ろへ声を飛ばす。
返事が重なり、直属騎士たちの気配がわずかに引き締まった。
ここまでエラム家の感知魔法の範囲に入っているとは思えない。
思えないが、わざわざ確かめる必要もない。
念のためだ。
俺自身も魔力を余計に使わないようにしている。
おそらくエラム家の目は、街道を進んでくるエディオン家の軍勢へ向く。あれだけの人数が堂々と近づいてくるのだ。普通ならそちらを警戒する。
だが、相手に知恵の回る奴が一人もいないとは限らない。
正面から軍勢が近づいてきたからといって、他に何もないと決めつけるような奴ばかりなら楽なんだけどな。
木々の隙間を抜けながら、ふと思った。
「ところでエラム家ってどんな貴族家なんだ?」
隣を進むセバスチャンへ軽く聞いてみる。
知っているかどうかは知らないが、少なくとも俺よりは知っているだろう。
セバスチャンがこっちを見た。
なんだ、その目は。
「聞いとらんのですか?」
「聞いてるぞ。俺たちとエディオン家が攻め滅ぼす貴族家だって事は」
ちゃんと知ってる。
そこは大事だからな。
セバスチャンの目がさらに呆れたようなものへ変わった。
正直、それ以外はあまり聞いていない。
城で文官たちは色々説明したそうにしていた気がするが、攻める相手が決まっていて、バカルカとも話をしなければならなかったのだ。
細かい話は必要になったら聞けばいい。
今みたいにな。
セバスチャンはしばらく俺を見た後、大きく息を吐いた。
「まぁ、国内貴族にしては武を誇る貴族家ではありますな。それと、領地内に妙な迷宮があるらしいですな」
「妙な迷宮?」
思わず聞き返す。
妙な迷宮。
その言い方が妙だ。
「迷宮は全部妙だろ?」
そもそも地下へ入ったら森があったり、やたら魔物がいたり、勝手に魔石が取れたりする場所だぞ。
あれのどこが普通なんだ。
正常な迷宮。
……なんか言葉としてもおかしい気がする。
俺が首を傾げていると、セバスチャンが前を見たまま続けた。
「なんでも水が溢れとるらしいですぜ」
「水が溢れる? なんだ、それ?」
「あっしも見た事はありませんが、とにかく水が溢れ続け、領地が水で苦労しとるそうです」
「……ほう」
水で苦労。
そう聞けば、普通は水が足りない方を想像する。
井戸が枯れるとか、畑へ回す水が足りないとか、そういう話だ。
だが、エラム領は逆らしい。
水が多すぎて困っている。
「確かに妙だな」
俺は木々の間の先を見ながら呟いた。
水が溢れ続ける迷宮。
どういう状態なんだろうな。
中に川でもあるのか?
いや、それなら外まで溢れる理由が分からん。
そもそも迷宮がどうなっているのか自体、俺にはよく分からない。
前に一つ潰した時だって、壊そうとして詳しく調べたわけではないしな。
……ん?
待てよ。
「すると俺たちは泳ぎながら戦うのか?」
それは嫌だぞ。
鎧を着た騎士たちが水の中でばしゃばしゃやりながら戦う姿を想像してみる。
ものすごく動きにくそうだ。
何より格好悪い。
俺が本気で考えているのが分かったのか、セバスチャンが苦笑した。
「さすがにそこまでじゃありませんよ。ただ、低い土地はほとんど湿地みたいになっとるそうです」
「湿地か」
それでも十分面倒そうだな。
馬も走りにくいだろうし、足場が悪ければ戦いにくい。
そこで別の疑問が浮かんだ。
「それじゃ畑はどうなる。小麦なんて育たないだろ?」
確か小麦は乾燥に強い作物だったはずだ。
前世でどこかで聞いた程度の知識だから、詳しいことは知らない。
乾燥に強いからといって水気の多い土地で絶対に育たないのかと言われれば分からんが、少なくとも湿地で元気に育つような感じはしない。
「小麦が育たんので、なんでも米とかいう作物を作っとるそうですぜ。なんでも湿地で育つようですな」
「…………」
馬の手綱を握ったまま、俺は一瞬黙った。
……米?
今、こいつ米って言ったよな?
湿地で育つ作物。
米。
それって。
あの米か?
頭の中に白い飯が浮かんだ。
以前、米や大豆を探させたことがある。
マバール領には無かった。別の場所ならあるかもしれないと思って探させてもいたが、少なくとも今まで見つかったという話は聞いていない。
それが、こんなところに?
いや待て。
落ち着け。
名前が同じだけかもしれない。
そもそも本当に前世で食っていた米と同じものなのか分からない。
ここで急に食いつくのもおかしい。
「……それはどうやって食うんだ? 小麦のように粉にするのか?」
出来るだけ何でもないように聞く。
慎重に。
前世のことは絶対にバレるわけにはいかない。
この世界で生まれ育った俺が、見たこともない作物について妙に詳しかったらおかしいからな。
セバスチャンは俺の質問を特に気にした様子もなく、馬を進めながら答えた。
「なんでも煮て食うらしいですがね。あまり美味くはないみたいですぜ」
「煮るのか」
ふむ。
煮て食う。
どうなんだろう。
前世でも、昔は米を煮て食っていたとか聞いたような気がする。
いや、ちゃんとは覚えてないな。
俺は米を食う側であって、米の歴史を研究していたわけではない。
それに米にも種類があったはずだ。
同じ米という名前でも、俺が食っていたものと同じ種類とは限らない。
期待しすぎるのは危険だ。
「あまり他の領地では見ないよな、その米とやら」
俺はなるべく興味のないふりをして聞いた。
セバスチャンは少し考えるように視線を前へ向けたまま、
「まぁ、それだけ不味いんでしょうな」
と呟いた。
……そうなのか?
いや、こいつ自身が食ったとは言っていない。
さっきから全部、聞いた話だ。
どうもセバスチャンは米そのものには大して興味がないらしい。
まあ、当たり前か。
聞いたことのない土地の、不味いと言われている作物だ。
そんなものをわざわざ食いたがる理由もない。
ここで俺だけ質問を重ねたら、さすがに変に思われるかもしれない。
これくらいで我慢しておこう。
機会があれば持って帰ればいい。
実物を見てから考えればいいんだ。
もし本当にあの米に近いものなら、適当な理由をつけて栽培してみてもいい。
……うむ。
今はエラム家だ。
米じゃない。
俺は頭の中に浮かび始めた白飯を無理やり追い出した。
「しかし、そんなに水だらけだと攻めにくいんじゃないか?」
話を戻す。
セバスチャンも特に気にすることなく頷いた。
「さすがに城や街は大丈夫でしょう。マバールのように城下に町がないみてえですので、攻めるには都合がいいですぜ」
「ほう」
それなら話は簡単だ。
「それなら城を吹き飛ばしてもいいな」
町を巻き込まないなら、城だけ消してしまえば早い。
面倒な城攻めをするよりずっと楽だ。
だが、セバスチャンは何も答えず、じっと俺を見てきた。
「……なんだよ」
「……我らは手伝いですぜ。エラムの城はエディオン家が使うんじゃないですかね?」
「…………」
俺は少し考えた。
言われてみればそうだよな。
今回は俺たちがエラム領を奪うわけではない。
エディオン家の戦いを手伝う側だ。
そのエディオン家が後で使うかもしれない城を、俺が勝手に吹き飛ばしたらどうなる。
……怒られるな。
たぶん。
やめとこ。
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