第二百七十一話 ただ今戻りました
エディオン家の白い旗が少しずつ遠ざかっていく。
最後に手を上げたセバスチャンは、何事もなかったように前へ向き直った。
俺はそんな筆頭騎士を横目で見る。
「……なんだ、今の」
「何がですかい?」
「いや、別に」
聞いても素直に答える気はなさそうだ。
まあいいか。
前にバカルカと会った時から、こいつらは妙にお互いを気にしていた。何を考えているのかまでは知らんが、少なくとも嫌っているようには見えない。
放っておこう。
俺たちはそのままシルディア城へ続く街道を進んだ。
さっきまでエディオン家の軍勢がいたせいもあるが、道の様子は王都へ向かった時とは随分違う。
次々と前から来る軍勢。
遠くには別の旗も見える。
それぞれが一つの大きな塊になり、街道を行き交っていた。
その代わり、普通の旅人らしい姿はほとんどない。
まあ、当たり前か。
いくさが始まって、武装した騎士や兵が次々に通る道を好き好んで歩く奴も少ないだろう。
俺が平民だったら避ける。
いくら自分に関係ないいくさでも、巻き込まれたら関係ないでは済まない。
軍勢の脇を通り過ぎながら、俺は少しだけ速度を落とした。
前方を進んでいる軍のさらに後ろ。
かなり距離を空けた場所に、また人の集まりが見える。
最初は別の軍かと思った。
だが、近づくにつれて違うと分かる。
騎士が整然と並んでいるわけではない。
荷を積んだ者たちがまとまり、それぞれが同じ方向へ進んでいる。
「……商人か」
前にセバスチャンから聞いたことを思い出した。
いくさになれば、商人たちは軍勢の後ろをついていく。
兵に物を売ったり、逆に何かを買ったりして稼ぐらしい。
本当に付いて行くんだな。
話として聞いた時にも、たくましいとは思った。
だが、実際に見るとまた違う。
これから向かう先はいくさになるんだぞ。
その方向へ、軍の後ろからわざわざついていく。
もちろん軍勢とはかなり距離を空けているし、その真ん中へ混ざって進んでいるわけではない。
それでも危ないと思うんだが。
軍が負ければ、逃げてくる兵に巻き込まれるかもしれない。
逆から敵が来る可能性だってある。
それでも行くということは、それだけ稼げるということなのだろうか。
ハイリスクハイリターンな感じなのかな?
俺は少し離れたところを進む商人たちへ目を向けたまま、その横を通り過ぎようとした。
そこで気づく。
「ん?」
人がいる。
商人だけではない。
その周りに、さっきまで街道でほとんど見なかった旅人たちの姿があった。
なんでだ?
俺は思わずそちらを見た。
少し前まで、軍勢ばかりで普通に歩いている旅人なんてほとんど見えなかった。
それなのに、ここにはいる。
どこにいたんだ?
森にでも隠れていたのかな?
軍が通り過ぎるまでどこかで待っていたのかもしれないし、別の道から出てきただけかもしれない。
だが、さっきまで見えなかった連中が、商人の周りには集まっている。
俺たちが横を通る間にも、人の動きが見えた。
商人の前で足を止める者。
荷を指して何かを話している者。
何かを受け取る者もいれば、自分が持っていた物を差し出している者もいる。
買っているだけではないらしい。
旅人の方から手持ちの品を売っている奴もいる。
ふむ。
ここで必要な物を揃えてるのか。
街道がこんな状態なら、途中で何か欲しくなってもいつも通りに手に入るとは限らない。
その点、軍について歩く商人なら色々と持っている。
商人からすれば、兵だけではなく旅人まで客になる。
逆に旅人からすれば、軍勢ばかりになった街道で商人に会える。
お互い使えるということか。
「うーん、たくましい」
思わず口から漏れた。
商人だけじゃない。
旅人の方もだ。
いくさが始まったからといって、その場でずっと縮こまっているわけにもいかない。
どこかへ行く必要がある奴は歩く。
食う物が必要なら買う。
金が必要なら持っている物を売る。
そうして必要な品を手にした者から、また街道へ戻っていく。
俺が見ている間にも、一人、二人と商人たちの集まりから離れていった。
向かう方向は同じとは限らない。
ただ、多くは俺たちと同じ方向だ。
シルディア城のある方へ歩いていく。
まあ、そうなるか。
俺は一度、反対側へ目を向けた。
向こうへ進んでいるのは軍勢だ。
エディオン家の軍もそっちへ向かった。
他の旗も続いている。
これから戦場になりそうな方には行かんわな。
よほど用事があるなら別だろうが、逃げるなら反対方向だ。
商人たちの集まりも後ろへ流れていく。
俺たちはそのまま街道を進んだ。
途中でまた軍勢とすれ違った。
こちらが掲げているマバール家の旗を見れば、向こうも特に何かを聞いてくることはない。
道を進む人と馬の音が途切れない。
王都へ向かっていた時とは違う。
あの時も王国の中は落ち着いているとは言えなかったが、今はもっと分かりやすい。
実際に軍が動いている。
いくさが始まったのだ。
それを一番分かりやすく見せているのが、街道なのかもしれない。
そんなことを考えながら進み続け、ようやく見慣れた場所まで戻ってきた。
シルディア城だ。
「やっと着いたな」
思わず声が出る。
けっこうかかった。
まあ、王都からだから仕方ないか。
行きも近いとは思わなかったが、帰りは善良王のおっさんを連れている上に、途中で森へ入ったり、襲われたり、休んだりもした。
何もせず真っ直ぐ戻ってきたわけではない。
それでも、無事に帰ってきた。
俺は馬上から周囲へ目を向ける。
そういえば。
結局、あの黒ずくめの連中も、あれ以降は一度も出なかったな。
最初に襲ってきた奴らを全員倒した。
それで終わりだったのかもしれない。
あいつらしかいなかった可能性もある。
ただ、今の街道を見た後だと別の理由も考えられる。
帝国側の軍勢が次々と王国側へ進んでいる。
騎士も兵も増え、人の目も多い。
あの黒ずくめがもう一度俺たちを狙うつもりだったとしても、出ようとして出られなかっただけかもしれない。
うーん、分からんな。
そもそも、あいつらが何者なのかさえ分かっていない。
父上のところへ行ったら、あの筒のことも聞いてみるか。
せっかく、何本か持って帰ってきたんだ。
誰か知っている奴がいるなら、その方が早い。
城へ入り、馬を任せる。
長く移動してきたせいか、馬から降りると身体が少し軽く感じた。
周囲ではオルドたちも次々と降りている。
ジノも普通に動いている。
あの時はかなり血を流したが、ここまで戻ってこられたならひとまず大丈夫だろう。
俺は全員の姿を軽く見回してから口を開いた。
「セバスチャン、ついて来い。他の者は休んでいろ」
「へい」
セバスチャンがすぐにこちらへ来る。
オルドたちも特に何か言うことなく応じた。
王都まで行って、戻ってきた。
途中では襲撃まで受けた。
俺は今から父上のところへ行くが、全員でぞろぞろついてくる必要はない。
休める時に休んでおけばいい。
俺は善良王のおっさんへ目を向けた。
「行くぞ」
おっさんは何も言わなかった。
ただ、静かに俺についてくる。
ここでも騒がない。
抵抗もしない。
王城から連れ出した時と変わらない。
いや、今の方が状況だけなら妙かもしれない。
自分の王城から敵に連れ出され、そのまま敵側の城まで来た。
魔力も封じられたままだ。
普通なら何かありそうなものだと思う。
怒鳴るとか。
逃げようとするとか。
せめて嫌そうな顔をするとか。
だが、善良王のおっさんは普通に歩いている。
度胸があるだけなのか。
俺たちが自分を殺すつもりはないと考えているのか。
それとも。
耐えているのか。
俺は少しだけ、おっさんの横顔を見る。
表情はほとんど変わっていないな。
前に考えたことが、また頭に浮かんだだけだ。
こいつはずっと我慢しているんじゃないか。
どれほど嫌でも、いくさをしないためなら耐える。
自分が望んだ通りにならなくても。
自分自身が敵に連れて行かれても。
ただ、それが本当なのかは分からない。
本人は何も言わないし、顔を見ても相変わらずよく分からん。
まあ、大人しくついてきてくれるのはありがたい。
ここで急に暴れられても面倒だからな。
俺と善良王のおっさん、その少し後ろをセバスチャンが歩く。
城内はいつもより少し騒がしかった。
廊下を行き交う者がいる。
足音が途切れず、ところどころから声も聞こえる。
父上がここから全体へ指示を出し、ザイン殿も新帝国貴族たちへ指示を出していると聞いたばかりだ。
それなら、これくらい人が動いているのも不思議ではない。
俺たちはその中を広間の方へ進んでいく。
時折、すれ違った奴の視線がこっちへ向く。
いや。
俺というより、善良王のおっさんだな。
俺を見た後、その横へ視線を動かし、少し驚いたように目を見開く奴がいた。
歩く速度が僅かに落ちる奴もいる。
善良王の顔を知っているのか。
それとも、知らない貴族っぽいおっさんが俺と一緒に歩いているから気になるだけなのか。
ただ、誰も話しかけてはこなかった。
俺に聞いてくる奴もいない。
善良王のおっさんへ声をかける奴もいない。
視線だけが一瞬こちらへ向き、すぐにそれぞれの仕事へ戻っていく。
まあ、その方が楽だ。
いちいち立ち止まって説明していたら、いつまで経っても父上のところへ着かん。
とはいえ。
父上がシルディア城にいることは分かっているが、今どこにいるかまでは聞いていなかった。
ちょうど前から一人歩いてくる。
俺はそいつへ声をかけた。
「父上はどこだ?」
相手は足を止める。
「広間におられます」
「分かった」
やっぱり広間か。
俺たちはそのまま進む。
もう何度も歩いた城内だ。
迷うこともない。
広間へ近づくにつれ、俺は少しだけ歩調を緩めた。
ようやく帰ってきたんだな。
王都まで行って。
王城へ入って。
善良王を掻っ攫って。
妙な連中に襲われて。
それでもちゃんと目的の物を持って帰ってきた。
俺は隣を歩く善良王のおっさんを見る。
土産と言うには随分大きいが。
父上から頼まれた物には違いない。
広間の扉が見えてくる。
その前には騎士が立っていた。
俺たちが近づくと、騎士の視線がこちらへ向く。
その視線が一度俺で止まり、次に善良王のおっさんへ動いた。
僅かに表情が変わったように見えたが、騎士は何も言わない。
俺はそのまま目配せする。
騎士がすぐに動いた。
重い扉が開いていく。
俺は開いていく広間の中へ足を踏み入れながら、正面へ顔を向けた。
「父上、ただ今戻りました」
次の更新は、20時となります。




