第二百七十六話 戦場の経済
父上から許可が下りた。
なら、後は動くだけだ。
広間を出た俺は、そのまま廊下を歩きながら身体の内側で魔力を動かした。
感知魔法を展開する。
自分を中心に薄く広がった感覚が、石壁の向こうまで伸びていく。城内にはいくつもの魔力反応がある。近くを歩く騎士、少し離れた部屋にいる魔力持ち。その一つ一つを拾いながら、さらに範囲を拡げていった。
探しているのは一人、セバスチャンだ。
長いこと一緒に行動してきたせいで、セバスチャンの魔力反応にはすっかり慣れている。声や顔を見るほどはっきりしたものではないが、感知魔法の中で触れれば、だいたい分かる。
「……あっちか」
城の外。
さらに感覚を伸ばすと、シルビア橋の方に覚えのある反応があった。
少し動いている。
止まったかと思えば、また動く。
橋の上を行ったり来たりしているように見えた。
「休んでろって言ったのに、何してるんだか」
昨日、ちゃんと休めと命じたはずなんだが。
まあ、あのクソじじいに大人しく部屋で寝ていろという方が無理なのかもしれない。
仕方ない。
俺が行くか。
感知魔法を解き、そのまま城の外へ向かった。
そういえば、シルビア橋へ直接行くのは久しぶりだな。
前は父上から城を出るなと命じられていたので、橋の周辺が気になっても城の中から眺めるだけだった。その後は王都へ向かって、そのまま善良王のおっさんを連れて帰ってきた。
なんだか妙に久しぶりな感じがする。
馬を使うほどの距離でもない。
俺はそのまま歩いて橋へ向かった。
城を離れるにつれて、人の声が少しずつ大きくなってくる。
橋そのものは以前と変わらず大河の上に伸びているが、その袂は前に見た時よりずっと雑多だった。城から眺めていた時にも小屋や屋台が増えているのは分かっていたが、近くまで来ると印象が違う。
人がいる。
兵がいる。
荷を抱えた者が歩き、屋台の前では何人かが立ち止まっていた。
火の上では肉が焼かれている。
脂が落ちるたびに小さく煙が上がり、香ばしい匂いが風に乗って流れてきた。
「いい匂いだな」
朝飯は食ったが、それでも腹が反応しそうになる。
だが、肉の匂いに混じって別のものが鼻についた。
「ん?」
小屋の方だ。
何だろう。
安っぽい香水みたいな、妙に甘ったるい匂いがする。
それだけじゃない。
汗なのか、それとも別の何かなのか。何とも言いにくい生々しい匂いが混じっていた。
そして時折、小屋の中から声が聞こえる。
話し声ではない。
呻き声みたいなものだ。
「……ああ」
そういえば。
前にセバスチャンが言ってたな。
兵に酒や食い物を売るだけじゃなく、女を抱かせる店もある、と。
俺は歩きながら、小屋へちらりと目を向けた。
外から見ても中までは分からない。
入口の向こうに何があるのかも見えない。
……ちょっと気になる。
いや、変な意味じゃない。
知的好奇心だ。
前世でも、戦場にそういう商売がついて回ったという話くらいは聞いたことがある。この世界では実際にどんな感じなのか、少しくらい見てみたいと思うのは仕方ないだろう。
少しだけだ。
ほんの少しだけ。
俺はそのまま通り過ぎた。
今日はセバスチャンを探しに来たのだ。
感知魔法を使わなくても、少し進めば本人が見えた。
向こうから、見慣れた傷だらけの男が歩いてくる。
やっぱり橋の上を行ったり来たりしていたようだ。
……散歩か?
いや、こいつのことだから何か見て回っていたんだろう。
セバスチャンも俺に気づいた。
俺は自然と笑顔になる。
「戦場に行くぞ」
セバスチャンの足が止まった。
俺の顔をまじまじと見る。
何だ、その顔。
「お館様のお許しは?」
「無断で行くわけないだろ。ちゃんと許しをもらった」
当然のように答える。
だが、セバスチャンはまだ俺を見ていた。
目が細くなる。
「本当ですかい?」
「本当だ」
何なんだ。
無礼な奴だなぁ。
「俺が勝手に動いたりするわけないだろ」
セバスチャンは何も言わない。
ただ、じっと俺の顔を見ている。
……何だよ。
何か言いたいなら言えばいいのに。
まあいい。
俺はその視線を無視して、城の方へ顔を向けた。
「こんなところじゃ話せんな。城に戻るぞ」
「へい」
二人で歩き始める。
来た道を戻りながら、もう一度周囲を見る。
近くで見ると、やはり結構な人の数だ。
屋台では肉だけでなく何かを煮ているところもあり、小屋の間を兵や商人らしき連中が歩いている。橋を渡る人間もいるし、荷を動かしている者もいる。
「賑やかだな」
俺が小屋や屋台を見ながら言うと、隣を歩くセバスチャンが鼻を鳴らした。
「これでも落ち着いた方ですぜ」
「そうなのか?」
思わず周囲を見直す。
俺から見れば十分賑わっている。
城から眺めていた時より人の姿が近いせいもあるのだろうが、声も匂いも途切れない。
これで落ち着いた方なのか。
「軍が出ましたからな。本気で儲けたい奴らは、軍の後を追っとるでしょうな」
「ああ、そういうことか」
前にも聞いた。
こいつらは軍に雇われてついてくるわけじゃない。
勝手についていくのだ。
「ふーん、そんなもんか?」
「そんなもんですぜ」
セバスチャンはそう答えてから、橋の方へ一度目を向けた。
「そっちの方が高く売れますから」
「高く?」
聞き返した俺に、セバスチャンはちらりと小屋を見る。
それだけで何を言っているのか分かった。
「なるほどなぁ」
戦場なら、ここより高くても客が来るのか。
兵は戦う。
いつ死ぬか分からない場所へ行く。
恐怖もあるだろう。
興奮もするだろう。
命を張って戦った後なら、酒を飲みたい奴もいるだろうし、女を抱きたくなる奴もいる。
そこへ店がついていく。
安全な場所で商売するより危険は増える。
なら、その分だけ高くなる。
客の方も、それでも払う。
高い需要には、高い報酬が必要になるわけか。
俺は城へ向かって歩きながら、少しだけ後ろを振り返った。
肉を焼く煙。
橋を行き交う人。
並んだ屋台。
その奥に建つ小屋。
戦争が始まれば兵が動く。
兵が動けば、その周りで金も動く。
「戦場の経済だなぁ」
ぽつりと呟く。
隣のセバスチャンは何も言わなかった。
俺たちはそのまま、シルディア城へ戻っていった。
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